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タマハミ  作者:


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最終話

前回のあらすじ

ついに魂魄教の本拠地を突き止め、乗り込むことを決めた坂本たち。だが、同行するといった藤原は協力者である有田香澄に疑いの目を向けていた。

「教団の者だから」という理由で有田を疑う藤原に、何か執念めいたものを感じる坂本。それを問いただす時は来ることなく、彼らは本拠地へと足を踏み入れた。


誤字脱字等、ご容赦ください。

 坂本以外の三人も名前を書き終え、無事に受付を通り過ぎることができた。廃ビルの中は以前坂本たちが覗いた時のまま、そこら中が散らかっていた。ただ、一度藤原たちがビル内部を調査したからか、上階に続く階段をふさいでいたバリケードは撤去されていた。


「階段で上にどうぞ。別の者が案内しますので」


 受付カウンターに立っている女は微塵も声色を変えることがない。まるで機械のようであるが、今の彼らにはそれを気にしている余裕などない。彼女の言葉に従い、バリケードがなくなった階段へと向かった。


「上の階へどうぞ」


 二階へと続く踊り場には、男が一人立っていた。彼もまた機械のように、口の周りだけを動かして声を出している。表情が動くことは全くない。そのまま彼の言葉に従って二階に上がると、有田を除く四人には見覚えのある光景が広がった。


「……そういや、ここで橋本恵を見つけたんだったな……」


「あのトイレでしたよね、遺体があったのは……」


 あの時を思い出し立ち止まる坂本たち。だが、それは許されないことだった。


「立ち止まらないでください。こちらにどうぞ」


 第二会議室の札がついた部屋から男が顔を出している。彼は廊下の途中で立ち止まる坂本たちに対して声をかけて来た。男は部屋から顔しか出していない。もしかすると、首から下はないのかと考えてしまうほど不自然な姿勢を保ちながら、坂本たちを見つめている。


「……この部屋、ただの会議室じゃないか」


 案内に従って部屋に入ると、白い折り畳み式のテーブルとパイプ椅子が彼らを出迎えた。他にもすでに何人か部屋に来ている信者がいるようだが、彼らは坂本たちを一瞬たりとも見ない。ただじっと、部屋の前方にある何も映っていないスクリーンを見つめている。


「ここに座ってください」


 坂本たちを部屋に案内した男は、パイプ椅子を指さして指示する。従わなければならないのも癪だが、反抗したりすればどうなってしまうのか。それを考えただけで、逆らう気がしぼんでいく。そのまま席に座ると、彼らの前に紙コップに入った飲み物が並べられていく。色は茶色だ。おそらく麦茶のはずだが、口をつける気にはなれない。


「……すまない、お手洗いに行きたいんだが」


 坂本が席を立ち、ドアの近くで立っている男にそう伝える。……彼は本当に催したわけではない。このまま椅子に座っているよりは、できる限り調べまわった方がいいと判断したのだ。男は「わかりました。こちらにどうぞ」と言って坂本の先に立つ。どうやらトイレまで案内してくれるらしい。


「いや、場所さえ教えてくれたら自分で行ける」


「こちらにどうぞ」


「いや、だから……」


「こちらにどうぞ」


 話が通じないとは、まさにこのことを言うのだろう。坂本の言葉はすべて宙に消え、男の耳に届くことはない。こっそり抜け出そうと思っていた彼にとっては、非常に煩わしかった。だが、これ以上引き下がればさすがに怪しまれる。……もしかすると、すでに怪しまれているのかも知れないが。そんなことを考えていると、藤原も席を立った。


「すみません、僕もお手洗いに」


「では、一緒にどうぞ」


「坂本、行こう」


 藤原は坂本の背中を押し、道の先を行く男に着いて行く。何か考えでもあるのか。坂本はそんな希望を抱きながら、会議室から出て廊下を進んでいく。


「どうぞ」


 案内してくれた男は、男子トイレの入り口前で立ち止まり、まるで門番のように入り口わきに立っている。これでは、トイレから黙って抜け出すこともできない。坂本が洗面所の前で頭を悩ませていると、藤原は迷いのない足取りで個室へと入っていった。それからすぐに、坂本のスマホが通知を知らせる。


