第一話 踏み出した一歩
軍務長の一室。
そこには、ラウル、コルティオ、ナタリアの姿があった。
三人だけではない。
同じように軍服を身に纏った者たちが、整然と並んでいる。
その胸元へ。
一人ずつ、新たな階級を示す徽章が渡されていた。
名前が呼ばれるたび。
兵士が前へ出る。
敬礼し。
徽章を受け取り。
自らの軍服へ取り付けていく。
やがて。
「ラウル・ローウェン」
男の声が響いた。
「はい!」
ラウルは一歩前へ出る。
姿勢を正し。
敬礼する。
男がラウルの前へ立った。
その手には。
新たな階級を示す徽章。
ラウルはそれを受け取る。
「ありがとうございます」
そして。
自らの軍服へ取り付けた。
少尉。
入隊した時には。
当然、自分の胸になかったもの。
軍学校を卒業し。
新兵として王国軍へ入った。
ガナナ小隊。
ルミエル小隊。
ドーハ山麓。
そして。
ゴルディア帝国との戦争。
いくつもの出来事を越え。
今。
その結果が。
小さな徽章となって胸にあった。
ラウルは一度だけ。
それへ視線を落とした。
そして。
元の位置へ戻る。
その後も。
次々と名前が呼ばれていった。
やがて。
最後の一人が徽章を受け取る。
男は並んだ者たちを見渡した。
「以上、二十六名」
静まり返った室内に。
その声が響く。
「本日付けをもって、少尉に任ずる」
二十六人が一斉に姿勢を正した。
「王国軍士官として、その責務を果たせ」
「はい!」
声が揃う。
こうして。
少尉任命の授与式は終了した。
◇ ◇ ◇
部屋を出て。
廊下を歩いていた時だった。
コルティオが二人へ顔を寄せる。
「二人とも、気づいたっすか?」
ラウルが横を見る。
「何がだ?」
「やっぱり」
コルティオが呆れたように息を吐く。
ナタリアが首を傾げた。
「何かおかしなところでもあったかしら?」
「あったっす!」
コルティオが声を抑えながら答える。
「さっきの授与式にいた二十六人についてっすよ」
ラウルとナタリアがコルティオを見る。
「今回の戦争で指揮官が不足してる。それが僕たちの昇格が早まった理由の一つなのは分かるっす」
「そうね」
「でも、僕たちが少尉になるのは、それを考えても異例の速さっすよ」
コルティオが三本の指を立てた。
「それなのに、他にも同期が三人いたっす!」
ナタリアが目を瞬かせる。
「ああ……」
授与式にいた者たちを思い返す。
「そういえば、確かにいたわね」
「そうっす!」
コルティオが頷く。
「僕たち三人だけでも十分異例なのに、同じ代からさらに三人っすよ。異例中の異例っす!」
ナタリアは少し考え。
「異例なのは分かるけど、その三人も何かしら功績を上げたということでしょう?」
「まあ、そうっすね」
コルティオは楽しそうに笑った。
「僕たちの代、大物揃いかもしれないっす!」
「言い過ぎだぞ」
ラウルが返す。
そして。
何気なく尋ねた。
「で、誰なんだ?」
「……」
コルティオが足を止めた。
ラウルを見る。
「何だ?」
「やっぱりラウルは知らなそうだなと思ってたっす」
「知っているなら聞かない」
「そういうところっすよ……」
ナタリアが小さく笑う。
コルティオは気を取り直し。
指を一本立てた。
「ヴィクトル・カイゼル」
二本目。
「グレイブ・ロッセン」
三本目。
「エドガル・アーノルド」
「この三人っす」
ラウルが最後の名前に反応する。
「アーノルドって、確か……」
「そうっす」
コルティオが頷く。
「アーノルド公爵の息子っす!」
「やっぱりそうか」
「それだけじゃないっすよ」
コルティオが続ける。
「ヴィクトルは軍学校次席っす」
ラウルがコルティオを見る。
「次席?」
「そうっす! 卒業式でラウルの隣にいたっすよ!」
「……そうだったか?」
コルティオが何とも言えない顔をする。
ナタリアが苦笑した。
「まあ、次席といっても接点はなかったし、覚えていなくても不思議ではないわ」
「いや、主席なら次席くらい覚えててもいいと思うっすけど……」
「話したことがないからな」
「そういう問題っすか?」
三人は。
そのまま廊下を歩いていく。
だが。
その後ろ。
少し離れた場所から。
一人の男が三人を見ていた。
いや。
正確には。
一人だけを。
ラウルの背中を。
じっと見つめていた。
「……ラウル・ローウェン」
小さく。
その名を呟く。
男の胸にも。
今日与えられたばかりの少尉の徽章がある。
ヴィクトル・カイゼル。
軍学校次席。
その視線は。
廊下の向こうへ消えていくラウルから。
しばらく離れなかった。
◇ ◇ ◇
ルミエル小隊宿舎。
授与式を終えた三人は、そのまま隊長室へ向かった。
扉を叩く。
「入って」
中から声が返る。
三人が入室する。
リシア・ルミエルが待っていた。
ラウルが一歩前へ出る。
三人を代表し。
敬礼した。
