第一話
「警視庁特別相談室」シリーズの三作目となります。
誤字脱字等、ご容赦ください。
警視庁特別相談室。上司からのやっかみに会った者が行きつく窓際部署のことである。……とはいっても、それは今までの話。一か月前に起きた、とある少女を生贄として不老不死を成し遂げようとした科学者の悪事を暴き、それと繋がっていた者達も白日の下に晒して以降、彼らへの待遇は変わった。
「先輩、暇ですね」
「別にいいだろう。暇だということは、誰も困っていないということだ。何もしないで給料がもらえるなんて、政治家クラスじゃないと無理だと思っていたがな」
暇を嘆くのは山崎凛。そして、彼女の言葉に答えたのは一年先輩である坂本一輝。二人は部屋の真ん中に置かれたテーブルにマグカップを置き、テーブルを囲むように置かれたソファにそれぞれ腰を下ろし、暇を持て余していた。山崎はスマホをいじり、坂本は天井を見上げている。
「……腑抜けとるな、二人とも。少しはしゃんとしないか」
だらける二人をたしなめるのは松本智康。新人である山崎とは四十以上離れた大ベテランで、もともと鑑識課に所属していた。しかし、自分が鑑識課において置物になっていることを嫌がり、自ら左遷されてきたのだという。それ以降、彼は人生の先輩として二人を導いている。……先ほどまで部屋にいなかった彼は、その手にコンビニの袋を持っていた。
「……ほら、そろそろ飯にしよう」
袋の中はサンドイッチとおにぎり。どれもそれほど人気がない味なのか、「半額」のシールが貼られていた。
「おにぎりもらいます」
坂本が真っ先に梅のおにぎりを手に取る。二人は彼が米派だということをとっくに知っているため、特に咎めるようなことはなかった。しかし。
「すいません。今よろしいでしょうか」
坂本がおにぎりの包装をはがそうとしたとき、部屋のドアがノックされた。聞き覚えのない声、つまり依頼者だろう。……昼食は後回しだ。山崎はすぐにソファから立ち上がり、部屋のドアを開ける。
「……もしかして、お昼の時間でしたか?出直したほうがいいでしょうか」
ドアの先にいたのは、不安げな表情をした女性だった。一目見ただけでは年齢は分からない。背中ほどまで伸びた長い黒髪が特徴的だ。
「いえ、お構いなく。……依頼ですよね。中にどうぞ」
部屋にいた二人はコンビニの袋を片付けており、客人用の茶の用意を終えていた。坂本が女性と目が合うと、「どうぞ、お座りください」と促す。松本も続けて「遠慮せずに」と言う。そうは言われたところで、言われた通りにできる者などそれほど多くはない。彼女もまたおそるおそる坂本たちが示した席に座った。
「初めまして。特別相談室の室長、坂本と言います。今日はよろしくお願いします」
坂本は胸ポケットから名刺を一枚取り出し、女性の前に差し出す。彼女は小さい声で「ありがとうございます」と言った。
「……では、早速ですが。今日はどのようなご相談で?」
「……」
坂本の問いに、女性は返答しない。ここまで来てまだ迷っているのか、口元がわずかに震えているように見えた。
「失礼。まずは、お名前からお聞かせ願えますか?」
「……あ、ごめんなさい名乗りもせず。有田香澄と言います」
有田はそう言って頭を下げた。坂本は「どうも、ありがとうございます」と礼を言う。頭をあげた彼女は、まだ少し悩んでいるようだった。……彼は急かすことはしなかった。ただ静かに、依頼者の決心を待つ。それから五分ほど経った頃、有田はついに決心をしたようだ。
「……その、私には妹がいるんです。有田春香という名前の」
彼女はそう言って小さい鞄から写真を一枚取り出し、テーブルの上に置いた。坂本は「失礼」と断ってから写真を手に取る。そこに映っていたのは二人の女性だった。背景はどこかのレジャー施設だろうか、どこかで見たようなオブジェが映っている。二人映っている女性の内、右側にいるのは今、目の前にいる有田香澄で間違いないだろう。長い黒髪と垂れ目が共通点だ。つまり、彼女の隣に映っている女性が妹の有田春香なのだろう。姉とは対照的に、黒い短髪につり目。姉と比べると少しばかりキツイ印象を受けるだろう。
「……妹さんがどうかされたのですか。例えば、行方不明とか」
