第二話
前回のあらすじ
坂本たちのもとに有田香澄という人物が依頼を持ってきた。その内容は、「妹を探さないでほしい」というものだった。だが、妹である有田春香は「生贄」としてその命を狙われている。それを知った坂本は、彼女の身の安全を確保するためにも、有田春香を探すことを選んだ。
駅前の居酒屋の店主から有益な情報を得た坂本たちは、店を後にして駅前の広場で足を落ち着けていた。
「有田春香さんは時間を気にしていたようですね」
「状況を考えると、何かしらの公共交通機関を使って逃げた可能性が高いな」
「ここらで考えると、バス、電車、タクシー……。もしかすると誰かに迎えに来てもらってたかもしれないが、そうだとすればわざわざ『残業はできない』とは言わないよな」
「ええ。そこらは融通が利くでしょうし、以前の捜査本部が残した情報から考えても、彼女が誰かを頼ったとは考えにくいですね」
残っていた資料には、彼女の友人は誰一人として彼女の失踪を知らなかったという。その背景には、やはり宗教の存在があったらしい。実態は調査されていないが、魂魄教には「離反者を誰一人として出さないために、洗脳を行っている」という噂がある。彼女は常日頃、魂魄教に対して反抗的な言動を続けていたようで、自らの両親のことすら「阿呆」と言ってはばからなかったそうだ。だからこそ、教団にとらえられて教育をされていたのではないかと友人たちは考え、特に通報することなどはしなかったようである。
「……手分けしましょうか。山崎はすぐ近くのバス事務所を。松本さんは駅の事務所をお願いします」
「わかりました」
「よし来た」
二人はそれぞれ返事をすると一目散に目的地に向かっていった。坂本は二人の背中を見届けると、広場の端に停められていたタクシーへと近づいた。
「失礼、お時間よろしいですか?」
「はい?どこまで行きましょうか」
タクシーの運転手は後部座席のドアを開ける。坂本はもともと乗るつもりなどない。胸ポケットから警察手帳を出すと同時に、ドアを閉める。
「私、こういう者でして」
「……警察⁉こ、ここに停めるのは別に問題ないはずですよ⁉」
「いや、違法駐車を注意しに来たわけじゃないんですよ。別件です」
「べ、別件……?」
「ええ。ここの駅から出るタクシーは全部同じ会社のタクシーなのか知りたくて」
運転手は困惑した表情を浮かべる。だが、坂本の真剣な表情からただ事ではないと察したのか、ぎこちなくうなずいた。
「……そ、そうですけど。ウチの会社の人間が何かやらかしたんですか?」
「そうではないですが、事件に関与している可能性があるんです。……やっぱり、会社までお願いできますか?」
運転手は戸惑ったままではあったが、「わかりました」と言って後部座席のドアを再び開いた。坂本が乗り込むとタクシーは緩やかに出発する。彼はメッセージアプリを開き、山崎と松本に対して「タクシー会社に聞き込みをしてくる」とメッセージを送った。
駅から十五分。車どおりが少なく、周りは工場地帯に包まれた中に、坂本の目的地であるタクシー会社があった。運転手の話が正しければ、あの駅から出るタクシーはすべてここが所有している。ならば、有田春香がタクシーを使っていたとしたとき、そのタクシーを運転した者もいるはずである。
「到着しましたよ。……それじゃ、ここで少々お待ちいただけますか。社長に話をしてきますので」
「ええ、ありがとうございます」
運転手は会社の中へと消えていく。それから五分もしないうちに、彼は戻ってきた。
「用意が出来ましたので、どうぞ」
彼に中まで案内してもらうと、すぐに「それじゃ、私は仕事に戻りますから」と言って外に停めていたタクシーを走らせていった。エントランスらしきところで放り出された坂本は、奥に進むべきか、それとも階段を上るべきか迷ってきょろきょろしていた。そこへ、「申し訳ない」と声をかけられる。
「用意に少し手間取りまして。わたくし、社長の大泉と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。坂本と言います」
「……警察の方とお聞きしています。何か、うちの者が事件に巻き込まれていたり……」
