第十四話 目標
ルミエル小隊へ配属されて二日目。
朝焼けに染まる訓練場には、すでに小隊員達が集まり、それぞれ身体を動かしていた。
準備運動をする者。
荷物の点検をする者。
木剣の具合を確かめる者。
誰も無駄口を叩かず、それでいて空気は張り詰めすぎてもいない。
自然と訓練へ向かう姿勢ができていた。
ラウルはその光景を眺めながら、小さく息を吐く。
(これが、ルミエル小隊。)
昨日見た整然とした宿舎。
今日の訓練場も、その印象を裏切ることはなかった。
やがて、副官のコルド・ルビックが前へ出る。
「整列。」
短い号令だけで、小隊員達が一斉に列を作る。
誰一人遅れない。
ラウルとコルティオも慌てることなく列へ加わった。
コルドは二人へ視線を向ける。
「今日からラウル・ローウェン、コルティオ・シルフォードの二名が正式に小隊訓練へ参加する。」
それだけだった。
余計な紹介はない。
隊員達も軽く頷くだけで、すぐ前を向く。
昨日ルミエル隊長が言っていた通りだった。
これがこの小隊のやり方なのだ。
「では始める。」
号令と共に小隊は走り始めた。
◇
訓練は駐屯地の外周を巡る行軍走から始まった。
一定の速度。
一定の呼吸。
前を走る者との間隔は崩れない。
速さを競う訓練ではない。
隊列を維持しながら長時間動き続けるための基礎だった。
「歩幅を合わせろ。」
「前だけを見るな。左右も見ろ。」
「戦場では隊列を乱した者から孤立する。」
走りながらもコルドは的確に指示を飛ばしていく。
その言葉に合わせるように、小隊の動きが揃っていく。
ラウルも歩幅を調整した。
コルティオもすぐに合わせる。
やがて一時間近く走り続けると、小隊は訓練場へ戻った。
「休憩。」
その一言で全員が木陰へ移動する。
水を飲み、汗を拭き、息を整える。
誰もその場に倒れ込まない。
コルティオが小声で笑った。
「ちゃんと休ませてくれるんすね。」
ラウルも水筒を口へ運ぶ。
「ああ。」
「あっちじゃ、倒れるまで走らされたっすからね。」
苦笑するコルティオへ、近くを歩いていたコルドが足を止めた。
「休息も訓練だ。」
二人は姿勢を正す。
コルドは穏やかな表情のまま続けた。
「疲労を残したまま身体を酷使しても、動きは鈍る。」
「兵士に必要なのは、限界まで追い込むことではない。」
「必要な時に、最高の動きを出せる身体を維持することだ。」
「……覚えておくといい。」
「はい。」
二人は同時に返事をした。
コルドは頷き、そのまま他の隊員の様子を見に歩いていく。
ラウルはその背中を見つめた。
(教える理由まで説明してくれる。)
軍学校でも聞いたことはある。
だが、それを実践できる指揮官は初めてだった。
◇
午前の訓練はその後も続いた。
荷重行軍。
障害物走。
丸太の運搬。
隊列を維持したままの方向転換。
単純な体力任せではなく、常に部隊行動を意識した内容ばかりだった。
訓練終了の号令がかかる頃になっても、ラウルもコルティオも隊列から遅れることはなかった。
離れた場所からそれを見ていたコルドは腕を組む。
(遅れないか。)
新兵なら息を切らし始める頃だ。
しかし二人とも呼吸は乱れていても足は止まらない。
(持久力、体力は十分。)
心の中だけで、評価を一段階引き上げた。
◇
午後。
訓練場中央には木剣が並べられていた。
マーク・オベールが全員の前へ立つ。
「午後は対人戦闘訓練を行います。」
隊員達が自然と木剣を手に取る。
「相手を斬る訓練ではありません。」
「相手を見る訓練です。」
「間合い。」
「重心。」
「呼吸。」
「癖。」
「戦いは剣より先に始まっています。」
ラウルはその言葉に耳を傾ける。
「一本取ることだけを考えない。」
「相手を観察してください。」
マークは小さく笑った。
「では始めましょう。」
最初の組み合わせが告げられる。
「ローウェン。」
「シルフォード。」
二人は前へ出た。
木剣を構える。
互いに見慣れた相手。
だからこそ油断はない。
「始め。」
コルティオが先に動いた。
地面を蹴る。
右へ。
左へ。
視線を揺さぶりながら一気に踏み込む。
「はぁっ!」
袈裟斬り。
ラウルは木剣を滑らせるように受け流す。
そのまま返すように突きを放つ。
コルティオは首を傾けて躱し、その勢いのまま横薙ぎへ繋ぐ。
木剣同士が激しくぶつかる。
乾いた音が訓練場へ響いた。
