第五十五話 信じた先に
アルメリア歴174年4月16日。
民兵たちが暴動を起こしてから、公爵軍は後退を余儀なくされていた。
一度に大きく退いたわけではない。
少しずつ。
少しずつ後方へ兵を下げながら、追ってくるエンデヴァー軍を食い止める。
森の中には伏兵を忍ばせた。
エンデヴァー軍が深く入り込めば襲撃し、その進軍を止める。
正面では傭兵団を使い、必要な場所だけ民兵を前へ出す。
そうして公爵軍は、何とか戦線を維持していた。
だが。
ライオには分かっていた。
これは立て直したのではない。
崩れる速度を遅らせているだけだ。
「……中々、立て直せんな」
指揮場から戦場を眺めながら、ライオは呟いた。
単純な数だけを見れば。
民兵が減った。
それだけとも言える。
まだ騎士団は残っている。
傭兵団もいる。
クラウス率いるドルドウィン旅団も合流した。
戦える兵がいなくなったわけではない。
それなのに。
軍全体の動きは、暴動以前とは比べものにならないほど悪くなっていた。
民兵へ命令を出しても、以前のようには動かない。
命令に従っている者でさえ、どこか怯えている。
クラウス旅団によって仲間たちが斬り殺された光景を見ているのだ。
当然だった。
さらに。
騎士団の一部を、民兵の監視に回さなければならなくなった。
本来ならば必要のない配置。
敵と戦うための兵を。
味方を見張るために使っている。
(これでは……)
ライオは眉を寄せた。
戦力が減った以上に。
軍としての力が落ちている。
そして。
もう一つ。
ライオには気になることがあった。
暴動の後。
生き残った民兵たちから、何があったのかを聞いている。
最初は。
傭兵団の中に、自分たちの村を襲った者がいる。
そんな話だった。
だが。
何人もの話を聞いていくうちに、奇妙な共通点が出てきた。
「あの男が言った」
「後ろを見ろと言われた」
「あいつらに見覚えはないかと聞かれた」
誰かが。
民兵たちの視線を傭兵団へ向けている。
それだけではない。
公爵への疑いを口にし。
周囲の者たちにも、それを広げていた。
問題は――。
その男が誰なのか。
誰も知らなかったことだった。
(あり得ん)
民兵はいわば領民だ。
近隣の村や町から集められている。
全員が顔見知りというわけではない。
それでも。
誰に聞いても知らない。
どこの村の者なのかも分からない。
いつから軍にいたのかさえ分からない。
そんな男が。
民兵たちの中に紛れ込んでいた。
(何者だ)
エンデヴァー軍が送り込んだ間者。
一度はそう考えた。
だが。
どうにも腑に落ちない。
今回の混乱を仕組んだのがエンデヴァー軍ならば。
なぜ暴動が起きた瞬間に攻勢を仕掛けなかった。
公爵軍が最も混乱していた瞬間を利用できたはずだ。
(エンデヴァー軍の謀略とは思えん)
ならば。
誰が。
何のために。
「騎士団長」
声がした。
ライオが振り向く。
「……クラウス様」
クラウスが指揮場へ入ってきた。
「準備が整った」
ライオの思考が切り替わる。
クラウスは戦場へ視線を向けた。
「予定通り、この後、森に火を放つ」
「はい」
「煙と炎で奴らの進路を塞ぐ。その間に我々は移動する」
クラウスが森の左側を指差した。
「敵がこちらを見失ったところで側面へ回り、攻撃を仕掛ける」
ライオは頷く。
「よろしくお願いします」
そして続けた。
「クラウス様の側面攻撃を確認でき次第、こちらも動きます」
「民兵を使うのか?」
「はい」
ライオは答えた。
「民兵と傭兵団を正面から突撃させます」
クラウスが僅かに笑った。
「まだ使えると思っているのか?」
「……使うしかありません」
ライオはそう答える。
ここで戦力を温存している余裕はない。
クラウスが側面を突く。
