第五十四話 瓦解
公爵軍の後方で、怒号が響き渡っていた。
「公爵様を出せ!」
「説明しろ!」
「俺たちは何のために戦ってるんだ!」
民兵たちは、もはや誰の命令にも従っていなかった。
前線とは逆方向へ流れ始めた人の群れは、止めようとする兵士たちを押し退け、公爵軍本陣へと迫っていく。
「止まれ!」
「武器を捨てろ!」
兵士たちが必死に制止する。
だが、その声に耳を貸す者はいない。
一人が走れば、その後ろから十人が続く。
十人が走れば、さらにその後ろから何十人もの民兵が続いた。
中には戦場から逃げ出す者もいる。
武器を捨て、その場に座り込む者もいる。
そして――。
本陣へ向かう者たちは、手に武器を握っていた。
昨日まで公爵のために戦っていた民兵たちが。
今は公爵軍へ刃を向けていた。
◇ ◇ ◇
「前線を下げるな!」
ライオは声を張り上げた。
「傭兵団をそのまま維持させろ! 敵を近づけるな!」
「はっ!」
前線では、先ほど送り込んだ傭兵団がエンデヴァー軍と対峙している。
そのさらに後方には騎士団が待機していた。
本来ならば。
この騎士団を使えば、迫ってくる民兵を力ずくで抑えることはできるかもしれない。
だが――。
ライオは決断できずにいた。
民兵たちは公爵軍の兵として、これまで共に戦ってきた者たちだ。
公爵に説明を求めている。
その者たちへ騎士団を差し向ければ。
もう後戻りはできない。
本当に。
味方同士で殺し合うことになる。
「騎士団長!」
兵士が駆け込んでくる。
「民兵が本陣へ向かっています!」
「分かっている!」
「止められません!」
「……っ!」
ライオが振り返る。
遠くからでも分かった。
人の群れがこちらへ向かってくる。
「公爵様を出せ!」
「話を聞け!」
怒鳴り声が近づいてくる。
兵士たちが壁を作って止めようとしているが、数が違いすぎる。
一部では既に斬り合いまで起きていた。
「騎士団長!」
再び判断を迫られる。
ライオは騎士団の方を見る。
動かすか。
騎士団を投入し、民兵を鎮圧するか。
だが。
その命令を出せば、多くの民兵が死ぬ。
それでも止めなければ、本陣まで呑み込まれる。
何より。
これほどの混乱をエンデヴァー軍に知られれば――。
前線まで一気に崩されかねない。
「……こんなところで」
ライオが呟いた。
迫ってくる民兵たちを見つめる。
「終わってしまうのか」
脳裏に、これまでのことが浮かんだ。
貴族軍が廃止されて以降。
ライオはダールトン・ドルドウィンに騎士として仕えてきた。
公爵の命令に従い。
必要ならば、自ら手を汚した。
正しいかどうかなど考えなかった。
自分の立場を守る。
公爵の下で上へ行く。
そのために必要なことをしてきた。
そして。
騎士団長まで上り詰めた。
それが今。
崩れようとしている。
「……運が尽きたか」
自嘲するように呟いた。
民兵たちは、もうすぐそこまで迫っている。
「公爵を出せ!」
「逃がすな!」
「俺たちに説明しろ!」
兵士たちが押される。
一人が倒された。
別の場所でも剣が振るわれる。
ライオは剣へ手をかけた。
もう。
騎士団を動かすしかない。
そう思った――。
その時だった。
「おおおおおおお!!」
右側から。
突然、大きな歓声が響いた。
「……何だ?」
ライオが振り向く。
兵士たちも。
民兵たちも。
一瞬、そちらを見る。
軍勢がいた。
こちらへ向かってくる。
その先頭。
ライオは男の姿を見つけた。
「……クラウス様?」
クラウス。
その後ろには、彼が率いる旅団が続いていた。
だが。
クラウスたちが向かっているのは前線ではない。
本陣へ迫る――。
民兵たちだった。
クラウスが剣を抜いた。
「歯向かう者は斬れ!」
次の瞬間。
クラウス旅団が民兵たちへ突撃した。
「なっ――」
民兵たちが反応するより早かった。
訓練された兵士たちが、一斉に民兵の集団へ襲いかかる。
「待て!」
「俺たちは――!」
言葉を最後まで言わせることすらなかった。
剣が振り下ろされる。
「ぐぁっ!」
民兵が倒れる。
隣にいた男が武器を構えた。
だが。
別の兵士が斬り伏せる。
「何しやがる!」
民兵たちも抵抗する。
しかし。
戦いにはならなかった。
数を頼りに戦ってきた民兵と。
統率された王国軍の旅団。
