18話【彼らは神未満(あやかし)】
「――それで」
部屋の奥で今まで黙っていた結禍が、不満そうな低い声で口をひらいた。
その左目には、白い包帯が巻かれている。
不機嫌そうに頬杖をつき、じろりとした視線が桜子へ向く。
「……なんで、私まで連れてこられてるの」
吐き捨てるみたいな声音だった。
桜子は「え……っ」と肩を竦める。
「だって、絶対逃げようとしてたじゃん」
「……」
「その目だって治療しなきゃだったし」
桜子は腕を組んで、むっとした顔になる。
「放っといたら、“平気”とか言ってどっか行こうとしてたでしょ」
結禍は答えない。
けれど、その沈黙が肯定みたいだった。
惑華が小さく「あー……」と苦笑し、未充も気まずそうに視線を逸らす。
「……余計なお世話」
結禍がぼそりと呟く。
「はいはい」
桜子はため息混じりに返した。
「でも、今回は逃がさないから」
桜子がそう言ったとき。
紅葉は、包帯の巻かれた左目を見つめた。
あの瞬間を思い出す。
『左目!』
結禍が叫んだ直後。
見えづらくなっていた視界が、突然はっきり戻った。
あれは。
間違いなく、結禍が何かをしたのだ。
「……その目」
思わず、声が漏れる。
結禍がぴくりと肩を揺らした。
「何を、したの……?」
静まり返る社務所。
結禍はすぐには答えなかった。
ただ、包帯の上へ指先を触れ――わずかに目を伏せる。
その横顔が、妙に痛々しく見えた。
「――願いの代償だよ」
ぽつり、と。
諦めたみたいな声だった。
「紅葉が払うはずだった代償を、私が引き受けた」
「え……」
紅葉の息が詰まる。
結禍は呼吸を整えようとするみたいに、一度だけ強く目を閉じた。
それから、小さく呟く。
「……この子たち、神様なんかじゃない」
結禍は、自分の包帯の巻かれた左目へ触れた。
「……不完全なの」
その声は静かだった。
「欠けた存在なの。
人の願いを叶えられるほど、完成してない」
結禍は、包帯へ触れたまま続ける。
「だから、この子たちは願いを叶えるたびに、“足りない分”を埋めようとする」
社務所の空気が静まる。
「欠けたままじゃいられないから。
誰かから奪って、満ちた存在になろうとするの」
桜子が、ぎゅっと唇を結ぶ。
「願いを形にするために。
無理やり、辻褄を合わせるために。
誰かから、大事なものを奪って」
未充と惑華も、黙って話を聞いていた。
「……代償は、神様自身にも完全には分からないみたいなの」
「……?」
紅葉がぱちりと目を瞬かせる。
「何を持っていくかは、その時にならないと決まらない。
記憶だったり。
身体だったり。
時間だったり。
“何かをすること”だったり……」
結禍はそこで一度言葉を切る。
「でも」
包帯を押さえる指先に、力がこもった。
「代償として差し出すものは、ある程度選べる」
静かな声だった。
「神様の欠け――その飢えを満たせるだけの供物なら」
その瞬間。
未充は、はっと息を呑んだ。
『私たちがこの願いを願った事を忘れさせてください――』
二日前。
自分たちが神様へ告げた願い。
あれが。
自分たちの差し出した“供物”だったのだ。
社務所の空気が静まり返る。
紅葉は、自分の左目をそっと触った。
さっきまで失われかけていた視界。
もし、結禍が来なかったら。
本当に、自分は。
「……なら」
紅葉は掠れた声を出す。
「ならなんで、私を助けてくれたの」
「――っ」
結禍は否定しなかった。
社務所の空気が静まり返る。
虫の声だけが、遠くで鳴いていた。
――そのとき。
「えいっ!」
場違いなくらい気の抜けた声が響いた。
同時に。
――ぶつり。
まるで、張り詰めていた縄が切れたみたいな音がした。
「……え?」
思わず、全員の視線がそちらへ向く。
そこには。
未充が、燭台を片手に立っていた。
蝋燭の火が、ゆらゆらと揺れている。
「未充ちゃん!?」
紅葉が目を見開く。
未充は悪びれもなく、てへっと笑った。
「なんか、言いそうになるの我慢してる感じだったから」
そう言って、手にした燭台を軽く持ち上げる。
「朽縄にお願いしちゃった。迷惑かけたお詫びってことで」
「――は?」
桜子が固まる。
惑華は「ちょっと未充!? 話聞いてたの!?」と青ざめていた。
けれど。
もう遅かった。
「……っ」
結禍の肩が、大きく震える。
まるで、喉元までせり上がっていた何かを、無理やり押し戻していた栓が外れたみたいに。
「ち、が……」
掠れた声が漏れる。
結禍は口元を押さえた。
止めようとしている。
なのに。
言葉が、零れる。
「……紅葉は」
呼吸が乱れる。
「昔から、そうだった」
紅葉が息を呑む。
結禍は俯いたまま、言葉を止めようとする。
けれど、今度は止められなかった。
「紅葉が……」
唇が震える。
「紅葉姉さんが……!」
その瞬間。
社務所の空気が、凍った。
「……え?」
紅葉が、呆然と目を瞬かせる。
姉さん。
今。
結禍は、確かにそう呼んだ。
結禍自身も、言ってしまったことに気づいたみたいに息を止める。
「ちが、今の……」
慌てて口を押さえる。
けれど、もう遅い。
朽縄の火が、小さく揺れた。
理性を焼く、迷いを断つ炎。
隠していた言葉を、止められない。
「……紅葉姉が、あの日の事を覚えてるのなら、記憶を捧げていないのなら」
震える声だった。
「こんなに……よそよそしい、はずない……!」
結禍は、もう止まれなかった。
朽縄の火が揺れる。
押し込めていた言葉が、堰を切ったみたいに溢れ出す。
「――五年前」
結禍の声は、もう止まらなかった。
「あの日。
私を追いかけて、
紅葉姉さんが公民館に来て――」




