03 疑念
反逆の芽を摘むべく、クレメンティアは精鋭の騎士数名を従え、東の塔へと急行した。重厚な石造りの階段を打ち鳴らす靴音が、静寂に包まれた塔内に不穏に響き渡る。
しかし、読書室の荒い木枠の扉を破るように押し開けたとき、そこに求めていた娘の姿はなかった。
「――白雪姫はどこだ」
部屋に残されていた老乳母へ、クレメンティアは冷徹な視線を射ぬく。乳母は全身を小刻みに震わせ、蒼白な顔で立ち尽くしていた。
「お、王妃様……! どうか……どうかご容赦を……!」
「問うている。白雪はどこへ行った」
「……王妃様が、騎士を引き連れて粛正にお見えになると聞き……森へ、森へお逃がしいたしました……!」
乳母はまるで悲劇の殉教者のような悲壮感を漂わせ、両腕を広げてクレメンティアの前に立ち塞がり、扉を塞いだ。
「どうか……どうか姫様だけはお見逃しください! 命に代えてもお守りいたします! 罰なら、この老い先短い婆がいかようにも受けますゆえ……!」
「……不愉快な狂言を」
(この者まで、白雪を妾から隠そうとするのか)
クレメンティアの不快感に満ちた呟きに応じ、騎士たちが手早く泣き叫び抵抗する老乳母を取り押さえ、脇へと退けた。
クレメンティアは素早く部屋の窓辺へと歩み寄り、城の裏手に広がる鬱蒼とした森へと視線を走らせる。そこには、背丈ほどもある藪をがむしゃらにかき分け、転びそうになりながら森の奥へと必死に駆け込んでいく年若い少女の姿があった。
「――追え。連れ戻すのだ」
窓枠を指で硬く叩きながら、クレメンティアは騎士たちに短い命令を下す。
「危険な原生林だ。年端もいかぬ世間知らずの少女が一人で生き残れるはずもない。……良いか、決して傷つけるな。安全に確保せよ」
「ハッ!」
騎士たちが一礼し、怒号とともに階段を駆け下りていく。
一人窓辺に取り残されたクレメンティアは、立ち去る少女の残像を脳裏で反芻していた。その瞳に、急速に深い疑念が渦巻き始める。
(……しかし、あの白雪の姿は一体何だ?)
遠目からでもはっきりと見て取れた。使い古されてほつれた粗末なドレス。栄養状態の悪さを疑わせる、折れそうなほど細い手足。そして、陽の光を浴びていないかのような、病的なまでに白い肌。
豪奢な王宮の庇護を受け、反乱の象徴として担ぎ上げられているはずの『姫』の姿とは、あまりにもかけ離れていた。
(……あれが、『世界で一番美しい』だと……?)
鏡が出力した数値と、目の前に現れた惨めな事実。その間に生じたあまりにも巨大な乖離に、王妃の研ぎ澄まされた理知が、初めて明確な異変を検知した瞬間であった。
クレメンティアは思考のノイズを振り払うように一息つくと、窓辺から向き直り、控えていた従者へ冷ややかに命じた。
「不審な点が多すぎる。あの娘に接触した貴族、騎士、さらには他国の使節に至るまで、過去一年分の動線をすべて洗う。……案内せよ、あの娘の本来の私室へ」
だが、従者は青ざめた顔のまま、困惑に唇を震わせるばかりだった。
「お、恐れながら王妃様……この東の塔こそが、殿下の私室にございます」
「……何?」
クレメンティアの美しい眉が、いぶかしげに跳ね上がった。改めて読書室を見回す。使い古された粗末な木製家具、湿気で歪んだ書棚、風が吹き抜ける隙間風だらけの壁。まともな王族の居室などではなく、まるで打ち捨てられた物置のようだった。
「……白雪は普段、このような場所で過ごしていたというのか?」
先ほど取り押さえられ、幾分か落ち着きを取り戻した老乳母が、怯えを含んだ瞳で小さく頷く。
「白雪姫への養育費および生活予算は、法に則り滞りなく執行されていたはずだ。事前の監査でも、中抜きや流用といった不正は一切確認されていない」
クレメンティアの脳内で、完璧に算術された財務データが弾き出される。出金された予算と、いま目の前にある惨状。そのあまりの乖離に、冷徹な王妃の顔に怒りの兆しがさした。
その時、老乳母の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「……お金など、あっても意味がなかったのでございます! 先王様を亡くされ、王妃様に疎まれている王女殿下……下手に接触すれば、いつ王妃様の勘気に触れ、粛正されるか分からぬ……!
王都の誰もがそう噂しておりました。そのようなお方に、一体誰がまともなドレスや化粧品を売り、満足な食事を運び、お部屋を整えるというのですか! お金はあっても、使うことすら許されなかったのでございます……!」
震える声で吐き出された告白に、クレメンティアの瞳が一瞬で氷点下へと凍りついた。
「――戯れ言を」
抑えつけられた静かな声。しかし、そこに込められた怒りの圧力は、部屋全体の空気を押し潰さんばかりだった。
「いつ妾が、王女を疎ましいと言った? 誰が王女を部屋の隅に追いやり、虐待せよと命じたのだ!
――妾が本気であの娘を排除するつもりであったなら、初めから予算など出さず、粛正した悪徳貴族どもと同じようにすぐさま監獄へと放り込んでいる!」
「ひっ……!?」
王妃の放った圧倒的な正論と怒声に、老乳母の顔が一瞬で土気色へと変わった。
王妃は一度も嫌悪を示しておらず、排除の命令も出していなかった。それでも周囲が勝手に想像し、過剰に恐怖し、忖度した結果、白雪姫はこのような場所にいたのだ。
「姫を守らねば」という善意から取った行動が、結果として姫をさらに危険な森へ追いやったという恐ろしい事実に、乳母は絶望のまま膝から崩れ落ちた。




