23話【碑文に刻まれたもの】
紅葉は、ふと五鈴ばあちゃんの手元へ目を向けた。
小さな買い物袋から、赤い文字の入った細長い包みが少しだけ覗いている。
「そういえば」
紅葉が首を傾げる。
「今日は、どうして神社に来たんですか?」
「ん?」
五鈴ばあちゃんは足を止めると、袋の中からその包みを取り出した。
赤と白の細長い袋。
見慣れた菓子だった。
「これを供えにねぇ」
軽く掲げて見せる。
「……千歳飴?」
思わず未充が声を上げる。
惑華も意外そうに瞬きをした。
「七五三の?」
「そう」
五鈴ばあちゃんは穏やかに頷く。
「悠久様は、千歳飴を求めているからねぇ」
一瞬、その場が静まり返る。
「……え?」
紅葉が思わず聞き返す。
「千歳飴、ですか?」
「そうだよ」
五鈴ばあちゃんは当たり前のことを話すように笑った。
「昔から、そう言われてるの」
未充が小さく首を傾げる。
「神様って、お酒とかお米じゃなくて?」
「ふふ」
五鈴ばあちゃんは少しだけ笑うと、そのまま境内の奥へ歩き始めた。
「来なさい」
紅葉たちは顔を見合わせ、小さく頷くとそのあとを追った。
拝殿の脇を抜け、人目につきにくい境内の隅。
木立に半ば隠れるように、小さな石碑が建っていた。
目の前の石碑には苔がびっしりと張りつき、角は長い年月で丸く削れている。
表面に刻まれた文字も、ほとんど風雨に消されていた。
【悠久トイウ……ガイタ。父ノ顔ハ知ラ…イ。
父………ハ那…多トイイ、………生マ…ル前ニ亡クナッテ……。
母………ハ遺サレタ一人息子…………大切ニ育テタ。
ダガ、………幼イ頃…彼女モマタ………姿ヲ…シタ。
父ヲ知ラズ、…モ消エテモナオ、悠…ハ立派ナ……………シタ。
再会ハ起………。
…会ヲ果タシタ……ハ子ヲ………イタ。
身重ノ………トナッテイ………ニハ、…デニ………家族ガイタ。
ホドナク………ノ娘ガ………エニキタ。
姫君ハ刹那ト名乗リ………ヲ連レテ去ッテ………。
残サ…タ悠久ハ……人ヲ責メ…レナカ…タ。姫君ヲ憎メナカッタ。
タダ、共ニ………千歳…求メ………イタ。
ソ…ヲ生…、口ニスル事…無……タ。】
「これ……」
桜子が身をかがめる。
紅葉も隣へしゃがみ込み、石肌へ目を凝らした。
掠れた文字は、ほとんど判読できない。
けれど。
「千歳……求メ……イタ」
紅葉が小さく呟く。
その下にも、薄く。
「口ニスル事……無……タ」
と文字が残っている。
「『千歳を求めていた。口にする事は……なかった』……かな?」
完全には読めない。
それでも、石へ残っている文字を拾っていくとそう読めた。
五鈴ばあちゃんは慣れた手つきで石碑の前へ千歳飴を供える。
それから静かに両手を合わせ、目を閉じた。
境内を吹き抜ける風が、木々をやさしく揺らす。
誰も声を出さなかった。
しばらくして。
ぽつり、と。
「……お墓みたい」
惑華が、小さく呟いた。
「『……お墓みたい』か」
五鈴ばあちゃんはしばらく石碑を見つめたあと、小さく笑った。
「そう思うかい」
その言葉に、全員の視線が集まった。
「いや、実際この石は墓地から移されたものらしいんだ」
五鈴ばあちゃんは石碑を見つめたまま、ゆっくり話し始める。
「昔、道を広げるか何かで小さな墓地を移すことになったとき、『この石は神社に縁あるものだから』って、ここへ移されたって聞いてるよ」
「神社に……縁あるもの?」
紅葉が思わず聞き返した。
「そうさ」
五鈴ばあちゃんは穏やかに頷く。
「昔から、この神社では悠久様は天女の子だったと言い伝えられていてねぇ」
五鈴ばあちゃんは拝殿の方向へ目を向けた。
「御神体として納められている箱――その中身は、天女の遺骨なんだと」
五鈴ばあちゃんは静かに笑った。
誰も言葉を返せない。
ただ、風が木々を静かに揺らした。
「御神体の中身が……遺骨?」
紅葉は思わず息を呑み、拝殿と石碑を見くらべた。
――御神体には、天女が遺した包みが納められているはずではなかったのか。
目を丸くして黙った紅葉に五鈴ばあちゃんは苦笑した。
「本当かどうかは、誰にも分からないよ。昔からの言い伝えだからねぇ」
そう言ってから、今度は桜子へ目を向けた。
「この神社にはねぇ、悠久様にまつわるものが、まだ他にも残っている」
「お祭りで使う絵札、あるだろう?」
桜子は小さく頷く。
「はい」
「あの十枚の絵札はね、悠久様の心の欠片だと言われてる」
結禍が静かに眉を寄せる。
「心の……欠片」
「そう」
五鈴ばあちゃんは遠い昔に聞かされた言葉を思い出すように目を細めた。
「昔、この土地の古い家々が、それぞれ一枚ずつ受け入れて祀ったんだ」
「私があんた達くらいの頃はねぇ、お祭りのお役目で持つ絵札も家ごとに決まっていてな」
「うちは"髪飾りと鈴"の絵札を、おまえさんとこ……鴇食の家は"和本"の絵札を受け持つ家だったんだ」
そして桜子を見て、少し寂しそうに笑う。
「今じゃ残ってるのは、うちと、おまえさんの家くらいだけどねぇ」
桜子は静かに頷いた。
「絵札にはそれぞれ名があってね。"髪飾りと鈴"の絵札は『許しが絶たれる』と書いて、"許絶"という名で呼ばれていてね」
五鈴ばあちゃんは懐かしそうに目を細めた。
「おまえさんの家の、和本の絵札の名前は……、確か、『時を記す』と書いて"時記"だったねぇ」
桜子はその名前に一瞬驚き、黙って頷いた。