その差はあまりにも大きかった。
「やめろ!」
「逃げろ!」
「殺されるぞ!」
民兵の集団が崩れ始める。
それでも。
クラウスは止めなかった。
「前に出よ!」
剣を掲げる。
「歯向かうことは許さん!」
兵士たちがさらに前へ出る。
「死にたくなければ命令に従え!」
その声に。
民兵たちの動きが止まり始めた。
剣を落とす者。
膝をつく者。
逃げ出す者。
それでも抵抗しようとする者は――。
斬られた。
一人。
また一人。
倒れていく。
先ほどまで公爵へ説明を求めていた声は、もう聞こえない。
代わりに響くのは。
悲鳴。
命乞い。
逃げ惑う足音だけだった。
ライオは、その光景を黙って見ていた。
自分が決断できなかったことを。
クラウスは一切の迷いなく実行していた。
そして。
民兵たちが完全に抵抗を止める頃には。
その約半数が斬り殺されていた。
◇ ◇ ◇
その日の戦いで。
ドルドウィン公爵軍は大きく瓦解した。
民兵による暴動。
クラウス旅団による鎮圧。
多くの民兵が殺され。
混乱に乗じて戦場から逃げ出した者も少なくなかった。
残った民兵は――。
約千五百。
公爵軍を数で支えていた戦力は、一日で大きく失われた。
そして。
残った者たちも。
以前のように公爵のため、自ら進んで戦おうとはしなかった。
◇ ◇ ◇
「どうなっておる!?」
怒声が本陣に響いた。
ダールトン・ドルドウィンは、目の前に立つライオを睨みつけていた。
「申し訳ありません」
ライオは頭を下げる。
ダールトンの手には、飲み物の入ったカップが握られていた。
「申し訳ないで済むと思っておるのか!」
次の瞬間。
ダールトンがカップを投げつけた。
ライオは避けなかった。
鈍い音。
カップが額に当たり、地面へ落ちる。
「……っ」
額が切れ。
血が頬を伝った。
それでもライオは頭を下げたままだった。
「申し訳ありません」
「何があった!」
ライオは顔を上げる。
「民兵が暴動を起こしました」
ダールトンの表情が険しくなる。
「クラウス様の助力により鎮圧しましたが……」
ライオは僅かに言葉を止めた。
「民兵の約半数を失いました」
「……」
「さらに逃走した者もおります。現在、残っている民兵は約千五百です」
ダールトンの顔が歪んだ。
「貴様……!」
机を強く叩く。
「この責任は重いぞ、騎士団長!」
「……はい」
「民兵の命など惜しくはない」
ライオは黙って聞いている。
「問題は――」
ダールトンがライオを睨みつけた。
「奴らが使い物にならなくなったことだ!」
「……」
「帝国軍が来るまで、エンデヴァー軍をここへ釘付けにしておく。そのために集めた兵であろう!」
「……申し訳ありません」
「それを一日で半数も失い、残った者まで怯えさせた!」
ダールトンは苛立たしげに机を叩く。
「これでどうやって戦線を維持するつもりだ!」
ライオは何も言い返せなかった。
ダールトンにとって。
死んだ民兵の命そのものは問題ではない。
自らの計画を支えていた戦力が。
一日で大きく失われた。
そのことに怒っていた。
「申し訳……ありません」
ライオは再び頭を下げた。
ダールトンは苛立たしげに息を吐く。
そして。
南の方角へ目を向けた。
「それに……」
ライオが僅かに顔を上げる。
「帝国軍も何をしているのだ」
ダールトンは南を睨んでいた。
「そろそろこちらに連絡を寄越しても良い頃だろうに」
帝国軍からは、まだ何の知らせもない。
ジルライト軍を破ったのか。
シュトライザー軍はどうなったのか。
いつこちらへ来るのか。
何も分からない。
ダールトンは苛立ちを隠そうともしなかった。
その前で。
ライオは黙って立っていた。
額から流れた血が頬を伝う。
民兵の暴動。
戦力の減少。
ダールトンの怒り。
そして。
騎士団長である自分の責任。
(次こそ)
拳を強く握る。
(次こそは……)
失敗は許されない。
これ以上。
ダールトンの期待を裏切れば。
自分がどうなるか分からない。
貴族軍の廃止から今日まで。
自ら手を汚してでも守ってきた地位。
ようやく辿り着いた騎士団長という立場。
それを。
こんなところで失うわけにはいかない。
(この汚名を雪がなくては)
ライオは顔を上げた。
(もう負けられない)
その思いだけが。
今のライオを支えていた。