『話を聞かれるとまずい。これでやり取りしよう。個室の中なら、さすがに見られない』


 藤原からメッセージが届いたのだ。坂本はその場で振り返り、鍵が閉まっている個室を見つめる。藤原はもともとこれが目的で「トイレに行きたい」と言ったのだろうか。彼もすぐに隣の個室に入り、鍵をかけて便座に腰掛けた。


『どうすればいいんだ。有田春香を探そうにも、あの見張りが邪魔だ』


『ひとまずは、彼らに従っておくしかないだろう。今行動を起こすのは、あまりにも危険すぎる』


『だが、悠長にしている場合ではないぞ』


『勝手なイメージなんだけど、宗教の集まりっていうのは自由な時間があるものだろう?信者同士の親睦を深めるためのものだったり。その間なら、歩き回っていてもそれほど怪しまれたりはしないはずさ』


『それがあったとして。問題は時間だ。五分しかないんだったらどうする?そんな時間で人を捜すのは無理に近いぞ。それも、こんなビルの中で。人手を分けようにも、こんな胡散臭い化け物の巣の中じゃ、それすら危険だ』


『もしそうだったとしても。最終手段がある』


『それはなんだ』


『不法侵入者の現行犯としてこの場にいる全員を逮捕する。話してなかったけど、外には僕の部下が数人いる。指示を出せばすぐに出入口を封鎖してくれる』


「いつの間に……っ!」


 藤原からのメッセージに、坂本はつい声を漏らしてしまった。急いで自分の口を手で塞ぐ。入り口で見張りに立っている男には聞こえなかったのか、中に入ってくる様子はなかった。彼は短くため息をつき、スマホの画面に視線を落とす。


『いつの間にそんな用意をしていたんだ』


『何事にも万が一というものはあるからね。備えは万全にしておくべきかと思ったんだ。それよりも、これ以上の長居は怪しまれる。そろそろ出よう』


 坂本の隣の個室から水を流す音が聞こえて来た。藤原が一足先に出たようだ。洗面所からも水が流れる音が聞こえてくる。トイレに行っていたフリを徹底しているのだ。彼もトイレの水を流し、個室から出た。ハンカチで手を拭いていた藤原と目が合う。彼は何も言わずに頷いた。坂本も手を洗い、ハンカチで拭く。外に出ると、トイレまで案内してくれた男がまだ立っていた。


「戻りましょう」


 彼は二人の姿を確かめると、すぐさま部屋に戻ろうとする。二人は黙ってそれに従い、先ほどと同じ部屋へと戻った。


「……大丈夫でした?」


 有田が不安そうに尋ねる。坂本は「問題ありません」と返し、席に着く。部屋には先ほどよりも大勢の信者がいた。彼らはそろって何も映っていないスクリーンを見つめている。


「……まだ、何も起きてないんですか?」


「ああ。お前たちがトイレに立ってから、大体四、五分は経ったが、何も。あのスクリーンには何が映るのやら」


 藤原は変化がない部屋に少しばかり疑問を感じているようで、松本に何かなかったかと尋ねているが、彼は何もないと答えた。あまりの退屈さにあくびが出始めた頃、ついに動きがあった。


「時間となりました」


 ドアのわきに立っていた男がいきなりそう言ったかと思うと、彼は部屋の明かりを消した。そして、スクリーンの前に置かれていたプロジェクターとノートパソコンを操作し始める。それから少しして映ったのは、ある光景だった。垂れ幕がかかった小部屋が映されている。小部屋の中はやけに明るく、幕から透けて中が見える。中には椅子が一脚だけ。


