41話 佐々木祐樹α3・京極淳史α3
□ 京極淳史α
「かんぱーい!」
居酒屋の脂っこい空気の中、ジョッキ同士がぶつかる高い音が響く。
ダンジョン探索後のこの喧騒は嫌いじゃない。生き残った実感が、ビールの泡と一緒に喉を滑り落ちていくからな。
今回の打ち上げは、新しくパーティーに引き入れた北條緋呂とかいうおっさんの親睦会も兼ねている。
俺たちより五歳年上のフリー探索者で、見た目は冴えないが、索敵スキルだけは一級品だ。
今日、初めて挑んだ三階層でゴブリンやグレイウルフを危なげなく処理できたのも、このおっさんの支援があったからこそだ。
おまけに佳正のレベルも13に上がった。三階層を這いずり回った甲斐があったというもんだ。
「こらこら、佐々木君。酒は二十歳になってからだぞ」
緋呂が薄笑いしながら釘を刺してくる。
祐樹はまだ誕生日を迎えていない十九歳だ。
「出た、緋呂さんの平成ジョーク。三年前には成人年齢は十八歳に引き下げられたんっすよ。もう俺も立派な大人なんですって」
「時代だなぁ……。俺が学生の頃は世間の目が厳しくて、十九歳の日本代表選手が飲酒で代表を取り消されるなんて事件もあったんだぞ」
緋呂は遠い目をして笑った。パンデミック後の人口激減を受け、政府は若者の社会進出を促すために成人年齢を下げ、婚姻可能年齢も男女ともに十六歳に引き下げた。
それは単に納税者を増やしたいだけの話だ。大学への補助金が削られ、俺たち大学生がエリートなんて持ち上げられる時代だが、実態は自分の命を懸けてダンジョンでレベルを上げなきゃ生き残れない、泥臭いサバイバル世代だ。
「……ま、お堅い話は抜きにしましょうよ。スタンピードが起きた時に備えて、レベルは十八まで上げておきたいっすね」
面倒くさいおっさんの昔語りから、祐樹が話を逸らす。
俺は鼻で笑って、その甘っちょろい希望を切り捨てた。
「ケッ、それだけ上げりゃ、探索者一本で食っていけるレベルだぜ。祐樹、お前は検事になって腐った世の中を正すんじゃなかったのかよ」
「……わかってるよ。でも、今は強くならないと始まらないだろ」
祐樹は相変わらず直情型だが、最近は自分でも引くくらい探索にのめり込んでいる。
まあ、死なれても寝覚めが悪い。こいつの熱量は、利用価値があるうちは利用させてもらうだけだ。俺は大学の学費さえ稼げればいい。
「緋呂さん、次はいつ行けますかね?」
祐樹の問いに、緋呂は手帳を確認しながら説明口調で答えた。
「バイトの予定とMPの残量から、明後日の午前十時がいいな。君らも冬休みなんだろ」
「ええ、明後日なら大丈夫ですよ」
祐樹が答えた。冬休みに入ったばかりで時間はたっぷりある。
明後日といえばちょうどクリスマス当日だが、俺たち三人に一緒に過ごす彼女なんて今はいない。
予定が空いている悲哀よりも、探索の予定が埋まる安心感の方が勝っているあたり、俺たちも相当毒されている。
二日後の再戦を約束し、連絡先を交換してから、俺たちは再びジョッキを鳴らした。
酒が進むにつれ、議論は今日の戦闘内容へと移る。
「おい淳史、お前はすぐ派手な攻撃魔術をバラ撒きすぎるんだよ。MPが枯渇した魔術師なんて、ダンジョンじゃただの重石だぞ」
「あぁ? お前こそ前衛のくせに防御がスカスカなんだよ」
酒の勢いもあって、今日の反省会が始まった。
俺と祐樹が言い合うのはいつもの光景で、仲の良い兄弟のじゃれ合いのようなものだ。佳正はそれをスルーして、黙々とつまみを口に運んでいる。
「……パンデミックの影響って、いつまで続くんですかね」
不意に、祐樹がしんみりとした声を漏らした。二年前、全世界同時多発スタンピード――通称『パンデミック』。あれ以来、世界は狂った。
超大国は鎖国し、各地で紛争が再燃した。日本だって、頻発するスタンピードのせいで治安も景気も最悪だ。
「一度壊れたシステムが再構築されるには、数十年単位の時間が必要だ。パンデミック前の、あの平穏な飽食の時代は、もう歴史の教科書の中にしか存在しねえ。それが現実だ。夢見てんじゃねえよ」
俺が冷めた口調で断言すると、居酒屋の空気が一瞬冷えた。
だが、それは俺たち今の若者が共通して抱いている「終わりの予感」そのものだった。
だからこそ、みんな刹那的に、ダンジョンで一攫千金を夢見るようになる。少し酔いが回ったのか、緋呂が熱っぽく語り始めた。
「京極君の悲観論も論理的ではあるが、現状を打破するのはいつだって現場の人間だ。探索者になったからには、単なる日銭稼ぎではなく、世界を救うという大局的な視点を持つべきだよ。絶望している暇があるなら、一レベルでも多く上げる努力をすべきだ」
