第三十九話 黒鋼部隊
アルメリア暦174年4月12日。
国境砦を失ってから、すでに二週間以上が経過していた。
それでも。
ジルライト軍は、未だ帝国軍を押し留めていた。
◇
「なぜだ!」
帝国軍本陣。
ドイザッハ・マクシミリアンの怒声が響いた。
「なぜ押し切れないのだ!」
机の上に広げられた戦況図を睨みつける。
帝国軍、三万二千。
対するジルライト軍は、僅か五千。
さらに戦闘の最中にはドルドウィン旅団が反転し、味方であるミュラー旅団を攻撃して戦場から離脱した。
数でも。
装備でも。
状況でも。
圧倒的に帝国軍が有利なはずだった。
にもかかわらず。
ジルライト軍は未だ崩れていない。
マクシミリアンは今回の侵攻において、主力となるルルベル軍を可能な限り温存していた。
理由は単純だった。
新たに投入した重装歩兵。
その力があれば、ローズとペペロンだけでも十分に押し切れる。
そう考えていたからだ。
だが。
現実は違った。
ペペロンは武功に目が眩み、突出。
結果として孤立した。
ローズも王国軍を攻め切れず、戦線を突破できていない。
「……このままでは。」
マクシミリアンは低く呟いた。
時間を掛けすぎている。
帝国軍の目的は、ここでジルライト軍と延々戦い続けることではない。
「ルルベルを呼べ。」
「はっ!」
兵士が本陣を飛び出していった。
◇
しばらくして。
「お呼びですか?」
一人の男が本陣へ入ってきた。
ルルベル・ディオン。
帝国四柱の一人。
マクシミリアンは顔を上げた。
「ここで足踏みしていては、計画に支障が出る。」
ルルベルは黙って聞いている。
「お前の軍は温存しておくつもりだった。」
マクシミリアンが立ち上がる。
「だが、仕方あるまい。」
そして。
「ルルベルよ。」
「はっ。」
「明日の先陣は任せる。」
ルルベルの口元が僅かに上がった。
「承知しました。」
その声に迷いはない。
「必ずや――」
ルルベルはマクシミリアンを真っ直ぐに見る。
「押し潰してみせましょう。」
◇
翌朝。
アーヴァルト王国軍陣地。
「……ん?」
レオン・ヴァルディスは前方を見ていた。
帝国軍右軍。
昨日までと、僅かに陣形が違う。
何が違う。
はっきりとは分からない。
だが。
「……あれはなんだ?」
妙な感覚があった。
これまで正面にいた帝国軍とは、どこか違う。
遠目にも。
異様な圧を感じる。
「全員、警戒しろ!」
レオンはすぐに命じた。
「敵が動くぞ!」
兵士たちが武器を構える。
やがて。
帝国軍が前進を開始した。
ドン。
ドン。
ドン。
重い足音。
速度はこれまでと変わらない。
重装歩兵。
分厚い鎧によって弓矢を防ぐ代わりに、動きは鈍い。
すでに何度も戦っている。
対処できない相手ではない。
「慌てるな!」
レオンが叫ぶ。
「いつも通りだ!」
敵が近づく。
距離が縮まる。
そして。
レオンは気づいた。
「……大剣?」
目の前にいる兵士。
鎧が違う。
黒い。
そして、その両手に握られているのは。
これまでの重装歩兵が使っていた武器ではない。
巨大な大剣。
「何だ、あれは――」
直後。
「ぐあぁっ!」
兵士が一人。
レオンの前方へ吹き飛んできた。
「なっ!」
地面へ叩きつけられる。
「何が起きた!」
「押さえろ!」
「止めろ!」
あちらこちらから兵士たちの戸惑う声が上がった。
黒い重装歩兵が大剣を振るう。
一人が受ける。
その横から別の黒い兵士が踏み込む。
大剣が薙がれる。
「ぐあっ!」
また一人。
「次!」
黒い重装歩兵が前へ出る。
その後ろから。
さらに次。
個々が勝手に暴れているのではない。
連携している。
前へ出る者。
その隙を補う者。
大剣を振るった者が下がれば、別の兵士が前へ出る。
巨大な武器と分厚い鎧。
それを持ちながら。
止まらない。
「重装歩兵は……動きが鈍いんじゃなかったのか!」
兵士の声が響く。
だが。
そんな常識を嘲笑うかのように。
黒い兵士たちは前線を削り取っていった。
一人。
また一人。
ヴァルディス旅団の兵士が前線から消えていく。
「下がるな!」
レオンが剣を抜いた。
「ここで止めるぞ!」
自ら前へ出る。
「続けぇ!」
「おおおおっ!」
兵士たちがレオンに続いた。
◇
「ふっ!」
レオンの剣が振るわれる。
黒い重装歩兵の大剣を横へ流す。
踏み込む。
鎧の隙間。
剣を突き込んだ。
「ぐっ……!」
帝国兵が崩れる。
「次!」
別の兵士が大剣を振り下ろす。
レオンは横へ避ける。
地面へ大剣が叩きつけられた。
その一瞬。
懐へ入る。
「はぁっ!」
剣を振り抜く。
二人目。
「押せ!」
レオンが叫ぶ。
「止められる!」
旅団長自ら黒い重装歩兵を打ち倒す。
その姿に。
兵士たちが再び前へ出始めた。
「旅団長に続け!」
「押し返せ!」
その時だった。
レオンの前方。
黒い重装歩兵たちの間から。
一人の男が歩いてくる。
「……。」
レオンが動きを止めた。
他とは違う。
担いでいる大剣も。
さらに大きい。
男はレオンの前で立ち止まった。
ルルベル・ディオン。
帝国四柱。
そして。
黒い重装歩兵たちを率いる男。
ルルベルは大剣を肩から下ろした。
レオンも剣を構える。
言葉はなかった。
次の瞬間。
両者が踏み込んだ。
ガァン!
