第十二話 ヴァレン・シュトライザー
軍務長長官室。
広い部屋の中央には、大きな執務机が置かれていた。
机上には各軍から届けられた報告書が積み上げられ、その向こう側では一人の男が椅子へ深く腰掛けている。
王国軍軍務長長官。
そして、シュトライザー軍総司令官。
ヴァレン・シュトライザー大将だった。
その時、部屋の扉が静かに叩かれた。
「失礼します。」
「入れ。」
扉が開く。
白髪の男が一礼し、部屋へ入ってきた。
オルファム・シルフォード。
軍務長次官を務める男だった。
オルファムは執務机の前まで進むと、手にしていた書類の束を差し出した。
「報告書をお持ちしました。」
ヴァレンはそれを受け取り、表紙へ視線を落とす。
目に入ったのは、ガナナ小隊監査報告書という文字だった。
「概要は。」
ヴァレンが問い掛ける。
オルファムは淡々と答えた。
「ジルライト軍隷下、ドルドウィン旅団所属のガナナ小隊において、複数の重大事件が確認されました。」
「王国民の大量殺害。」
「所属兵士の殺害。」
「軍務長監査官への襲撃。」
「加えて、殺人未遂、救護命令の放棄、虚偽報告などです。」
ヴァレンは報告書から顔を上げた。
「おいおい。」
片手で額を押さえる。
「大問題じゃねぇか。」
その嘆きを気にする様子もなく、オルファムは説明を続けた。
「発端は、ガナナ小隊から提出された山賊討伐任務の報告書です。」
「ジル・オルテット中佐が、記載された行軍日程や任務内容に疑問を持ちました。」
「さらに、同小隊所属のクルス・ジェイオスの死亡報告書にも不自然な点があったため、監査を決定したとのことです。」
ヴァレンは報告書をめくる。
山賊討伐。
バラン村全焼。
クルス・ジェイオス死亡。
監査室への侵入。
ページを進めるたびに、眉間の皺が深くなっていった。
「監査の結果、小隊内部から複数の協力者を得ることに成功。」
「ボートン・ガナナ大尉。」
「ルドー・ガルドフ中尉。」
「サイラフ・ゲルマット少尉。」
「以上三名を捕縛し、軍務長へ連行しました。」
「事情聴取と証言の照合を進めた結果、三名はいずれも自身の関与した罪を認めています。」
ヴァレンは報告書を机へ置いた。
「協力者ってのは。」
「小隊にいた兵士か。」
「はい。」
オルファムは手元の資料へ目を落とす。
「主な協力者は、新兵のラウル・ローウェン。」
「そして、コルティオ・シルフォード。」
「以上二名です。」
ヴァレンは一度頷きかけた。
だが、すぐに顔を上げる。
「待て。」
「コルティオ・シルフォードって。」
目の前に立つ男を指差した。
「お前の息子じゃねぇか。」
オルファムは僅かに口元を緩めた。
「そのようですね。」
「そのようですね、じゃねぇだろ。」
ヴァレンは大きく息を吐き、椅子の背もたれへ身体を預けた。
「自分の息子が腐った小隊に放り込まれてたんだぞ。」
「少しは驚け。」
「既に報告を受けています。」
「本人が無事であることも確認しています。」
オルファムの口調は変わらない。
しかし、普段ほとんど動かない表情には、僅かな安堵が浮かんでいた。
ヴァレンはそれを見て、鼻を鳴らす。
「まあいい。」
再び報告書を手に取った。
「ガナナ小隊は解体。」
「ガナナ達は投獄。」
「事件へ関与していない兵士は、調査を終えた後に各小隊へ再編。」
「そんなところか。」
「妥当かと。」
「では、そのように指示しておきます。」
オルファムが報告書を受け取ろうとする。
だが、すぐには手を伸ばさなかった。
「ただ。」
「一つ、気になることがあります。」
ヴァレンは眉を上げる。
「何だ。」
「オルテット中佐からの報告書に、ボートン・ガナナの過去について記載があります。」
「ガナナは以前にも複数の問題を起こしていた形跡がある。」
「しかし、その多くが軍務長の正式記録には残されていないとのことです。」
ヴァレンの表情から、先ほどまでの軽さが消えた。
「記録に残っていない。」
「はい。」
「問題が大きくなる前に、何者かが揉み消していた可能性があります。」
部屋が静まり返る。
ヴァレンは報告書の該当箇所を探し、数行にわたって目を通した。
やがて、低い声で言う。
「ガナナ一人でできることじゃねぇな。」
「私もそう考えています。」
「貴族軍から編入されて以降の人事。」
「昇進記録。」
「過去の任務報告。」
「ガナナに関係した者を全て洗え。」
「承知しました。」
オルファムは静かに頭を下げる。
「表に出ている連中だけで終わらせるな。」
「誰が守っていたのか。」
「何のために守っていたのか。」
「詳しく調べておけ。」
「はい。」
オルファムは報告書を受け取ると、踵を返した。
「失礼します。」
扉の前まで進んだ時だった。
「オルファム。」
ヴァレンが呼び止める。
オルファムは振り返った。
「何でしょうか。」
「息子には何も言わねぇのか。」
「職務上の報告を私情で扱うつもりはありません。」
「堅い奴だな。」
「ですが。」
オルファムは僅かに間を置いた。
「帰還後、無事であったことについては、直接聞くつもりです。」
ヴァレンは少しだけ笑った。
「それでいい。」
オルファムは再び一礼し、長官室を後にした。
扉が閉じる。
ヴァレンは机の上に残された報告書へ視線を落とす。
「ラウル・ローウェン。」
「コルティオ・シルフォード。」
名前を一つずつ口にする。