コルティオは間合いを切ると見せかけ、すぐさま踏み込んだ。
速い。
軍学校時代より一歩目が鋭い。
ラウルは迎え撃たない。
半歩だけ身体を開く。
コルティオの剣が肩先を掠める。
そのまま背後へ回り込む。
「っ!」
コルティオが振り返るより早く、木剣が首筋へぴたりと止まった。
静寂が流れる。
「……そこまで。」
マークの声が響いた。
コルティオは悔しそうに息を吐き、それでも笑った。
「やっぱ強いっすね。」
ラウルは木剣を下ろす。
「お前も速くなってる。」
その短い一言に、コルティオは照れくさそうに笑った。
「次。」
マークが次の組み合わせを告げる。
「レイナード。」
「エリック。」
「はい!」
ナタリアは元気よく返事をすると木剣を構えた。
相手は入隊から五年になる小隊員だった。
「始め。」
開始と同時にナタリアが踏み込む。
迷いのない袈裟斬り。
エリックは剣を合わせることなく身体を半身に開き、そのまま剣先を流した。
勢いを殺されたナタリアの身体が僅かに泳ぐ。
その隙へ木剣が胸元を狙う。
ナタリアは後方へ飛び退き、寸前でかわした。
「まだ!」
間合いを詰め直す。
今度は突き。
フェイントを混ぜ、左から切り返す。
しかしエリックは一歩も下がらない。
必要最小限だけ身体を動かし、全てを受け流していく。
数合続いた後。
ナタリアが一瞬だけ大きく踏み込んだ。
その瞬間だった。
木剣が手首へ添えられる。
「そこまで。」
ナタリアは肩を落とした。
「また欲張っちゃった……。」
エリックは笑う。
「最後の一歩が大きかった。」
「あと半歩抑えれば届いてたぞ。」
「ありがとうございます!」
ナタリアは素直に頭を下げた。
◇
「次。」
「シルフォード。」
「私とだ。」
「えっ、俺っすか?」
思わず声が裏返る。
周囲から小さく笑いが漏れた。
「お願いします!」
コルティオは深呼吸し、木剣を構える。
「始め。」
開始直後。
コルティオは一気に距離を詰めた。
低く潜るような踏み込み。
右。
左。
視線を揺さぶりながら連続で斬り込む。
カン。
カン。
カン。
乾いた音が響く。
マークはその場からほとんど動かない。
木剣を滑らせるだけで全て受け流していく。
「もう少し。」
穏やかな声。
しかし剣は鋭い。
コルティオはさらに速度を上げる。
横薙ぎ。
返す刀で斬り上げ。
踏み込みながら突き。
攻撃は止まらない。
それでも。
マークは一度も体勢を崩さなかった。
「速いですね。」
受け流しながら言う。
「ですが——」
次の瞬間。
マークが初めて前へ出た。
コルティオの剣を弾く。
体勢が僅かに浮く。
その一歩を逃さず懐へ入り込む。
木剣が喉元へ。
「そこまで。」
コルティオは悔しそうに笑った。
「全然見えなかったっす……。」
「あなたの速さは十分武器になります。」
マークは木剣を下ろす。
「ですが、速さだけに頼ると読まれます。」
「相手に『来る』と思わせない動きを覚えましょう。」
コルティオは真剣な表情で頷いた。
「はい!」
◇
「次。」
「ラウル。」
「エリック。」
再びラウルが前へ出る。
木剣を構える。
エリックも構えたまま微笑む。
「本気でいくぞ。」
「お願いします。」
静かに間合いを詰める。
互いに動かない。
いや、動けない。
どちらも相手の出方を窺っていた。
(右足に重心。)
(踏み込んでくる。)
ラウルは読んだ。
同時に踏み込む。
剣が交差した。
激しい音。
押し合うことなく互いに離れる。
もう一度。
今度はラウルから仕掛けた。
下段へ見せる。
視線だけを上へ向ける。
フェイント。
胴へ。
鋭く斬り込む。
エリックの身体が遅れた。
(入った。)
そう思った瞬間だった。
エリックは自ら一歩下がる。
剣先が届かない。
踏み込んだラウルの足が伸び切る。
その瞬間。
コン。
足首へ木剣が触れた。
「そこまで。」
ラウルは静かに木剣を下ろす。
(誘われた。)
攻めさせられた。
攻撃の隙ではなく。
相手が作った隙だった。
軍学校では経験しなかった敗北だった。
エリックは笑う。
「いい踏み込みだった。」
「でも戦場じゃ、焦った方が負けだ。」
「……ありがとうございます。」
ラウルは素直に頭を下げた。
◇
「最後。」
マークが静かに告げる。
「ラウル。」
「私と立ち合いを。」
訓練場の空気が少しだけ変わる。
隊員達の視線が自然と集まった。