「そういう訳ではないのですが、事件に関与している可能性があるんです」
大泉は「そんな……」とかなりショックを受けているようだ。それがきっかけなのか、彼は「あっ」と声をあげた。
「申し訳ない、こんなところで立ち話を……。どうぞこちらに、応接室がありますので」
坂本は大泉の案内に従い、階段を上る。二階の最奥、そこが応接室のようだ。他の部屋に比べ、ドアノブがきれいに見える。ほとんど使っていないのだろう。
「どうぞ、お掛けになってください。……何かお飲みになられますか」
「いえ、お構いなく。……それよりも、事件のことについて……」
「ああ、そうですね。……申し訳ない、どうにもこういう物には慣れていないもので」
「慣れている方が問題でしょう。……本題に入りますね。二年前の三月、有田春香さんという方が行方不明になりました。彼女は行方をくらませる際、公共交通機関を使用していた可能性があります。……○○駅から出るタクシーは、すべてここの会社の物で間違いありませんか?」
「え、ええ、間違いありません」
「何か、客を乗せた履歴みたいなものは残っていたりしませんか?もしかすると、彼女がここの会社のタクシーを使ったのかも知れないんです」
「わかりました、今すぐ探します。二年前ですよね」
大泉はそれだけ言うと、すぐにソファから立ち上がって応接室から飛び出していった。ただ待つだけを嫌がった坂本は席を立とうとしたものの、彼がどこに行ったのかわからない以上、どうせまた迷子になるだけだと考え直し、一度浮かせた腰をソファに沈めなおした。それから十分ほど経った頃、「お待たせしました」という声と共に、大泉が部屋に戻ってきた。左わきにはかなり大きいファイルを抱えている。
「これが、二年前の記録になります。どうぞ、ご覧ください」
「ありがとうございます。それでは、失礼して……」
表紙をめくると、その眼に入ってきたのは四月上半期の記録だった。坂本が求めているのは三月の記録だ。ぱらぱらとページをめくり、三月上半期の記録を確認する。彼女が失踪した日付は分かっている。あとは時間だけだ。バイトが終わるのは午後十時。……あった。午後十時五分。駅前からの乗車記録がある。利用料金は一万円かかっている。坂本はファイルから顔をあげた。
「……すいません、この会社のタクシー料金はどれほどでしょうか?」
「初乗り五百円で、それから一キロごとにも五百円です」
料金から計算すると、有田春香は二十キロ近くを移動したことになる。それならば、電車を使った方が安上がりで、なおかつ早く移動できるのではないだろうか。それでも彼女が電車ではなくタクシーを選んだ理由は、「人の目」だろう。電車、またはバスならば魂魄教の信者以外にも、一般人に目撃される可能性がある。その点、タクシーならば運転手さえどうにかできればほぼ人の目に晒される心配もない。
「この時の運転手さんとお話できませんか?」
「……その人、去年定年退職したんですよ。一応住所は分かりますけど……」
大泉は何か不都合でもあるのか、言葉によどみが生まれている。坂本は「何か問題でも?」と問い詰めた。大泉は「ここだけに秘密に」と前置きする。
「彼、ご近所さんからは相当嫌われているみたいなんですよ。『挨拶もできない偏屈ジジイ』とか言われているようで。ここで働いていた時はそんなことなかったんですよ。挨拶は当然できますし、世間話だって普通にできますよ。酔った客の相手もこなすほどですし……」
「……その人の住所を教えていただけますか。とりあえず行ってみます。あと、駅まで帰るタクシーを用意していただけませんか?」
「はい、わかりました。その時の運転手は……」
坂本は大泉から、当時の運転手は鎌谷幸助であることと、彼の住所を聞きだし会社を後にした。駅まで戻った彼は、大泉が手配してくれたタクシーに礼を告げ、集合場所と定めていた広場へと急いだ。広場の角にあるベンチには松本が腰かけているが、周りに山崎の姿はない。聞き込みが長引いているのだろうか。
「松本さん、お待たせしました」
「おう、戻ったか。……で?成果はどうだ?」
「それは、山崎が戻ってからにしましょう。……飲み物買ってきます」