わざわざ特別相談室にまで来るのならば、大抵はそのような理由である。今回も似たような依頼だろうと坂本は高を括っていたが、彼女の口から放たれた言葉は混乱を招いた。
「ええ、そうです。二年前から。……でも、探さないでほしいんです」
「は?……今、なんと」
坂本と共に話を聞いていた他の二人も困惑を隠そうともしない。……聞き間違いでなければ、彼女は今「探さないで」と言ったはずだ。どうしても自分の耳が信じられず、彼は聞き返す。
「妹を、探さないでほしいんです」
「……それはまた、どうして」
聞き間違いでもない、有田香澄の意識がもうろうとしているような様子もない。彼女のはっきりとした口調は、かえって坂本たちに困惑を与えていた。いろいろ聞きたいことはあるが、まずは「なぜか」。それが最も気になることだろう。しかし、彼女は言いよどむ。言葉を選ぶのに必死なようだ。それほどまでに複雑な事情があるのだろう。……彼女を落ち着かせるためにも、坂本は質問を変えた。
「すいません、質問を変えましょう。……探してほしくないのなら、なぜわざわざここに?」
探してほしくないのなら、最初から依頼しなければいいのではないか。坂本はそう考えた。有田香澄はその質問に対しての回答は用意できていたようで、すぐに「それは」と口を開く。しかし、その時。荒々しいノック音が部屋に響いた。
「すみません。特別相談室ってここですよね?」
低い声が外から聞こえる。おそらく中年の男性だろう。ノックの仕方から考えても、かなり無遠慮な性格らしい。……山崎が対応のためドアに向かおうとしたとき、有田香澄が引き留めた。
「待ってください!……その、私をかくまってもらえませんか?」
「……いきなり何を言い出すんだ、お嬢さんは……」
松本と山崎は彼女の突拍子もない物言いにどこか冷めた視線を送っていたが、坂本だけは彼女の必死さを見逃さなかった。……あの声の主は、彼女あるいは彼女の妹のストーカーなのではないか。こうして相談に来た彼女を連れ戻しに来たのではないか。坂本はそう仮説を立てると、山崎に「仮眠室に連れて行け」と指示した。特別相談室には隣の部屋へと続くドアがある。その先は仮眠室となっており、調査が忙しくなった際は寝泊まりすることがあった。山崎は怯える有田香澄の手を取り、仮眠室へと連れて行く。それを見届けた坂本は、意を決して立ち上がった。
「すいませーん、誰もいないんですかー?」
ノック音はさらに激しくなる。無遠慮なうえに短気となると、相当面倒な相手となるだろう。坂本はドアの前でため息を一つつき、ドアを開けた。
「お待たせして申し訳ない。昼休憩中だったもので、少し仮眠を」
「ああ、そうだったのか。起こして悪い。だが、こっちも急ぎのようでな、あまり気を悪くしないでくれ」
予想通りと言うべきか、ノックしていた男はやはり中年の男だった。初対面の相手に対する言葉遣いからも、彼の性格が窺える。……予想外だったのは、彼の隣に同じぐらいの年齢のように見える女性がいたのだ。彼女は坂本を一目見ただけで何も言わず、すぐに床へと視線を落とす。人見知りなのだろうか、それにしてはずいぶんと不躾な振る舞いだが。
「……急ぎのご相談ということですね。では、早速お話を伺いましょう。中へどうぞ」
二人の訪問客はまるで当然とでも言うように部屋の中へと足を踏み入れる。中にいた松本と目を合わせるが、挨拶をする様子もない。その上、誰に断ることもなくソファに腰を下ろした。……相当無遠慮ではあるが、委縮されるよりはマシだ。坂本は自分にそう言い聞かせ、口を開いた。
「まずは、お名前から教えていただけますか」
「ああ。俺は有田裕太郎。こっちは妻の有田幸子だ」
坂本は心の中で「もしや」と疑問が湧きだしたのを感じた。有田という名、そして年齢。察するに、彼らは有田香澄の両親と言ったところだろうか。……なぜ娘が彼らを避けるのか。家族仲が悪いなど、理由はいくらでも考えられる。彼は湧いた疑問を何とか押しとどめ、話を進める。
「ありがとうございます。……では、早速本題に。本日はどのようなご依頼で?」
「……娘の、有田春香を探してほしいんです」