ラウルは木剣を握り直す。
(この人は強い。)
昨日初めて会った時から分かっていた。
だが。
どれほど強いのか。
それを知る機会でもあった。
マークは穏やかな笑みを浮かべたまま木剣を構える。
「遠慮はいりません。」
「全力で来てください。」
ラウルは静かに頷いた。
「……はい。」
開始の合図と同時に。
ラウルは一気に地面を蹴った。
マークとの距離は、およそ三歩。
ラウルは一気に間合いを詰めた。
速さではなく、最短距離。
初太刀を叩き込む。
鋭い袈裟斬り。
しかし。
カンッ――。
木剣が触れ合った瞬間、ラウルの剣は外へ流されていた。
(軽い……。)
受け止められた感覚がない。
まるで水に流されたようだった。
すぐさま返す刀で横薙ぎ。
マークは半歩だけ後ろへ下がる。
剣先は空を切った。
ラウルは止まらない。
踏み込みを変え、下段から斬り上げる。
今度はマークが木剣を寝かせるようにして受け流した。
勢いそのままに身体が流れる。
ラウルは足を踏み替え、体勢を立て直す。
間髪入れず突き。
一直線。
迷いのない一撃。
だが、それすら剣先を僅かに逸らされるだけで終わった。
木剣が空を滑る。
(全部、いなされる。)
ラウルは距離を取った。
呼吸を整える。
マークは一歩も追ってこない。
構えも崩れない。
その余裕が、逆に恐ろしかった。
「いい剣です。」
マークが静かに言う。
「ですが、真っ直ぐすぎます。」
その言葉と同時に。
初めてマークが前へ出た。
速い。
(来る!)
ラウルは迎え撃つ。
木剣を振り下ろす。
しかし。
その剣は空を切った。
マークは半身になるだけでかわしていた。
懐。
近すぎる。
木剣では振れない距離。
ラウルは咄嗟に肩で押そうとした。
その瞬間。
マークの足が動く。
ドンッ。
背中へ軽い蹴り。
「っ!」
勢いを殺せず、ラウルは二、三歩前へ流される。
振り返った時には、すでに木剣が首元へ向けられていた。
「そこまで。」
訓練場が静まり返る。
コルティオが思わず息を呑む。
「今の……。」
ナタリアも目を見開いていた。
「全然見えなかった……。」
ラウルはゆっくり息を吐き、木剣を下ろした。
負けた。
完敗だった。
攻撃は通らない。
崩せない。
近づけば利用される。
軍学校では味わったことのない敗北だった。
マークは木剣を肩へ担ぎ、小さく笑う。
「ありがとうございました。」
「こちらこそ。」
ラウルは一礼する。
マークはラウルへ歩み寄った。
「あなたの剣は綺麗です。」
「無駄が少ない。」
「基本もよく身についています。」
ラウルは黙って聞く。
「ですが。」
マークは木剣を地面へ向けた。
「戦場では、人は教本通りには動きません。」
「焦る者。」
「恐怖で足が止まる者。」
「傷を負っても向かってくる者。」
「そういう相手と何度も剣を交えた者との差が、今の差です。」
ラウルは静かに頷いた。
「……はい。」
悔しさはあった。
だが、不思議と落ち込んではいない。
むしろ。
胸の奥が熱くなっていた。
(まだ上がいる。)
(こんなにも。)
軍学校を主席で卒業した。
自分の剣は通用する。
そう思っていた。
しかし。
現実は違う。
まだまだ未熟だった。
まだまだ強くなれる。
そう思えた。
マークは今度はコルティオへ目を向ける。
「コルティオ。」
「はいっ!」
「あなたの速さは、小隊でも十分通用します。」
コルティオの表情が明るくなる。
「ですが、速さだけでは相手は崩せません。」
「速さを活かすための駆け引きを覚えてください。」
「そうすれば、もっと強くなれます。」
「はい!」
元気よく返事をする。
最後にマークは二人を見渡した。
「二人とも、新兵としては十分な実力です。」
「だからこそ、満足しないでください。」
「強い兵士ほど、自分を未熟だと思い続けます。」
その言葉は、ラウルの胸に深く刻まれた。
翌日。
朝靄の残る訓練場に、小隊員十五名が整列していた。
今日の指揮はリシア・ルミエル大尉。
ラウルは隊列の最後尾に立ち、その姿を見つめていた。
リシアは全員を見渡すと、小さく頷く。
「今日は小隊訓練を行います。」
落ち着いた声。
決して大きくはない。
それでも、小隊全員へはっきりと届いた。
「戦場では、一人が強くても勝てません。」
「勝敗を決めるのは、小隊全体が一つとして動けるかどうかです。」
隊員達は静かに耳を傾ける。
