第五話 ガナナ小隊
新兵訓練を終えてから数日後。
それぞれの配属先が決まった新兵たちは、辞令に記された小隊へと向かい始めていた。
ラウル・ローウェンとコルティオ・シルフォードも、荷物を手に軍宿舎の中を歩いていた。
向かう先は同じ。
ガナナ小隊。
「……こっちで合ってるっすよね?」
コルティオが不安そうに周囲を見渡す。
「ああ」
ラウルは手元の案内を確認する。
「この先だ」
「なんでこんな端にあるんすかね……」
王国軍の宿舎が立ち並ぶ一帯でも、ガナナ小隊の宿舎は外れにあった。
進むにつれ、人通りも少なくなっていく。
そして。
「……」
ラウルが周囲へ視線を向けた。
道端に何人かの兵士がいる。
だが、その姿はこれまで見てきた王国軍の兵士とは明らかに違っていた。
地べたに座り込み、壁にもたれている者。
昼間だというのに酒瓶を手にしている者。
軍服をだらしなく着崩している者。
ラウルたちが通っても、まともに姿勢を正そうとする者すらいない。
そのうちの一人が酒瓶を傾けながら二人を見た。
「新入りか?」
声を掛けるでもなく、それだけ呟いて笑う。
コルティオの表情が引きつった。
「……やっぱり噂、本当だったんすかね」
小さな声だった。
「まだ分からない」
「そうっすけど……」
二人はそのまま宿舎へ向かった。
やがて見えてきた建物も、どこか異様だった。
手入れされているとは言い難い外壁。
入口の脇には空になった酒瓶が転がっている。
軍の宿舎というより、荒れた安宿に近い。
「……帰りたいっす」
「まだ入ってもないだろ」
「入る前からこれなんすよ」
ラウルは肩をすくめ、そのまま扉を開けた。
◇ ◇ ◇
宿舎へ入ると、一人の兵士が二人に気づいた。
他の兵士よりも身なりは整っている。
男は二人を上から下まで見る。
「お前ら、新人か?」
「はい」
ラウルが答える。
「本日付でガナナ小隊へ配属になりました。ラウル・ローウェンです」
「コルティオ・シルフォードっす」
「そうか」
男は二人の荷物を見る。
「小隊長のところまで案内する。ついてこい」
「はい」
二人は男の後を歩き始めた。
宿舎の中も、外から受けた印象と大して変わらない。
廊下には物が無造作に置かれ、ところどころ壁も汚れている。
何人かの兵士とすれ違ったが、新兵である二人へ興味を示す者はほとんどいなかった。
その途中だった。
前から一人の老兵が歩いてくる。
くたびれた軍服。
伸びた髭。
ラウルたちの横を通り過ぎる、その瞬間。
「……ガナナには気をつけな」
掠れた声が聞こえた。
コルティオが振り返る。
「え?」
だが、老兵はそのまま歩いていく。
案内役の兵士も気づいていないのか、足を止めなかった。
「ラウル」
「ああ」
「今……」
「聞こえた」
二人は一度だけ顔を見合わせた。
「おい、遅れるな」
「はい」
前から声が飛び、二人は再び歩き始めた。
やがて、一室の前で男が立ち止まる。
「入れ」
扉が開かれた。
部屋の奥。
大きな椅子に、一人の男が座っていた。
黒髪。
無精髭。
そして何より目につくのは、その巨体だった。
座っていても分かるほど身体が大きい。
男は椅子へ深く腰掛け、入ってきた二人を値踏みするように見ている。
その左右には二人の男が立っていた。
一人は長身。
もう一人は対照的に、細身でか細い印象を受ける男だった。
そして部屋には、すでに二人の新兵が立っていた。
ラウルとコルティオがその隣へ並ぶ。
長身の男が口を開いた。
「揃ったようです」
「ああ」
椅子に座った男が低い声を出した。
ボートン・ガナナ。
ガナナ小隊の小隊長。
ガナナは四人を順番に見ていく。
「おめぇらが今年の新兵か」
誰も答えない。
ガナナの視線が一人ずつを舐めるように動く。
「先に一つだけ教えといてやる」
巨体を僅かに前へ傾ける。
「ここじゃあ儂に絶対服従だ」
部屋の空気が重くなった。
「儂が走れと言えば走れ」
「止まれと言えば止まれ」
「余計なことは考えるな」
ガナナが鼻を鳴らす。
「分かったな?」
四人が姿勢を正した。
「はい!」
敬礼する。
ガナナはそれを見ると、興味を失ったように背もたれへ身体を預けた。
「連れてけ」
細身の男が前へ出る。
「お前たちの部屋へ案内する。来い」
四人は男に続き、部屋を出た。
◇ ◇ ◇
案内されたのは、四人で使う一室だった。
簡素な寝台と、それぞれの荷物を置く程度の空間しかない。
「荷物を置け」
細身の男が言う。
「今日から訓練を始める」
四人の表情が僅かに引き締まった。
「準備をして、三十分後に宿舎前へ集合」
「遅れるな」
「はい!」
