82.ジェイド・ヴェルン副団長
コンコン。
執務室に控え目なノック音が聞こえた。
最近はノックの音で、どんな案件が持ち込まれるか予想できるようになってしまった。
そろそろ、本気で精神的にヤバいかもしれない…。
全部終わったら、絶対に殿下に長期休暇をもらおう!
俺は固く決意した。
今回のノック音は控え目だ。
何か迷っている事があるが、相談してもいいのか悩んでいるようだ。いったい、誰なんだろうか…。
入室を促すと、入ってきたのはヴェルン副団長だった。
彼は王立騎士団の副団長でありながら、27歳で既に爵位も継いでおり、当代のヴェルン侯爵である。
結婚もしていなければ婚約者もいない珍しい人物だった。
普通その年齢でおひとり様だと、何かあるんじゃないかと勘繰られるのが貴族の世界だが、彼に於いてはその一般論が当て嵌まらなかった。
何故なら、彼は両親の急逝により爵位を継ぐ事になってしまったからだ。しかも、運が悪い事にティーダ国との関係が一番緊張状態の時に…。
当時、彼は副団長になったばかりで、周囲の期待も大きかった。団を辞めるという決断もできないまま、両親の引き継ぎもなく領地経営もこなさなければならなかった。ちなみに一人っ子のため、補佐してくれるような兄弟もいないらしい。
イスタークいわく、戦地に高齢の執事や使用人が何度か足を運んで来ていたそうだ。本当に、よく無事だったと思う。
そのせいか、ヴェルン侯爵領は『鉄人の庭』と呼ばれている。
元々、元気な高齢者が多い領地だったしね…。
そんな怒涛の生活を余儀なくされていたため、婚活など二の次だったようだ。その事は貴族社会で周知の事実なので、彼が結婚していない事を疑問に持つ者などいない。
むしろ好条件(舅・姑無し、小姑無し、裕福、有能、美形、高身長etc…)の結婚相手として、令嬢達は手ぐすね引いて待っている。
夜会で令嬢の山が出来ていれば、そこにはヴェルン副団長がいる。
そんな彼が何の用だろう?
何も困るような事は無いと思うが…。
「どうしたんですか、ヴェルン副団長。すごく思い詰めているようですが?」
殿下の言葉に、いつも冷静沈着な彼がオロオロしている。
凄く珍しい…。
流石の俺もまじまじと見てしまった。
ヴェルン副団長は、シルバーブロンドの髪の毛をくしゃくしゃにすると、その藍色の瞳に目一杯の不安を乗せてこう言った。
「アレクシス殿下。アナスタシア殿下からデートに誘われたんですが、何かの罠ですか?」
………。
『えっ?』
俺達は今、何を言われた?
思わず、アレクシス殿下達と顔を見合わせてしまった。
「やっぱり冗談ですよね!ハハ…。おかしいと思ったんだ!俺みたいなオジサンをアナスタシア殿下がデートに誘うなんて……、はぁ…」
自分で自己完結して、勝手に落ち込んでいる。
本当にらしくない。
「いや、ヴェルン副団長。私は何も聞いていないが、何の話をしているんだ?」
「えっ?」
「ヴェルン副団長、順を追って話していただけませんか?殿下も私達も何の事だかわかりません」
俺の言葉に、イスターク、クリストフ、ヨハンもうんうんと頷く。
そんな俺達の視線に、冷静さを取り戻してきたヴェルン副団長が、今度は顔を真っ青にする。
一拍置いて、もの凄い勢いで謝りだした。
「殿下!ご公務中に、大変申し訳ございませんでした!あまりのことに私も気が動転してしまいまして、こんなご無礼を…」
うん。こんなヴェルン副団長は初めて見る。いつも冷静に、カイオム騎士団長を制止している彼はどこにいってしまったんだろうか…。
俺達は、何とか彼を落ち着かせてワケを聞くことにした。
「…で、急にアナがヴェルン副団長をデートに誘ってきたと」
殿下の問いに、ヴェルン副団長はコクリと頷く。
「アナスタシア殿下はヴェルン副団長に好意を持っていたんでしょうか…?殿下、何かご存知ですか?」
「いや、そんな話は聞いた事がないよ、ロイド。というより、私とアナはそんなに仲良く無いからね」
「まぁ、そうですよね…」
以前にお二人のやり取りを見たことがある。あの様子では納得だ。
「でも、アナスタシア殿下は美少女ッスよね?ヴェルン副団長も嬉しいんじゃないッスか?」
「馬鹿言うな、クリス。ヴェルン副団長とアナスタシア殿下は12歳も違うんだぞ?むしろ恋愛対象外だろ」
クリストフの話にイスタークがツッコむ。
うん…。俺も12歳下は恋愛対象外だな。
「ですよね、ヴェルン副団長」
イスタークがヴェルン副団長に話を向ける。
しかし予想に反し、もじもじし始めた。
「ヴェルン副団長はアナスタシア殿下がお好きなんですか?」
ヨハンの問いかけに、ヴェルン副団長がどもりながら答える。
「こ、好ましくは…思っています…」
そう言って、顔を赤らめる。
…えっ?!
それからの尋問は手際が良かった。
あれこれ根掘り葉掘り聞き出し、ヴェルン副団長の初恋が5歳のアナスタシア殿下だった所まで行き着いた。
「え〜〜。じゃあ、今まで婚約者も決めなかったのは、アナに操立ててたの?無駄だ…。スペックの無駄遣いだ…」
うん、俺もそう思う。
思わず、大きく頷いてしまった。
「でも、良かったじゃないですか。想い人にデートに誘われたんですよね?」
ヨハンが無邪気に聞く。
「だから混乱しているんです!今まで、ひっそりと好意を抱いていたのに、急に表舞台に出されたようで…」
まぁ、そうだろうな。
この中の誰一人として、ヴェルン副団長がアナスタシア殿下を好きだなんて思いもしなかった。
それくらい、ひっそりとした恋だったのだ。
「殿下。私はどうしたらいいでしょうか?」
「う〜ん…、どうもこうも無いんじゃない?向こうから来てくれるなら、迎え撃つまでだよ。ヴェルン副団長、このチャンスは棒には振れないよ?大人の余裕でアナを手に入れましょう!」
ヴェルン副団長は、殿下の力強い言葉に衝撃を受けていた。
だよね…、あんな応援されたらびっくりするよね…。
相手、王族だし。
でも、その言葉でヴェルン副団長の闘志に火がついたようだった。
頑張れ、ヴェルン副団長!
俺達は、『結果報告は必ずする』という約束をさせて、彼を執務室から送り出した。
けっこうみんな、野次馬です(笑)
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