今まで一言も喋らなかった有田幸子が口を開いた。やはり、彼らは有田香澄の両親で間違いない。……しかし、どういうことだろうか。両親は娘の行方を探してほしいと頼んでいるのに、姉は探すなと頼みに来ている。坂本はまず、有田春香がどのような人物かを聞き出すことにした。
「有田春香さんですね。身体の特徴や、年齢などを教えていただけますか?」
「これを見た方が早い」
有田裕太郎は懐からスマホを取り出し、坂本に画面を見せる。……つい先ほど、有田香澄が見せてくれた写真と同じものだ。彼は画面を見せつける姿勢のまま、「左側のショートカット。それが春香だ」と伝えた。……隣に映っている姉のことは尋ねなくともいいだろう。
「春香さんは行方不明ということでいいんですよね。一体いつから?」
「二年前の三月頃だったな。当時の春香は大学二年生だった。その日はバイトがあるから遅くなるとは知っていたんだが、日を跨いでも帰ってこなくてな」
「それで、警察に捜索願を出した、と」
「ああ。だが、二年経った今でも春香は見つからねえ。警察の野郎どもはもう捜査を諦めているようにも見えるしな。……だから」
「特別相談室を頼った、と。……わかりました。こちらで調査してみます。……えっと、連絡先を……」
彼らは坂本が真面目に調査してくれると信じたのか、短く礼を言うとすぐに立ち上がって部屋から出て行った。力強くドアが閉められる音が聞こえると、仮眠室のドアが開く。中からはいつもと変わらない様子の山崎と、未だに怯えた表情を浮かべる有田香澄が出て来た。
「……事情を説明してもらいましょうか。何故ご両親と姉であるあなたの間で、有田春香さんを探すか探さないか意見が分かれているのかを」
坂本はいい加減我慢の限界と言ったところなのか、彼女をなだめることもなく問い詰める。彼女と共にいた山崎は「落ち着いてからでも……」と意見するが、有田香澄は坂本の目の前のソファに腰掛けた。
「……私と春香は、いわゆる宗教二世というものなんです」
宗教二世。親がとある宗教を信仰しており、そのもとに生まれた子供のことだ。大抵は親が進行している宗教への入信を余儀なくされ、あるべき子供自体を過ごせずにいる。……彼女達もそうらしいのだが、それがどう家族の捜索に関わってくるのだろうか。
「ご両親はどんな宗教を?」
「……『魂魄教』というものです。おそらく、何度か耳にしたことがあるはずです」
彼女の言うとおり、坂本はその教団の名前を聞いたことがあった。それも、何度も。……かの教団の教祖、大和田聖一がかつて国政に進出しようとしていたのだ。彼は「魂魄教の教えこそが我が国を平和たらしめる法である」との主張を繰り返し、二十年以上前の衆議院選挙に臨んでいた。結果は大敗。教義である「人は魂がすべて。汚れた魂を清めなければ、いくら罪を贖ったところで意味などない」をもとに繰り返された主張は、結局のところ信者以外の冷遇措置を意味していた。その時から坂本は、「変な奴もいるものだ」と子供心ながらに思っていた。
「だが、奴は……」
「はい。教祖である大和田聖一は二十年以上前に死んでいます。……衆議院選挙大敗のショックが大きかったのか、負けたその日に体を病み、そのまま……」
「そして、魂魄教はそのまま解散となった。……が、事実はそうではなかった」
「はい。彼らは表舞台から去っただけです。あれから二十年、地道に布教活動を進めて、今や信者の数はあの頃の三倍にまで……」
「なるほど。……それで、その宗教がどうして妹さんを探さないことにつながるんですか?」
有田香澄は大きく深呼吸をする。事情を話すためには覚悟がいるのだろう。坂本が黙って待っていると、彼女は意を決した。
「春香が、生贄に選ばれたんです」
「……生贄」
信じられない言葉だった。しかし、坂本の目の前にいる彼女の表情は、嘘を言っているようには見えなかった。彼は山崎に視線を送る。……おそらく話はまだ続く。有田香澄に出した茶はとっくに冷えていた。
「すみません、ありがとうございます」
有田香澄の前に新しく淹れたお茶が出される。彼女は一口茶を飲んで喉を潤すと、続きを話し始めた。
