04 検証
私室に戻ったクレメンティアは、鍵をかけ、一直線に鏡の前へと歩み寄った。青白く浮遊する光の粒子を睨みつけ、低く研ぎ澄まされた声で問う。
「鏡よ、鏡。再び問う。現在のこの国の『国民幸福度スコア』はいくつだ?」
『――お答えします。現時点における我が国の平均国民幸福度は、10点満点中「7.4ポイント」にございます。過去最高値を維持しております』
「……その測定対象は、真に『全国民』を網羅しているか?」
王妃の鋭い眼光に、鏡の表面がわずかに明滅した。
『はい。我が国の「戸籍データベース」に登録されている全国民を網羅した、統計的に極めて正確なデータに基づいております』
その回答を聞いた瞬間、クレメンティアの脳裏に一つの違和感が引っかかった。
「……待て。戸籍を持たぬ者――他国から流れてきた不法滞在者、スラムの貧民、そして人身売買の果てに流れ着いた者たちは、その母数に含まれているのか?」
『……それらのデータは、公式資料に含まれておりません』
「直ちにパラメータを再設定し、再計算せよ。この領土内に存在する『すべての人間』を含めたスコアだ」
鏡の表面に無数の計算式が疾走し、静けさの中で不穏な光を放つ。
『……再計算完了。実効対象を含めた総合幸福度スコアは――「6.1ポイント」に低下いたします』
「……やはりか」
クレメンティアの唇から、冷ややかな吐息が漏れた。疑惑は完全に確信へと変わった。
鏡は嘘をつかない。だが、入力される「データの前提」そのものに偏りや欠落が存在していたのだ。鏡は、提示された綺麗な数字の陰に隠された「データに存在しない者たちの苦境」を、最初から計算式から切り捨てていた。
ならば――過去に自分が「法と数値」のみに基づいて即座に破滅させた者たちの中にも、私腹を肥やすためではなく、やむにやまれぬ事情のために不正へ手を染めた者がいたのではないか。あるいは、歪んだ構造の煽りを受けて過ちを犯した者が居た可能性はないか。
「……ふふ」
自室の静寂の中、クレメンティアの口元から小さく自嘲の笑みがこぼれ落ちた。
「綺麗に切り取られた数字だけを信じ、実態も見ずに一律で切り捨てる……。なるほど、民が妾を『氷の王妃』だの『鉄の女』だのと恐れ、陰で毒殺を囁くのも道理というものだな」
己の盲点を認識した一瞬の自嘲。しかし、その瞳から理知の光が失われることはなかった。王妃は一秒と置かず、一切の揺らぎのない統治者の顔へと戻る。
「……だが、だからと言って私情を挟み、法を曲げれば国家の規律など容易く崩壊する。粛々と法を執行すること自体に、間違いはない」
彼女は手元の手帳を開き、力強い筆致で「評価法の全面見直し」と書き加えた。問題は法治そのものではなく、その法を運用するための「情報の歪み」にある――そう整理し直した彼女の視線は、すでに次の「検証」へと向けられていた。
思考を切り替えたクレメンティアは、静かに鏡と対峙した。
「鏡よ、鏡。再び問う――世界で最も美しいのは誰だ?」
『――それは、白雪姫殿下でございます』
相変わらず即答されるその名に、今度の王妃は揺らがなかった。代わりに、冷徹な詰問を投げかける。
「……その判断に至った客観的な根拠と、算出基準を述べよ」
鏡の表面に、無数の数値と解析図が高速で展開された。
『了解しました。主な算出理由は以下の二点に集約されます。
一、黄金比および対照性スコア。白雪姫殿下の顔面骨格における縦横比、ならびに目・鼻・口の配置は、美的黄金比(1対1.618)に対して誤差0.02%以内を維持。顔面左右の対称性スコアは99.8%を記録しており、これは王国全女性データの統計的上層0.001%に位置します。
二、コントラスト値と皮膚の分光反射率。「雪のような白さ」「黒檀の髪の黒」、そして「血のような唇の赤」の組み合わせによる視覚的コントラスト比は18対1に達します。人間の視覚特性上、この圧倒的な高コントラストは強い注視効果を発生させます』
専門的な数値の羅列に、クレメンティアは内容の半分ほどしか理解が及ばなかった。だが、一つの本質を即座に見抜く。この鏡は、人間としての品格や文脈を無視し、単なる「物理的な外見スペック」のみで世界を計測しているのだと。
「……愚かしい。その無機質な指標では、優雅な所作も知らず、誰からも認知されぬ森の蛮族の娘であっても高評価になり得るではないか」
王妃は腕を組み、冷ややかな視線を注ぐ。
「評価の定義を改めよ。単なる『物理スペック』のみの評価を廃し、『認知度・定着率』ならびに『社会的・文脈的価値』を組み込んで再計算せよ」
『――パラメータを再設定、再シミュレーションを開始します』
鏡の光が激しく明滅を繰り返す。
『……分析完了。ご指摘の通り、単純な認知度単体においては王妃様が99.4%と圧倒的です。しかし、「単純接触効果」の減衰率と「希少価値」を加味した潜在選好度のモデル分析におきましては、白雪姫殿下の「非日常的な可憐さ」が市場に提示された際の感情変化量の振れ幅が、王妃様の定常評価を24%上回ります』
「……何?」
『加えて、本システムの初期定義カーネルにおきまして、重み付けの偏りを確認いたしました。「統治能力」「威厳」「貴族的所作」「ファッションリーダーシップ」といった社会的価値項目において、王妃様は100点満点中「96点」、白雪姫殿下は「12点」と王妃様が圧倒しております。しかし、旧来のシステムは「未完成な無垢さ」に対して70%の過重加重が与えられたアルゴリズムとなっておりました。ゆえに、総合点数において逆転が発生していた模様です』
「……なるほど」
クレメンティアの唇に、薄く冷ややかな笑みが浮かんだ。
要するに、この鏡の設計者が組み込んだ「若い娘を無条件にありがたがるロマン主義的偏向」というバグが、評価を狂わせていたのだ。
「評価アルゴリズムの定義を前述した要素を加えた『総合的な威厳と美』に変更せよ。仮にそれを『評価モデルB』と呼称する。モデルBを適用した場合の順位はどうなる?」
『了解しました。評価モデルBを適用……再算出完了。王妃クレメンティア様が98.6点により、世界第1位となります』
「大変結構」
王妃はほのかな笑みを浮かべて短く頷き、命じた。
「今後はそのアルゴリズムBを評価指標とせよ」
『かしこまりました。評価モデルBを定常運用へと移行します』
青白い光が静かに落ち着くのを見届けながら、クレメンティアは思考を巡らせる。鏡はこのように使えばよいのだ。
あとは、周囲の忖度によって危険な森へ追いやられた、何も知らぬ王女を救出せねばならない。
鏡の美しさ評価軸セリフにaiを下書き使用。




