36話 嫌いな元同僚
気がつけばカレンダーは十二月を過ぎていた。
街に出れば、どこもかしこもクリスマス一色だ。華やかなイルミネーションが目に刺さり、楽しげなジングルベルが耳を掠める。
だが、今の俺にとってそんな浮かれた行事は、別世界の出来事でしかない。
ギルドへ到着すると、相変わらずの忙しさだった。
年中無休、二十四時間対応というブラック極まりない方針を掲げているのだから、職員の苦労は察するに余りある。
受付窓口に目を向けると、見知った顔である楠木さんの姿があった。俺は報告を兼ねて、彼女の元へ足を運ぶ。
「お疲れ様です。世間はもうすぐクリスマスだってのに、大変ですね」
俺の言葉に、楠木さんは苦笑いを浮かべて顔を上げた。
「それはお互いさまでしょ。北條さんも、ダンジョン探索?」
「ええ、先ほど終わりまして魔石の換金に来ました。新しいパーティーメンバーの応募がないか、その確認も兼ねて」
平静を装ってそう答えたが、内心では藁にもすがる思いだ。
だが、現実はそう甘くない。
「残念ながらありませんね」
楠木さんの無情な宣告に、俺は天を仰いだ。
今の俺の生活サイクルを、分かりやすく解説しよう。渋川さんとの三階層の探索が週二回。週三回のソロでの二階層探索。
そして空いている時間はバイト三昧である。休みなんて言葉はない。
可能な限り三階層へ挑みたい俺としては、戦力となるメンバーが喉から手が出るほど欲しい。
条件は、ソロならレベル十八以上、ペアならレベル十四以上。二階層止まりの低レベルな応募者も来るが、真面目な話、経験値効率を考えれば断らざるを得ない。だが現実は厳しい。
とりあえず用件は済んだが、俺は少しだけ雑談をすることにした。
「年末年始は休みとかないんですか?」
「年末年始とかクリスマスは独身者にはシフト入れられちゃうんですよ。代わりにその前後に休みもらえるんですけどね。私は二十六日から二十九日の四連休です」
さらりと休日を教えてもらった。これは、信用されている証拠だろうか。
それとも友人として認められたのか。あるいは……もしかすると、脈があるんじゃないか。これって「デートに誘え」という振りなのか。
正直、今の俺にはそんな余裕なんて一分一秒だってない。
けれど、このまま無茶苦茶な労働を続けていれば、いつかストレスで心がポッキリ折れてしまう。
気晴らしも必要だ。自分へのご褒美に、勇気を出して誘ってみるのも悪くないんじゃないか。
どうすればいい。デートなんて大げさに構えず、休みの日に食事でも、と誘えばいいのか。
二十五歳の大人として情けないが、こういうのは経験がものをいう。慣れないことをしようとすると、心臓がうるさい。
「へぇ、その日が休みなんだ。それじゃあ―――」
勇気を振り絞って声をかけようとした、その時だった。
「おいっ、いつまで無駄話してるんだ」
背後から鋭い怒鳴り声が飛んできた。
話し込んでいたせいで、後ろに順番待ちができていたらしい。
慌てて「すみません」と謝って場所を譲る。そこにいたのは、大柄で戦士風の装備に身を包んだ男だった。
ジロリと俺を睨みつけるその風貌に、見覚えがあった。楽しかった気分が一気に凍りつく。
(……あっ)
向こうは俺の顔を見ても何の反応も示さない。どうやら、俺のことなど記憶の片隅にもないらしい。
だが、俺はすぐに思い出した。二年前、俺が解雇されたクランの元同僚、斯波信彦だ。年齢は俺の一つ上で、入社同期だった男だ。
入社直後、何度かパーティーを組んで潜ったことがある。
だがしばらくすると、俺は雑用ばかりを押し付けられ、一方で斯波はエリート向けの育成パーティーへと組み込まれた。
今思えば、あの時から「残す人材」と「切り捨てる人材」の選別は始まっていたのだろう。斯波は俺より歳上だったが、スキル構成に恵まれ、将来を期待されていた。
だが、性格は最悪の一言に尽きる。体育会系の悪い部分だけを煮詰めたような、横暴なパワハラ体質だ。
今でも思い出す。格上のモンスターと戦っている最中、彼は援護もせずに俺を一人で前に立たせ、HPが一桁になるまで放置した。
HPがゼロになった後で受けた肉体に直接ダメージは、ポーションや治癒魔術で回復しない。大怪我で後遺症の残る可能性や、や死亡のリスクだってある。
それなのにいつまで経っても助けが入らず、俺は心臓がバクバク鳴って泣きそうになったのを覚えている。
「度胸を付けるためだ」なんてうそぶいていたが、あれは単に、狼狽する俺を見て楽しんでいただけのイビリだ。
一年経つ頃には圧倒的なレベル差がつき、彼は次期エースとして会社でふんぞり返っていた。
書類仕事を俺に押し付けに来たことも、一度や二度じゃない。当時は「これが社会の厳しさか」なんて思っていたが、離れてみれば、あそこが異常な空間だったとはっきり分かる。
正直、一秒だって関わりたくない。思い出される前に、一刻も早くここを立ち去るべきだ。
俺は愛想笑いを浮かべながら、そそくさとその場を離れた。
背後からは、斯波が楠木さんを口説く下品な声が聞こえてくる。
対応する楠木さんも、商売柄、まんざらでもないような営業スマイルを浮かべている。
社会情勢が不安定な今、ああいうオラオラ系で稼いでいる探索者の方が、意外とモテるのかもしれない。……理不尽だ。
「はぁ……会いたくない奴に会っちまった」
俺は肩を落とし、ギルドの重い扉を押し開けて、寒空の下へと足を踏み出した。
冷たい風が頬を叩く。斯波のような奴がのうのうと第一線で活躍し、俺のような普通の人間は、日々の食い扶持を稼ぐために泥水をすするように生きている。
ダンジョンが出現して以来、力こそが正義という風潮は強まるばかりだ。
二年前に会社をクビになった時のの屈辱。俺を切り捨てた連中を見返したいという気持ちがないわけじゃない。
だが、今の俺にできるのは、あいつらとは関わらず、地道にレベルを上げて《過去改変》のランクを上げることだけだ。
楠木さんへの誘いは、意打ちの怒鳴り声にかき消されてしまった。
タイミングの悪さも俺らしいと言えば俺らしい。だが、不思議と後悔はなかった。
斯波の顔を見たことで、自分がまだ戦いの渦中にいることを再認識したからだ。
デートに浮かれている暇なんてない。
十二月の寒空を見上げる。
空は高く、星は冷たく光っていた。




