第五話
前回のあらすじ
坂本たちが閉鎖されたビルから見つけた遺体には、土が詰め込まれていた。常軌を逸した遺体の状態に、ただの恨みによるものではない何かを感じ始める坂本たち。
捜査の進展が望めない中、帰宅する彼らを尾行するものが現れる。その人物の目的は一体何か。
誤字脱字等、ご容赦ください。
「来たか、坂本」
坂本が謎の人物に尾けられた翌日、普段通りに特別相談室に向かうと、すでに来ていた松本がまるで待ちわびていたかのように言葉をかけた。
「おはようございます。……どうかしたんですか?」
普段ならば「おう、早いな」程度の挨拶をするはずなのだが、それが一切ない。その上、いつものように茶を飲んでいるわけでもなく寝足りないといったようにだらしなくソファに体を預けるようなこともしていない。坂本はそれらから、松本の周りで何かあったのかと推察していた。
「……まあ、ちょっとな。山崎が来てから話そう」
「……わかりました」
坂本は昨日自分の身にあったことを話すべきか悩んでいたが、もはやいたずらの類とも考えられる被害をいちいち同僚に話すのもいかがなものかと口をつぐんでいる。荷物を片付け身だしなみを整えているうちに、山崎も姿を現した。
「おはようございます……」
だが、彼女の様子もいつもとは違った。普段ならばもう少し明るく大きな声で挨拶をする彼女は、目の下に薄いクマを作って疲れ切った様子を見せていた。松本は何か知っているのか、「休みにしても良かったんだぞ」と気を遣うような物言いをする。
「いえ、あんなことで仕事を休むのは少し……。なんか負けたような気がしますから」
「……あんなこと?昨日何かあったのか?」
「それは俺から話そう」
山崎が言う「あんなこと」。坂本が尋ねると松本が代わりに話そうとする。どうやら彼の身の回りで起きていたこととも何か関係があるようだ。
「昨日、警視庁前で別れた後、俺と山崎は二人で駅に向かった。……その途中、誰かに尾行されてな。まあ、俺たちは一人じゃなかったし駅まではすぐだ。それほど脅威じゃないと踏んだんだが……」
「私が隣駅で電車から降りて、家まで歩いている途中にまた尾行されているような気がして。振り返ると誰かいるんですが、暗くて顔は良く見えず……」
「で、俺が次の駅で降りた時、ちょうど山崎から電話がかかってきてな。『誰かに尾けられてる』って。……警視庁から駅まで尾行してきた奴は山崎が目的なのかと思ってな。『コンビニに逃げ込め、すぐにそっちに向かう』って返事して電話を切ったんだ」
「その後、何とか松本さんに家まで送ってもらったんですけど……。私を尾行していた人、邪魔されたって感じたのか私が家に帰った後、今度は松本さんの尾行を始めたらしいんです」
「家の最寄駅に戻るとな、後ろから気配を感じるんだ。人混みの中じゃ、振り返っても意味はねえ。誰もいないところで振り返ると、街灯の下に黒い影が一つ。……面倒なことに巻き込まれちまったみたいなんだ」
二人はそれぞれ話を繋ぐように言葉を続け、昨日彼らの身にあったことを話した。坂本は考え込んだ様子を見せており、それを見た松本はすぐに「待ってくれ」と声をあげる。
「別に俺たちが何かをされたわけじゃねえんだ。それほど考え込まなくたっていい。対処は自分でもできる、お前の手を煩わせるまでも……」
「いえ、そうじゃないんです。……俺も昨日、誰かに尾けられまして。犯人は誰かわかりませんでした。顔は見えず、お二人と同じように黒い影だけが」
坂本がそれを告げた時、二人の喉からは息をのんだような音が響いた。それぞれ口をぽかんと開け、これと言った感情は読み取れない。
「……あの」
「どういうことだ。お前もなのか?」
「……まあ、そうですね。理由は分かりませんけど。……そのことなんですけど、家のポストにこんな紙が入れられていたんですよ」
もはや情報を出し渋る必要もない。坂本は持ってきていた紙をテーブルの上に出した。二人は紙をのぞき込み、そして忌避するような声をあげた。
「それ、俺の家のポストにも入ってたぞ。……捨てちまったが」
「私は、持ってきました。何か使えるかもしれないと思って……」
