17話【藍色の目覚め】
浅い水の底から浮かび上がるみたいに、紅葉の意識がゆっくり戻っていく。
重たい瞼を開けると、
見慣れた木目の……社務所の天井があった。
「……ん……」
掠れた声が漏れた。
「あっ、起きた」
すぐ近くから声がする。
紅葉がゆっくり顔を向けると、座布団の上に座っていた桜子がほっとしたように肩を抜いた。
「桜子……ちゃん……。
なんで私、社務所に」
「倒れちゃったんだよ。結禍ちゃんと一緒に、ここまで運んだの。気分悪くない?」
「……ちょっと、くらくらする」
身体を起こそうとして、紅葉は顔をしかめた。
頭の奥が鈍く痛む。
「無理しないで」
桜子が慌てて背中を支える。
紅葉はぼんやりしたまま障子の方を見た。
外は暗い。
藍色の夜が、障子越しに滲んでいる。
「……え」
紅葉は瞬きをした。
「今、何時……?」
「七時くらい」
「七時!?」
思わず声が裏返る。
紅葉の記憶では、夕方の帰り道だったはずだ。
「そんな寝てたの!?」
「ううん。二、三時間くらい」
紅葉はもう一度、外を見る。
ついさっきまで夕焼けだった気がするのに、もう夜だった。
時間の感覚が、妙に曖昧だ。
そのとき、桜子がふっと顔を上げた。
「……起きたって、呼んでくるね」
「え……?」
紅葉が問い返す前に、桜子は立ち上がって襖の方へ向かった。
「二人とも、ずっと待ってたから」
そう言い残して、桜子は廊下へ出ていく。
足音が遠ざかって、すぐに小さな話し声が聞こえた。
「未充ちゃん、惑華ちゃん。紅葉ちゃん、起きたよ」
少し間があった。
それから、ためらうような足音が二つ、近づいてくる。
襖が静かに開いた。
そこに、未充と惑華が並んで立っていた。
「……起きた?」
静かな声で、未充が言った。
紅葉は目を見開く。
「未充ちゃん……!」
二人とも制服姿のままだった。
けれど、昼間みたいな穏やかな笑顔はない。
泣き腫らした目だけが、赤く残っている。
少しだけ気まずそうな沈黙。
すると、惑華が、隣の未充の脇腹を小さく肘でつついた。
「いたっ」
「ほら」
「……わ、分かってるって」
未充は露骨に視線を泳がせてから、観念したみたいに紅葉へ向き直った。
「……ごめんなさい」
その声は、昼間よりずっと小さかった。
惑華も静かに頭を下げる。
「ごめんなさい。……あと、ありがとう」
紅葉は目を瞬かせた。
未充は膝の上で拳を握る。
「……正直、まだ苦しい」
掠れた声だった。
「弟のこと、大好きなのに……たまに、嫌なこと考えそうになるし」
「未充……」
「でも」
未充は唇を噛んで、それでも続けた。
「それ、無かったことにするのは違った」
その隣で、惑華も小さく頷く。
「……逃げちゃ、だめだった」
社務所の中は静かだった。
遠くで虫の声だけが聞こえる。
「さっきね」
惑華がぽつりと呟く。
「お母さんと少し話したの」
「え……」
「全部じゃないけど」
未充が苦笑する。
「“お父さんのこと、まだちゃんと整理できてない”って」
「そしたら、お母さん泣いちゃってさ」
惑華が困ったように目を伏せる。
「“気づいてあげられなくてごめん”って」
紅葉は胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
完全に解決したわけじゃない。
これからも苦しむのかもしれない。
――でも。
少なくとも、“夢”の中には戻らなかった。
「……そっか」
紅葉が小さく笑った。




