第四十六話 降り止む雨
ディオンは、自分がかなり不利な状況に追い込まれていることを理解していた。
(これはまずい)
だが、その焦りを顔にも態度にも出さない。
正面にはイドルフ・ベインライト。
右側にはバルム・カートリック。
そして、頼みの黒壁盾兵団はベインライト旅団の攻撃によって、すでに前線の大部分を崩されている。
ディオンは大剣を構え直した。
二人を同時に視界へ入れながら、ゆっくりと間合いを取る。
雨が顔を打つ。
足元には泥水が溜まり、踏み込むたびに泥が跳ねた。
イドルフが剣先をディオンへ向ける。
「逃がさねぇぞ」
そのまま距離を詰めてきた。
イドルフの剣が伸びる。
ディオンは身体をずらしてかわした。
すぐに大剣を横へ薙ぎ払おうとする。
だが。
右から槍が伸びてきた。
バルムだ。
ディオンは大剣の軌道を変え、槍を弾く。
その隙をイドルフが狙う。
「っ!」
ディオンが後ろへ下がった。
一対一ならば戦える。
だが、二人となれば話は違う。
イドルフが正面から距離を詰め、バルムが側面から槍を伸ばしてくる。
一方を攻撃しようとすれば、もう一方が入ってくる。
ディオンは防戦を強いられた。
イドルフが踏み込む。
剣を受ける。
バルムの槍が脇腹を狙う。
大剣を返して弾く。
「どうした!」
イドルフがさらに斬り込んでくる。
ディオンは受け流しながら距離を取る。
だが、そこへバルムが回り込む。
(厄介だな)
二人の攻撃にはほとんど間がない。
このまま受け続ければ、いずれ崩される。
その時だった。
「ルルベル様ぁ!」
豪雨の向こうから声がした。
ディオンが僅かに視線を動かす。
雨の中から、大剣を持った兵士たちが現れた。
黒鋼巨剣隊。
ディオンの危機に気づき、前線を抜けて駆けつけてきたのだ。
「ルルベル様を援護しろ!」
黒鋼巨剣隊が突っ込んでくる。
だが、その前へ別の部隊が割り込んだ。
「行かせるな!」
リボク・サーペインだった。
サーペイン旅団の兵士たちが黒鋼巨剣隊の前へ立ちはだかる。
両軍が激突した。
大剣が振り下ろされる。
サーペイン旅団の兵士たちがそれを受け止める。
リボクは後方へ叫んだ。
「押さえろ! 絶対に通すな!」
そして、バルムへ顔を向ける。
「カートリックさん!」
雨音に負けないよう声を張り上げる。
「必ず仕留めてください!」
バルムは振り返らない。
槍先はディオンへ向いたままだった。
ディオンにも、その声は聞こえていた。
それでも諦めてはいない。
イドルフが再び距離を詰める。
バルムも右側から回り込もうとしていた。
ディオンは二人を見る。
そして。
大剣を下げた。
切っ先が泥へ触れる。
イドルフの眉が僅かに動く。
ディオンは大剣を地面すれすれに這わせるようにして――。
一気に振り抜いた。
大剣が泥濘んだ地面を抉る。
泥水が激しく跳ね上がった。
「なっ!」
イドルフの顔へ泥が飛ぶ。
反射的に目を閉じた。
その瞬間。
ディオンが踏み込んだ。
「――っ!」
一瞬だった。
ディオンがイドルフの懐へ入る。
大剣を振るう。
視界を奪われたイドルフも、咄嗟に剣を差し込んだ。
大剣が剣へ激突する。
「ぐっ!」
凄まじい衝撃。
イドルフの身体が吹き飛ばされた。
泥水を跳ね上げながら地面を転がる。
「イドルフ!」
だが、ディオンが追撃するより早くバルムが動いた。
槍が伸びる。
ディオンが大剣で弾く。
二撃目。
防ぐ。
三撃目。
身体を捻ってかわす。
バルムは止まらない。
次々と槍を突き出す。
「くっ!」
ディオンが大剣を振るい、槍先を逸らす。
だが。
次の一撃を完全には避けきれなかった。
槍先がディオンの肩を掠めた。
「っ!」
軍服が裂ける。
肩から血が流れ、雨に混じった。
バルムはすぐに槍を引く。
再び構える。
ディオンも大剣を握り直した。
その頃。
リボクたちは黒鋼巨剣隊の猛攻を受けていた。
「踏ん張れ!」
リボクが叫ぶ。
だが、黒鋼巨剣隊の勢いは強い。
大剣が振り下ろされるたびに、サーペイン旅団の兵士たちが押し込まれる。
一人。
また一人。
戦列が後ろへ下がる。
「くそっ!」
リボク自身も剣を振るう。
それでも止めきれない。
黒鋼巨剣隊が戦列を突破した。
「ルルベル様のもとへ!」
大剣を持った兵士たちがディオンのもとへ駆け込んでいく。
バルムが槍を構える。
しかし黒鋼巨剣隊は次々とディオンの周囲へ集まり、その前へ立った。
「ルルベル様!」
一人の兵士がディオンへ声をかける。
「ご無事ですか!」
ディオンは肩から流れる血を一度見る。
「問題ない」
短く答えた。
そして周囲を確認する。
黒壁盾兵団は崩されている。
ベインライト旅団は前線へ食い込んでいる。
サーペイン旅団とカートリック旅団まで側面へ現れた。
ここで戦い続ける意味はない。
「ここは引くぞ」
「はっ!」
黒鋼巨剣隊がディオンを守りながら後退を開始する。
バルムは追おうとした。
だが、背後から声がした。
「おい……」
振り返る。
イドルフが泥の上に倒れている。
「ったく……とんでもねぇ野郎だ」
剣を手にしたまま起き上がろうとしていた。
バルムはイドルフへ近づく。
そして手を差し出した。
イドルフがその手を見る。
一瞬だけ間を置いて、その手を掴んだ。
バルムが引き上げる。
「……助かった」
イドルフは立ち上がると、すぐに後退していくルルベル軍へ目を向けた。
ディオンを中心に黒鋼巨剣隊が下がっていく。
その姿を見ながら、イドルフは剣を握り直した。
逃がした。
だが。
黒壁盾兵団の戦列は崩した。
ルルベル軍を後退させた。
王国軍左軍が押している。
その時。
イドルフが顔を上げた。
「……ん?」
何かが変わった。
先ほどまで耳を埋め尽くしていた雨音が、僅かに弱くなっている。
激しく地面を叩いていた雨が、少しずつ細くなっていく。
バルムも前を見る。
雨の向こう。
先ほどまで何も見えなかった場所に、ぼんやりと兵士たちの姿が浮かび始めていた。
さらに遠く。
崩れた戦列。
部隊の影。
旗。
少しずつ。
少しずつ。
戦場が姿を取り戻していく。
豪雨は弱まり始めていた。
長く戦場を覆い続けた雨が――。
ようやく、降り止もうとしていた。