坂本は近くにある自販機で天然水を買い、松本の所へと戻る。その時ちょうど山崎も戻ってきていた。彼女の顔は誇らしげに見えるが、何か情報を掴んだのだろうか。
「水、買ってきました。……山崎、何か聞けたのか?」
山崎は坂本から差し出された水を「どうも」と言って受け取り、すぐに口の中へと水を注ぎこむ。一息ついたのち、彼女は「手がかりを掴めましたよ」と意気揚々と語りだす。
「有田さんが失踪した日、午後十時七分ですね。駅発で○○五丁目方面へのバスに、彼女らしき人物が乗っていたそうです。彼女が終点まで乗っていたので、運転手さんもそれなりに覚えていたとか」
普通ならば、行方不明者の手がかりが見つかるのはうれしいことだろう。しかし、何事にも例外というものがあった。……松本が「何?」と声をあげる。
「こっちも、彼女らしき人物が電車に乗ってたって話を聞いたぞ。ここからA県まで乗り換えしていったんじゃないかと、ICの使用履歴から辿ってもらった」
「……タクシーの方も、それらしい証言を得られましたよ。ここから約二十キロもの大移動をした記録がありまして、それがちょうど失踪した日の午後十時五分でした」
その場が静まり返る。……ただの偶然のはずだ。事件に関係ない人間が、偶然事件当日に行動しただけに過ぎない。そう考えようとしても、まとわりつくような違和感は拭いきれない。時間もほぼ同じ、方向は違えども相当の距離を移動していることも同じ。偶然にしては出来すぎている。
「……これは、どういうことなんでしょう?なぜ彼女の目撃証言がほぼ同時刻に別の場所で……」
「ただの偶然か、あるいは……。有田春香が一芝居打ったか」
「一芝居って言うと……」
「協力者を募り、それぞれ別の手段を使っての移動を頼んだのではないかと。時刻は十時、駅前なら人通りはそれなりでしょうし、何よりも夜のせいで見通しが悪い。人ごみに紛れれば、姿をくらませることもたやすいはずです」
「……なら、協力者はいらないはずだ。姿を隠すだけでいいんじゃないのか?」
坂本の仮説に松本が反論する。しかし、彼はすぐに松本の反論を突き崩す。
「彼女は魂魄教の信者に追われていたんです。それも、『生贄』のために。……それがどれほどの価値か私にはわかりませんが、すでに十七人が生贄となって死んでいるんです。見失った程度で諦めるとは、到底思えません。だからこそ、追手を撒く必要があった」
「……だから、影武者を用意したってことか。逃がすわけにはいかないから、似ている奴でも尾行しようとする。そうしているうちに、自分を尾けてくる奴の数を減らせると……」
「なるほど……。それで、結局私たちはどれを追いかければいいんですかね?」
結局の所、それが問題だった。有田春香が必死に逃れようとしていたことは分かったが、今彼女を追いかける身としては面倒極まりない。また手分けすべきか、山崎と松本の二人がそう口にしようとしたとき、坂本は何かを思いついたようだ。
「……やはり、彼女が使ったのはタクシーじゃないか?」
「どうしてです?監視カメラなどでは判別できないと思いますけど」
「……バスでも電車でも、赤の他人と空間が共有されているのが問題だ。生贄が普通に行われているような教団が、それらしい人間を見かけてじっとしたままだと思えるか?」
「……逃がしちゃいけないんだから、捕まえますよね。いきなり暴力は怪しまれるから、まずは声をかけたりとか……」
「そうだ。逃げなきゃいけない状況下で、わざわざ追手につかまるような場所に逃げ込むか?」
「その点、タクシーなら追手が来てもわかりやすいか。……そういや、彼女が乗ってたらしいタクシーは、二十キロぐらいは知ってたんだっけな」
「そうです。……それは、追手を撒くためだったのではないでしょうか」
坂本以外の二人は唸り声をあげる。坂本の言うことには一理ある。だが、それはただの推論でしかない。確たる証拠がない以上、電車とバスという二つの可能性も捨てきれなかった。ただ、その推論を山崎が補強する。