「なんだ?」


「……大和田誠一です。彼が、映ります」


 有田がそう言った途端、小部屋に人の影が浮かんだ。伸びて歪んだ影では体格などは判別できない。その影の主は椅子に座ると声を発し始めた。


『人が、この穢れた世でも生きていくには。魂を保つことが必要である。清廉なる魂。人の悪意に屈することなく、人の欲望に与することなく。ただ、清貧であり続けるのみ。……死とは。魂が穢れ切ったときに訪れるものである。ゆえに、私は死なない。魂魄教の教祖として、皆にあるべき姿を示すために』


 地の底から響くような低い声。建物全体を揺らしているのかと錯覚するほど、威圧感にあふれている。……これが、大和田誠一なのか。だが。


「……私は、あれがずっと大和田誠一なんだと思っていました。……けれど、彼はもう死んでいるんですよね」


「奴は死んでいます。書類上でもそうですし、死体をこの目で見たんです。……鑑識が嘘をついているとも思えない。……なら、あいつは誰なんだ?」


「録画じゃないんですか?誰か影武者を仕立てて、それっぽく動画を撮って、今流している、とか」


「……いえ。これは中継のはずです。このビルのどこかに、大和田はいるはずです。だって」


『今日の集まりには、見慣れぬ顔もいるようですね。我が信者の働きが、また一人救われるべき者を導いたのです。……有田香澄に称賛を』


 大和田がそう言った途端、会議室が割れんばかりの拍手に包まれる。うるさくてつい耳を塞いでしまいたくなるほどだが、よく聞くと隣の部屋からも拍手が聞こえてくる。……おそらくだが、ビル中から拍手が響いているのだろう。


「……これを聞いてもなお、録画だと言えますか?」


 新顔がいるかどうかはあてずっぽうでも構わないかもしれないが、有田を名指しするのはさすがに常軌を逸している。あの名簿を見るか、受付の者にでも聞かない限りは分からないはずの事実を、奴は知っている。


『さて、新顔の者がいることですし、私の挨拶もそこそこにいたしましょう。……皆さんどうか、彼らと仲良く』


 スクリーンの映像が止まった。どうやら大和田の演説はここまでだということだろう。だが、だからと言って自由に動けるという訳ではない。彼らはいつの間にか信者たちに囲まれていた。


「お話しませんか」


「仲良くしませんか」


 教祖の言葉通り、彼らは坂本たちと交流を深めようとする。何の悪気もないのだろうが、早く有田春香を探しに行きたい彼らにとっては、ただ邪魔な存在でしかなかった。


「……坂本。ここは俺に任せろ」


「松本さん?」


「……全員がここで捕まってりゃ、元の目的は果たせねえ。……何、こいつらはジジイの長話を黙って聞いてくれるんだろ?なら、俺が暇つぶしさせてもらおうかね」


「……わかりました。お願いします」


「おうよ」


 松本は一人席を立ち、「じゃあ、まずはここに来た理由でも」と言いながら坂本たちから離れていく。信者たちはあっさりと坂本たちから興味を失い、街灯にたかる羽虫のように松本の方へと吸い寄せられていく。もはや誰も坂本たちを見ている者はいなかった。


「……今のうちに」


 松本を除いた四人は急いで部屋を出る。廊下はすでに演説を聞き終えた信者であふれかっており、このままでは簡単に捕まってしまう。彼らは信者の目から逃れるため、人気のない部屋へと飛び込んだ。




「……藤原の言うとおり、自由時間ができたわけだが……。これからどうする?彼らに悪意がないとはいえ、捕まれば面倒なことになるぞ」


 ドアの鍵を閉めた坂本は、振り返りながらぼやく。他の三人はそれほど慌ててはいないようだったが、坂本と同じように頭を悩ませていた。


「そもそも、このビルの中からどう有田さんの妹さんを探せばいいのか……。ぱっと見では十階近くありますし、全部の階層を見て回るというのは、さすがに……」


「なら、一つだけ方法が」


 山崎がこぼした言葉に、有田が答える。彼女がいう方法とは何か。三人の視線が集まった。


「……大和田誠一を問い詰めるんです。もとはと言えば、奴が言い出した『生贄』がすべての元凶ですから。……もし春香がすでに捕まっているのなら、奴がそれを知らないはずがありません」