「大和田が死んで以降、教団は瓦解しかけていました。……紛い物の教義ではありましたが、それでも人を引き付ける程度の力はあったようで。信者の心も離れ始めた頃、ある一人の幹部がとんでもないことを言い出したのです。……『大和田聖一は蘇った』と」
「死者が蘇ることなど……」
「ええ、誰もが始めはそう考えました。……しかし、大和田は本当に蘇ったのです。その姿を見ることは叶いませんが、声を聞くことは出来ました」
「姿を見られない?」
「はい。カーテンのようなもので姿を隠しているので。信者は誰一人としてその姿を見ることは叶わず、ただ一人だけが『世話係』としてカーテンの向こう側に行くことを許されているのです」
「……そのただ一人っていうのは、大和田が蘇ったとか言い出した幹部のこと、ですよね」
彼女は深く頷いた。……二十年以上前に死んだはずの大和田聖一はなぜか蘇り、今もなお魂魄教の教祖として君臨し続けている。そんなことがあり得るのだろうか。だが、今はそれよりも「生贄」のことを詳しく聞かねばならない。
「……それで、なぜ生贄が必要なのですか?」
「その幹部が言うには、『蘇った教祖が現世にとどまり続けるためには、代わりに冥界に向かってくれる魂が必要だ』と」
「……スケープゴートということですか。しかし、信者はそれで納得するものなのですか?あまりにも荒唐無稽すぎる」
「生贄は、一年に一人選ばれます。……すでに十七人が生贄として死んでいきました。妹の春香は二年前に、十八人目の生贄として選ばれたんです」
「……では、行方不明というのはまさか……」
坂本は最悪の結果を想像したが、それはすぐに否定される。
「いえ、違います。もしそうだとすれば、両親は娘を探せなんて頼まないはずです」
「……ああ、そうですね。申し訳ない、職業柄そういうことはたまにあったので……」
「いえ、気にしないでください。そう思われても無理ありませんから。……私の物言いでなんとなくご理解いただいていると思うのですが、妹も同じく魂魄教の教義には懐疑的で、信仰を持っているわけではないんです。妹が生贄に選ばれたあの日、春香は『こんなくだらない理由で殺されるわけにはいかない』と言っていたんです。……それがまさか、自ら失踪することを意味しているとは思いませんでしたが」
つまり、有田春香は生贄から逃れるため、自ら行方をくらましたということか。だからこそ、姉である彼女は「探さないでほしい」と頼んできたのだろう。両親が娘を探すのは、彼らが熱心な信者であるからに他ならない。娘の命よりも、大和田の命の方が大事だということらしい。……坂本は少し悩んだのち、口を開いた。
「……やはり、妹さんは探し出したほうがいいでしょう。ご両親と教団の奴らに見つかってしまう方が問題です。こちらで見つけて保護すべきかと」
「しかし、それではご迷惑に……」
「それが仕事ですから、どうかお気になさらず。……妹さんが失踪する以前で、気になったこととかはありますか?」
「……いえ、春香は生贄になるつもりはないとは言っていたのですが、具体的にどうするかは一言も……。どこで聞き耳を立てられているかわからないから警戒していたんだと思います」
「では、失踪した日もご両親の言うようにバイトに?」
「そのはずです」
「なるほど……。まずは、そのバイト先から話を聞いてみましょう。そこはどんなお店で?」
「駅前の居酒屋です。……でも、警察はすでに居酒屋にも聞き込みをしていました。その時は何も……」
「今になって思い出すこともあるはずです」
坂本の力強い物言いに、有田香澄はこれ以上何も言うことはなかった。少し悩んだのち、「妹をお願いします」と言って頭を下げた。……調査のとっかかりになりうる情報はすでに聞きだしている。帰っていく彼女を見送った三人は、その足で警視庁の資料室へと向かった。
「二年前の失踪事件ですよね。まだ残ってるはずですが……」
