第四話 新兵訓練
翌朝。
ラウルたち新兵は荷物を持ち、指定された軍兵舎へ向かった。
昨日まで泊まっていた宿とは違う。
今日からここが、王国軍の新兵として生活する場所になる。
兵舎へ到着すると、二千人の新兵はそれぞれ指定された場所へ案内されていった。
訓練は全員で行うわけではない。
およそ四十人ずつの班に分けられ、それぞれに訓練監督官がつく。
幸いなことに、ラウル、ナタリア、コルティオは同じ班だった。
「三人一緒だったわね」
ナタリアが嬉しそうに言う。
「少なくとも訓練中は一緒っすね」
「そうだな」
ラウルは周囲を見渡した。
同じ班になった新兵たちも、それぞれ近くの人間と言葉を交わしている。
これから一ヶ月。
この四十人で訓練を受けることになる。
やがて前方に立った訓練監督官が声を張り上げた。
「整列!」
空気が一変した。
新兵たちが慌てて列を作る。
「今日から一ヶ月、お前たちには王国軍の兵士として必要な訓練を受けてもらう!」
監督官が四十人を見渡した。
「軍学校を出ていようが関係ない! ここでは全員が新兵だ!」
ラウルは黙ってその言葉を聞いていた。
「覚悟しておけ!」
こうして。
三人の新兵訓練が始まった。
◇ ◇ ◇
訓練は、想像していた以上に厳しかった。
朝から始まる走り込み。
基礎体力を鍛えるための反復訓練。
武器を持ったまま、何度も同じ動作を繰り返す。
それが終われば軍学。
王国軍の規律、部隊編制、命令系統。
戦場で必要となる基礎的な知識を叩き込まれる。
そして行動訓練。
「遅い! もう一度!」
監督官の怒声が飛ぶ。
疲労した状態で隊列を組み、指示に従って動く。
一人が遅れれば全員がやり直し。
一人が命令を聞き逃せば、また最初から。
「きつ……」
訓練を終えたコルティオが、その場へ座り込む。
「まだ初日よ」
ナタリアも息を切らしていた。
「それ今言う必要あるっすか……?」
「事実でしょ」
「聞きたくなかったっす……」
ラウルも額の汗を拭う。
軍学校でも訓練は受けてきた。
だが、ここでは求められているものが違う。
個人の技量だけではない。
どれだけ疲れていても命令を聞き、周囲と同じように動くことを徹底して求められる。
新兵を兵士へ変える。
そのための訓練だった。
◇ ◇ ◇
数日後。
三人は朝食を終え、訓練場へ向かっていた。
「ねえ、聞いた?」
ナタリアが声を潜める。
「なんすか?」
「他の班、もう脱退した人がいるらしいよ」
「もうっすか?」
「昨日だけでも何人か出たって」
コルティオの足が止まりかける。
「……脱退」
「なによ、その顔」
「いや……別に」
「まさか羨ましいとか思ってないでしょうね?」
「思ってないっすよ」
返事が早い。
ナタリアがじっと見つめる。
「本当に?」
「……ちょっとだけ」
「やっぱり」
「だってきつすぎるっすよ!」
コルティオが声を落としながら訴える。
「毎朝走って、昼まで訓練して、軍学やって、また走って……寝たと思ったら朝っすよ!」
「みんな同じだ」
ラウルが言う。
「分かってるっすけど……」
「なら行くぞ」
「ラウルは平気そうなのが腹立つっすね」
「平気とは言ってない」
「じゃあ疲れてるんすか?」
「疲れてる」
「全然見えないっすよ」
ナタリアが笑う。
「ほら、遅れるわよ」
三人は再び訓練場へ向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇
さらに数日が過ぎた。
その日は山道を使った行軍訓練が行われていた。
装備を持ったまま、決められた経路を進み、時間内に最終地点へ到達する。
道は平坦ではない。
大小の石が転がり、ところどころ木の根が地面から飛び出している。
「足元を見ろ! 隊列を崩すな!」
前方から監督官の声が飛ぶ。
新兵たちは疲労を滲ませながらも歩き続ける。
ラウルも一定の速度を保っていた。
その時。
「っ……!」
後ろから小さな声が聞こえた。
振り返る。
同じ班の新兵が地面へ膝をついていた。
周囲の者たちは一瞬そちらを見る。