「先ほどの聞き込みでは、有田春香が失踪した日に目立ったトラブルはなかったと聞きました。先輩の推理なら声掛け程度は行われたと思いますが、それ以上の騒ぎになっていないということは、彼女はバスに乗っていなかったということでは?」
「騒ぐ間もなく黙らされた可能性もある。……いや、運転手が見ているか」
「そうです。どれだけ乗客が少なくとも運転手の人がいますし、そもそもその日の午後十時はそれなりに乗客がいたようです。誰にも気づかれずに一人の女性を黙らせて運び出すのは、ほぼ不可能でしょう」
山崎の言葉に影響されたのか、松本も後に続く。
「それなら、電車の線も薄いかもな。監視カメラもあるし、どこで降りようとも改札を通る必要がある。女一人黙らせたまま改札を通れば、駅員が絶対にそいつを覚えるだろう。だが、当時の捜査本部の資料じゃそんな話は乗ってなかった。……たどり着いてないかもしれないが、さすがにそれはないだろう」
「ええ、あの居酒屋の店長の話から考えると、電車などを使った可能性を考えるのは自然なことのはずです。そこからの情報がない以上、彼女は電車を使ってないと考えるべきです」
結論が出た。バスは使っていない、電車も使っていない。……残る選択肢は一つ。
「……タクシーですか。ただ、会社の方で乗車履歴を見せてもらったのですが、距離と値段がわかる程度で、どこまで行ったかという所まではどうにも……」
「……駅から半径二十キロ。しらみつぶしに探す他ないだろ。他に情報なんて手に入れてないだろ?」
松本にそう念押しされた坂本は、タクシー会社での大泉との会話を思い出す。乗車記録以外に、何を手に入れたか。……坂本は「そう言えば」と口を開いた。
「その時のタクシーを運転していた男性の住所があります。会社で教えてもらいました」
「……行ってみるしかありませんね。何も手掛かりがない今、少しでも可能性のある所は調べてみなければ」
三人はベンチから立ち上がった。空はまだ明るい。唯一残った細い手がかりをもとに、どこまで彼女を追えるだろうか。その後ろ姿をとらえることはできるのだろうか。
十分後、閑静な住宅街。駅前の商店街を通り抜けた先、ところどころに開発の跡が残った新古入り混じった街。三人はその街中を歩いていた。
「……それにしても、自分の会社を辞めて行った人間のことを『偏屈ジジイ』だなんて、社長さんもずいぶんと物言いが強い人ですね」
「いや、あれは社長の言葉じゃなかったな。ご近所の人からそう言われているらしい。いつも不機嫌そうで話しかけられないんだとか」
「そんな人が相手なんですか?大丈夫なんですかね、ちゃんと話を聞いてくれますかね?」
「大丈夫だろ。面倒な世間話ってわけじゃねえし、自分が乗せた客が事件に巻き込まれてるなんて知れば、協力してくれるはずさ。……相手はジジイだろ?いざとなったら同じジジイの俺が何とかするさ」
不安がる山崎を励ます松本。二人の会話を背に受けながら先を行く坂本は、メモ帳と道の先を交互に見ながら歩みを進めていく。そしてついに、足の動きが止まった。
「着きました。ここですね」
彼らの目の前にあったのは、最近建てられたであろう小さなマンションであった。エントランスへと入ると、番号を入力するパネルと自動ドアが出迎える。管理人室の窓もあるが、管理人自体はいないようだ。……部屋番号はすでに知っている。坂本はパネルに「107」と打ち込んだ。
『……誰だ?』
パネルの向こう側から不機嫌そうな男の声が聞こえてくる。パネルの中央にはカメラのレンズがあることから、向こう側からはこちらの映像が見えているのだろう。坂本は胸ポケットから警察手帳を取り出し、レンズの前に突きつける。
「警察です。少々お話を伺いたく」
『誰が通報した?田畑か?それとも戸田か?』
何やら別件の心当たりがあるのか、誰かの名前をあげつらう鎌谷。坂本は警察手帳を取り下げると、「いえ、違います」と即座に否定した。
「有田春香という名前に心当たりはありますか?」
『……何のつもりだ?』
「我々は現在、彼女を捜索しているんです。以前あなたが勤めていた会社でいろいろ聞きだしまして、あの日あなたが運転していたタクシーに彼女が乗っていたのではないかと」
『……入れ』