それに合わせて正面からも攻める。
エンデヴァー軍の陣形を崩せれば。
「上手くいけば――」
クラウスが言った。
「情勢はまたひっくり返るだろうな」
その表情には笑みが浮かんでいた。
「では、行ってくる」
「お願いします」
クラウスが指揮場を出ていく。
ライオはその背中を見送った。
そして。
誰にも聞こえない声で呟いた。
「……上手くいけば良いが」
◇ ◇ ◇
しばらくして。
森から煙が上がった。
最初は小さかった。
だが。
火はすぐに木々へ燃え移った。
乾いた枝が燃え。
地面に積もった枯葉へ広がる。
炎が森の一角を覆っていく。
「火だ!」
「下がれ!」
エンデヴァー軍の兵士たちが足を止めた。
公爵軍を追って進んでいた兵士たちの前を。
炎と煙が塞いでいく。
「くそっ!」
マティアスが顔を腕で覆った。
煙が流れてくる。
「中々消えないなぁ!」
「前も見えない!」
隣にいたユリウスが叫んだ。
煙の向こう。
先ほどまで見えていた公爵軍の姿が消えている。
「全員警戒しろ!」
ユリウスが兵士たちへ振り返る。
「敵軍を見失った! 警戒を怠るな!」
兵士たちが武器を構える。
その後方。
クジルも煙に覆われた森を見つめていた。
(来るな)
ただ逃げるために火を放ったとは思えない。
こちらの進路を塞ぎ。
視界を奪った。
ならば。
(これで身を隠して、どこかから奇襲するつもりだ)
クジルは現在の配置を確認する。
正面。
ユリウス。
マティアス。
右側にはレイモンドとアルト。
左側にはオスヴァルト。
既に警戒態勢は取らせている。
「配置を崩すな!」
クジルが指示を飛ばす。
兵士たちが各方向へ伝えていく。
(どう来る、公爵軍)
ここ数日。
戦況はこちらへ傾いている。
敵は後退を続け。
こちらは前へ進んでいる。
兵士たちの戦意も高い。
昨日までとは違う。
勝てる。
そう感じ始めている兵士も多いだろう。
だからこそ。
ここで崩されるわけにはいかない。
(このまま優位に進めたいものだが――)
その時。
「報告!」
兵士が走ってくる。
「左側面から敵襲!」
「来たか!」
クジルはすぐに左を見る。
煙の外側。
オスヴァルトが率いるヴァルグ旅団の方向で戦闘が始まっている。
クラウス率いるドルドウィン旅団。
森へ火を放った後。
その裏を回り込んで左側面へ現れた。
だが。
「オスヴァルトは?」
「対応しています!」
クジルも目を凝らす。
戦列は崩れていない。
オスヴァルトは奇襲に反応し、すぐに兵を動かしているようだった。
「よし!」
クジルが声を張る。
「このまま陣形を維持!」
そして前方を見る。
「正面はまだ通れないのか!?」
「確認します!」
兵士が走っていく。
◇ ◇ ◇
正面。
火はまだ残っていた。
「急げ!」
ユリウスが叫ぶ。
「消火を急げ!」
兵士たちがスコップを手に取る。
「土をかけろ!」
燃えている地面へ土をかける。
炎が弱まる。
別の場所でも。
兵士たちが必死に土を運んでいた。
額から汗が流れる。
火の熱。
煙。
土埃。
それでも手を止めない。
敵を追うには。
まず通れる場所を作らなければならない。
「もう少しだ!」
マティアスが煙の向こうを見る。
火が弱くなっている場所がある。
「ここなら――」
その時だった。
煙が揺れた。
「……ん?」
マティアスが目を細める。
何かがいる。
一つ。
二つ。
影が増えていく。
そして。
弱まった炎の隙間から。
人影が飛び出した。
「敵だ!」
マティアスが叫ぶ。
「作業してる奴は下がれ!」
スコップを持っていた兵士たちが慌てて後退する。
煙の中から現れたのは傭兵団だった。
「来やがった!」
ユリウスが剣を抜く。
敵の数を見る。
多くない。
「数は少ない!」
ユリウスが前へ出た。