だが、列は止まらない。
ラウルは足を止めた。
「どうした?」
「足を……」
新兵が顔を歪めながら足首を押さえている。
立ち上がろうとするが、すぐに再び膝をついた。
「無理だな」
ラウルが周囲を見る。
「ナタリア」
「うん」
呼ばれたナタリアがすぐに列を離れ、負傷した新兵のそばへしゃがみ込む。
「見せて」
足の状態を確認する。
「腫れてきてる。このまま歩かせるのは無理だと思う」
「応急処置を頼む」
「分かった」
ラウルは前方を見る。
班との距離が少しずつ開いている。
「コルティオ」
「はいっす」
「肩を貸してくれ」
コルティオが負傷した新兵の反対側へ回る。
ナタリアが応急処置を終える。
「これで少しは大丈夫。でも、足はつかせない方がいい」
「分かった」
ラウルとコルティオが両側から新兵を支える。
「行くぞ」
「悪い……」
「喋る余裕があるなら足に気をつけろ」
ラウルはそう言って歩き始めた。
当然、速度は落ちる。
前を進んでいた班の姿は次第に遠ざかっていった。
「結構重いっすね……」
「聞こえてるぞ」
「いや、そういう意味じゃないっす!」
「コルティオ」
「はいはい、歩くっすよ」
ナタリアが後ろから三人の様子を確認しながらついていく。
時間はかかった。
それでも三人は負傷した新兵を置いていくことなく、最終地点まで運んだ。
◇ ◇ ◇
到着した時には、他の班員たちはすでに整列していた。
訓練監督官が四人を見る。
「遅い!」
「申し訳ありません」
ラウルが答える。
監督官は負傷した新兵へ目を向けた。
足に施された応急処置。
両側から支えていたラウルとコルティオ。
その後ろに立つナタリア。
「理由は?」
「行軍中に負傷して動けなくなっていました」
「それで?」
「ナタリアに応急処置をさせ、俺とコルティオでここまで運びました」
「誰がそんな命令を出した?」
ラウルは黙る。
「答えろ!」
「誰からも受けていません」
「なら勝手な判断だな」
「……はい」
監督官の表情は厳しかった。
「よく聞け」
四人だけではない。
班全員へ聞かせるように声を張る。
「訓練についていけない者は、それまでだ」
負傷した新兵が俯く。
「お前たちは軍人になる」
「軍では命令に従え」
ラウルは監督官を真っ直ぐ見る。
「一人を助けるために勝手な行動を取ればどうなる?」
「……」
「お前たちまで遅れた」
監督官の声が強くなる。
「これが戦場なら、その遅れで別の者が死ぬかもしれない」
「一人を助けようとして、さらに多くの被害を出すこともある」
ラウルは僅かに眉を寄せた。
置いていけばよかった。
そう言われているように聞こえる。
それを素直に受け入れることはできなかった。
だが。
命令を無視したのも事実だった。
ラウルは姿勢を正す。
敬礼する。
「失礼しました」
隣でコルティオも敬礼した。
「失礼しました」
ナタリアもそれに続く。
「失礼しました」
監督官は三人をしばらく見つめた。
「列に戻れ」
「はい」
三人は負傷者を引き渡し、列へ戻った。
監督官はその背中を見つめる。
命令遵守という点では、見過ごすことはできない。
勝手な判断が部隊全体を危険に晒す。
だからこそ、厳しく咎めた。
だが――。
負傷者を発見して即座に状況を確認した。
応急処置ができる者へ指示を出し、運べる者を選び、自らも肩を貸した。
迷っている時間はほとんどなかった。
仲間を見捨てず、必要な人間へ的確に指示を出し、自分も行動する。
監督官は列へ戻ったラウルを一度だけ見た。
何も言わず、次の指示を出した。
◇ ◇ ◇
それからも訓練は続いた。
一日。
また一日。
脱退する新兵は増えていった。
それでもラウルたちの班から脱退者が出ることはなかった。
そして――。
一ヶ月の新兵訓練、その最後の夜。
三人は宿舎の一室で身体を休めていた。
「終わった……」
コルティオがベッドへ倒れ込む。
「終わったっす……!」
両手を広げ、天井を見上げる。
「生き残ったっすよ、俺」
「大袈裟ね」
ナタリアが笑う。