「だが、危険じゃないか?」


「……相手はただの初老の男のはずです。周りに誰かいたとしても、それほど変わりません」


「……ああ、そうか」


 坂本は勘違いをしていた。怪しい宗教、魔術の一つでも使ってくるものかと勝手に思い込んでいたのだ。……そんなこと、あり得る訳がない。


「いざとなれば、外に控えさせている僕の部下を動かします。……この場にいる全員を不法侵入の現行犯で捕まえれば、逃げられないでしょう」


「なら、目的は決まりましたね。大和田誠一を見つけ出して、問い詰める。……けど、彼はどこにいるんでしょう?」


「上です」


 山崎からの問いに、有田は迷うことなく答えた。彼女は部屋の天井を見つめているが、その眼は天井よりもさらに先を見ているに違いない。


「何故、上だと?」


「階段に近づくと、止められるんです。『上の階への立ち入りは許可されていません』と。理由は教えてくれませんでしたが、大方予想はつきます」


「……重役がいるから。そしてその重役は、大和田誠一。……そう言うことですか」


「なら、どうにかして階段までたどり着かないと……」


「……先輩、任せてもいいですか?私がここで信者たちを足止めします。……松本さんのように」


 山崎はそう言って鍵をかけていたドアを開ける。当然、廊下には魂魄教の信者がおり、開いたドアの音につられてこちらを向いた。


「ぜひ、お話しましょう」


「先輩、先に行ってください。……こんなところで時間を取られちゃいけません!」


「……わかった。何かあったらすぐに連絡してくれよ」


 山崎が信者を引き付けているわきを、坂本たちは素通りしていく。彼らは坂本らに一切興味がないのか、横を見ることもしなかった。




「こちらは立ち入りできません」


 階段の前には見張りが立っていた。近づく坂本たちに対し、彼女は冷たく言葉をぶつける。


「知ったことか。通してもらうぞ」


 坂本が無理やり押し通ろうとすると、見張りの女性は身体を大の字に広げ、階段をふさぐように立つ。まるで子供のような行いではあるが、彼女の目は真剣そのものだった。


「……どうする?今度はひきつけるなんて出来なさそうだけど」


「どかすしかない」


 坂本は見張りの肩を鷲掴み、全力で体を引っ張る。段差の上に立っていた見張りはすぐにバランスを崩し、坂本の方に倒れこんできた。坂本は彼女を抱きとめ、床に寝かせる。


「……」


「……なんだ?何も言わないのか?」


 床に寝転がった見張りの女性は何も言わずに坂本を見上げている。眼には抗議の色が浮かんでいるようにも見えたが、それが行動に現れることもなかった。


「とにかく、今の内に」


 藤原はこれを好機ととらえ、すぐさま階段を駆け上がっていく。有田もそれに続き、最後尾には坂本がついた。彼は床に寝かせた女性を後ろ目に、階段を駆け上がった。


「なんだったんだ、さっきのは」


「さあね。……まあ、今はそんなことどうでもいいだろう?目的は一つなんだから」


 三人は誰もいない廊下を歩く。この階は人影どころか人の気配すらない。静まり返った階層には、階下からの話し声が少しだけ響いてきていた。


「……この階じゃないみたいだね」


「なら、さらに上に行くしかないだろう。このビルには地下室なんて大層なものもないだろうしな」


 坂本はさらに上の階を見据える。最上階までは残り六階。下に残して来た松本と山崎のことを考えると、立ち止まっている暇はない。


「……急ごう」


「わかった」


 彼らは人気を頼りに階段を駆け上がる。もし教祖がいるなら、その身を守るために警備の者もいるはず。ならば、人気のないところをいちいち調べる理由もない。そうして四階、五階と飛ばし、たどり着いたのは九階だった。




