第六話 バラン村
山賊討伐の任務が下ってから二日後。
ガナナ小隊は王国南東方面へ向けて行軍していた。
総勢十二名。
そのうち四名が、ラウル、コルティオ、カエサル、ジェフの新兵だった。
だが――。
ラウルたちは、任務についてほとんど何も知らされていなかった。
聞かされているのはただ一つ。
南東方面へ向かい、山賊を討伐する。
それだけだった。
「南東っすよね……」
歩きながら、コルティオが呟く。
隣を歩いていたジェフが顔を向ける。
「どうした?」
「いや、どこに向かってるのかなって思って」
コルティオが周囲を見る。
「南東って言っても広いっすからね。ただ、この街道をずっと進んでるなら……」
頭の中で地図を思い浮かべているのだろう。
「もう少し先から山が増えてくるはずっす」
「山賊なら山の近くにいるんじゃないか?」
「その可能性はあるっすね」
ジェフが前方を見る。
「あとどれくらいかかるんだろうな」
「分からないっす」
「分からない?」
「だって目的地を聞いてないっすから」
「……それもそうか」
二人の会話を聞きながら、ラウルは黙って歩いていた。
視線は前へ向けている。
だが、意識は小隊全体へ向いていた。
行軍が始まってから、ずっと気になっていることがある。
任務が下ってから出発まで二日。
その二日間で行われた準備は、ラウルから見れば不十分だった。
装備の確認。
食料。
行軍経路。
任務内容の共有。
山賊の人数。
拠点。
周辺の地形。
分かっていないことが多すぎる。
それだけではない。
「おい、待てって」
「先行くぞ」
「別にいいだろ」
前方から兵士たちの声が聞こえる。
隊列と呼べるものすら、ほとんど存在しない。
数人で固まって歩く者。
離れて歩く者。
時折、勝手に足を止める者。
小隊長であるガナナも、それを咎めようとはしない。
ラウルは僅かに眉を寄せた。
新兵訓練では、あれほど部隊行動を叩き込まれた。
一人の勝手な行動が全体へ影響する。
山道で負傷者を助けた時、訓練監督官からそう叱責された。
だが。
目の前にいるガナナ小隊には、その規律がほとんどない。
そして、もう一つ。
ラウルたち四人は、この小隊へ配属されてから一度も小隊全体で訓練をしていない。
走らされた。
蹴られた。
倒れれば水を浴びせられた。
だが、十二人でどう動くのか。
誰が何を担当するのか。
戦闘になれば、どのような陣形を取るのか。
何一つ知らない。
これで山賊を討伐するつもりなのか。
ラウルには分からなかった。
「……ラウル?」
コルティオの声で意識を戻す。
「なんだ?」
「いや、難しい顔してたんで」
「少し考えてただけだ」
「任務のことっすか?」
「ああ」
ラウルは前を歩くガナナを見る。
「分からないことが多すぎる」
コルティオもガナナの背中へ視線を向けた。
「……それは俺も思うっす」
二人はそれ以上話さなかった。
◇ ◇ ◇
行軍は遅かった。
あまりにも遅かった。
道中に街があれば、ガナナや何人かの兵士が勝手に立ち寄る。
「少し待ってろ」
そう言って姿を消し、戻ってくるまで待たされる。
半刻。
時には、それ以上。
ラウルたち新兵は、ただ待つしかない。
そんなことが一度ではなかった。
何度も繰り返された。
結果。
目的地周辺へ到着するまでに、二週間もの時間を費やしていた。
「二週間っすよ……」
休憩中、コルティオがラウルの隣へ座る。
「ああ」
「山賊、まだいると思います?」
ラウルは答えなかった。
少し考える。
「普通なら移動していてもおかしくない」
「っすよね」
「任務が下ってからも時間が経っている」
山賊が同じ場所に留まり続ける保証などない。
討伐隊が来るという情報を得ていれば、なおさらだ。
「じゃあ、俺たち何しに来たんすかね……」
「それを俺に聞くな」
「聞ける人が他にいないんすよ」
ラウルは小さく息を吐いた。
◇ ◇ ◇
目的地付近へ到着すると、ガナナはようやく二名の兵士を偵察へ向かわせた。
残った者たちは平地へ陣を張る。
そして数刻後。
偵察から戻った兵士から何かを聞いたガナナが、ようやく小隊を動かした。
ラウルたちはさらに進み、一つの村がある地域までやってきた。
そこで再び陣を張る。
「お前は残れ」
ガナナが長身の男へ言った。
続いて何人かを指差していく。
「それと、新入り」
ラウルたちへ視線を向ける。
「お前と、お前と……そこの太いの」
ラウル。
コルティオ。
ジェフ。
そして、もう一人の兵士。
「ここに残れ」
ジェフが自分の身体を見る。
「太いのって俺か……」
「多分そうっす」
コルティオが小声で答える。
ガナナは構わず続ける。
「救護と陣の護衛だ」
「はい」
ラウルが答える。
カエサルを含む残りの兵士たちは、ガナナと共に村の方向へ向かっていく。
ラウルはその背中を見送った。
まただ。
何をするのか。
なぜ自分たちを残すのか。
説明はない。
やがてガナナたちの姿が見えなくなった。
ラウルは近くに残っていた兵士へ声を掛ける。
「すみません」
「あ?」
「村へ向かった理由を聞いてもいいですか?」
兵士は面倒そうにラウルを見る。
「山賊が逃げ込んだらしい」
「村に?」
「ああ」
「人数は?」
「知らねぇよ」
「村の中に何人いるかは?」
「だから知らねぇって」
兵士は鬱陶しそうに手を振る。
