行き先
王都を出た馬車がゆっくりと進んでいく。見知った景色が目を凝らさなければ見えないところまで遠ざかっていく。
私は膝の上に置いた手を重ね、馬車の揺れに身を任せていた。屋敷を出る前に、実家には手紙を送った。突然のことに両親は驚くだろうけれど、離婚を決意したこともしばらく王都を離れることも、隠さずに全部書いた。心配されるだろうけれど、詳しい事情を説明するために戻るつもりはない。
馬車の向かいの席には、エルノが座っている。私が屋敷を出ると決めてから、彼は必要な手続きを手伝い、馬車を用意し、ここまで一緒に来てくれた。公爵家に仕える立場であった彼にとって、私についてくることが簡単な決断ではなかったはずなのに、そのことについて彼は一度も不満を口にしない。
「エルノ。あなた、本当にこちらへ来てよかったの? 公爵家の護衛を離れることになれば、騎士としての立場にも影響があるでしょうに」
「俺の身の振り方は、後で考えます。それに、これからは護衛騎士としてではなくあなたの幼馴染として同行するつもりですから、あまり気に病まないでください」
「そう言ってもらえると助かるけれど、あなたの将来まで私の都合で変えてしまうのは申し訳ないわ」
「俺のことは俺が決めています。エウラリアも、今は自分のことだけを考えていてください」
彼は騎士として取り繕った姿ではなく、素の姿を見せている。そのことに安心して、私は小さく頷いた。
私たちが今向かっている目的とは、王都から馬車で一刻ほど離れた場所にある孤児院だ。母方の祖母が長く支援していた場所で、幼い頃の私は、祖母に連れられて何度もそこを訪れている。今も同じ場所にあるとは聞いているものの、最後の訪れたのは随分と昔のことだから、現在はどうなっているのかは分からない。
……子どもについて考えると、どうしてもカシアン様のことを考えてしまう。
結婚して間もない頃に子どもの話を持ち出した時、彼は現状が落ち着いてからにしようと答えた。それはもっともなことで、私も焦りすぎていたと反省した。公爵家を背負う彼には責任がある。私が待てばいいのなら、喜んで纏うと思った。
そうして一年が過ぎ、二年が過ぎた。彼の答えは変わらなかった。
『後継ぎが必要になれば、養子を迎えればいい』
そんなことを言われた時もある。彼は子を育てることを負担だと思っているようで、仮に子ができても世話はすべて他人に押し付けるつもりだったようだ。そんな人と、私は同じ家庭を望んでいたのだ。今思えば、愚かなことだと思えてくる。
彼は、私のことを嫌っているわけではなかったのだとは思う。私の誕生日には贈り物をしてくれて、必要なものがあるとすぐに与えてくれた。そのたびに彼の優しさに期待して、もう少しだけ待ってみようと思ってしまったのだろう。
「……エウラリア?」
エルノに名を呼ばれ、私ははっと我に返った。
「ごめんなさい。少し考え事をしていたわ」
「顔色が優れないように見えましたので……。無理に話す必要はありませんが、俺でよければ聞きますよ」
「大丈夫よ。昔のことを思い出していただけ。ここへ来るのは久しぶりだから、懐かしく思っていたの」
私は微笑んでみせた。思い出すことはたくさんあるけれど、それらを無理に振り払う必要はない。忘れたふりをするためにここへ来たわけではないし、これから先の暮らしを考えるために過去をなかったことにするつもりはない。
気を紛らわせるようにエルノと取り留めのないことを話している途中で、馬車が速度を落とし始めた。
「到着したようです」
エルノの言葉に、窓の外を確認する。街道から奥まった場所に、低い石壁と古そうな門が見えた。その向こうには、淡い色の壁をした建物が建っている。屋根の一部は新しいものに変わっているようだけれど、壁には年月を感じさせる染みがあり、庭に植えられた木々も記憶の中にあるものよりずっと大きく育っていた。
馬車を降りるとすぐに、土と草の匂いがした。門の脇には小さな花壇があり、手入れが行き届いているとは言い難いものの、色とりどりの花がいくつか咲いている。建物の方からは子どもたちの声が聞こえてきて、私はその声に耳を澄ませた。
門をくぐると、ちょうど玄関から一人の年配の男性が出てきた。彼は私たちを見ると、驚いたように目を丸くする。
「おや、どちら様でしょうか?」