「これより上には、あのホールしかない。いくつもの土が詰められた遺体が見つかったあのホールしか」


 以前にこのビルの調査を行っていた藤原が天井を見上げながら言う。大和田が儀式を始めようとしているのなら、もしかするとホールにいるかも知れない。だが。


「お前たち!何をしている!」


 六十ほどの初老の男が廊下の曲がり角から顔を出していた。彼は慌てた様子で坂本たちに近づいてくる。階下にいた信者たちのように、自我を失っている様子はない。


「ここは立ち入り禁止だ。さっさと下の階に戻れ」


「何故立ち入り禁止なんですか?」


 男の言葉に従うことなく、藤原が食い下がる。男はたったそれだけのことでひどく苛ついているようだった。


「黙れ!お前なんぞに理由を話すものか。……さっさと失せろ」


「……大和田誠一がここにいるのか?」


 まさに会話のドッジボール。互いに言いたいことだけをぶつけ合う、もはや会話とすらいえない何か。大和田の名前を聞いたからか、初老の男の目の色が変わった。『目は口程に物を言う』とは、まさにこのことだろう。


「図星か。……そいつに会わせろ」


「ならぬ!大和田様はお忙しいのだ。お前のような顔も名前も知らぬ馬の骨を会わせるなど、大和田様の魂が汚れてしまうわ」


 男がそう言い切った瞬間、突如として藤原が男にとびかかった。警察学校で習った柔術で無理やり抑え込んでいる。


「坂本!今のうちに!こっちは大丈夫だ!」


「……わかった!」


 坂本と有田は廊下の奥に向かって走っていく。藤原に押さえつけられた男は「止まれ!」と大声をあげているが、彼らがそれを聞き入れることはない。男を抑え込んでいる藤原は、「頼んだぞ」と小さくつぶやいた。




「ここじゃないな」


 坂本は適当に開けた会議室のドアを乱暴に閉めた。初老の男から逃げたのち、彼らは目に付いた部屋をすべて調べまわっていた。


「……そう言えば、さっきの男は何だったんだ?随分と偉そうな人間だったが」


「宮澤洋平。魂魄教の幹部です。そして、大和田誠一が蘇ったと言い出した本人でもあります」


「……もしかすると、あいつが立場を得るために言い出した狂言かもしれないな。それを俺たちに暴かれるのを嫌がった。……あいつは随分と出世しているんじゃないのか?」


「いえ、下から見た感じそういう風には見えませんでしたけど……。でも、年に何回か『欲の浄化』という名目でお金を集めていて。それらは大抵幹部のポケットに入るのですが。その配分が増えていたり、というのはあるかも知れません」


「……どこでもあるんだな、そう言うの」


 坂本は呆れたように吐き捨て、廊下の先を行く。残った部屋は階段から最も遠い所にある部屋だけだ。「第〇会議室」というような部屋を示す札もなく、外側からではどんな部屋なのか全くわからない。空調のせいか、冷たくなったスチール製のドアノブを回すと、ドアは抵抗なく開く。部屋の中はもともと物置だったのか、それほど広くはない。坂本たちが集められた会議室の半分もなかった。


「……これは」


 ただ、その部屋は物置ではなくなっていた。部屋の中央に置かれていたのは、大きな布がかぶせられた箱だった。布をめくって中を覗くと、椅子が一つ置かれている。


「さっき映像で見たのは、これだったのか。この中に大和田が入って、それらしい言葉を言っていた、と」


「……その声、宮澤ではないな。誰だ?」


 坂本が箱に掛けられた布をめくりながらそう言うと、箱の裏から声が聞こえて来た。箱をよく見ると切れ目があり、扉のようになっている。向こう側に誰かがいるのだ。そしてその誰かとは。


「お前、大和田か?」


「……不遜が過ぎるぞ。宮澤をどうした?」


 まるで古代の王様のような、芝居がかった大仰なしゃべり方をする。先ほど映像で聞いた声と全く同じ、つまり彼が大和田なのだろう。教祖としての威厳を表すためなのだろうが、坂本には効かなかった。彼は箱の切れ目を押しのけ、向こう側に出た。そこには。