それだけ告げると、男は部屋から出ていった。
扉が閉まる。
四人はしばらく無言で顔を見合わせた。
「……なんか」
コルティオが口を開く。
「すごいところに来た気がするっすね」
誰も否定しなかった。
「とりあえず準備するぞ」
ラウルが荷物を置く。
他の三人もそれに続いた。
着替えや装備を整えている途中、コルティオがふと手を止める。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったっすね」
向かいにいる二人を見る。
「俺、コルティオ・シルフォードっす。軍学校出身で、今年二十っす」
コルティオが笑う。
「これから同じ部屋みたいなんで、よろしくっす」
少し間があった。
先に口を開いたのは、落ち着いた雰囲気の青年だった。
「カエサル・サウス。二十歳だ」
短い。
「俺も軍学校を出ている」
「お、同じっすね」
「ああ」
それだけ言うと、カエサルは再び準備へ戻った。
「寡黙っすね……」
「聞こえてるぞ」
「あ、すみません」
もう一人の青年が笑った。
少しふっくらとした体格。
柔らかい笑顔が印象的だった。
「俺はジェフ・ハーマン。二十二歳」
「よろしくっす」
「よろしく。実家は農家でさ。次男だから、兄貴に家を任せて軍に来たんだ」
「農家っすか」
「ああ。剣より鍬を持ってた時間の方が長いけどな」
ジェフが笑う。
その笑顔につられ、コルティオも笑った。
「ラウル・ローウェン。二十歳だ」
最後にラウルも名乗る。
「俺も軍学校を出ている」
「じゃあ三人も軍学校出身なのか」
ジェフが感心したように言う。
「俺だけ場違いだったりしないよな?」
「関係ないだろ」
ラウルが答える。
「同じ新兵だ」
ジェフは一瞬目を丸くした後、笑った。
「そうだな」
準備を進めているうちに、集合時間が近づいてきた。
「そろそろ行くぞ」
ラウルが立ち上がる。
四人が部屋を出ようとする。
最後尾のコルティオが三人へ声を掛けた。
「みんな、これからよろしくっす」
カエサルが小さく頷く。
「ああ」
「よろしくな」
ジェフも笑う。
ラウルも振り返った。
「ああ」
四人は揃って宿舎前へ向かった。
◇ ◇ ◇
そして。
その日から始まったものを、ラウルたちはすぐに訓練とは呼べなくなった。
「走れ!」
怒号が響く。
四人だけが、宿舎の周囲を走っていた。
一周。
二周。
何周走ったのか。
途中から数える余裕もなくなった。
「はっ……はっ……」
ジェフの息が乱れている。
コルティオも顔を真っ赤にしていた。
「まだ……走るんすか……」
「口を動かす暇があったら足を動かせ!」
長身の男が怒鳴る。
その手には酒瓶が握られていた。
自分は椅子に腰掛け、酒を飲みながら四人を眺めている。
まともな指導はない。
走れ。
止まるな。
それだけだった。
休憩らしい休憩も与えられない。
「もう……無理……」
ジェフが膝から崩れ落ちた。
「立て!」
返事をする間もなく、水を浴びせられる。
「っ……!」
「立って走れ!」
ジェフが歯を食いしばり、立ち上がる。
少しして、今度はコルティオが倒れ込んだ。
「コルティオ」
ラウルが足を止めかける。
「止まるな!」
怒声が飛ぶ。
コルティオにも水が浴びせられた。
「冷たっ……!」
「走れ!」
「……はいっす」
ふらつきながら立ち上がる。
ラウルは前を向いた。
何のための訓練なのか。
どこを鍛えようとしているのか。
軍学校でも、新兵訓練でも、訓練には必ず目的があった。
だが、これは違う。
ただ新兵が苦しむ姿を見ているだけにしか思えなかった。
それでも四人は走った。
日が傾いても。
身体が動かなくなるまで。
◇ ◇ ◇
その夜。
部屋に戻った四人に、会話をする余力は残っていなかった。
ジェフが寝台へ倒れ込む。
コルティオもそのまま横になる。
カエサルは靴を脱ぐことすら億劫そうだった。
ラウルも寝台へ腰を下ろす。
「……」
何かを話そうと思った。
だが、身体が重い。
結局、誰も口を開かなかった。
四人は気絶するように眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「遅い!」
今度は基礎訓練だった。
構え。
踏み込み。
腕立て。
腹筋。
剣を持っての反復動作。
だが、やはりまともな指導とは呼べなかった。
「止まるな!」
身体が限界を迎え、僅かに動きを止めた瞬間。
細身の男の足が飛んできた。
「ぐっ!」
蹴られた新兵が地面を転がる。
「立て!」
ラウルも動きを止めた瞬間、身体を蹴り飛ばされた。
地面へ倒れ、頬を擦る。
焼けるような痛み。