山崎が鞄から紙を取り出す。その白い紙にはやはり、「オオワダセイイチヲタドレ」と書かれていた。
「……誰だ。誰がこんなことを」
松本がそうつぶやく。……やはり問題はそこなのだ。彼ら三人を尾行し、それぞれの家に同じ内容が書かれた紙を届けた誰かがいる。そもそも、彼ら三人が魂魄教について調べているのを知っているのはごく少数に限られる。有田春香が働いていた居酒屋の店主、坂本が訪ねたタクシー会社に、運転手だった鎌谷。それと昨日事件の話をした藤原である。
「このことを知っている人は限られます。……でも、彼らがそんなことをするとはとても思えません。理由もないでしょうし……」
「確かに、いちいち手紙で伝えてきたりはしないよな。直接言えば済む話だ。それをわざわざなんで、こんな面倒な……」
「とりあえず、ここで足を止めるのはやめましょう。どうせ考えたってわからないことですし。……今はとにかく、有田春香の手がかりを探すことを考えるべきです。そうすれば、『オオワダセイイチヲタドレ』というメッセージにも応えることができるでしょう」
坂本の言葉に二人は唸り声をあげたが、山崎が先に「わかりました」とうなずいた。それに続き松本も「それしかないか」と納得したようだ。
「……とは言ったものの、これからどうしましょうか。有田春香の手がかりはどこにもないですし……」
「ま、昨日から言ってるように、そこらじゅうの監視カメラの映像を見せてもらうしかねえだろうな。ひとまず、あのビルの周りから……」
松本がそう言ってソファから腰をあげた時、特別相談室に備え付けている固定電話が鳴った。特別相談室の窓口として電話番号は公開しているため、相談の電話がかかってくるのはそれほど珍しいことでもない。それに、相手が警察の番号だということは誰もが分かっているため、いたずら電話をかけてくる者も滅多にいない。
『もしもし』
「もしもし。……どうした。こんな朝早くから」
『昨日の橋本恵の件で、新しい発見があってね。知らせておくべきかと思って』
電話口の藤原は疲れたような声でそう言った。本題を問い詰める坂本に対し、彼はあくびで答える。
「どうした、寝不足か?」
『うん、昨日から寝てなくてね。……彼女の遺体が見つかったビルを夜通し調査させられたのさ』
「……上の連中はずいぶんと人使いが荒いな。いつになったら時代に合わせるのやら。……それで、新しい発見っていうのは?」
藤原が電話をかけてきた理由が、坂本はどうしても気になる。すぐに本題に入るよう急かすが、彼は「それは……」となぜかあまり話したがらない。
「なんだよ。お前から電話してきたんじゃねえか。そんなに話しづらいことなのか?」
『……まあ、結構ショッキングな話だからね。……閉鎖されたビルの最上階で、複数の遺体が発見されたんだ』
「確かにショッキングではあるが……。俺たちは警察だぞ?いまさら死体の一つや二つ見つかったぐらいで……」
『発見された遺体のすべてが、橋本恵と同じように胃に土を詰め込まれていたとすれば、どう?』
藤原の言葉に坂本だけでなく、電話から漏れた声を聞いた松本と山崎も、驚きを隠しきれずに口から短く息を漏らしてしまう。
「ぜ、全員か?全員の胃の中に土が?」
『うん、すでに解剖は済ませてあるから間違いないよ。……これで、上層部の推測は間違っていたことになるね』
捜査本部の推理では、橋本恵と付き合っていたという元恋人が、別れた恨みを募らせた結果、彼女の身体に土を詰めるという奇行にいたったのではないかというものだった。だが。同じような遺体が何個も見つかれば、その説は捨てざるを得ない。
「……身元の確認は終わってるのか?」
『うん。……そのせいで徹夜する羽目になったんだけど。……あれ、覚えているかい。資料室のパソコンに残っていた、魂魄教が関係していそうな失踪事件の名簿』
「……ああ、それがどうかしたか?」
『見つかった遺体の身元は、すべてその名簿に名前が載っていた。……もしあの名簿が更新されるのなら、有田春香以外は全員バツがつくだろうね』
藤原はどこか空しそうにそう言った。知人ではないとはいえ、数多の人間の死を目の当たりにすれば気が滅入るのも仕方のないことだ。その上、彼は捜査のために徹夜している。その疲れもあるのだろう。