「……女?」


 窓の外を向く誰かがいた。細い肩幅、肩まで伸びた髪。ただそれだけだったが、坂本には女性の後ろ姿のように見えた。しかし、聞こえてくる声は地の底から響く低い声である。


「私の問いに答えろ。宮澤をどうした?」


「知らないな、そんな奴。……お前が大和田、でいいんだよな?」


 声はまさしく大和田のもの。だが、その後ろ姿はどう見ても大和田どころか男にすら見えなかった。そこへ、有田香澄も意を決したのか箱を通り抜けて坂本の背後に立った。彼女も大和田らしき人物の後ろ姿を目にする。すると。


「春香……?」


 妹の名を呼んだ。まるで、目の前にいる者が、自分の妹であるかのように。……窓の外を眺めていた人物はこちらに振り返った。坂本も「あっ」と声をあげる。有田香澄から依頼を受けた時、妹だと言われて見せられた写真に写っていた女性と瓜二つだったのだ。……いや、もはや同一人物と言えるほどだった。


「春香?知らない名前だ」


 目の前にいる女が口を開いてそう言った。そのはずだというのに、聞こえてくるのは響くような低い声。まるで腹話術でもしているのかと勘違いしてしまいそうになるが、この場には三人以外誰もいない。……坂本は目の前にいる女をじっと睨んで気づく。首が包帯で巻かれていることに。


「……その包帯はなんだ?怪我でもしたのか?」


「知らん。目が覚めた時からこうなっていた。……いや、違う。これは……」


 その問いの何がきっかけだったのかは定かではないが、目の前の女はなぜか突然自分の首をおさえて蹲った。小さな声で「私じゃない」とつぶやいているのが聞こえる。


「……なんだ?」


 その様子に坂本が戸惑いの声をあげた時、部屋のドアが乱暴に開け放たれた。「大和田様!」と叫ぶ声も聞こえてくる。


「ご無事ですか大和田様!……お前たち何をした⁉」


 それは宮澤だった。怒りに顔を赤く染め、蹲る女の肩を抱く。だが、すぐに有田香澄が「触らないで」と突き飛ばした。


「ごめん、不意を突かれて逃がしちゃって……。二人とも無事かい?」


 宮澤の後を追ってきていた藤原も部屋へとやってきた。有田香澄に突き飛ばされた宮澤は頭を手で押さえながら立ち上がる。


「……貴様ら、ただでは済まさんぞ。警察を呼んでやる!」


 やはり魂魄教は警察と繋がっていた。宮澤が上着のポケットからスマホを取り出し、電話をかけようとする。だが、坂本がすぐにそのスマホを奪い取り、窓に向かって投げつけた。窓は簡単に割れ、スマホは破片と共に下へ消えて行った。


「……説明しやがれ。この女性が大和田なのか?」


「いいや。こいつは大和田様の魂を受け継ぐ器にすぎん。……確か、有田春香だったか。そんな名前の女の身体を器として、大和田様の魂を吹き込んだのだ」


 その瞬間、有田香澄が両手で自らの顔を覆った。彼の言葉が正しければ、彼女の妹はすでに「生贄」になってしまっていたのだ。すぐに押し殺すような泣き声が聞こえてくる。


「……どこかで見た顔だと思ったが、そうか。お前、器の姉か。……大方、いなくなった妹を探し回っていたといったところか。残念だったな。お前の妹はもうどこにもいない。こいつはすでに器として完成した。自我など残っていない」


 有田香澄は膝から床に崩れ落ちる。顔を覆う手の隙間からは涙があふれ出ていた。そんな彼女に手を伸ばす者がいる。……それは、器と化した妹だった。大和田らしき声で、彼女は言う。