指で触れると、薄く血がついた。
「何寝てんだ!」
ラウルは男を見る。
一瞬。
目が細くなる。
「……」
「なんだ、その目は?」
ラウルは立ち上がった。
「いえ」
再び構える。
「続けます」
その日が終わる頃には、四人とも身体のあちこちに傷を作っていた。
◇ ◇ ◇
夜。
ラウルが宿舎の廊下を歩いていると、後ろから足音が聞こえた。
「ラウル……」
振り返る。
コルティオだった。
普段の軽い表情はない。
「どうした?」
「俺……」
コルティオが今にも泣きそうな顔をする。
「このままじゃ死ぬっす……」
「大袈裟だ」
「大袈裟じゃないっすよ!」
声を上げかけ、慌てて小さくする。
「新兵訓練が天国に思えるっす」
「それはない」
「いや、本当にそうっす!」
ラウルは小さく息を吐いた。
「まだ二日だ」
「二日でこれなんすよ!?」
「分かってる」
「絶対やばいっすよ、ここ……」
コルティオが廊下の奥を気にしながら言う。
「配属前に聞いてたよりひどいっす」
「ああ」
「ラウルもそう思うっすよね?」
少し間が空く。
「普通ではないな」
「でしょ!?」
「声」
「あ……」
コルティオが口を押さえる。
ラウルはその様子を見て、僅かに肩をすくめた。
「今は休め」
「でも……」
「明日もある」
「それが一番嫌なんすけど……」
「寝ろ」
「……はいっす」
コルティオは肩を落としながら部屋へ戻っていった。
ラウルは一人、廊下に残る。
配属初日に聞いた老兵の言葉が蘇る。
――ガナナには気をつけな。
その意味を、少しずつ理解し始めていた。
◇ ◇ ◇
三週間ほどが過ぎた。
状況はほとんど変わらなかった。
走る。
倒れる。
怒鳴られる。
動きが鈍れば蹴られる。
また立たされる。
何のために行っているのか分からない訓練が、毎日のように続いた。
四人の身体から、目に見えて力が失われていく。
コルティオの口数も減った。
ジェフの柔らかかった笑顔も、ほとんど見なくなった。
カエサルは相変わらず多くを語らなかったが、その顔には疲労が滲んでいる。
そしてラウルも、身体の至るところに傷を作っていた。
その日の訓練も、いつもと変わらなかった。
「遅ぇぞ!」
長身の男が怒鳴る。
「何回言わせんだ!」
ジェフが肩で息をする。
「……」
「聞いてんのか!」
男がジェフへ近づいた。
「返事しろ!」
「……はい」
「声が小せぇ!」
ジェフの肩が震えた。
男がさらに何かを言おうとした、その瞬間。
ジェフが顔を上げた。
「……っ!」
拳を握る。
一歩踏み出した。
「ジェフ!」
ラウルが腕を掴んだ。
「離せ!」
「やめろ」
「もう我慢できねぇ!」
ジェフが腕を振りほどこうとする。
「離せよ!」
「やめろ」
ラウルは力を込める。
「なんで止めるんだよ!」
ジェフの目には怒りが浮かんでいた。
「毎日毎日こんなことされて! これのどこが訓練なんだよ!」
「分かってる」
「だったら――」
「今はやめろ」
ラウルは低い声で言った。
ジェフが睨み返す。
ラウルは手を離さない。
「頼む」
短い言葉だった。
ジェフの拳が震える。
しばらくして。
「……くそっ」
拳が下がった。
ラウルはゆっくり手を離す。
長身の男は離れた場所で酒瓶を傾けていた。
こちらの様子には気づいていない。
ラウルは小さく息を吐いた。
ジェフには言わなかった。
だが、この三週間。
コルティオは宿舎の兵士たちから少しずつ話を聞いていた。
ガナナ小隊へ配属された新兵。
長く耐えられず軍を去った者。
心を病んだ者。
そして――自ら命を絶った者もいる。
どこまでが事実なのか。
今のラウルたちには確かめようがない。
だが、この三週間を経験した今なら。
ただの噂だと笑い飛ばすこともできなかった。
ここで上官へ手を出せばどうなるか。
少なくとも、ジェフの状況が良くなることはない。
ラウルはそう判断していた。
「走れ!」
怒声が飛ぶ。
四人は再び走り始めた。
◇ ◇ ◇
そして。
ガナナ小隊へ配属されてから、およそ一ヶ月。
その日も四人はいつもの訓練を終え、疲れ切った身体で宿舎へ戻ろうとしていた。
そこへ一人の兵士が駆けてくる。
「集合だ!」
何人かの小隊員が顔を上げる。
「任務が下りた!」
その言葉に、ラウルも足を止めた。
配属されてから初めてだった。
訓練ではない。
王国軍の兵士として受ける、実際の任務。
コルティオがラウルを見る。
「任務……っすか」
「ああ」
ラウルは兵士の方へ視線を向けた。
やがて、小隊員たちへ任務の内容が伝えられる。
山賊討伐。
それが、ラウルたちに与えられた最初の任務だった。




