表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タマハミ  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/3

第三話

前回のあらすじ

有田春香が働いていた酒場に聞き込みをし、そこからさらに公共交通機関へと聞き込みの叛意を広げていく坂本たち。彼らはその中で、鎌谷という男を見つける。彼が言うには、あの日、有田春香を乗せてタクシーを走らせたようだ。そして彼は、「総合センター」という廃墟となったビル前で有田春香を降ろしたと話した。彼らの次の目的地が決まった。


誤字脱字等、ご容赦ください。

 鎌谷の住んでいたマンションから離れ、商店街へと戻ってきた坂本たち。その中心部にある個人経営の小さなレストランへと入り、奥の席に腰を下ろした。これからの話は、他人には聞かれたくない。


「……まずは、情報を整理しましょう。一つ目、二年前に鎌谷さんが運転したタクシーに乗っていたのは有田春香さんで間違いなかった」


「怪しい車に尾行されたという記憶も残っていたし、何より彼女自身からいろいろ聞いたんだろう。信用していい情報じゃないか?」


 坂本の言葉に松本は同意を重ねる。山崎も特に気になることはないのか、「私もそうだと思います」と同意した。二人の反応を確かめた坂本は一度頷く。


「怪しい車に乗っていた人物が誰かまでは分かりませんが、魂魄教の信者とみていいでしょう」


「そうですね。彼ら以外に彼女をつけ狙う理由のある人なんていないでしょうし」


 意味のない確認かもしれないが、頭の中を整理するにはちょうどいい。……店員がよく冷えた水を持ってきた。礼を告げてメニュー表を手に取る。せめて食事をしに来たフリをしなければ怪しまれてしまうからだ。彼らはそれぞれメニュー表に視線を落としながらも、そこに映ったパスタの写真には毛ほども興味を示していなかった。


「……で、あの廃ビルは何だ?『総合センター』としか情報がないそうだが」


「そこなんですよね。次の手がかりはそこにありそうなんですが、ただ彼女がタクシーから降りた場所ってだけなので。そもそも関係ないのかもしれません」


「調べるまではどちらとも言えないでしょう。その廃ビルに何かなくとも、その近くで有田春香を見た人物がいるかもしれません。……どうせもともと、雲をつかむような話なんです。わずかに可能性があるのなら、それに賭けるだけです」


 坂本の言葉で一段落がついた。彼らはそれぞれ休息として食事を頼み、喉を潤す。注文を聞き届けた店員がテーブルから離れていくと、彼らは情報の整理を続けた。


「二つ目は、あの女性でしょう。魂魄教の信者らしき女性。……もしかすると、私たちの話を盗み聞きされていたかもしれません」


「……嫌な予感がするんです」


「どういうことだ?」


 坂本が鎌谷の隣に住んでいるという女性を話題に出した時、山崎は嫌悪を露わにした。確かに不気味な女性ではあったが、彼女は何を感じたというのだろうか。


「……鎌谷さんは、要するに有田春香さんの逃亡を手助けしたんですよね」


「ああ、そうだな」


「……あの人、私たちが警察だってなぜか知ってましたよね。一度も伝えていないのに」


「マンションの壁が薄かったから、話を聞かれたんじゃないか?」


「……なら、鎌谷さんが逃亡の手助けをしたのも聞かれたのでは?」


 瞬間、レストランの中すら静寂に包まれた。山崎の言うとおりならば、すべて山下という女性に聞かれたことになる。……そうだとすると。


「鎌谷さんが危ない。……魂魄教の信者からしてみれば、鎌谷さんは『敵』に他ならない」


 坂本は席から勢いよく立ち上がった。そして最低限の手荷物だけをポケットに押し込む。


「鎌谷さんの家に行ってきます。忠告しておかなければ」


 彼はそう言ってレストランから飛び出した。店員が訝し気な視線を送っていたが、松本がすぐに「忘れ物を取りに行っただけなので」とごまかした。




 坂本は全力で走り、鎌谷が住んでいるマンションへと戻った。彼の家を出てから三十分も経っていないだろう。部屋番号を入力するパネルに飛びつき、「107」と入力する。……しかし、鎌谷は呼び出しに応じない。もう一度試してみるが、やはり反応はない。出かけてしまったのかとパネルから少し身を引いた時、背後から声をかけられた。


