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27話【来なかった迎え】

27話

「はい。これを持って」


 居間に案内された結禍(ゆいか)に、先輩は一羽の折鶴を手渡してきた。


「え……?」


 意味が分からないまま受け取る。


 その瞬間だった。


 折鶴が、ふわりと温かくなった。


 左手を包む痛みが、すっと引いていく。


「……あれ」


 恐る恐る手のひらを見てみる。


 さっきまであった左手の傷は、跡形もなく消えていた。


「そんな……」


 驚いて顔を上げる。


 そのとき、結禍(ゆいか)の視線は先輩の左手で止まった。


「え……」


 先ほどまで何もなかったはずの左手に、小さな傷が浮かび上がっている。


 まるで、自分から移ったかのように。


「なにが……」


 先輩は痛みなど気にした様子もなく、小さく笑った。


「驚くよね」


 制服のポケットから、一枚の絵札を取り出す。


 描かれているのは、【折鶴と盃】。


 見覚えのある祭りの絵札だった。


「え? それは!」


 彼女はそれを静かに胸へ当てる。


「この子、澱鶴(おりづる)は、私に力を貸してくれるの」


 優しく絵札を撫でる。


「誰かの傷を治す力を」


 結禍(ゆいか)は言葉を失った。


 神社に残る十枚の絵札と同じ存在。


「それじゃあ、その傷は……」


 問いかけようとした、その時だった。


茉宵(まよい)? 帰ってきてたの?」


 廊下の向こうから、年配の女性の声が聞こえた。


 買い物袋を提げた女性が居間へ顔を出す。


「あら」


 女性は結禍(ゆいか)を見て、にこりと笑った。


「お友達?」


「学校の子です」


 先輩が穏やかに答える。


「少し手当てをしてたの」


「そうだったの」


 女性は少し悲しそうに頷き、結禍(ゆいか)へ向き直った。


「あなた、お家は近く?」


「……山の方です」


「神社の近くで」


 結禍(ゆいか)が答えると、女性は少し考えるように首を傾げた。


「山の方……」


 そして、何か思い当たったように目を丸くする。


「ああ! 梟綴(ふくろとじ)の」


「はい。そこです」


「……梟綴(ふくろとじ)?」


 茉宵(まよい)先輩は聞き返した。


「今は町に合併されちゃったけど、昔はあの辺り一帯は『梟綴(ふくろとじ)村』って呼ばれていたのよ」


 そのとき、母親は茉宵(まよい)の左手に気づき、少し心配そうな表情になる。


「あら、またどこかで怪我してきたの?」


「うん。かすり傷だから大丈夫」


「……早く手当てしてきなさい」


「はい。この子をお願いします。すぐ戻りますから」


「ええ、分かったわ。ちゃんと消毒するのよ」


「はい」


 茉宵(まよい)先輩はそう言って居間を出ると、廊下の奥の部屋へ入っていった。


 扉が閉まる音がして、しばらく静かになった。


 年配の女性は、その音を確かめるように耳を澄ませると、小さく息をついた。


「……あの子、学校では最近どう?」


 突然の質問に、結禍(ゆいか)は瞬きした。


「え?」


「ちゃんと笑えてる?」


「えっと……」


 結禍(ゆいか)は返事に詰まる。


 まだ会ったばかりで、学校での茉宵(まよい)先輩のことなど何も知らない。


「ご、ごめんなさい。私、お母さんとは初めて会いましたし……」


「あら、そうよね、ごめんなさいね」


 女性は少し遠くを見るような目になる。


「昔からね、あの子はいろんな子に絆創膏を渡したり、転んだ子を保健室まで連れて行ったり……誰かの役に立ちたくて仕方ない子だったの」


 懐かしそうに微笑む。


「でも最近は、なんだか怪我をして帰ってくることが増えちゃって……」


「……怪我、ですか?」


「本人は『転んだだけ』とか『大したことない』って笑うんだけどね」


 女性は苦笑しながら肩をすくめる。


「昔から無茶をする子だから」


 結禍(ゆいか)は思わず、先ほど傷の浮かんだ茉宵(まよい)の左手を思い出した。


「えっと……お母さん?」


 女性は、はっとしたように笑う。


「ごめんなさいね。初対面の子にこんな話」


 そして、小さく呟いた。


「……そうなれたら良かったんだけどねぇ……」


「え?」


 意味が分からず聞き返す結禍(ゆいか)


 女性は少しだけ考えるように視線を落とし、それから静かに口を開いた。


「実はね、あの子は私の実の娘じゃないの。私が引き取った親戚の子なのよ」


 結禍(ゆいか)は目を見開く。


「両親が離婚してね。お母さんに引き取られたんだけど、そのお母さんも病気で亡くなってしまって……」


 女性は寂しそうに微笑んだ。


「離婚してしばらくは、お父さんから養育費も送られてきていたらしいの。でも、三年くらい経った頃には、もう振り込まれなくなってしまって……」


 少しだけ困ったように笑う。


「何か事情があったのかもしれないけれど、いつの間にか引っ越してしまっていてね。電話番号も住所も変わっていて、こちらから連絡を取ることもできなくなっていたの」


 女性は静かに続けた。


「それで、親戚だった私が引き取ることになったの」


 結禍(ゆいか)は黙って耳を傾ける。


「亡くなったお母さんから聞いた話だけど……」


 女性はゆっくりと言葉を選ぶ。


「別れる前、お父さんがあの子にね」


 少しだけ優しい声になった。


「『周りの人には優しくするんだよ。いつか、かならず迎えにくるから』って、そう言って送り出したらしいの」


 結禍(ゆいか)は息を呑む。


「だからなのかしらね」


 女性は茉宵(まよい)の部屋の方へ目を向ける。


「誰かが困っていると放っておけない子になったの」


 どこか心配そうな顔だった。


    ◇


 廊下から足音が聞こえた。


 部屋の扉が開き、茉宵(まよい)先輩が居間へ戻ってくる。


「お待たせ」


 左手には新しい包帯が巻かれていた。


「もう大丈夫です」


 そう言って、いつものように穏やかに微笑む。


 その笑顔を見て、結禍(ゆいか)は胸の奥が少しだけ締めつけられた。


 自分の傷は消えた。


 代わりに、この人が傷ついた。


 その事実が頭から離れない。


「……あの」


 意を決して口を開く。


 茉宵(まよい)は優しく首を傾げた。


「どうしたの?」


「その……今度、私の家の近くにある神社へ、一緒に来てもらえませんか?」


「神社?」


 茉宵(まよい)は少し驚いたように聞き返す。


 「いいじゃない」


 年配の女性がにこりと笑った。


 二人を見比べながら頷く。


「たまには学校のお友達と出かけるのもいいでしょう?」


「おばさん……」


 茉宵(まよい)は少し照れくさそうに笑う。


「神社なら安心だしね」


 そう言われると、茉宵も小さく笑みを浮かべた。


「……うん」


 結禍へ向き直る。


「次の土曜日なら時間があるよ。案内してくれる?」


「――はい!」


 結禍(ゆいか)は嬉しそうに頷いた。


 こうして二人は、次の休日に神社へ向かう約束を交わした。

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