「見つかった遺体が全部、魂魄教がらみの失踪に関係しているとはな。……そのビルもどうやら随分と胡散臭い場所みたいだな」
『ああ、そうだよ。遺体が見つかった最上階はあまりにも胡散臭すぎたよ。部屋の床に魔法陣なんて正気じゃない』
「魔法陣?」
『うん。……今写真を送った。見てみてよ』
坂本は藤原から送られてきた写真をスマホの画面に表示した。ビルの最上階の部屋のようだが、その中はまさに伽藍堂であった。家具らしきものは一つもなく、窓があるであろうところにはすべてカーテンがひかれている。……ただ、そんなところは問題ではない。一番の問題は、部屋の床であった。何重にも重なった円とその中に様々な文字が細かく書かれている。一目見ただけで「これに関わってはいけない」と本能が訴えている。
「……冗談だろ?」
かろうじて坂本がひりだせた言葉はそれだけであった。だが、藤原は先ほどの脱力したような声ではなく、はっきりと言い切る。
『いや、冗談なんかじゃない。あのビルの最上階の部屋はこうなっているんだ。この上に、いくつもの遺体が転がっていた。胃の中に土を詰め込まれた状態でね』
坂本は返事をせず、ただこめかみを左手で押さえた。有田春香の手がかりを探さねばならないというのに、それ以上に魂魄教の恐ろしさというものが彼にのしかかる。彼はそのまま崩れ落ちるようにソファに座り込み、手に持っていたスマホをテーブルに置く。
「……とんでもねえな。これも魂魄教が絡んでるのか?」
『まあそうだろうね。この光景、まるで悪魔降臨のための儀式みたいじゃないか。……呼んでいたのは悪魔じゃないだろうけど』
「何か知ってるのか?」
『……ゴーレムって知ってるかい』
「は?」
この驚いた声は、坂本だけではなく松本と山崎の両者もそろっての声だった。藤原の何か知っていそうなそぶりを問いただしてみれば、ゴーレムなどというファンタジーにしか出てこないであろう名前を聞かされれば、誰でもそんな反応をしてしまうだろう。
「……おい、いきなり何のつもりだ?今は仕事中だぞ。ゲームの話をする時間じゃねえ」
『ゴーレムの歴史は十六世紀ごろまで遡ることができる。その始まりはユダヤ教の伝承で、ゴーレムはヘブライ語で未完成のものを意味するようだ』
いきなりゴーレムの話を始める藤原。坂本は呆れた様子でそれを止めようとするが、藤原は意に介さずに話を続ける。
『作り方はそれほど難しくない。術者が断食や祈祷などの儀式を済ませたのち、土をこねて人型にするんだ。その後呪文を唱え、人型の額にある文字を刻み込む。……そうすると、その土塊は意思を持ったかのように動きだすんだ。……面白いと思わないかい』
「だから何のつもりだ?いきなりゴーレムの作りからなんて教えられたところで俺たちはどうすればいいんだよ」
旧知の仲である坂本の制止も聞かず、ぺらぺらと話し続ける藤原。いい加減しびれを切らした彼は、その声に怒気を含ませていた。だが、藤原はまるでそれが聞こえていないかのように話を続ける。
『……彼女たちは、ゴーレムにされかけていたんじゃないかな』
「は?」
『最上階で見つかった遺体のことだよ。……儀式を行っていたように思える部屋の様子、胃の中に詰め込まれた土。彼女たちはゴーレムの素材にされようとしていた』
「さっきの話じゃあ、土で人型を作るんだろ?人に土を詰めたところでそれは人型とは言えない」
『……話は変わるが、人の血液というものは魔力を持つと昔から信じられてきた。より高性能で従順なゴーレムの製作に血液を用いようとしたこともあるみたいだ。だが、それには一つ問題がある。土に混ぜられた血液が渇くと、魔力が失われるんだ。そうなっては、ただの土をこねていることと変わらない。そのため、当時の術者たちは大いに頭を悩ませたようだ』
もはや坂本は何も言えなくなっていた。いつもの藤原ならこんな話はしないはずだ。昨日から徹夜で捜査をしているから寝ていないとは言っていたが、まさか夜通しこんなことを調べていたのだろうか。……電話の先にいるのは、本当に藤原なのだろうか。