「何度も限界って言ってたくせに」
「本当に限界だったんすよ」
「毎回次の日には訓練に来てたじゃない」
「来ないと脱退になるじゃないっすか」
「じゃあ余裕だったのね」
「どうしてそうなるんすか!」
二人のやり取りを聞きながら、ラウルは肩を回した。
「思った以上にきつい訓練だったな」
コルティオが勢いよく身体を起こす。
「ほら! ラウルだってそう言ってるっす!」
「お前ほど騒いではない」
「味方じゃなかったっす……」
ナタリアが笑った。
少しの間、部屋に穏やかな空気が流れる。
やがてナタリアが口を開いた。
「でも、明日は配属先が決まるのね」
コルティオの表情が変わった。
「そうなんすよね……」
「なによ、その顔」
「配属先で運命が決まると言っても過言じゃないっすよ」
「どういうこと?」
「基本的に新兵は各小隊に振り分けられるっす」
コルティオが身体を起こして座り直す。
「当然、小隊によって隊長も違えば雰囲気も違う。人気のある小隊もあれば、良い話を聞かない小隊もあるっす」
「例えば?」
ナタリアが聞く。
コルティオは少し考えた。
「……ガナナ小隊」
「ガナナ?」
「そうっす。ガナナ小隊は、かなりやばいらしいっすよ」
「やばいって?」
「そこまでは詳しく知らないっすけど、とにかく良い噂を聞かないんすよね」
「ガナナ小隊ね」
ラウルが呟く。
だが、特に興味を示す様子はなかった。
「覚えておいた方がいいっすよ!」
「小隊は他にもあるんだろ」
「ありますけど」
ナタリアも頷く。
「それなら、そんなに心配しなくてもいいんじゃない? 小隊はたくさんあるんでしょ?」
「まあ……そうっすけど」
コルティオは不安そうな顔をする。
「そうだといいっすけどね……」
◇ ◇ ◇
翌朝。
新兵たちは一ヶ月を共にした班ごとに集められていた。
四十人ほどの新兵が整列する。
その前には、この一ヶ月を担当した訓練監督官が立っていた。
監督官は全員の顔を見渡す。
「よく一ヶ月もの間、この訓練を耐え切った」
誰も口を開かない。
「今年の新兵訓練で、脱退者が一人も出なかった班は三つだけだ」
僅かにざわめきが起こる。
「お前たちは、そのうちの一班だ」
コルティオが小さく目を見開いた。
「我が国は、今も数多くの問題を抱えている」
「その中で国を守る、立派な兵士を育てるために厳しく指導してきた」
監督官は新兵たちを見渡した。
「お前たちはそれを乗り越えた」
これまで怒声ばかり浴びせてきた男の声が、今日は僅かに違って聞こえた。
「これより、それぞれの配属先を伝える」
「各小隊での健闘を祈る」
新兵たちの表情が引き締まる。
辞令が読み上げられていった。
一人。
また一人。
名前と配属先となる小隊が告げられる。
呼ばれた者たちは返事をし、それぞれの辞令を受け取っていく。
そして。
「ナタリア・レイナード」
「はい!」
「ルミエル小隊」
ナタリアが僅かに目を見開いた。
返事をして前へ進み、辞令を受け取る。
その後も別の新兵の名前が続いていく。
ラウルは黙って自分の番を待っていた。
「ラウル・ローウェン」
「はい」
「ガナナ小隊」
昨日聞いた名前だった。
ラウルの表情はほとんど変わらない。
「はい」
前へ進み、辞令を受け取る。
列へ戻る。
また何人かの新兵が呼ばれた。
そして――。
「コルティオ・シルフォード」
「はいっす!」
「ガナナ小隊」
一瞬。
コルティオが固まった。
「……」
昨日、自分の口から出した名前。
良い噂を聞かない小隊。
「返事!」
「は、はいっす!」
慌てて前へ出る。
辞令を受け取り、列へ戻ったコルティオの顔からは血の気が引いていた。
そして。
ゆっくりと横を向く。
その視線の先には、同じ辞令を受け取ったラウルがいた。
顔面蒼白のコルティオと目が合う。
ラウルは何も言わなかった。
ただ、手元の辞令へ視線を落とす。
そこには確かに書かれていた。
――ガナナ小隊。
一ヶ月に及ぶ新兵訓練が終わった。
そして三人は、それぞれの配属先へ進むことになった。