「ローウェン、シルフォード、レイナード」
コルティオとナタリアも姿勢を正す。
「以上三名、本日付けをもって少尉に任じられました」
リシアの表情が柔らかくなる。
「ええ。聞いているわ」
三人へ椅子を示した。
「座って」
「失礼します」
三人が腰を下ろす。
リシアは改めて。
三人の胸元を見る。
そこには。
少尉の徽章。
「おめでとう」
微笑む。
「私の小隊から三人も同時に少尉が出るなんて、嬉しいわ」
ナタリアが答えた。
「ルミエル隊長のおかげです」
だが。
リシアは首を横に振った。
「いいえ」
三人を見る。
「これは、あなたたち自身が功績を上げた結果よ」
少しだけ。
声に力を込める。
「誇りなさい」
「はい」
三人が答える。
昇進したのは。
三人だけではなかった。
今回の戦争を経て。
ルミエル小隊そのものが。
大きく変わろうとしていた。
リシア・ルミエル。
少佐。
そして。
新たに中隊長へ。
マーク・オベール。
大尉。
コルド・ルビック。
大尉。
二人はそれぞれ。
新たに編成されるルミエル中隊の小隊長となる。
これまで一つの小隊だった者たちが。
今度は。
さらに多くの兵士を率いる側へ進んでいく。
「あの戦争を生き抜けたのは」
リシアが言った。
「みんなの力があってこそよ」
一人一人。
三人の顔を見る。
「その功績が認められて、本当によかったわ」
そして。
少し笑った。
「まだまだ、これからもよろしくね」
「はい!」
三人が答える。
だが。
リシアの表情が変わった。
「さて」
机の上に置かれていた書類へ手を伸ばす。
「ここからは本題よ」
三人の視線が集まる。
リシアが書類を見る。
そして。
最初の名前を呼んだ。
「ラウル・ローウェン」
「はい」
「あなたには」
一拍。
「私の中隊の小隊長を任せるわ」
「……」
ラウルが僅かに目を見開いた。
「小隊長……ですか?」
隣では。
コルティオとナタリアも驚いている。
「ええ」
リシアが頷く。
「少尉で小隊長になるのは、普通ならないことよ」
「……はい」
「ただし」
リシアが続ける。
「あなたは一応、中尉待遇になっているの」
ラウルの表情が変わる。
「中尉待遇?」
「帝国四柱、ペペロン・ヤーノ」
その名が出る。
豪雨の戦場。
泥の中。
敵兵の間を抜け。
剣を突き刺した感触。
ラウルの脳裏に。
あの瞬間が一瞬だけ蘇る。
「あなたはペペロンに重体となる傷を負わせた」
リシアが続ける。
「それが帝国軍撤退の要因の一つになったと評価されているわ」
ラウルは黙って聞く。
「いきなり中尉にするわけにはいかない。でも、小隊を持つ責任を負わせることはできる」
リシアはラウルを見る。
「そう判断されたの」
一瞬。
沈黙。
その横から。
「さすがラウルっす!」
コルティオが嬉しそうに声を上げる。
「おめでとう、ラウル」
ナタリアも微笑んだ。
ラウルは二人を見る。
「ありがとう」
だが。
すぐにリシアへ向き直る。
「ですが」
「何?」
「他の小隊の皆さんは、何と?」
リシアが一瞬。
きょとんとする。
そして。
笑った。
「私の小隊に反対する者はいないわよ」
ラウルは少しだけ黙る。
これまで。
自分は命令を受ける側だった。
考え。
判断することはあった。
戦場で意見を出すこともあった。
だが。
これからは違う。
自分の判断で。
誰かを動かす。
自分の命令で。
誰かが戦う。
その責任を。
持つことになる。
ラウルは。
胸元の新しい徽章へ。
一瞬だけ目を落とした。
そして。
顔を上げる。
僅かに笑みを浮かべた。
「分かりました」
姿勢を正す。
「拝命します」
リシアは頷いた。
「ええ」
そして。
次の書類へ目を移す。
「コルティオ・シルフォード」
「はいっす!」
「……返事くらい普通にしなさい」
「あ、はい!」
ナタリアが小さく笑う。
リシアも僅かに笑ってから続けた。
「ローウェン小隊の副官に任ずる」
コルティオの目が大きくなる。
すぐに。
ラウルを見る。
「……僕が?」
「不満?」
「まさか!」
コルティオは姿勢を正した。
「拝命します!」
リシアが頷く。
そして。
最後。
「ナタリア・レイナード」
「はい」
「あなたには、ルミエル中隊の隊長補佐を任せるわ」
ナタリアも僅かに驚いた。
だが。
すぐに姿勢を正す。
「拝命します」
三人の役目が。
決まった。
ラウルは小隊長。
コルティオは、その副官。
ナタリアは中隊長補佐。
同じ場所から始まり。
同じ小隊で戦ってきた三人。
だが。
少しずつ。
それぞれの立つ場所が変わり始めていた。
ラウルは。
胸元に付けられた少尉の徽章へ。
もう一度だけ目を向ける。
一つ。
階級が上がった。
それだけではない。
今度は。
自分の後ろに。
兵士が立つ。
ラウル・ローウェンは。
新兵ではなく。
人を率いる者として。
最初の一歩を踏み出した。