『そこで編み出されたのが、人の身体に土を詰めること。そうすれば血液は絶対に渇かない。……ただ、これは倫理的な視点から邪法と恐れられた。人体に土を詰めるのもそうだが、何よりも従順なゴーレムのために土を入れる人間は死体でなければならなかった。それも、血液が渇く前の死体。……つまり、目の前で死んだばかりの人間しか、材料にはできなかったのさ。……そこらあたりの時期だったかな、あちらの国々で魔女狩りが流行りだしたのは』
「……それが、あのビルの最上階でも行われていたとでも言いたいのか?」
『状況は一致しているじゃないか。なら、そう考えるのは普通じゃないか?それとも、君はこの説を否定できるほどの材料を持っているとでも?』
「材料というか……。あまりにも非現実的すぎるだろう、こんな話。確かに状況は一致しているかもしれない。けどな、そんなことを今この時代に信じて、その上行動に起こす奴なんて……」
『自分が今まで担当してきた事件を忘れたのかい?時幸村での一件。……謎の像が時を支配し、何人もの人間を生贄としていた。そして、夢福病院での一件。……逃れられぬ死にあらがうため、幼子の夢を生贄にしようとした。どちらも、あまりにも非現実的すぎる。……けど、そのどちらをも、君はその身で経験してきたんだろう?それなのに、今さらゴーレムが非現実的とは、少し筋が通っていないように思えるね』
坂本は口を噤むほかなかった。藤原の正論に打ちのめされ、返す言葉もなかったのだ。すべて彼の言うとおりである。現実では決してありえない経験なら、もう二度もしてきた。今さらそれから目を背けようとするのは、確かに筋が通っていないように思える。……だが、「もう変な事件には巻き込まれたくない」という坂本の気持ちを、藤原は無視しているからこそ、そのような言葉が出るのだ。……坂本はそこに、違和感を覚えた。
「……お前は誰だ?」
『誰って、なんでいちいちそんなことを聞いてくるんだ?』
「俺の質問に答えろ。お前は誰だ?」
『誰と言われてもな……。この声じゃわからないの?長い付き合い』
「名乗らないのか。そうだよな、名乗れないよな。……お前はあいつの声をまねただけの他人だ」
坂本は受話器を強く握りしめ、まるで吠えるように話す。電話の向こうにいるナニカは、全く彼の声を騒々しいと思っていないようだった。
『ひどいことを言うなあ。どうしてそう決めつけるんだ?』
「……ゴーレムが非現実だと俺が言った時、お前は俺に筋が通っていないといったな」
『ああ、確かに言ったね』
「本物のあいつに、酒の席でその話をしたことがあってな。……もう俺は変な事件には巻き込まれたくないと伝えたんだ。その俺相手に、あいつは嬉々としてふざけた話はしねえ」
『でも、これが事実だよ』
「だとしても。俺とあいつは高校の頃からの長い付き合いだ。……あいつは、人の気持ちを踏みにじるような人間じゃねえ」
坂本は一度大きくため息をついた。そして、昨日ポストに入れられていた紙の裏にペンを走らせ、山崎に見せつけた。彼女は紙に書かれた字を読むと、すぐさま自らのスマホを取り出し、わずかに震える指で操作し始めた。その間にも、電話の向こうにいる「藤原」からの言葉は止まらない。
『僕は、仕事に私情をはさまない人間でもあるんだよ。いちいち遠慮なんかしていたら、伝えたい事実も伝えられないじゃないか』
しつこく食い下がる坂本に対し、電話の相手である「藤原」も怒りを露わにしだした。その中、山崎は突然立ち上がり、部屋の外へと出て行く。松本は「おい、どうした?」と尋ねるが、坂本は「いえ、大丈夫です」と押しとどめた。
『聞いてるか?彼女らは魂魄教の奴らによってゴーレムにされかけたんだ。理由はもちろん、教祖である大和田誠一の複製。彼の魂をゴーレムに移すことで古い体を捨て去り、新しい体と永遠の命を手に入れるために他ならない』
「何の証拠もないのによくそんなことを。……それよりも、俺からの質問に答えてくれよ。お前の名前は?」
『くどい!それはそんなに重要なことなのか?』
「藤原」からかかってきているはずの電話にノイズが混ざり始める。電話の向こうにいる者が怒り狂い、感情に任せて声を張り上げているからか。……それとも。