剣と大剣が激突する。
「ぐっ!」
レオンの腕に衝撃が走った。
(重い……!)
想像以上だった。
レオンが一度距離を取る。
ルルベルが追う。
大剣が振り下ろされる。
レオンは横へ避けた。
すぐに踏み込む。
剣を振るう。
ガッ!
ルルベルが大剣で受ける。
再び。
剣が重なる。
「ぬっ……!」
レオンが歯を食いしばる。
押される。
両手に力を込める。
だが。
止まらない。
ルルベルの大剣が徐々に迫ってくる。
「この程度か。」
ルルベルが低く言った。
「っ!」
レオンが力を込めた。
一瞬だけ剣を押し返す。
そのまま横へ流し。
距離を取ろうとする。
だが。
ルルベルは逃さなかった。
大剣を引く。
腰を捻る。
そして。
横薙ぎ。
「――っ!」
レオンの目が見開かれた。
大剣が。
腹部を通り抜けた。
一瞬。
何が起きたのか分からなかった。
身体が傾く。
剣が手から落ちた。
「旅団長……?」
近くにいた兵士が呟いた。
次の瞬間。
「旅団長ぉぉぉっ!!」
悲鳴が戦場に響いた。
レオン・ヴァルディス。
ヴァルディス旅団長。
その身体は腹部を深く切り裂かれ、その場に崩れ落ちた。
◇
「旅団長がやられた!」
「ヴァルディス中将が!」
「そんな……!」
動揺は一瞬で広がった。
最前線で兵士たちを鼓舞し続けていた男。
その存在が。
消えた。
ヴァルディス旅団の戦線が揺らぐ。
「下がるな!」
「隊列を維持しろ!」
声を上げる者はいる。
だが。
黒い重装歩兵は待たない。
「進め。」
ルルベルが大剣を上げた。
「押し潰せ。」
「おおおおおおおっ!」
黒い兵士たちが一斉に前進した。
崩れ始めたヴァルディス旅団へ。
巨大な大剣が次々と振るわれる。
「うわぁぁぁっ!」
「下がれ!」
「駄目だ!」
旅団長を失ったヴァルディス旅団は。
一気に総崩れとなった。
◇
「ヴァルディス旅団が崩れた!?」
後方。
報告を受けたエルザが前方を見る。
兵士たちが下がってくる。
その後ろから。
黒い重装歩兵。
このままでは。
戦線そのものが割れる。
「行くわよ!」
エルザが前へ出た。
「ここで止める!」
ミュラー旅団が割って入る。
「下がってくる兵を収容して!」
「前線を作り直す!」
「はっ!」
兵士たちが動く。
だが。
ルルベルは止まらない。
「邪魔だ。」
大剣が振るわれる。
「っ!」
エルザが武器で受けた。
凄まじい衝撃。
「くっ――!」
身体が浮いた。
弾き飛ばされる。
「旅団長!」
兵士たちが叫ぶ。
エルザが地面を転がった。
「私はいい!」
すぐに顔を上げる。
「前を止めて!」
だが。
黒い重装歩兵が入り込む。
大剣。
鎧。
そして連携。
ミュラー旅団の兵士たちが次々と倒されていった。
ルルベルは止まらない。
その後ろを。
黒い重装歩兵たちが進む。
◇
「よし……!」
帝国軍本陣。
マクシミリアンは戦況を見ていた。
ルルベル軍が抜いた。
王国軍の一角が明確に崩れ始めている。
ペペロン軍は正面の王国軍を押さえている。
ローズ軍も同様。
今。
ルルベル軍を止められる兵はいない。
「そのまま行け!」
マクシミリアンが立ち上がる。
「一気に押し潰せ!」
長く続いた膠着。
ようやく。
終わる。
そう思った。
その時だった。
「て、敵だ!」
声が響いた。
マクシミリアンの表情が止まる。
「……何?」
「敵だぁ!」
「敵軍接近!」
別の場所からも声が上がる。
「何だ!?」
マクシミリアンが振り向いた。
ジルライト軍ではない。
今。
目の前で戦っている王国軍とは別方向。
兵士たちが騒いでいる。
マクシミリアンはその方向へ目を向けた。
「……。」
遠方。
新たな軍勢が姿を現していた。
一つではない。
幾つもの旗。
整然と進む兵士たち。
これまで戦っていたジルライト軍とは違う。
新たな王国軍。
マクシミリアンは、その軍勢を睨みつけた。
長い膠着を。
黒鋼の兵たちが、ようやく打ち破ろうとしていた。
その瞬間。
戦場に――。
新たな軍が現れた。