「新兵二人で、小隊をひっくり返したか。」
報告書を閉じ、机の端へ置いた。
「覚えておくか。」
◇ ◇ ◇
ガナナ達が軍務長へ連行された後。
ラウル、コルティオ、ジェフには、五日間の待機命令が出されていた。
監査と事情聴取が続いている間、所属小隊としての任務はない。
訓練への参加も命じられず、三人は宿舎内で静かに過ごしていた。
ガナナ達が消えた宿舎は、以前とは別の場所のようだった。
怒鳴り声は聞こえない。
廊下で兵士が殴られることもない。
酒瓶が転がる音もなかった。
だが、誰もすぐには以前のように話せなかった。
小隊員達は互いの顔色を窺いながら、軍務長からの指示を待っている。
ガナナ小隊が今後どうなるのか。
自分達がどこへ送られるのか。
誰にも分からなかった。
そして、待機命令から五日目。
三人のもとへ軍務長から辞令が届いた。
ラウル達は並んで立ち、それぞれに渡された紙を開く。
最初に声を上げたのはコルティオだった。
「ルミエル小隊。」
辞令には、はっきりと記されていた。
コルティオ・シルフォード。
ルミエル小隊へ編入。
隣でジェフも自身の辞令へ目を落としている。
「俺は……サイラス小隊。」
ジェフ・ハーマン。
サイラス小隊へ編入。
最後に、ラウルが紙面を確認する。
ラウル・ローウェン。
ルミエル小隊へ編入。
「ラウルもルミエル小隊っすか。」
「ああ。」
コルティオは目に見えて表情を明るくした。
「また一緒っすね。」
「そうだな。」
三人は、それぞれの編入先へ三日後に移動することになった。
◇ ◇ ◇
その日の夜。
三人は宿舎の一室に集まっていた。
荷物の整理はまだ始めていない。
机を囲み、それぞれの辞令を前に置いている。
しばらく誰も口を開かなかった。
先に話し始めたのはジェフだった。
「二人には。」
「改めて、礼を言っておきたい。」
ラウルとコルティオが顔を上げる。
「どうしたんすか、急に。」
ジェフは自身の手を見つめた。
「二人がいなかったら。」
「俺は軍を続けられなかったかもしれない。」
声は小さかった。
「ガナナ大尉達が怖くて。」
「何をされても、何も言えなかった。」
「クルスさんのことを見た時も。」
「結局、ずっと黙ってた。」
コルティオは首を横へ振る。
「そんなことないっすよ。」
ジェフの肩へ手を置く。
「最後に勇気を出して話したのは、ジェフじゃないっすか。」
「ジェフが話してくれたから、ジェイオスさんの死が事故じゃないって分かったんす。」
「でも。」
「怖いのは、みんな同じっすよ。」
コルティオはいつものように笑ってみせた。
「自分だって、ラウルがいなかったら何もできなかったと思うっす。」
ジェフはラウルを見る。
ラウルは静かに答えた。
「俺達だけでは解決できなかった。」
「カエサルが話した。」
「ジェフも話した。」
「小隊の兵士達も証言した。」
「誰か一人だけの力じゃない。」
ジェフは黙って聞いていた。
「それに。」
ラウルは続ける。
「軍を続けられるかどうかは、これから決めればいい。」
「ガナナ小隊だけが王国軍じゃない。」
ジェフはゆっくりと頷いた。
「ああ。」
「もう少し。」
「やってみるよ。」
コルティオはジェフの肩を軽く叩いた。
「次の小隊では、きっと大丈夫っす。」
「そうだといいな。」
ジェフは僅かに笑った。
ラウルはそんな二人を眺めながら、椅子の背へ身体を預けた。
王国軍へ入る前。
父オルランドから掛けられた言葉を思い出す。
軍の中にも、正義のない者がいる。
命を軽んじる者がいる。
その言葉を、入隊したばかりのラウルは理解したつもりでいた。
だが、実際に目にしたものは、想像していたよりも遥かに深かった。
理不尽な暴力。
虚偽の報告。
負傷者の見捨て。
罪のない村人達の殺害。
そして、それらを隠すために仲間を殺す者。
王国軍という大きな組織の中に、確かに闇は存在していた。
ガナナだけではない。
長年にわたり、彼の問題を揉み消してきた何者かもいる。
ラウルには、まだその姿は見えない。
それでも。
ジル・オルテット。
リットマン・デイビス。
危険を承知で真実を追い、証言した者を守ろうとした軍人達もいた。
腐っている者だけではない。
正義を持つ軍人も、確かに存在している。
ラウルは、その事実を胸へ刻んだ。
◇ ◇ ◇
ジェフと別れた後。
ラウルとコルティオは宿舎の廊下を並んで歩いていた。
夜は深く、窓の外には星が見えている。
コルティオが辞令を片手に、思い出したように声を上げた。
「そういえば。」
「ルミエル小隊って、ナタリアが配属された小隊っすよね。」
「ああ。」
ラウルは頷く。
「久しぶりに会えるっすね。」
コルティオは嬉しそうに笑った。
「ナタリア、俺達が来るって知ってるんすかね。」
「まだ知らないんじゃないか。」
「じゃあ、驚くっすね。」
「たぶんな。」
ラウルの口元にも、僅かに笑みが浮かぶ。
ガナナ小隊へ配属されてから。
落ち着いて笑ったのは、久しぶりだった。
「楽しみっす。」
コルティオが前を向く。
「今度は。」
「ちゃんとした小隊だといいっすね。」
ラウルは少しだけ間を置いた。
そして、静かに答えた。
「そうだな。」
二人は並んだまま、宿舎の奥へ歩いていく。
ガナナ小隊での日々は終わった。
だが、王国軍での道は、まだ始まったばかりだった。