「先輩、お待たせしました!」
その時ちょうど、部屋の外に出ていた山崎が戻ってきた。彼女の後ろには一人の人影が見える。彼は「いきなり呼びつけてどうしたんだ?」と聞き覚えのある声で言った。
「……重要なことだよ。藤原はここにいるんだ。……お前は誰だ?」
『いや、藤原は僕だ。君の隣にいる者こそ偽物なんだよ。今すぐそこから離れるべきだ』
「これは、一体……?」
坂本が握っている受話器から聞こえてくる、自分の声に限りなく似た誰かの声。藤原は困惑を隠せないでいるが、坂本は「あとで話す」と言い、受話器に向き直る。
「俺は再三、お前に名乗るよう求めた。……だが、お前は一度たりともそれに応えなかった。それはなぜか?」
『もちろん、名乗る必要がなかったからで……』
「違う。お前は藤原の名前を知らなかったんだ」
『だけど、ついさっき名乗ったじゃないか』
「俺が藤原と呼んだからな。お前はそれを聞き、お前が真似しているのが藤原という人物だと理解しただけに過ぎない。……お前は誰だ?何が目的だ?なぜ藤原のまねをして俺に連絡をした?」
『……オオワダセイイチヲタドレ。オオワダセイイチヲタドレ。オオワダセイイチヲタドレ。オオワダセイイチヲタドレ。オオワダセイイチヲ……』
坂本は受話器を放り投げるように手放した。電話口から聞こえてきていた声は、いつの間にか藤原の真似から全く知らない女性の声へと変わっている。その上、一言しゃべるごとにその声も変わり、まるで電話の先には十人近くの女性がおり、交代で話しているのかと思うほどだった。
『ヤツガワタシヲコロシタ!ワタシモダ!ワタシモ!ココニイルミナガソウダ!』
大音量で女性たちの怨念がまき散らされる。あまりの騒音に耳をふさいでしまうが、まるで頭の中に直接語りかけるように怨嗟が続く。
「うるせえ!」
坂本は投げ捨てた受話器に飛びつき、台の上に叩きつけるように置いた。受話器から流れ出ていた怨嗟は静まり、部屋の中には静寂が漂う。肩を上下させて息をする坂本に対し、藤原は「説明してくれるよな」と念押しした。
「なるほど。……確かに、ただのいたずらとは思えないね」
坂本は藤原を呼びつけた理由を話していた。非通知の電話があったこと、そして昨日の夜に尾行されていたことも。今思えば、それが始まりだったのかも知れない。
「……最後、電話の向こうにいる奴の声は女のものだった。その上、『私も』と。まさか……」
「……死人が電話をかけて来た、ってことだろうな。……ふざけた話だが」
特別相談室の固定電話には、依頼人とやり取りをするための折り返し機能がある。だが、何度折り返そうとしても、電話がつながることはなかった。
「橋本恵の遺体を見つけたのがきっかけかもね。彼女たちの遺志がそこで、君たちに希望を見出した。『私たちの無念を晴らしてくれるかもしれない』と」
「……そんなバカな話……。いや、この際どうでもいい」
坂本が過去に関わった事件が、現実離れした出来事に真実味を与えている。彼は一度首を横に振り、湧きあがりかけていた雑念を払った。
「問題は、あいつらが遺していった言葉だ。『大和田誠一を辿れ』と。……新興宗教のボスなんか、どうやってたどればいい」
彼らは二十年前の大和田誠一死後以降、まるで下水道で暮らすネズミのように生き延びていた。身を潜めることならば、他の追随を許さないであろう。
「あの、誰でしたっけ。鎌谷さんの隣に住んでた人」
「……ああ、山下、とかそんな名前じゃなかったか?……そういや、あいつ魂魄教の人間だったよな。あいつなら何か知ってるか?」
山崎が思い出しかけた名前は、松本が代わりに思い出した。彼は山下への接触を考えているようだが、坂本がすぐさま止めに入る。
「仮に知っていたとしても、素直には話さないでしょう。下手な刺激は割けるべきです。……あの女が、鎌谷さんを誘拐したのかもしれないんですよ」
「だが、それ以外には奴らの手がかりなどここにはないぞ。……奴ら、二十年前の衆議院選挙の時に根回しをしていたようでな、今でも警視庁内に信者がいるらしい。そいつらが、内部に残された記録を消して回ってる」