その言葉と同時に通話が途切れるが、自動ドアも開く。詳しく話をしてくれるということだろう。彼らは鎌谷を待たせないためにも、すぐに自動ドアを通り過ぎた。107は角部屋の一つ手前にある。ドアの前に立ち、インターホンを鳴らすと「開いている」と中から声が聞こえて来た。
「失礼します」
「ああ、入ってくれ」
玄関から続く廊下の先、鎌谷はリビングで座椅子に腰を落ち着けていた。彼らは遠慮がちにリビングへと入ると「そこに座れ」と壁際のソファが示される。三人が腰を下ろすと、彼は一度大きくため息をついた。
「……で、有田春香を知っているか、だったな……。それを答えるよりも前に、いくつか聞きたいことがある」
「なんでしょう」
「彼女の捜索は二年前に終わったはずだ。何故今さら?」
「彼女のお姉さんである有田香澄さんからの依頼を受けたんです。彼女は魂魄教の宗教二世というもので……」
「いい。わかってる」
彼は以前に彼女から話を聞いていたりしたのだろうか。即座に坂本を左手で制し、大きくため息をついた。
「どうしても探さなきゃならんのか。彼女の姉から話は聞いてるんだろう」
「……それは、どういう……」
「到底信じられん話ではあるが、彼女は真剣だった。……生贄。彼女が捕まれば魂魄教などという胡散臭い宗教に殺されることになるんだろう。なら、見つけない方がいいだろう」
「私も最初はそう考えました。ですが、彼らはまだ彼女を探し出すのを諦めていないようなんです。もし見つかってしまえばどうなるか。……最悪の事態を避けるためにも、彼女は見つけ出さなければならないんです」
鎌谷からの問いに、坂本は正直に答える。目の前にいる老人は「うむ……」と唸り声をあげていたが、少しして「わかった」と頷いた。
「知っていることを話そう。……確かに、あの日儂が乗せた客は有田春香という女性だった。彼女を乗せると、後ろに怪しい車が張り付いてきたんだ。儂は特に気にしていなかったんだが、彼女がな。『後ろの車を撒いてほしい』なんて言い出してよ。……映画かよ、って思ったがその顔は真剣そのものだった。適当に裏路地に入ったら、事情を話し始めてな。……生贄だなんて、そんなバカげたことをよく考えつくもんだ」
彼がそう吐き捨てた時、ドアベルが鳴り響いた。どうやら足が悪い鎌谷に代わって坂本が出ようかと腰をあげたところ、「やめろ」と鋭い声で鎌谷自身から引き留められた。彼はそのまま自分だけの力で立ち上がり、ドアへと向かっていく。三人はリビングの影から廊下を覗いて様子を窺っていた。
「鎌谷さん、こんにちは」
彼を訪ねてきたのは四十ぐらいの女性だった。両手を腹の前で合わせて上品な雰囲気を醸し出している。ただ、鎌谷は彼女の顔を見た途端、憚りもせずに舌打ちをした。そして、「何の用だ?」とまるで怒っているような物言いで問い詰める。彼女と何かトラブルでもあったのだろうか。
「いえ、いい加減お決めになられたのかな、と思いまして。……どうです?」
「失せろ。儂は宗教なんぞに興味はない」
「そんなこと言わずに……。あら、今日はお客様がいらっしゃるんですか?ご挨拶させていただいても?」
「警察相手にか?したければすると良い」
「……そうですか。では、今日の所はこれで。また明日来ます」
いきなりの訪問客は鎌谷のぶっきらぼうな物言いに追い返されたようだ。……これが、「偏屈ジジイ」の由来なのだろう。彼は「いい加減学習しろ」と言葉を吐き捨て、力強くドアを閉めた。彼はその場で大きくため息をつくと、リビングへと戻ってきた。そのまま何も言わずに座椅子に座ると、「すまんな」と口にする。
「奴らは暇なのか、毎日くるんだ。何度断ってもきやがる。一度警察にも相談したが、これと言った手立てはしてくれなかったよ。……で、何の話だったかな」
「……有田さんが生贄になることから逃げるために、あなたが運転していたタクシーに乗ったところからです」
「ああ、そうだったか。……後ろから怪しい車がついてきた後、儂は彼女の指示に従っていろんな道を走り回った。ついには怪しい車を撒いてな、彼女が『ここでいい』って言って降りて行ったんだ。……あそこはどこだったか……」
「思い出してもらえませんか?今はそれしか手掛かりがないんです」