警視庁が保管している捜査資料はまだ完全にデジタル化されていない。データベースで検索してみるが、ヒットしたのは資料ではなく資料が保管されている棚の番号だった。ずらりと並ぶファイルに指を添え、一つずつ背表紙に書かれたタイトルを見ながら視線をずらしていく。なかなか見つからないことに対して山崎は不安を抱いたのか、「まだ残ってるはず」とぼやく。普通は十年近く保管され正式な手続きを踏んで処分されるものだが、たまに独断で資料を処分するものがいる。……当時の捜査本部でも、この事件は宗教がらみである可能性が非常に強いと判断し、生半可な捜査は怒りを買うだけだと諦めたのかもしれない。そしてその時に捜査資料を処分してしまったのではないか。……そんな考えが頭をよぎったころ、山崎が声をあげた。
「ありました!棚の一番下にありましたよ」
彼女はそう言って青く分厚いファイルを持ってくる。背表紙には「有田春香失踪事件」とわかりやすく書かれていた。坂本は彼女からファイルを受け取り、すぐさま開く。……当時の捜査本部はそれなりに捜査をしていたらしい。彼女のバイト先だけでなく、通っていた大学や参加していたサークルなどでも交友関係を洗っていたようだ。果てには彼女の卒業校の同級生にも捜査の手を伸ばしていたようである。……そこまで目を通した坂本は、一つの疑問を抱いた。
「……やけに調べすぎじゃないか?小学校の同級生まで調べるなんて、正気には思えない」
「確かにそうですね。当時の捜査本部も彼女が魂魄教の二世だっていうのは理解していたはずなのに、そちらには全く触れているようには見えませんし……」
「それが理由だろ」
二人が口にした疑問に対し、松本は当然とでもいうような態度だ。「何故」と視線を送る二人に、松本は「相手は宗教だぞ」と前置きした。
「失踪したのは宗教二世、親は信者だ。いくら教団が怪しくても、親は教団の捜査に一切協力しないだろう。教団側も当然、協力的な姿勢は見せない。その上、親は娘の交友関係を疑って、『友人のツテを頼ってどこかへ逃げた』と考えた。捜査本部は丁寧にその可能性をつぶしていたが、そこで力尽きた……ってところだろうな」
「……なるほど。有田春香の両親に言わせれば、『教団がそんなことをするはずがない』という訳ですか。それで両親を納得させるためにも小学校時代にまでさかのぼって……」
「結局その捜査は徒労に終わったわけか。……教団に当たってみたいが、無理だろうな」
「えっ、やめた方がいいですよ、絶対。あそこ、洗脳とかするって噂ですよ」
捜査の計画を口にする坂本を前に、山崎はどこかで聞いたような噂を口にする。彼女の顔にははっきりと嫌悪の感情が浮かんでいた。
「だが、二年前の資料のおかげで、彼女の交友関係に失踪と関係していそうな人物がいないことが分かってる。怪しいのは教団だけだ」
どこか気が急いたような坂本の物言いを、松本がいさめる。
「落ち着け。いくら教団が怪しいとはいえ、そう簡単に立ち入れるものではない。……まずは聞き込みからだ。自分でも言っていただろう、駅前の居酒屋に聞き込みをしに行く、と。……そもそも、教団が怪しいのは分かるが、奴らとて有田春香さんを探しているという事実は変わらない。何故探しているのかは知らぬがな。行ったところで出てくるのは余罪だけだろうよ」
「……そう言えば、生贄はどうなったんでしょうか?二年前に選ばれた春香さんは逃げたんですよね」
松本の言葉で思い出したのか、山崎は生贄のことを口にする。二人は少し悩んだのち、同じ結論を口にした。
「別の誰かが代わりに生贄になったんだろう」
「……やっぱり、そうですよね」
山崎はどこか落ち込んだようにつぶやく。……誰かが生贄になる、つまり教団の手によって命が奪われているということである。有田春香の一件がなくとも、奴らには殺人の疑いがあるのだ。しかし、今回はそれを調査するわけではない。数多の人間を殺した悪が目の前にいるというのに、それを裁くことができないのだ。だからこそ、彼女はやるせない気持ちにとらわれているのだろう。
「……山崎」
「はい」
「気を取り直せ。……まだ、春香さんを助けられるかもしれない」
「……はい。そうですね」
坂本の励ましに彼女は少しだけ気を持ち直したようだ。いつものように背筋が伸びている。
「よし。……行くか」
松本は資料室のドアを開けた。明かりをつけるのを忘れていたせいか、ドアから差し込む光がやけにまぶしく感じられた。
