27話【来なかった迎え】
27話
◇
「はい。これを持って」
居間に案内された結禍に、先輩は一羽の折鶴を手渡してきた。
「え……?」
意味が分からないまま受け取る。
その瞬間だった。
折鶴が、ふわりと温かくなった。
左手を包む痛みが、すっと引いていく。
「……あれ」
恐る恐る手のひらを見てみる。
さっきまであった左手の傷は、跡形もなく消えていた。
「そんな……」
驚いて顔を上げる。
そのとき、結禍の視線は先輩の左手で止まった。
「え……」
先ほどまで何もなかったはずの左手に、小さな傷が浮かび上がっている。
まるで、自分から移ったかのように。
「なにが……」
先輩は痛みなど気にした様子もなく、小さく笑った。
「驚くよね」
制服のポケットから、一枚の絵札を取り出す。
描かれているのは、【折鶴と盃】。
見覚えのある祭りの絵札だった。
「え? それは!」
彼女はそれを静かに胸へ当てる。
「この子、澱鶴は、私に力を貸してくれるの」
優しく絵札を撫でる。
「誰かの傷を治す力を」
結禍は言葉を失った。
神社に残る十枚の絵札と同じ存在。
「それじゃあ、その傷は……」
問いかけようとした、その時だった。
「茉宵? 帰ってきてたの?」
廊下の向こうから、年配の女性の声が聞こえた。
買い物袋を提げた女性が居間へ顔を出す。
「あら」
女性は結禍を見て、にこりと笑った。
「お友達?」
「学校の子です」
先輩が穏やかに答える。
「少し手当てをしてたの」
「そうだったの」
女性は少し悲しそうに頷き、結禍へ向き直った。
「あなた、お家は近く?」
「……山の方です」
「神社の近くで」
結禍が答えると、女性は少し考えるように首を傾げた。
「山の方……」
そして、何か思い当たったように目を丸くする。
「ああ! 梟綴の」
「はい。そこです」
「……梟綴?」
茉宵先輩は聞き返した。
「今は町に合併されちゃったけど、昔はあの辺り一帯は『梟綴村』って呼ばれていたのよ」
そのとき、母親は茉宵の左手に気づき、少し心配そうな表情になる。
「あら、またどこかで怪我してきたの?」
「うん。かすり傷だから大丈夫」
「……早く手当てしてきなさい」
「はい。この子をお願いします。すぐ戻りますから」
「ええ、分かったわ。ちゃんと消毒するのよ」
「はい」
茉宵先輩はそう言って居間を出ると、廊下の奥の部屋へ入っていった。
扉が閉まる音がして、しばらく静かになった。
年配の女性は、その音を確かめるように耳を澄ませると、小さく息をついた。
「……あの子、学校では最近どう?」
突然の質問に、結禍は瞬きした。
「え?」
「ちゃんと笑えてる?」
「えっと……」
結禍は返事に詰まる。
まだ会ったばかりで、学校での茉宵先輩のことなど何も知らない。
「ご、ごめんなさい。私、お母さんとは初めて会いましたし……」
「あら、そうよね、ごめんなさいね」
女性は少し遠くを見るような目になる。
「昔からね、あの子はいろんな子に絆創膏を渡したり、転んだ子を保健室まで連れて行ったり……誰かの役に立ちたくて仕方ない子だったの」
懐かしそうに微笑む。
「でも最近は、なんだか怪我をして帰ってくることが増えちゃって……」
「……怪我、ですか?」
「本人は『転んだだけ』とか『大したことない』って笑うんだけどね」
女性は苦笑しながら肩をすくめる。
「昔から無茶をする子だから」
結禍は思わず、先ほど傷の浮かんだ茉宵の左手を思い出した。
「えっと……お母さん?」
女性は、はっとしたように笑う。
「ごめんなさいね。初対面の子にこんな話」
そして、小さく呟いた。
「……そうなれたら良かったんだけどねぇ……」
「え?」
意味が分からず聞き返す結禍。
女性は少しだけ考えるように視線を落とし、それから静かに口を開いた。
「実はね、あの子は私の実の娘じゃないの。私が引き取った親戚の子なのよ」
結禍は目を見開く。
「両親が離婚してね。お母さんに引き取られたんだけど、そのお母さんも病気で亡くなってしまって……」
女性は寂しそうに微笑んだ。
「離婚してしばらくは、お父さんから養育費も送られてきていたらしいの。でも、三年くらい経った頃には、もう振り込まれなくなってしまって……」
少しだけ困ったように笑う。
「何か事情があったのかもしれないけれど、いつの間にか引っ越してしまっていてね。電話番号も住所も変わっていて、こちらから連絡を取ることもできなくなっていたの」
女性は静かに続けた。
「それで、親戚だった私が引き取ることになったの」
結禍は黙って耳を傾ける。
「亡くなったお母さんから聞いた話だけど……」
女性はゆっくりと言葉を選ぶ。
「別れる前、お父さんがあの子にね」
少しだけ優しい声になった。
「『周りの人には優しくするんだよ。いつか、かならず迎えにくるから』って、そう言って送り出したらしいの」
結禍は息を呑む。
「だからなのかしらね」
女性は茉宵の部屋の方へ目を向ける。
「誰かが困っていると放っておけない子になったの」
どこか心配そうな顔だった。
◇
廊下から足音が聞こえた。
部屋の扉が開き、茉宵先輩が居間へ戻ってくる。
「お待たせ」
左手には新しい包帯が巻かれていた。
「もう大丈夫です」
そう言って、いつものように穏やかに微笑む。
その笑顔を見て、結禍は胸の奥が少しだけ締めつけられた。
自分の傷は消えた。
代わりに、この人が傷ついた。
その事実が頭から離れない。
「……あの」
意を決して口を開く。
茉宵は優しく首を傾げた。
「どうしたの?」
「その……今度、私の家の近くにある神社へ、一緒に来てもらえませんか?」
「神社?」
茉宵は少し驚いたように聞き返す。
「いいじゃない」
年配の女性がにこりと笑った。
二人を見比べながら頷く。
「たまには学校のお友達と出かけるのもいいでしょう?」
「おばさん……」
茉宵は少し照れくさそうに笑う。
「神社なら安心だしね」
そう言われると、茉宵も小さく笑みを浮かべた。
「……うん」
結禍へ向き直る。
「次の土曜日なら時間があるよ。案内してくれる?」
「――はい!」
結禍は嬉しそうに頷いた。
こうして二人は、次の休日に神社へ向かう約束を交わした。