「どうかなさいました?」


「……山下さん、でしたよね」


 それは山下だった。今、坂本にとってはもっとも出会いたくない人物ともいえる。用事と言って去っていったはずだが、その用事は片付いたのだろうか。彼女は表情を変えず、坂本を見つめる。


「ええ、先ほどぶりですね。それで、何かあったのですか?」


「……実は、忘れ物をしてしまいまして」


「……あら、そうですか。……それは、私にはどうにもできませんね」


「まあ、そうですね」


 話がかみ合っているのかいないのかすら曖昧な会話。浮世離れしているとでもいえばいいのだろうか。彼女は「失礼」と言って、パネルに鍵を指して自動ドアを開錠した。そのまま坂本には一瞥もくれずに奥へと消えていく。


「……行くだけ行ってみるか」


 鎌谷は部屋で寝ているかもしれない。ドアをノックすれば目を覚ます可能性もある。一縷の望みにかけて、彼は山下の後を追うようにエントランスを抜けて行った。……つい先ほど来たばかりだというのに、廊下の雰囲気が変わっているように思える。重い空気が床にたまり、足にまとわりついてくるようだ。そして最悪なことに、その空気の発生源は107号室だった。閉め切られたドアの先から重圧が感じられる。それに当てられて緊張してしまった彼は、震える指でインターホンを押した。呼び出し音が部屋の中で響き渡っている。ただし、反応はない。


「やっぱりいないのか?」


 疑問を口からこぼしながら、今度はドアをノックしてみる。重苦しい音が響くが、こちらもやはり反応はない。その場で「鎌谷さん」と呼んでみるが、意味などなかった。ついに坂本はしびれを切らし、ドアノブに手を伸ばした。ガチャガチャ回せば、寝ているかもしれない鎌谷もさすがに起きるはずだと考えたのだ。だが。


「……開いてる?」


 鎌谷の部屋のドアは、坂本の乱暴から逃れるように、抵抗することなく隙間を作った。坂本はおそるおそるドアを開けていく。玄関から廊下の景色は先ほどと全く変わらない。


「鎌谷さん?いるんですか?坂本ですけど……」


 開いたドアの前から、坂本は声をかける。再三の呼びかけにも、応じる声はない。


「……入りますよ」


 坂本は意を決した。いたとしてもいなかったとしても、鍵をかけない不用心な老人には忠告をしなければならない。玄関口で山崎たちへの連絡を済ませ、彼は部屋の中へと立ち入った。三十分しか経っていないというのに、部屋はまるで廃墟のようにさびれた雰囲気をまとっている。


「……いないのか?いや……」


 リビングへと続くドアの前で、坂本は一度立ち止まった。この部屋には全く人の気配がない。だが。


「靴はある」


 玄関口に、彼が普段はいているであろう靴が残されていた。あまりこだわりはないのか、靴箱の中には代わりのように防災バッグと飲み水がぎっしりと詰まっていた。普段使いであろうスニーカー、配達物を受け取るためであろうサンダルの二足だけだ。そのどちらともが残されている。……つまり。


「鎌谷さんは部屋から出ていない、はずだ」


 坂本は踵を返し、リビングへと向かった。もしかすると、あの座椅子で居眠りをしているだけかもしれない。人の気配がないのは、自分が勝手にそう感じているだけ。坂本はそう思い込み、リビングへのドアを開けた。


「……ここにはいないか」


 先ほどまで坂本たちがいたリビングはもぬけの殻だった。ちゃぶ台に座椅子があり、その横には最近の物らしい新聞が積まれている。ちゃぶ台の上にはテレビのリモコンが置かれていた。


「ここにいないのなら、隣の部屋か」


 部屋の間取りでは、玄関からリビングの間にはトイレと風呂場しかない。もし彼が居眠りしているのなら、リビングから続いた寝室だけだろう。引き戸で仕切られた部屋の先に、彼がいるはずだ。そうでなければ、彼は靴も履かぬままに部屋から出て行ったことになる。


「……頼む」


 坂本はもはや神頼みの域に達していた。ここにいなければ。……それを想像することすら憚られる。ゆっくりと開いていく引き戸の先、寝室はカーテンが閉め切られており、真っ暗だった。一歩足を踏み入れると、床板が傷んでいるのか床がきしみ音が鳴る。彼は一瞬歩みを止めたが、すぐに気を取り直して窓際へと向かった。……カーテンを開け放てば、すべてがわかる。意を決してカーテンを鷲掴み、思いきり引いた。そこには。


