07 毒リンゴ
差し出されたリンゴを一口しゃくりと齧った瞬間、青年の動きがピタリと止まった。
違和感を覚えたのか、何かを言おうと喉を鳴らして開口しようとする。しかし、無臭の強力な麻痺薬は瞬時にその神経系を侵食していた。声を発することすらできず、手足の先が引きつったように激しく震え出し、口の端から白い泡が垂れ落ちる。
「……ッ!?」
白雪姫が絶句し、恐怖に顔を跳ね上げた。その衝撃が現場を支配するより早く、クレメンティアは老婆の声を張り上げて絶叫した。
「い、いけないよッ! これは卒中の症状だ! あたしの死んだ夫と全く同じだよ、間違いないッ!」
「え……!? そんな、アレックス様……!?」
パニックに陥りオロオロと取り乱す白雪姫の肩を、クレメンティアは強く掴み、力強い声で叱咤した。
「しっかりしておくれ、お嬢さん! このまま放っておいたら命に関わる! この手遅れになりかけた発作を治せるのは、王都にいる最高の名医だけなんだ! あたしの夫の時は間に合わなかったが……今ならまだ間に合う!」
「で、でも……私、王都には……」
かつて周囲に吹き込まれた「王妃に殺される」という恐怖から躊躇する白雪姫へ、クレメンティアは容赦なく言葉の追撃を叩き込む。相手の情愛を利用した、効果的な誘導だった。
「あんた、この男のことが好きなんじゃないのかい!?こんなところで迷ってモタモタしていたら、この男は本当に死んでしまうよッ!」
「……!」
白雪姫の瞳に、戸惑いを塗りつぶすような決意の光が宿った。
「……分かりました! アレックス様を助けます!」
覚悟を決めた白雪姫は、身動きの取れなくなった自称王子を引きずるように抱え上げ、彼が乗ってきた白馬の背へと強引に引き上げた。すぐさま自らも馬に跨がり、老婆――クレメンティアへ手差し伸べる。
「おばあさんも乗って! 私に王都の名医のところへ案内して!」
「ああ、任せておくれ!」
クレメンティアは身軽に手を取り、姫の後ろへと馬に跨がった。白雪姫が手綱を強く引くと、白馬は嘶きとともに蹴り出し、王都へと続く獣道を怒涛の勢いで疾走し始める。
背後で風を切りながら、クレメンティアは老婆の仮面の下で冷静に計算を完了させていた。
(身元不明の不審者の捕獲、および白雪の安全な王都への回収――目標完了)
白馬は王都の堅牢な街門を駆け抜け、勢いそのままに王立治療院の前に滑り込んだ。
泡を吹いてぐったりと横たわる青年が担架で運び込まれ、診察室のベッドへと降ろされる。白雪姫は青ざめた顔でその脇を離れず、心配そうに青年の冷たい手を両手で強く握りしめていた。
その背後で、みすぼらしい老婆の姿をしたクレメンティアは、駆け寄ってきた老医師へそっと歩み寄り、衣服の隙間から王家の刻印が入った指輪をチラリと提示した。
「――この者は卒中だ。直ちに強い睡眠薬と栄養剤を投薬せよ」
白雪姫に聞こえぬよう、極小の声で下された絶対命令。
指輪の紋章を目にした瞬間、老医師は息を飲み、緊張のあまり生唾を飲み込んだ。目の前の老婆が王家の関係者であり、これが単なる診察ではなく「国家的な強制措置」であることを即座に理解したのだ。
王家の関係者が「卒中だ」と言い、さらに治療法まで指定している。それを「違います」と覆す勇気など、老医師にはなかった。
「は、はい……! 直ちに……!」
医師が震える手で薬調合の準備に入るのを確認し、クレメンティアは白雪姫の方へと向き直り、再び優しげな老婆の声を作った。
「お嬢さん、あたしは王子様が早く良くなるよう、何か栄養のある食べ物でも買いに行ってくるよ」
「……ありがとう、おばあさん。気をつけてね」
涙目で王子を見つめる白雪姫は、自分たちを取り巻く本当の状況に何一つ気づいていなかった。
治療院を後にしたクレメンティアは、老婆の身振りを捨て、通りかかった警備巡回中の騎士へ指輪を提示し、すぐさま鋭い指示を飛ばした。
「治療院内の男と姫をそのまま留め置け。男は重要参考人として拘束、姫は傷一つつけずに保護する予定だ。外部との接触は一切断て」
「は、ハッ……!」
騎士たちが治療院の包囲へと走るのを見届け、クレメンティアは城の地下、隠し通路を抜け、直ちに自室へと帰還した。変装を解く時間すら惜しみ、そのまま鏡の前へと歩み寄る。
「――鏡よ、鏡」
冷ややかな王妃の声に、青白い光が揺らめき立つ。
「治療院で白雪姫の傍らにいる男の身元を照合せよ。名前と所属を直ちに開示せよ」