「では始めましょう。」
号令と共に、小隊は動き出した。
◇
「前進。」
リシアの声が飛ぶ。
十五人が一斉に歩き始める。
歩幅は揃い、列は乱れない。
ラウルも周囲へ合わせる。
「停止。」
全員が同時に足を止める。
土を踏む音さえ一つに聞こえた。
「右警戒。」
前列が前方を維持したまま、右側の隊員だけが素早く向きを変える。
「正面。」
すぐに戻る。
「左警戒。」
「後方警戒。」
命令が途切れない。
それに対し、小隊も迷いなく応えていく。
ラウルは驚いていた。
(速い。)
号令が終わる頃には、もう全員が動いている。
誰も考えてから動いていない。
反射のように身体が反応していた。
◇
「前進。」
再び歩き始める。
「散開。」
その一言だけだった。
十五人が左右へ広がる。
誰ともぶつからない。
間隔もほぼ均一。
数歩後には、新たな隊形が完成していた。
ラウルは思わず目を見開く。
(どうして……。)
誰一人、周囲を見回していない。
それでも位置が揃う。
まるで最初から決まっていたかのようだった。
「密集。」
今度は一瞬で戻る。
まるで一つの生き物だった。
◇
「後退。」
今度は前衛だけが下がるのではない。
全員が互いの間隔を保ちながら後退する。
最後尾は後方を警戒。
中央は左右。
前衛は正面。
全方向への警戒を崩さない。
リシアは歩きながら全体を見渡していた。
「エリック。」
「半歩左。」
「はい。」
「ナタリア。」
「前へ一歩。」
「はい!」
指示は最小限。
それだけで隊形は修正される。
ラウルは息を呑んだ。
(隊員全員の位置を把握している。)
十五人。
それぞれの間隔。
歩幅。
癖。
全てを見ながら指揮している。
◇
訓練はさらに続く。
「前衛、交代。」
後衛が前へ。
前衛が後ろへ。
移動の最中も隊列は崩れない。
「障害物。」
丸太を越える。
隊列を維持したまま。
遅れる者はいない。
「負傷者発生。」
その一言で二人が前へ出る。
負傷兵役を担ぎ上げる。
残る隊員は自然と周囲を警戒する。
誰も命令を待たない。
自分の役割を理解していた。
ラウルは思わず見入ってしまう。
(すごい……。)
これが。
小隊というものなのか。
今まで見てきたものとは、まるで違う。
◇
休憩時間。
コルティオは額の汗を拭きながら笑った。
「隊長、本当にすごいっすね。」
「指示が速すぎて、考える暇もないっす。」
ラウルは黙って頷く。
「ああ。」
「でも、不思議と動ける。」
「っすね。」
二人のもとへナタリアが駆け寄ってきた。
「どう?」
「ルミエル隊長、すごいでしょ!」
自分のことのように誇らしげな笑顔だった。
ラウルは訓練場の中央を見る。
リシアは小隊員一人ひとりへ声を掛け、細かな修正を行っている。
威圧することもない。
怒鳴ることもない。
それでも誰一人として気を抜いていなかった。
「ああ。」
ラウルは静かに答える。
「すごい。」
ナタリアは嬉しそうに笑った。
「あたしね。」
「いつかルミエル隊長みたいな指揮官になりたいの。」
その目は真っ直ぐだった。
ラウルも自然と頷く。
「俺もだ。」
短い返事。
それだけだった。
だが、その言葉に迷いはなかった。
ラウルは再びリシアを見る。
隊員達を誰よりも理解し。
誰よりも冷静に状況を見極め。
最小限の言葉で、小隊を一つにまとめる。
(これが。)
(俺の目指す指揮官。)
胸の奥で、何かがはっきりと形になった。
軍学校へ入学した理由。
軍へ入った理由。
漠然としていた未来。
その全てが一本の線で繋がる。
(目指す場所は。)
(ここだ。)
◇
それからの日々。
ラウルは誰よりも早く訓練場へ姿を見せるようになった。
剣を振り。
走り。
小隊訓練ではリシアの指揮を観察し。
訓練後にはコルドやマークへ質問を重ねた。
「なぜ、あの場面で散開を選んだのですか。」
「なぜ、あの隊形だったのですか。」
教わるたび、新しい発見があった。
ナタリアも負けてはいなかった。
剣術を磨き。
指揮を学び。
いつかリシアのような指揮官になるため努力を続ける。
コルティオもまた、自分の武器である速さをさらに伸ばすため、誰よりも足を動かし続けた。
三人は互いに刺激を受けながら、少しずつ成長していく。
ルミエル小隊での日々は、ラウル達に新たな目標を与え、その歩みを確かなものへと変えていくのだった。




