30話 絵梨のレベルアップ
十月に入り、外の空気はすっかり秋の気配がしている。
朝晩の冷え込みに季節の移り変わりを感じる今日この頃だが、ダンジョンの中は一年中温度が変わらない。
その日はアンナと絵梨を雇い、三階層を探索していた。
季節感もクソもない薄暗い通路を、魔物を掃討しながら慎重に進んでいく。
ふと、隣を歩く絵梨の表情がわずかに崩れた。
視線の先、何もない空間を見つめる彼女の瞳が小刻みに動いている。ステータスボードを確認している証拠だ。どうやらレベルアップしたらしい。
「おめでとう、絵梨。レベルアップだな」
俺が声をかけると、絵梨は「別に……あんたに言われるまでもないわよ」と、ぷいっと顔を背けた。
「あー! 絵梨ちゃん、またレベル上がったん? ずるいわぁ、うちもあとちょっとやのに!」
アンナが明るい声で割り込んできた。
「ずるいって何よ、アンナ。あたしがそれだけ努力してるってことでしょ。緋呂も、ぼーっとしてないでさっさと次の獲物探しなさいよね。あんたのレベリングのために、わざわざ付き合ってあげてるんだから」
「分かってるって。感謝してるよ」
俺が苦笑いしながら応じると、アンナが俺の肩をバシバシと力強く叩いた。
「せやで、緋呂くん。絵梨ちゃんはツンツンしとるけど、ホンマはレベル上がってめっちゃ浮かれとんねん。今日の晩ごはんは、ウチらに奮発せなあかんな!」
「ちょっとアンナ、余計なこと言わないでよ! それになんで私が奢ることになってるのよ!」
二人のやり取りを見ながら、俺は内心で仲間を祝福しつつ、同時に胃のあたりが重くなるのを感じていた。
レベルアップはめでたい。護衛の戦力が上がるのは、生存率に直結する大歓迎な出来事だ。
だが、それは同時に、彼女たちを雇う金額が増えるという非情な現実を意味していた。
探索が終了し、地上へ戻る。
翌日、俺が所属を依頼しているクラン『玄界灘GIRLS』から正式に連絡が入った。
これまでの八万円だった護衛代金が、九万円へと増額されたのだ。一回の探索で一万円のプラス。
絵梨がまだ三階層でのレベリング中であることを考慮して、これでも小幅な変更に留めてくれたらしい。
だが、絶賛金欠中の俺にとって、この一万円の差は微妙に、いや、かなり痛い。
通帳の残高が、また一段と速いスピードで削られていく光景が脳裏に浮かび、俺は深くため息をついた。
数日後の日曜日。俺は渋川さんと共にダンジョンへと足を運んでいた。
薄暗い通路を無言で進む中、渋川さんが重い口を開いた。
「こっちは全然レベルが上がらないんだよ」
その言葉は、切実な響きを持っていた。
経験豊富なベテラン探索者である彼が、ここまで弱音をこぼすのは本当に珍しいことだった。
「実は今年の春から、週に一度はソロで二階層に行っていたんだ。なのに、なぜか逆にレベルが下がってしまった。だから、こうしてパーティを組むことにしたんだよ」
渋川さんの言葉を聞いて、俺は胸の奥がざわざわと波立つのを感じた。
ダンジョンに潜って戦い続けているのに、レベルが下がる。ゲームの感覚ならあり得ない話だ。けれど、年を取るというのは、残酷にもそういうことなのかもしれない。
魔物を倒して得る成長を、加齢による「下方修正」が上回ってしまったら、今のステータスを維持することさえ困難になる。
止まれば下がる。全力で走っても、その場に留まるのが精一杯。そんな過酷な現実が、渋川さんの肩に重くのしかかっているようだった。
「本当はここの四階層に行きたいんだがな……」
渋川さんは、行く手を阻む深い暗闇を見つめながら、ぽつりと漏らした。
「そのためにはレベル18以上のパーティメンバーが必要だ。今の俺じゃ、到底太刀打ちできないのは分かっているんだが」
四階層からは魔物の強さが一気に跳ね上がる。だが、そこへ行かなければ経験値効率が悪く、レベルアップは望めない。
そして何より、SPが溜まらない。SPが溜まらなければ、若いうちに寿命を担保に借りていたSPの返済ができず、数年後には寿命が尽きてしまう。
渋川さんにとって、レベル上げは単なる強化ではなく、生き残るための「借金返済」そのものだった。
「……そのうちに俺のレベルが上がったら、一緒に四階層に行ってくれますか?」
俺がそう尋ねると、渋川さんは少しだけ驚いたように目を見開いた。そして、自嘲気味に笑いながら言った。
「いいだろう。一応、空手形でも出しておくよ。約束だ」
彼はそう言って笑ったけれど、俺には分かっていた。彼の本音としては、それまでに自分と対等に戦える実力を持った、即戦力のパーティメンバーを見つけたいはずだ。
逆に俺の方としても、もしレベル18にまで上がれば、より条件の良いパーティから誘いがかかるかもしれない。
お互いに他に仲間が見つからなければ、という消極的な約束だ。
「ダンジョンへ行くペースを、もう少し増やせませんか?」
俺が聞くと、渋川さんは力なく首を振った。
「休みは日曜しかなくてね。週休二日はもう過去の話さ」
今の社会状況では、探索者といえど生活のために一般の仕事をしなければならない。
平日にダンジョンへ行くとなれば、貴重な睡眠時間を削るしかないそうだ。
そこまでするべきか、彼は常に迷っているようだった。
そんな話をしながら、俺たちは慎重にダンジョンの奥へと歩みを進めていった。
今はまだ自分のレベルを上げることで精一杯である。
だが、《過去改変》を自在に使いこなすことが出来れば、他人の運命をも書き換えることが出来るかもしれない。
それにはレベルを上げて、《過去改変》のスキルランクを上げることが必要だ。
一歩一歩、今は地道に頑張って行こう。