「……いない」


 誰もいなかった。敷かれていた布団は、つい先ほどまで誰かが寝ていたかのように皺がついているのだが、皺をつけたであろう張本人はどこにもいない。


「トイレにでも行ったのか?」

 

 自分がここに来る前に、鎌谷はトイレに行っていた。だから入違っているのではないか。坂本はそう考え廊下を戻る。トイレのドアを開けるが、当然誰もいない。敷布団を片付けずに風呂に入っているのかもしれないとも考えたが、やはり誰もいなかった。……寝室へと戻った坂本は、敷布団に手を当てる。若干温かいような気もする。つい先ほどまで鎌谷が寝ていたのは間違いないだろう。


「……夢遊病か?」


 この世には、寝ている間に出歩いてしまう病気が存在する。鎌谷もその患者の一人なのかもしれない。坂本はそう考えたが、すぐに彼の身体のことを思い出した。彼は確か、足が悪いのだ。山下が訪問してきたときも、立ち上がるのがやっとというような様子だった。そんな人物が寝ている間に立ち上がってどこかに行くことなどあり得るのだろうか。


「おい!坂本、いるか!」


 外から松本の声が聞こえる。彼は「はい!」と返事をして立ち上がり、寝室から顔を出した。玄関から部屋の中を覗き込んでいた松本と目が合う。


「鎌谷は?」


「いません。どこかに出かけたのかもしれません」


「……鍵は?」


「開いてました」


「不用心だな……。ひとまず、置き手紙を残していくしかないな」


 松本は私たちが伝えたかったことを簡単に手紙にし、末尾には連絡先も記した。無事ならば連絡をするようにとも記した。それをちゃぶ台の上に置き、リモコンを文鎮にする。そして、松本は大きくため息をついた。


「……今はこれだけだ。行くぞ」


「……わかりました」


 部屋の外には山崎もいた。どうやら戻ってこない坂本を心配してくれていたようだ。急いできたのか、汗を垂らして息を切らしている。それでも、坂本の無事を確認して安心したのか、大きく息を吐いていた。どうやらレストランに無理を言って出てきたようで、彼女はしきりに「すぐに戻らないと」と口にしている。坂本は鎌谷のことが気がかりではあったが、この場でできることは手を尽くした。一度だけ部屋を振り返ると、すぐに山崎の後に続いてマンションを出た。……この日以降、鎌谷からの連絡はなかった。




 十五分後、レストランへとんぼ返りしてきた彼らは、呆れたような店員の視線を浴びながら少し遅めの昼食をとっていた。口に含んでいたパスタを飲み今d亜山崎が口を開く。


「先輩がいない間に、総合センターについて少し調べてみたんです」


「それで、何か見つかったのか?」


「……いえ、それが何も」


「何も?」


 山崎はただ頷く。代わりのように松本が口を開いた。


「専用のサイトが残っていたが、内部情報はほとんど消えていた。残っていたのは総合センターという名前と、二年前に閉鎖したという記録だけだった。……幸いというべきか、解体の目途は立っておらんようでな、忍び込もうと思えば行けるだろう」


「……進んで不法侵入をする気にはなれないんですが」


 坂本は松本からの犯罪教唆に苦言を呈するが、彼はそれを意にも介していないようだった。


「怪しいとは思わないか。総合センターの閉鎖も二年前、有田春香の失踪も二年前」


「……偶然の一致でしょう。そもそも、総合センターが魂魄教の物だと決まったわけではないじゃないですか」


「それを、これから調べようって話なんじゃねえか」


「はあ……」


 注文した料理をすべて食べ終え、会計を済ませた坂本たちは、その足で鎌谷が教えてくれた総合センターへと向かった。そのビルは駅から三十分ほど車で走った先にあった。二年前に閉鎖となっているはずなのに、どこにも荒れたような様子はない。ただ誰もいないだけ、明かりがついていないだけであるようだ。まだ誰かが手入れでもしているのだろうか。