十分後。駅前の居酒屋にて。どうやら営業開始は午後四時かららしく、まだ暖簾は出ていない。ただ、仕込みのために従業員が中にいるかもしれない。そんなことを考えながら、坂本は入り口の引き戸を叩いた。
「すいませーん」
建付けがあまりよくないのか、引き戸を叩くたびに騒々しい音が鳴る。すぐにノックをやめると、店の中から荒々しい足音が聞こえて来た。
「誰だ!店閉まってんのは見ればわかるだろ!」
中から出てきたのは一人の中年男性だった。スキンヘッドに鉢巻を巻いており、エプロンを身に着けて長靴を履いている。……引き戸が開けられた途端、磯臭さが漂ってきた。
「申し訳ない。私、警視庁特別相談室の坂本と言います。こちらは松本と山崎です」
「……警察?何の用だ」
「二年前、こちらで働いていたという有田春香さんについてお話を伺いたく……」
「意味が分からん。二年前の話を今さらだと?」
「ええ。……もともとの捜査本部はだいぶ前に解体されてしまいまして。現在、私たちは有田さんのお姉さんからの依頼を受けて、独自に調査しているんです」
「へえ、大変なもんだな。……立ち話もなんだ、入れよ」
気難しそうな男性ではあったが、どうやら話を聞いてくれるらしい。坂本たちは彼の後に続いて営業準備中の居酒屋へと足を踏み入れた。
「……あ、いえ、お構いなく」
「何の用だろうと客人は客人。茶の一杯ぐらい出させろ」
どうやら店長らしい男のぶっきらぼうな優しさに甘え、熱い緑茶をもらう。坂本は一口茶を飲んで、すぐさま本題に入った。
「有田春香さんはどんな人物でした?」
「真面目で明るくて、今時には随分と珍しい子だったなあ。……ただ、あの子は問題ないんだがなあ」
「……というと、春香さんの周りが?」
「ああ。魂魄教とかいう宗教の信者共がな、何回か店の前にきやがったんだ。『有田春香はいないか』って。そん時は俺が毎回『仕事中だ』って怒鳴って追い返すんだがな。……話を聞けば、どうやら魂魄教には集会があるらしくてな。あの子が働いていた時間がちょうどその集会の時だったみたいでな。要するに、集会に来ないあの子を呼びに来たってことだな」
当時の捜査本部は魂魄教の圧力に屈したのか、その宗教に関する情報はほとんど書かれていなかった。そのため、魂魄教に集会があることも今ここで初めて知った。やはり聞き込みはすべきである。坂本は心の中でそうつぶやくと、次の質問に移った。
「春香さんが失踪する当日、何か変わったことは?彼女の行動以外でも構いません」
「変わったこと……。仕事が始まる前に『今日は残業できません』って言われたことぐらいだな。別に普段から残業させてたわけじゃねえんだ。ごくたまに、月末の金曜とかはよ、人の入りが多くて忙しくなっちまうが。その日は何でもない平日だった。残業したくとも仕事なんてない日だったはずだ」
姉の有田香澄の言葉が正しいのだとすれば、彼女は一人でどこかに逃げる計画を立てていた。残業できないということは、何か時間に遅れるようなことがあってはならないということだろうか。
「バイトが終わるのは、大体何時程度ですか?」
「午後十時だったな」
その時間ならば電車はまだ終電になっていないし、夜行バスもある。もしくは予約していたタクシーだろうか。兎に角、時間を気にするということは公共交通機関を使っていた可能性が高い。駅前のため、アクセスのしやすさもさらに可能性を強めている。今度はそちらから当たってみてもいいだろう。坂本がそうして彼女の足取りを辿る方法を頭の中で描いていた時、店長は「そう言えば」と前置きした。
「あの日、いつも店の前までにしか来ない信者の奴らが、店の中にまで入ってきたんだよな」
「何かしていましたか?」
「さあな。俺は厨房で忙しいから、そんなじろじろ見てるわけにも行かなくてよ。でも、普通に注文して酒飲んでたらしいんだよな」
信者たちはおそらく有田春香の動向を監視しに来ていたのだろう。普段から教団に対して反抗的な態度を取る者が、生贄に素直に応じる訳がない。彼らはそう考えて監視に来たわけだが、あっけなく彼女の動向を見逃している。……一体、有田春香はどこに行ったのだろうか。
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