「まさか、嘘でしょう?」
山崎は松本の言葉に疑問を呈したが、松本の表情は真剣そのものだった。彼は坂本に「あの写真、まだあるか?名簿の奴」と尋ねる。
「……ああ、まだありますよ。それが?」
「藤原。お前がこれを見つけたんだよな」
「ええ、あの資料室で」
「上がデータの整理と称していろいろ削除しているとあの時言っていたが……。そいつらが魂魄教の信者なんだろう。自分たちの教団に都合が悪い奴を消そうとしたが、そのデータだけは残された。異常なほどのプロテクトで守られてな。……それは、記録が消されないようにしたかったからに他ならない」
松本の力説に相談室内は静まり返る。……しかし、依然として問題は進展しない。頼れないものが何か明らかになっただけで、これからどうすべきかは全く定まっていない。そんな時、藤原が「仕方ない」と言って立ち上がった。
「どうした?」
「僕が人肌脱ごうと言ってるんだ。……S県H市に、魂魄教の施設がある。山の麓あたりに建てられたレンガ造りの洋館らしき建物だ」
「……どこでそんな情報を……」
「十年前の放火事件でね。松本さんなら知ってると思いますけど」
山崎と坂本からの「そうなんですか」という言葉に、松本は一度深く頷く。そしてその事件の概要を話し始めた。
「まあ、それほど複雑な事件ってわけでもねえ。ただデカい家が火の手に包まれただけだ。死傷者は一名、損傷が激しかったのか、遺体の鑑定は出来なかったそうだ。……そのデカい家ってのが、魂魄教の施設だと?」
「ええ、当時の地方紙はそう報じていたんです。僕は昔そっちに住んでいたので、見覚えがあったんですよ」
「……へえ、そうだったのか」
思いがけない情報の出所に戸惑いを隠しきれないが、今はこれに頼るほかない。坂本はソファから立ち上がった。
「ありがとな、藤原。これで何とか調査が進みそうだ」
「そうか、それは良かった」
藤原はそう言うと、外に出る用意をしていた坂本を追い抜いて部屋の出口に立った。そして「それじゃ、僕はもう行くよ。これ以上油を売っている暇はないからね」と言葉を残し、部屋を後にした。
「……昔の地方紙ねえ。少し情報が古すぎやしねえか?」
「それでも、何の手がかりもない私たちにとってはありがたい情報ですよ。廃墟になっていたとしても、何かが残っているかもしれませんし。それに、彼女たちは『辿れ』ってメッセージを遺したんですから。きっと何かあるはずですよ」
「……そういうもんかねえ」
藤原が提示した情報が何か気にかかるのか、怪訝な表情を浮かべる松本。彼とは対照的に、山崎はやる気を見せていた。
「まあ、何はともあれ藤原を信じる他ないでしょう。……まだ明るいですし、今の内に向かってみましょう」
坂本と山崎からの説得に負け、藤原からの情報提供にあまり納得いっていなかった松本も重い腰をあげた。彼らはすぐさま外出の支度を整え、駐車場に止めてあった警察車両を借りて行った。
S県H市に向かうまでの道中。坂本が運転する車中では、山崎が十年前の放火事件を調べていた。
「当時、火事から逃げ延びた人が記者からの取材に答えていたようですね。『これは絶対に放火事件だ』と言っていたそうです。……その後の調べで不審火の火種になりそうなものは発見されたのですが、それはちょうど屋敷の中だったようで」
「屋敷の中での不審火?……では、放火犯はわざわざ屋敷の中に入り込んで火を放ったということか。あまりにも危険な行為に思えるが……」
「その火事で一人死者が出ていますし、当時の警察はその人物が犯人だと思ったようです。……その後、屋敷は魂魄教の手によって修繕されたそうですが、なぜか今では廃墟になっているようですね」
「……わざわざ直した後に手放したのか。何を考えていたんだろうな」
事件について話しているうち、山の麓にある大きな屋敷が見えて来た。かつて火事にあったという話だが、その痕跡はどこにも見られない。屋敷の前に車を停め、地面に降り立つ。屋敷を見上げた坂本は、一言呟いた。
「……なんだか暗い。曇ってきたな」
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