「こんなビルに何かあるのか?」


 坂本は疑問を口にしながらビルへと近づく。透明な自動ドアの先にはエントランスのようなものが広がっている。ドアを無理やりこじ開け、ビルへと立ち入った。玄関からまっすぐ行くと大きな二基のエレベーターがある。十三階まで階数の案内が張り出されているが、このエレベーターは使えないだろう。玄関から右手には受付カウンターがある。人手がなかったのか、それとも急な出来事だったのか、カウンターの上には資料が散乱していた。これらを片付けるほど余裕がないままに閉鎖になったのだろう。坂本は散らばっていた資料の内、一枚を適当に手に取った。


「……中学校の音楽会か。どうやら学校創立百周年記念でここのホールを借りていたらしいな」


「総合センターってそう言うことですかね。地域のイベントを行う場として存在していたと」


「そうみたいだな。……こっちは、落語の講演会のお知らせが書かれてる。割となんでもやってたらしいな」


 坂本に続いて松本も資料を手に取っていた。彼は坂本に資料を差し出しながらそう言った。お知らせに乗せられている写真には、坂本も何度か見た覚えのある落語家が映っていた。


「……この様子を見る限りだと、それなりに繁盛というか需要はあったみたいですね。どうして閉鎖してしまったんでしょう」


「最近はいろいろ値上がりだからな、電気代だの維持費だので採算が取れなくなったんだろう」


 あまりビルが閉鎖したことに興味がないのか、松本は山崎からの質問を軽くいなし、カウンター横にある階段へと向かった。閉鎖されているのだから、電気が通っているはずもない。上に行くには階段を使う他ない、のだが。


「なんだこりゃ」


 松本は開口一番驚いた声をあげた。何事かと二人も彼に近づくと、声をあげた原因を知ることになる。一階から二階へと向かう階段の踊り場、そこが無数のテーブルとイスでふさがれていたのだ。まるで、二階にいる何かを閉じ込めようとしている。


「……これは、随分と厳重なバリケードですね」


「なんだってこんなものを……。上で何かあったのか?」


「……しかし、上に行く手段はここだけですよね?確かめようにもこのままじゃ……」


「外に非常階段があるんじゃないですか?そっちから回り込んでみましょうよ」


 山崎の提案に二人は頷く。事件に関係あるかわからないが、実態不明の総合センターは、過去に何か大きな事件の舞台になった可能性がある。有田春香捜索の手がかりがない今、わずかな可能性があるのならそれに賭けるほかない。彼らは一度ビルから出て、裏手に回った。予想通り、そこには非常階段があった。スチール製のようだが、風雨にさらされ錆が目立つ。それでも、まだ使用には耐えうる程度の強さは残っているようだ。彼らは慎重に階段を上がり、二階へと続くドアの前に立った。


「二人とも、少し下がってください」


 坂本が右肩を前に出して、タックルの構えを取る。そしてドア目掛けて突進した。それほど頑丈な作りではないのか、坂本が三度ほどタックルしただけでドアの鍵が壊れた。これでビル二階の通路に足を踏み入れられる、はずだった。


「……ここもか」


 折り畳み式のテーブルとパイプ椅子のバリケード。ドアが開くスペースだけを残して、通路をふさいでいた。ただ、隙間から通路の先が見える。


「……誰かいないか?」


 突拍子もない坂本の発言に、後ろにいた二人はただ互いに目を合わせるだけだった。ビル内では一階から二階には上がることなどできない。それは、先ほど彼らも確かめた。そして非常階段に移動するまでの間、誰ともすれ違っていない。その上ここもバリケードでふさがれており、小柄な子供程度ならばなんとか通れそうなほどしか隙間がない。しかし。


「見てください!誰かいますよ!」


 普段から、坂本はつまらない冗談は言わない性質だった。このような状況下ならば猶更。そんな彼が必死に訴えているということは、もしかすると。二人もようやく身を乗り出し、坂本と同じように隙間から通路の先を覗いた。


「……あ!あれは……」


 二人が見たものは、誰かの髪だった。ちょうど移動しているタイミングで覗いたからか、顔や体などは見られなかった。だが、背中ほどまで伸びているであろう、たなびく髪だけは見逃さなかった。