「黙っとれ、気が散る。……確か、近くにでかいビルがあったな。あれは深夜帯だったが、まだいくつか明かりがついていた、ような気がする。……駄目だ、それ以上は思い出せん」
鎌谷の言葉を受け、山崎はすぐにスマホで地図を表示する。駅から半径二十キロ以内、大きなビル……。該当するものがいくつか出て来た。鎌谷に画面を見せ、一つ一つ確かめてもらう。彼は「これじゃない。これも違う」などと繰り返していたが、あるビルで口が止まった。
「……ここだ」
「間違いありませんか」
「ああ、確かにここだった」
「……しかし」
山崎がそういうのも無理はなかった。鎌谷が「ここだ」と言ったビルは、去年廃ビルとなっていたのだ。今は解体工事の手配を待っているのか、建物だけが残っている。ビルの名前は、「総合センター」としか表示されていない。
「……聞いたことありません。なんでしょう、このビル」
「儂を疑っておるのか?生憎だが儂はまだ耄碌などしておらん。……有田春香はそのビルの近くでタクシーを降りた。中に入っていったかどうかは知らないがな」
「……情報提供に感謝します。それでは、私たちはそろそろ……」
「ああ、捜索頑張ってくれ。儂も、気になってはいるんだ。いい報告を待っている」
三人は鎌谷からの応援を受けながら彼の部屋を後にした。「お邪魔しました」とあいさつしてドアを閉める。その瞬間、まるで瞬間移動してきたかのように、先ほど鎌谷に追い返されていた女性が彼らの前に姿を現した。
「こんにちは。鎌谷さんにお客さんなんて珍しいですね」
「……どうも。あなたは?」
「私?私はここに住んでる山下です。……みなさん、警察の方なんですってね」
盗み聞きでもしていたのだろう。彼女は表情を変えることなく坂本たちに問いかける。……まるで機械のような、無機質な恐怖を彼女から感じていた。関わるべきではない。頭の中で警鐘が鳴り響いているが、挨拶してしまった手前、無視して去ることなどできない。
「そうですけど……。何かご相談でも?」
「いえ。鎌谷さんを捕まえに来たのかな、と。……あの人、暴言がひどいですから」
被害者のようにふるまう彼女。だが、坂本たちは先ほどの一件を知っている。……宗教勧誘に来た彼女を鎌谷が追い返していた。どちらかというと、鎌谷の方が彼女に悩まされているのだろう。厚顔無恥とはこのことだ。
「……いつも、先ほどのような勧誘を?」
坂本は、気になってしまった。鎌谷の話では、彼女は毎日、勧誘に来ているという。普通は一度か二度断られれば諦めるのではないか。それほどまでに彼を勧誘する理由は何なのか。……魂魄教に関わった一件を追いかけているせいか、どうしても気になってしまったのだ。坂本の質問に対しても、山下は表情を変えることなどない。
「ええ。……あんなに誘っているというのに、どうして興味を持っていただけないのかしら」
その口ぶりは、まるで友人を茶会に誘う夫人のようであった。だが、眼が違う。イカレている。はっきりと開かれた眼は、どこか焦点があっていない。目の前にいる坂本たちではなく、その背後を見ているかのようだ。一度振り返ってみるが、当然何かあるわけでもない。
「……そもそも。何の宗教なんですか?あなたが信仰しているのは」
「魂魄教です」
山下は隠すこともなく言い切った。……今、その集団に関わる事件を調べている坂本たちにしてみれば、驚きでしかなかった。……場の空気が変わる。
「あなたは……」
「あっ、ごめんなさい。今日は用事があるんです。もう行かなきゃ。……失礼しますね」
坂本が何かを問いかけようとしたとき、山下はそう言って何も持たずに廊下を歩いて行った。彼女の身体から放たれていたであろう妙な重圧から解き放たれ、彼らは一斉に大きくため息をついた。
「……今のは」
「坂本。話は後だ。……いつまでも他人様の家の前にいる訳にもいかんだろう」
こらえきれず口を開いた坂本を松本がどうにか抑え込む。三人は足早にマンションから去り、住宅街を通り抜けた。人気の多い商店街に戻ってようやく、一息つくことができた。
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