「……私は……ここに……」


「え?」

「何⁉」


 姉以上に宮澤が驚きの声をあげていた。彼女の物言いは、先ほどのような威圧感を失ったものだった。大和田のものではない、器となった有田春香自身の言葉であるように、坂本には聞こえていた。


「まさか、まだ自我が残っているのか⁉」


「……私を、殺し……」


「何を言って……」


 妹は姉の肩に縋りつく。彼女の目にも涙があふれていた。何度も必死に頭を振り、何かを振り払おうとしている。藤原は何かを知っているはずの宮澤を抑え込んだ。


「自我って何の話だ⁉お前は何を知っている⁉」


「藤原……?」


 火が付いたように怒声をあげる藤原を前に、坂本は戸惑うばかりだった。首根っこを抑えられた宮澤は苦しそうに話し始める。


「……別に、それほど珍しい話でもない……。ただ、あの女に教え込んだのよ。『お前こそが、大和田誠一だ』とな。……寝かせている間に、喉をいじった。死ぬ前に大和田の喉から取っていた声帯を、生贄となる者に移植した。……あとは、いわゆる催眠学習だ。寝かしつけて大和田の情報を流し込む。……鏡に映る自分の姿が違ったとしても、声は大和田そのもの。……そのうち、自分の姿も疑問に思わなくなる。……はずだったんだがな」


「要するに洗脳したのか。……俺の母さんもそうやって……。だが、有田春香は自我を保った。……いや、取り戻したのか。……上の階で見つかった、土を詰め込んだ女性の遺体は何だ?何のつもりだった?」


「不必要な器を、処分しただけだ。……有田春香が最も早く大和田の『魂』を受け継いだ。ならば、残った者達はもう必要ない。だから処分した。……土を積めたのは、なぜだろうな。……陶芸家が、納得いかなかった作品を台無しにすることがあるだろう。……同じことを考えていたんだろうな」


 自分でやったことのはずなのに、まるで他人がやったことのように話す宮澤。藤原は呆れたようにため息をつくとポケットからスマホを取り出し、誰かに電話をかけ始めた。


「ああ、俺だ。突入してくれ。全員不法侵入の現行犯だ」


「……まさか、私を捕まえる気か⁉」


「当たり前だろ。……お前は人殺しを自供した。その上、このビルは現在解体待ちで関係者以外の立ち入りは禁止されている。捕まるには十分すぎる」


 宮澤は藤原からの言葉を受け、力尽きたように項垂れた。つい先ほどまで藤原の拘束から抜け出そうともがいていたというのに、もはやその気力すら失っていた。




「……こんな状態じゃ、私生きていけない……」


 坂本はハッとして視線を落とす。まだ問題は残っているのだ。床にうずくまる有田姉妹二人。彼女たちをどうするべきか。春香はしきりに自分を殺すように訴えているが、姉である香澄はどうしてもそれを受け入れたくはないようだ。


「……声も戻らないし、今もずっとあいつがいるの。私の頭の中で、ずっとささやいてる。何を言ってるのかは聞き取れないけど、これに耳を貸したら、私は今度こそ……。一生、このままでいるくらいなら、いっそのこと、ここで」


「そんな……。せっかく会えたのに。……そんなのって……。お願い、私にそんなこと……」


「……お願い。殺して。……私を、助けて」


 妹は姉の手を取り、自らの首へとあてがう。姉はどうにか手を放そうとするが、妹の手を振り払うことができずにいた。


「……お願い」


 姉は大声で叫んだ。眼を大きく見開き、全身に力を籠める。妹を押し倒し、覆いかぶさるような姿勢になった。彼女の垂れ下がる髪が、妹の視界を狭める。


「最期が、これでよかった。……ありがとう」


 妹はかすれた声でそう言った。彼女は手を自分の首を絞める姉の手に重ね、動かなくなった。




 あれから一週間が経った。魂魄教は事実上、解散となった。指導者である大和田誠一は二度目の死を迎え、実質的に教団を運営していた幹部群は軒並み捕まったからだ。残された信者たちは洗脳を受けた疑いがあり、精神病院での検査が続いている。