「誰だ?こんなところに。それもどうやって。……坂本、あいつの顔を見たか?」


「ええ。ですが初めて見る顔でした。有田春香ではないと思います」


 坂本はそう言いながらメモ帳に似顔絵を描いていく。有田春香とは似ても似つかない、たれ目で髪の長い女性だった。


「とにかく、バリケードをどかしてみましょう。パイプ椅子程度なら私たちでもどうにかできますし」


 山崎の提案に二人とも従い、バリケードを解体していく。エントランスの踊り場をふさいでいたバリケードと比べると、こちらの方が簡易的なもののようだ。その甲斐あってかそれほど時間をかけることなくバリケードを撤去することができた。


「……それじゃあ、行きましょうか」


 時刻は午後二時。だというのに曇ってきたせいか日の光は落ち着き、ビル内が薄暗くなっている。バリケードの存在と、先ほどわずかに姿を現した女性の存在が、ビル内へ足を踏み入れることをためらわせる。しかし、ここで足踏みしていたところで事態が進展するわけでもない。そう己をしかりつけ、通路へと一歩足を踏み出した。




 ビル内は相当金がかかっているのか、通路にはカーペットが敷かれている。そのおかげというべきか、三人の足音は全くと言っていいほど聞こえなかった。左右にはそれぞれ部屋があるが、どの部屋もドアに鍵がかかっている。まっすぐ進む通路の途中、唯一立ち入ることが出来そうな場所は便所しかなかった。


「……とりあえずは、ここだけか」


「げっ、トイレ……。怪談としてありがちですよねぇ。それに、ここは一応廃墟ですし、何かあっても不思議じゃないですよ」


 入り口の前で山崎が足を止める。坂本は「心配するな」と口にしようとしたが、それは無意味だとすぐに理解した。バリケードすら構築されるほどのトラブルがビル内で起きていたのは間違いない。そんな中での励ましなど焼け石に水と変わりはしない。その代わり、彼はただ一言、「気をつけろ」とだけ口にした。


「こっちには何もないか……?」


 三人がまず立ち入ったのは男子便所の方だった。二年前に廃墟となっているはずだが、駅前の公園の便所よりも清潔に見える。小便器には何もなく、ただ消臭剤が残されていた。


「問題は個室の方ですよ。死体が置かれているかも……」


 山崎による嫌な想像が止まらないが、この状況下ではそれが想像で終わらない可能性もある。何度か匂いを嗅いでみるが、柑橘系の芳香剤らしき匂いしか鼻には届かない。坂本は意を決して、入り口に一番近い個室から開けることにした。勢い良く開け放つと、中を確かめる間もなく隣の個室のドアも開けていく。そのままの勢いで四つあった個室のドアがすべて開け放たれた。


「……良かった。何もないですね」


 結局、男子便所の方には何もなかった。嫌な想像を働かせ続けていた山崎もこれには胸をなでおろしていた。何もなかったおかげで彼女は少し気をよくしたのか、「このまま女子トイレの方も調べますか」と率先して言う。彼女の勢いに押され、そのまま隣にある女子便所へと向かった。広さは男子の方とあまり変わらないが、小便器の代わりに個室が増えている。一度は気をよくしていた山崎も、すぐにずらりと並んだ個室たちに気圧されていた。


「そういや、さっき見た髪の長い女はどこに行ったんだろうな」


 不意に思い出したのか、松本がそんなことを言い出した。山崎はすぐに「今はやめてくださいよ」というが、彼は続ける。


「いや、重要なことだろう。……俺が見た時、その女はドアの開け閉めをしていた様子はなかった。つまり、通路からどこかの部屋に入ったわけじゃない。でも、確かにどこかへ入っていったのは見た。山崎もそうだな?」


「……はい」


 怖い話を聞きたくはないが、事実は事実として受け止めなくてはならない。そんな悲哀を押し込めたような、ふてくされた返事を返す山崎。松本はさらに続ける。


「男子便所には誰もいなかった。隠れる隙間もなかっただろう?……つまり、あの女はこの十ある個室の内のどこかにいるかもしれないな」


 途端に空気が変わる。窓が開いていないせいか、重苦しい空気が便所の中に漂い始めた。松本の言葉は恐怖を煽るのに十分であった上、必要な行為でもあった。彼はただ事実から考えられる物事を口にしただけに過ぎない。彼の言葉は恐怖を呼び起こしたが、それと同時に二人に覚悟をする機会も与えていた。嫌そうなそぶりをしていた山崎も腹をくくったのか、騒ぎ立てるようなことはしなくなっていた。


