第三十三話 睨み合い
アルメリア暦174年3月31日。
ゴルディア帝国軍が国境砦を陥落させてから三日。
砦を越えた先に広がる平地には、巨大な軍陣が築かれていた。
無数の天幕。
風に靡く帝国旗。
その間を、武器や物資を抱えた兵士たちが絶え間なく行き交っている。
帝国大元帥ドイザッハ・マクシミリアン率いる本軍は、広大な平地を横へ大きく使って陣を構えていた。
その前方には三つの軍勢。
左軍――ローズ・ギュンター。
中央軍――ペペロン・ヤーノ。
右軍――ルルベル・ディオン。
そして、その後方にドイザッハ率いる本軍。
総勢、三万を超える帝国軍がアーヴァルト王国領内に居座っていた。
その先。
距離を置いた場所には、アーヴァルト王国軍の陣がある。
両軍は互いの姿を捉えながらも、動かない。
睨み合っていた。
帝国軍がすぐに次の攻撃へ移らなかったのには理由がある。
国境砦を陥落させた重装歩兵。
その圧倒的な防御力は、アーヴァルト王国軍の弓をものともせず、砦への接近を可能にした。
だが、その鎧は重い。
身を守る強固な鎧は、同時に兵士たちの体力を大きく奪う。
砦を攻略した直後に再び長時間の戦闘を行わせれば、消耗は避けられない。
帝国軍は王国軍との距離を保ちながら兵を休ませ、次なる侵攻へ向けた準備を進めていた。
◇
一方。
アーヴァルト王国軍陣地。
中央に置かれた天幕には、ジルライト軍の主要指揮官たちが集められていた。
中央に座るのは、ジルライト軍総司令官ホーランス・ジルライト。
その周囲を各旅団長が囲んでいる。
広げられた地図の上には、両軍の配置が記されていた。
「ジルライト大将。」
レオンが敵軍の配置を示す。
「確認できる帝国軍は、総勢およそ三万二千。」
指が地図の上を動く。
「左、中央、右。それぞれ約八千。」
最後に、その後方を指した。
「さらに後方の本軍に約八千。」
「合計、三万二千ほどと見て間違いないかと。」
天幕の中に重い空気が流れる。
「……数では、かなり不利ですな。」
クラウスが髭に手を触れながら呟いた。
ジルライト軍だけで正面から受け止めるには、あまりにも差がある。
エルザが口を開いた。
「数だけではありません。」
全員の視線が集まる。
「敵の重装歩兵は厄介です。」
国境砦で見た光景を思い出す。
「砦から放った矢が、ほとんど通用しなかったと聞いています。私たちが到着した時には、すでに砦は落とされていました。」
表情を険しくする。
「遠距離からの攻撃では、大きな効果は期待できないかと。」
「だが。」
ローデリヒが腕を組んだ。
「どれほど強固な鎧であろうと、弱点の一つや二つはあろう。」
ホーランスを見る。
「そこを突くしかあるまいて。」
そして尋ねる。
「どうする、大将?」
「……。」
ホーランスはすぐには答えなかった。
地図を見つめる。
三万二千。
こちらを遥かに上回る敵。
そのうえ、これまで本格的に戦ったことのない重装歩兵まで存在する。
すでに手は打っている。
ソルドーニ連邦国との国境付近にいるエンデヴァー軍には救援要請を出した。
王都にも早馬を走らせている。
だが。
援軍は、今ここにはいない。
「……我々だけで対処することは、不可能に近い。」
ホーランスが静かに言った。
誰も反論しない。
「援軍が到着するまで耐える。」
「現状、それしかないだろう。」
レオンが頷いた。
「では。」
地図の王国軍前方を指す。
「前方に配置している我々ヴァルディス旅団、エイゼン旅団、ドルドウィン旅団を中心に敵を受け止めます。」
「防衛に努め、援軍を待ちましょう。」
「ですが!」
マルクが声を上げた。
「それでは物量差で耐えきれませんよ!」
視線が集まる。
それでもマルクは引かなかった。
「敵を止めるにしても、何か手を打たないと。」
「ただ正面から受け続けるだけじゃ、いずれ押し潰されます!」
誰もすぐには答えなかった。
その通りだった。
耐える。
言葉にするのは簡単だ。
だが、数で大きく上回る敵を前に、ただ守り続けるだけで援軍到着まで持ち堪えられる保証などない。
重装歩兵への有効な対処法すら、まだ分かっていない。
それでも。
今、この場で取れる手段はあまりにも少なかった。
天幕に沈黙が落ちた。
◇
同じ頃。
ゴルディア帝国軍。
中央軍本陣。
ペペロン・ヤーノは椅子へ深く腰を下ろし、地図を睨んでいた。
「ローズめ……。」
低い声が漏れる。
「砦を落とし、武功を上げよった。」
ローズ・ギュンター。
国境砦を攻略し、この大侵攻における最初の大きな戦果を手にした男。
ペペロンは面白くなかった。
「儂もここで武功を上げねば……先を越されかねんわ。」
指先で机を叩く。
一度。
二度。
焦りが滲んでいた。
ドイザッハ・マクシミリアンが、自分とローズを完全には信用していないことは分かっている。
だからこそ、この戦争は機会でもあった。
誰が結果を残すのか。
誰が帝国にとって必要な存在なのか。
戦場ほど、それを分かりやすく示せる場所はない。
(この戦争で武功を上げれば……。)
ローズを上回る。
そして、自らの価値を示す。
「ここは一気に出し抜かねばのぉ。」
その時。
「失礼します!」
天幕の外から声がした。
「入れ。」
一人の伝令兵が入ってくる。
ドイザッハ本軍からの伝令だった。
「大元帥閣下より命令です!」
ペペロンが顔を上げる。
「申せ。」
伝令兵が姿勢を正した。
「三日後――」
短く息を吸う。
「明朝より進軍せよ、とのことです。」
ペペロンの目が細くなる。
「……三日後か。」
口元がゆっくりと上がった。
待ち望んでいた機会が来る。
アーヴァルト王国軍は目の前にいる。
そして、その先にはまだ広大な王国領が続いている。
両軍の睨み合いは、終わろうとしていた。
三日後。
再び――戦端が開かれる。