「突然お尋ねして申し訳ありません。私はエウラリアと申します。過去に祖母と共にこちらへ伺ったことがあるのですが、覚えていらっしゃるでしょうか」
男性はしばらく私の顔を見つめ、それからはっとしたように目を見開いた。
「もしや、あの方のお孫様ですか? いやあ、ずいぶんと大きくなられて……最後にお会いしたのは、まだあなた様がお小さい頃でしたね」
「そうです。あの時の子どもです。お久しぶりです、ルディエ様」
「これはこれは、よくお越しくださいました」
孤児院の院長であるルディエ様は懐かしそうに笑い、私たちを建物の中に案内してくれた。
応接室として使われているという部屋はこぢんまりとしていて、机や椅子も少々古い。壁には子どもたちが描いたらしい絵がいくつも飾られていて、色とりどりの壁になっていた。
「今日は何かご用事でしょうか」
「はい。あの、お願いがあって参りました」
私は背筋を伸ばして、ルディエ様を見つめた。
「どうか、こちらで働かせていただけないでしょうか」
はっきりとそう言うと、彼は驚いたように瞬きをした。言葉が足りなかったかと、話を続ける。
「私は公爵家に嫁ぎましたが、理由があって離れることにしました。これから先、どこで何をして暮らすか考えた時、こちらのことを思い出したのです。幼い頃、亡き祖母と一緒に訪れていた時から、私はこの場所た好きでした。子どもたちと過ごす時間がとても楽しくて、いつかこういう場所で働けたらと思っていたのです」
「しかし、あなたは貴族のご令嬢でいらっしゃる。ここは決して楽な仕事ではありませんし、今は運営にも余裕がない。実際に働くとなると、昔のように、子どもたちと遊んでいただくだけというわけにはいきません」
「それでも構いません。私にできることがあるのなら、お手伝いしたいと思っています。こう見えても、五年ほど公爵家で帳簿の整理などを行ってきましたので、そういった面の仕事は得意です」
ルディエ様はすぐには答えなかった。彼の視線が私の顔から、後ろに立つエルノへと移る。エルノは何も言わず、ただ私のそばに立ってくれていた。
やがてルディエ様は深く息を吐くと、窓の外へ目を向けた。
「実のところ、こちらも全く人手が足りておりません。建物の修繕や寄付のお願いまで手が回らないのが現状です。私も年を取りましたから、いつまでも院長を続けられるわけではありませんし……」
「でしたら、なおさら私にできることを探させてください」
自分の声に、思っていたよりも自分の気持ちが籠っていることに気づいた。
誰かの妻として求められる役割を果たすためではなく、誰かに認めてもらうためでもなく、私自身が望んで選んだ場所で、私にできることをしたい。それが、今の私の願いだ。
「……分かりました。エウラリア様のお心、感謝します。まずはしばらく、こちらで働いてみてください。あなた様にとっても、私たちにとっても、無理のない形を探していきましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、特別扱いはいたしませんよ」
「望むところです」
そう答えると、ルディエ様が声を立てて笑った。その笑い声が気になったのか、廊下の向こうからぱたぱたと小さな足音が近づいてきた。
「いんちょう先生、だれか来たの?」
扉の隙間から、男の子が顔を覗かせている。彼は警戒するような目つきで私を見た後、隠れるように半歩下がった。その後ろからはもう一人の男の子が顔を出して、私をじっと見つめている。
「ティロ、ニルス、お客様だよ。ご挨拶をしなさい」
「こんにちは」
先に口を開いたのは、二人の中では年上に見える男の子の方だ。もう一人の子はというと、私の服装を眺めた後、興味津々といった様子でエルノの腰にある剣に目を留めている。
「こんにちは。私はエウラリアよ。これから、こちらでお手伝いをさせてもらうことになったの」
「お手伝い?」
「ええ。まだ何ができるか分からないけれど、みんなとも顔を合わせられると思うわ」
「じゃあ、また来るの?」
エルノの剣に夢中だった子が私に尋ねた。私は腰をかがめて彼の目を見て、そっと微笑んだ。
「もちろんよ。これからはここにいるつもりよ」
二人は顔を見合わせた。その反応が何だかおかしくて、私は自然と笑みをこぼした。