「俺に聞くな」
ラウルは黙った。
「……ありがとうございます」
離れる。
コルティオが近づいてきた。
「どうだったっすか?」
「山賊が村へ逃げ込んだらしい」
「それだけ?」
「ああ」
コルティオの表情が曇る。
「それで突っ込んだんすか……?」
ラウルは村の方向を見る。
「そうらしい」
◇ ◇ ◇
時間だけが過ぎていった。
太陽が少しずつ傾く。
それでもガナナたちは戻ってこない。
やがて陽が沈み、暗がりが陣を覆い始めた。
焚き火の明かりだけが周囲を照らしている。
その時だった。
「……なんだ?」
ジェフが立ち上がる。
村の方向から、何かが近づいてくる。
一人。
二人。
いや、もっといる。
「人っす」
コルティオも立ち上がった。
ラウルは目を凝らす。
こちらへ走ってくる数人の人影。
足取りがおかしい。
転びそうになりながら、それでも必死に走っている。
「村人……?」
ラウルが駆け出した。
「コルティオ!」
「はいっす!」
二人が人影へ向かう。
近づくにつれ、その姿が見えてくる。
「……っ」
ラウルの足が僅かに止まりかけた。
服が焼け焦げている。
肌には傷がある。
顔は煤で汚れ、息もまともにできていない。
一人の男が、その場へ倒れ込んだ。
「大丈夫ですか!」
ラウルが身体を支える。
「む……村が……」
男の声は掠れていた。
「まず治療を」
ラウルがコルティオを見る。
二人の目が合う。
何かがおかしい。
それだけは分かった。
「運ぶぞ」
「はいっす」
二人で男を支え、救護用の天幕へ向かう。
「ジェフ!」
ラウルが大声で呼んだ。
「なんだ!?」
「他にもいる! 動ける者からこっちへ運んでくれ!」
「分かった!」
ジェフが走る。
長身の男は、その様子を少し離れた場所から見ていた。
動こうとはしない。
「手を貸してください!」
ラウルが声を掛ける。
男は面倒そうにこちらを見るだけだった。
「お前らでやれ」
「……」
ラウルは一瞬だけ男を見る。
すぐに村人へ視線を戻した。
「コルティオ、そっちを頼む」
「分かったっす」
一人。
また一人。
村人が陣へ辿り着く。
歩けずに倒れる者。
泣いている者。
家族の名前を叫び続ける者。
ラウルたちは休む暇もなく救護を続けた。
その時。
「ラウル……」
コルティオの声が聞こえた。
動きが止まっている。
「どうした?」
「あれ……」
コルティオが村の方向を見ていた。
ラウルも振り返る。
「……」
遠く。
暗闇の向こう。
空の一部が、明るい橙色に染まっていた。
炎。
それも、小さな火ではない。
村がある方向から、夜空を照らすほどの光が上がっている。
ジェフも気づいた。
「なんだよ……あれ」
誰も答えられない。
三人はただ、その光を見つめていた。
ぱちぱちと燃える焚き火の音が、やけに小さく聞こえた。
遠くの空だけが。
赤く。
橙色に。
夜の中で揺れていた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
風に乗って、焦げた臭いが漂っていた。
ラウルは目を覚ました時から、その臭いに気づいていた。
木が焼けた臭い。
何かが燃え尽きた後の臭い。
昨夜見た光が頭から離れない。
ラウル。
コルティオ。
ジェフ。
三人はほとんど言葉を交わさないまま、村の方向へ歩いていた。
「……」
誰も足を速めようとしなかった。
見たくない。
そんな気持ちが、三人の歩みを重くしていた。
それでも進む。
焦げた臭いが強くなる。
そして。
三人は足を止めた。
「……嘘だろ」
ジェフが呟いた。
そこに村はなかった。
正確には。
村だったものだけが残っていた。
家屋は焼け落ちている。
屋根も。
壁も。
柵も。
黒く焦げ、崩れ落ちていた。
地面の至るところに灰が積もっている。
煙がまだ僅かに上がっている場所もあった。
そして。
瓦礫の間。
崩れた家屋の下。
道だった場所。
黒く焼けた、人の形をしたものが見えた。
「うっ……」
ジェフが口元を押さえる。
身体を折る。
「おぇっ……」
嗚咽が漏れた。
「なんで……」
コルティオの声が震えていた。
「なんでこんな……」
その場へ膝をつく。
涙が頬を伝っていく。
「村人だったんすよ……」
返事はない。
「昨日……俺たちが助けた人たちと……」
言葉が続かなかった。
ラウルは何も言わなかった。
ただ。
焼け落ちた村を見ていた。
昨日まで、ここで人が暮らしていた。
家があった。
家族がいた。
生活があった。
それが。
一晩で消えていた。
「はっはっはっはっ!」
後ろから笑い声が聞こえた。
ラウルの目が動く。
振り返る。
そこにはガナナがいた。
焼け落ちた村を前にして。
まるで何か愉快なものでも見るかのように笑っている。
ラウルは動かなかった。
何も言わない。
だが。
その目だけが、ガナナを捉えていた。
これまでとは違う。
訓練が異常だった。
規律がなかった。
命令の意味が分からなかった。
それでも。
どこかでまだ、王国軍の小隊なのだと思っていた。
父が言っていた。
――正義のない者もいる。
その言葉が。
今。
目の前の光景と重なった。
ラウルは拳を強く握った。
焼けた臭いが鼻を刺す。
ジェフの嗚咽。
コルティオの泣き声。
そして。
ガナナの笑い声。
ラウルはただ。
その男を睨み続けていた。