「……開けますか」


 坂本は入り口に一番近い個室のドアに手を伸ばす。中には誰かがいるのか、それとも何かがあるのか。大きく息を吐く。彼は意を決してドアを開け放った。


「誰もいない……」


 山崎は大きくため息をついていた。松本からの話でどうしても緊張してしまっていたのだろう、額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいる。


「坂本、さっさと全部開けよう。山崎が持たねえ」


「わかりました」


 おびえ切った山崎の様子が見るに堪えないからか、松本は便所の奥へと向かい、奥の個室のドアに手を伸ばす。短く返事をした坂本は先ほど開けた個室の隣に移動した。掛け声もなく一斉にドアが開け放たれていく。あまりの勢いにドアが壁にぶつかる音が何度も響き渡るが、それはすぐに収まる。……奥から三番目、松本がドアを開け放った個室の中に、女性の遺体があった。その顔は、坂本がメモ帳に描いた女性とうり二つであった。




 一時間後。警察の同僚に連絡した坂本たちは、叱られていた。何かの事件の手がかりになるような発見かもしれないが、彼らが不法侵入者であることに変わりはない。


「……まあ、言い方は悪いが、お手柄でもある。上には言わないでおくが、次からはこんなことやめてくれよ。……松本さんも、次は止めてくださいね」


「ああ、わかったよ」


「それじゃ、俺たちは帰るよ。……解剖が終わったらすぐに連絡するからな」


 坂本の同僚はそう言い残してパトカーに乗って行ってしまった。残された坂本たちはここまで来るのに使った車へと戻り、一息つく。誰も一言も発さないが、考えていることは全く同じだ。……ひとまず、いつまでもここにいる訳にはいかない。坂本は車のエンジンをかけた。


「……少し、情報を整理するか」


 あれから一時間後。無事に特別相談室まで戻ってきた彼らは、ホワイトボードを前にしていた。坂本が黒いペンを握っている。


「まずは、鎌谷さんのことについてまとめましょうか。……二年前、彼は有田春香を客としてタクシーに乗せていた」


「彼は車中で彼女から自分が逃げる理由を聞いていたとのことだったな。怪しい車に追いかけられたが、総合センタービル前で降ろした、と」


 坂本がホワイトボードにその旨を記すと、山崎が「はい」と手を挙げた。


「その総合センターなんですが。……先ほどもう一度調べなおしたんです。すると、当時そこで働いていた方の投稿らしきものを見つけまして。……これです」


 彼女が見せて来たスマホの画面には、その問題の投稿が映されていた。十年以上前によく使われていたネット掲示板の投稿だ。SNSの普及で勢いが衰えたとはいえ、未だに使っている者もそれなりにいる。


「……二年前の投稿か。『ウチの職場、怪しすぎwww』……」


「簡単に要約すると、総合センター内のホールなどを使う際には、必ず予約が必要でして。その時に氏名や連絡先も当然必要になるんです。しかし、二週間に一回、名前を名乗らずに予約をしようとする者がいるらしいんです。この連絡があったとき、必ずと言っていいほどセンター長が予約を承っていたそうで、他の人が電話口に出ると、『センター長に代わってくれ』としか言わなかったとか。その上、予約するのは決まって最上階の大ホールで、その日は全員立ち入り禁止のようです」


「……この投稿主はホールに来た予約者の顔を見ていたりしないのか?」


「禁じられていたそうです。センター長はその人達がいつ来るか知っていたそうで、彼らが来た時には『全員顔を伏せろ』と命じていたようです。この人の話では、一人として逆らった者はいないとか」


 総合センターの情報としてはそれなりに価値がありそうに思える。しかし、どうにも信ぴょう性にかけていた。ネット掲示板というものは、往々にして作り話が多く存在する。大抵はただ見栄を張るためか、それとも突拍子もない嘘で笑いを誘うかのどちらかだが、これはそのどちらにも当てはまらない。坂本は少し悩んだ結果、その投稿内容をホワイトボードに記した。死体が見つかった今、謎は深まるばかり。わずかにでも関係しているのなら、何か意味があるはずだ。

読んで頂きありがとうございました。宜しければ評価・感想のほどよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