「そうっすよね。さすがベテラン、言うことが違うなあ」
正直、反吐が出るほど面倒くさい語りだなと思いつつ、祐樹はお調子者っぽく場を盛り上げる。
俺は吐き捨てようとした毒舌を、ビールの苦味と一緒に飲み込んだ。
この冷え切った世界で、おっさんの青臭い理想論がどこまで通用するか、見ものだぜ。
□ 佐々木祐樹α
緋呂さんがトイレに立つと、居酒屋のテーブルに残されたのは、僕ら大学生三人だけになった。
僕はジョッキに残ったビールの泡をぼんやりと見つめていた。
すると、隣に座る京極淳史が、周囲を警戒するように声を潜めて切り出してきた。
「おい、祐樹。今後もあのおっさんと一緒に行くつもりかよ」
淳史は不敵な笑みを浮かべているけれど、目は全く笑っていない。
相変わらず口が悪い。僕は慌てて首を振った。
「でもさ、緋呂さんの索敵がないと三階層の探索はリスクが高すぎるだろ? 今日だって、実際かなり助かったじゃないか」
僕が反論すると、淳史は鼻で笑った。
向かい側に座る佳正は、少し迷うような素振りを見せてから、僕に同意してくれた。
「……うん。緋呂さんがいてくれると、俺も前衛として安心感があるかな」
「ケッ、安心感ねえ。まあな、索敵スキル自体は便利だ。それは認めてやる。だが、効率を考えろよ。俺らが全員レベル14になれば、三人でも三階層を回せるようになる。そうなればおっさんは用済みだろ。あんまり深入りすると、後で縁を切る時に面倒なことになるぞ」
淳史はどこまでも冷静だ。
この世界で生き残るための鉄則は、情に流されないことだと言わんばかりの態度だった。
パンデミック以降、人は信じられるものを選別しなきゃならなくなったけれど、淳史の基準はいつだって「数字」と「効率」だ。
「僕は、四階層に行くまでは緋呂さんと組みたいと思ってるんだ」
僕がそう言うと、淳史は目を見開いた。
「マジかよ、祐樹。四階層って、もうバイトの域を超えてるぞ。死ぬ確率が跳ね上がる中級への入り口だ。お前、本気で探索者として骨を埋めるつもりか?」
淳史の問いに、僕は言葉に詰まった。
検事を目指して法学部に入ったはずの僕の心は、自分でも気づかないうちに、ダンジョンの深い暗闇へと吸い寄せられている。
正義を語る法律の世界よりも、剣を振るって魔物を倒す手応えの方が、今の僕にはずっとリアルに感じられたんだ。
「……俺と淳史の二人がレベル14になってもさ、月に一度くらいのペースで緋呂さんを混ぜるのはどうかな? 予備の戦力としてさ」
佳正が珍しく折衷案を出してくれた。淳史は少し考え込み、また不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……まあ、マサの言うことなら一理あるか。あのおっさん、他にパーティーも見つけられなさそうだしな。こっちから切り捨てなきゃ、便利屋としてずっと付いてくるだろ」
「そんな言い方するなよ、淳史。僕は探索者という仕事のことを、もう少し知りたいんだよ」
僕が熱っぽく語り出した時、佳正がぼそりと核心を突いた。
「……祐樹は、お兄さんの仕事が知りたいんだろ。そのために、あんなに一生懸命なんだよね」
その言葉に、心臓が跳ねた。図星だった。
僕の兄貴は、この界隈じゃちょっとした有名人の凄腕探索者だ。
幼い頃から家族の中でも異質で、僕らには見えない景色をずっと見てきたような、底知れない背中。僕にとって兄貴は、超えられない壁であると同時に、唯一の道標でもあった。
「ったく、お前は本当にあの出来の良すぎる兄貴が好きだな。このブラコンめ」
淳史がわざと呆れたように言った。
僕は兄貴が見ていた世界を、自分でも確かめてみたいんだ。自分がなぜここまでダンジョンに惹かれるのか。その答えが、もっと深い階層に行けば見つかるような気がしていた。
「危なっかしくて見てられねえよ、バカが」
淳史はそう吐き捨てて、店員に新しい飲み物を注文した。
僕に呆れているんだろうけど、それでも付き合ってくれるのが淳史なりの優しさなのかもしれない。
遠くから緋呂さんの足音が聞こえてくる。
「おい、おっさんが戻ってくるぞ。湿っぽい顔はやめろ」
淳史がニヤリと笑った。僕も慌てて表情を繕うと、空のコップを手にビールを追加注文した。
緋呂さんが席に戻ってくると、テーブルの空気はまた少しだけ和らいだ。
明後日はクリスマス。世間がどうあろうと、僕らはまたダンジョンへと潜っていく。
そこに何があるのか、まだ僕には分からない。
でも、淳史と佳正が一緒にいるなら、もう少しだけ先へ行ける気がした。