「かかれぇ!」
「おおおお!」
兵士たちが一斉に武器を構える。
傭兵団とエンデヴァー軍が激突した。
剣がぶつかる。
槍が交差する。
ユリウスが敵の剣を弾いた。
「マティアス!」
「分かってる!」
横からマティアスが入り込む。
敵兵が反応する。
だが。
遅い。
二人は互いの動きを補うように戦った。
ユリウスが正面から押さえ。
マティアスが隙を突く。
逆にマティアスが狙われれば。
ユリウスが敵を止める。
傭兵団の勢いが止まった。
「押し返せ!」
ユリウスが叫ぶ。
だが。
その時だった。
一人の傭兵が。
突然、後ろを見た。
「……?」
その顔色が変わる。
そして。
戦列から離れた。
「おい!」
別の傭兵が叫ぶ。
だが。
男は止まらない。
そのまま後方へ走っていく。
一人だけではなかった。
別の場所でも。
傭兵が後ろを確認する。
そして。
逃げる。
「なんだ?」
マティアスが困惑する。
こちらが崩したわけではない。
激しく攻め立てたわけでもない。
まだ戦える。
それなのに。
一人。
また一人。
傭兵たちが戦場から離れ始める。
「おいおい……」
マティアスが剣を構えたまま呟く。
「なんで逃げてんだ?」
ユリウスにも分からない。
「罠か?」
二人は追わなかった。
何が起きているのか分からない以上。
不用意に前へ出るわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
クジルも異変に気づいていた。
正面へ投入された傭兵団。
その一部が突然崩れ始めている。
(何だ?)
こちらが大きく押したわけではない。
左側面ではクラウスの旅団が戦っている。
正面の傭兵が逃げる理由がない。
(揺動か?)
わざと逃げている。
そう考える。
こちらを誘い込むためか。
それとも――。
「エンデヴァー大将!」
兵士の声が響いた。
クジルが振り向く。
「何だ!」
兵士は。
前ではなく。
後ろを見ていた。
目を見開いている。
「う……」
声が震える。
「後ろを!」
「後ろ?」
クジルの表情が変わった。
(まさか)
逃げた傭兵は揺動。
こちらの注意を前へ向け。
その間に。
(後方から奇襲か!?)
クジルは勢いよく振り返った。
剣へ手をかける。
後方。
遠く。
霞む景色の中。
何かが見える。
人影。
一つではない。
大勢いる。
軍勢だった。
「……」
クジルは目を凝らす。
風が吹いた。
煙が流れる。
その向こう。
一本の旗が見えた。
「……あれは」
王国軍旗。
クジルの手が剣から離れた。
「王国軍……?」
兵士たちも気づき始める。
「旗だ!」
「王国軍だ!」
「味方なのか!?」
声が広がっていく。
だが。
クジルはまだ動かなかった。
じっと。
その軍勢を見る。
王国軍旗の隣。
もう一本。
大きな旗が風に揺れている。
開く。
紋章が見えた。
その瞬間。
クジルの目が大きく開いた。
見間違えるはずがない。
何度も見てきた。
同じ王国軍を率いる。
一つの軍を示す旗。
シュトライザー軍旗。
「……」
クジルは。
しばらく何も言えなかった。
脳裏に。
数日前の夜が浮かんだ。
――王国軍を信じませんか?
アルトの声。
――必ず打ち倒してくれるはずです。
帝国軍に勝ったという報告はなかった。
援軍が来る保証もなかった。
それでも。
ここを守ると決めた。
ホーランスを。
ヴァレンを。
王国軍を信じると決めた。
そして今。
その旗が。
自分たちの後ろにある。
「……援軍」
クジルが呟く。
少しずつ。
その軍勢が近づいてくる。
王国軍旗が。
シュトライザー軍旗が。
風に大きく靡いていた。
クジルは信じられないものを見るように、その光景を見つめた。
そして。
小さく口を開いた。
「援軍……なのか?」