「……この度は、ありがとうございました。妹を見つけてくださって……」


 有田香澄はそう言って頭を下げた。妹を失った日から一週間経ったが、まだその喪失には慣れていないのだろう。目元は赤く腫れている。


「その、なんといえばいいのか……」


 確かに彼女の妹は見つかった。だが、それは望まれた形ではなかった。……坂本は何をどう言えばいいか、何も考えられなかった。


「……妹の葬儀の日取りが決まったんです。どうか、来ていただけませんか?」


「……私にその資格は……」


「坂本さんのおかげで、妹が助かったんです。……どうか、お願いします」


「……わかりました」


 特別相談室には、坂本と有田香澄の二人の姿しかなかった。松本と山崎は別件で席を外している。……有田が茶を飲み干し、席を立った。


「山崎さんと松本さんにも、よろしくお伝えください。……それでは、失礼します」


 彼女はもう一度深く頭を下げ、相談室を出て行った。その足取りは軽やかではなかったが、心配になるほどふらついているわけでもない。葬儀という一区切りをもって、彼女は自分の心にも区切りをつけようとしているのだろう。……坂本は彼女が使っていた湯呑みを片付けていると、スマホが着信を知らせた。


『坂本さん。今暇ですか?』


「ああ。……鎌谷さんの様子はどうだ?」


 電話の相手は山崎だった。……今回の事件、すべてが悲しみの中に終わったという訳ではなかった。


『体中に痣はありますけど、命に別状はないようです』


「そうか、よかった……」


 坂本たちが有田春香の足取りを調べるために関わった男、鎌谷。彼の隣人が魂魄教の信者であり、彼は魂魄教にとって都合の悪いことを知っていた。それが原因で誘拐され、行方が分からなくなっていたのだ。だが。


『あの日、同じビルにいたなんて……。とんでもない偶然、いや、あそこが魂魄教の本拠地なら偶然ではないですね』


 魂魄教の事件が明るみに出た後、本格的な捜査がビルで行われた。その際、坂本たちが立ち入らなかった最上階に、彼は監禁されていた。「次期」大和田誠一として、肉体を利用しようとしていたのかは定かではないが、精神を疲弊させるための拷問が行われていた形跡が同じ場所で見つかっている。


『まだ話せるほど回復してはいませんが、そのうち話せるようになるかと。……私たち、これからそっちに帰ります。お昼買っていきますね』


「……ああ、ありがとう」


 山崎との電話を切り、スマホをテーブルの上に置く。坂本はソファに座ったまま伸びをして、壁に掛けた時計を見た。


「そろそろ時間だな」


 彼がそうつぶやくと、相談室のドアがノックされる。坂本が返事をすると藤原が相談室へと足を踏み入れた。彼は坂本の顔を見て「いきなり呼び出して、何の用?」と尋ねた。


「いや、少しだけな。……お前、本当は……」


 伊藤庄司の息子なんじゃないか。そう言いかけたが、彼は口を開いたまま止まった。藤原の過去に関わることを、気安く問いただしていいものだろうか。仮にそれが事実だったとして、だから何だというのだ。坂本と藤原の今までの付き合いが嘘になるという訳でもない。……坂本は「ごめん」と謝った。


「やっぱり何でもない。……山崎たちが昼ご飯を買ってくるんだ。一緒にどうだ?」


「……うん、ご馳走になろうかな」


 藤原は坂本の前にあるソファに腰を下ろした。彼は坂本からの問いかけがなかったことにされたのにもかかわらず、それを気にすることもなかった。……あの事件以降、藤原はどこか晴れやかな様子だった。長年背負っていた重荷をようやく降ろせたときのような、そんな開放感が彼の顔に現れていた。彼の魂も、ようやく過去から解放されたのだろう。

読んで頂きありがとうございました。宜しければ評価・感想のほどよろしくお願いいたします。

「タマハミ」は今回で最終話となります。今まで応援してくださってありがとうございました。

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