15話【"ふたり"が 夢見た世界】
昼休み。
チャイムが鳴ると紅葉はすぐに立ち上がった。
「……行こう」
桜子も小さく頷く。
「どこか行くの?」
教室の後ろでお弁当の準備をしていた結禍が少しだけ視線を上げる。
「ごめん、ちょっと用事が……」
結禍は少しだけ眉を寄せた。
「――そう」
「ごめん」
「ううん」
結禍は静かに首を振る。
◇
二人が隣のクラスを覗くと、
賑やかな昼休みの光景が広がっていた。
机を寄せて弁当を広げるグループに、窓際でスマホを見せ合って笑っている男子。
あるいは、眠そうに突っ伏している生徒まで。
その中に――いた。
「あはは、だから違うってば」
未充が笑っていた。
昨日までと変わらない、明るい声。
その隣で、惑華も小さく口元を緩めている。
周囲のクラスメイトとも普通に話していた。
あまりにも、普通だった。
神社で震えて叫んでいた姿なんて。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
紅葉は思わず立ち尽くす。
「……未充ちゃん」
その声に、未充がこちらを向いた。
「あ、星ノ宮さん達じゃん。どした?」
軽い声だった。
何の陰りもない。
桜子の指先が、制服の裾をそっと掴む。
紅葉は慎重に口を開いた。
「……未充ちゃん、昨日」
「昨日?」
未充はきょとんと瞬きをする。
惑華も、不思議そうに首を傾げた。
「なにかあったっけ?」
ぞくり、と紅葉の胸がざわつく。
桜子が静かに一歩前へ出た。
「……神社で忘れ物してたよね」
一瞬だけ。
双子は顔を見合わせた。
本当に、少しだけ。
「神社?」
「行ってないけど」
嘘をついてる感じも、誤魔化している感じもしない。
本当に、“そんな事実は存在しない”と信じている顔だった。
教室のざわめきが、妙に遠く感じる。
紅葉は喉の奥が冷える感覚を覚えながら、さらに口を開いた。
「ふたりのお母さんに今朝、会ったの……お父さんが亡くなった事、とか聞いた」
未充は不思議そうに瞬きをした。
「お父さん?」
惑華が自然に続ける。
「うちのお父さん元気だよ?」
穏やかな声だった。
「朝も一緒にご飯食べたし」
その言葉に、紅葉は言葉を失う。
――怖い。
怒っているわけじゃない。
壊れているわけでもない。
むしろ――安心している。
痛みを忘れて。
矛盾を見ないまま。
二人だけの世界の中で、穏やかに笑っている。
未充が小さく笑った。
「星ノ宮さん達、なんか変だよ?」
「うん」
惑華も静かに頷く。
「疲れてるんじゃない?」
その言葉は優しかった。
だからこそ、怖かった。
まるで、自分達こそ“正常”だと言われているみたいで。
「? 星ノ宮さん……大丈夫?」
未充は笑っていた。
昨日、泣きながら神社を飛び出した少女と同じ顔で。
けれど、その目には何も残っていなかった。
紅葉は言葉を探す。
――問い詰めればいい。
昨日、神社に来たこと。
朽縄を呼んだこと。
時記の見せた夢の中で、
未充と惑華が神様に――偽霞に願ってたこと。
「……未充ちゃん」
もう一歩、踏み込もうとしたとき。
「――紅葉」
背後から、静かな声がした。
振り返ると、結禍が立っていた。
片手に弁当箱を持ったままこちらを見ている。
「そろそろ食べ始めないと……、休み時間が終わっちゃう」
結禍の視線が未充と惑華に移る。
「……何かあった?」
紅葉は答えられない。
桜子も唇を噛んだまま、視線を落とす。
未充が明るく手を振った。
「なにもないよー。星ノ宮さん達がちょっと変なこと言ってただけ」
「うん」
惑華も静かに頷く。
「疲れてるんだと思う」
結禍の目が、ほんの少し細くなる。
けれど、ここでは何も言わなかった。
「そう」
短く答えて、紅葉の袖を軽く引く。
「戻ろう。食べないと午後もたない」
紅葉はまだ未充たちを見ていた。
何か言わなきゃいけない。
今ここで、引いてはいけない。
そう思うのに、言葉が出ない。
桜子が小さく囁いた。
「……ここじゃ無理だよ」
紅葉は唇を噛み、ようやく頷いた。
「……ごめん。また後で」
未充は不思議そうに首を傾げる。
「うん? またね」
惑華も小さく手を振った。
その仕草は、あまりにも普通で紅葉に背筋が冷えるのを感じさせる。
結局、紅葉は結禍に促されるまま教室へ戻った。
◇
教室へ戻ると、昼休みのざわめきが、さっきまでより妙に遠く聞こえた。
誰かの笑い声。
机を引く音に、購買のパン袋を開ける音。
どれもいつもの昼休みなのに、紅葉には現実感が薄い。
結禍が先に自分の席へ戻り、弁当箱を机へ置く。
「……座ろ」
紅葉と桜子も、小さく頷いて席へ戻り三人は机を寄せる。
いつもの形。
いつもの距離。
なのに空気だけが、ひどく重かった。
紅葉は鞄から弁当箱を取り出しながら、小さく息を吐く。
「……なんか、食欲ない」
「食べないと午後つらいよ」
桜子が静かに言いながら、箸を割った。
結禍も黙って弁当箱の包みをほどく。
少しの沈黙。
周囲では誰かが笑っていた。
その明るさが、今はやけに遠い。
紅葉は卵焼きを一口だけ食べる。
集中できず、味がよく分からなかった。
桜子も小さく「いただきます」と呟いて箸を動かす。
結禍はすでにいつもどおり小さなタコさんウインナーへ箸をのばしていた。
結禍はウインナーを口へ運ぶ。
――次の瞬間だった。
「……っ」
結禍の肩が、びくりと震えた。
口元を押さえ、慌てたように顔を伏せる。
「結禍ちゃん?」
紅葉が声を上げる。
結禍はそのまま、口に入れたものを急いでティッシュへ吐き出した。
紅葉と桜子は固まる。
「だ、大丈夫……!?」
桜子が慌てて水筒へ手を伸ばす。
結禍はすぐに首を横へ振った。
「……へいき」
声が少し掠れていた。
結禍はティッシュを折り畳みながら、ゆっくり息を整える。
それから、弁当箱の中のウインナーを見る。
まだ二つ残っている。
結禍は困ったように、じっとそれを見つめた。
結禍はもう一度、恐る恐るウインナーへ箸を伸ばしかける。
けれど途中で止まった。
指先が、まるで拒絶するように小さく震えている。
「……だめか」
結局、そのまま箸を下ろした。
どこか恨めしそうに肩を落とす。
紅葉は思わず結禍を見た。
(……あれ?)
結禍は、ウインナーが大好物だったはずなのに。
誰も、すぐには言葉を出せなかった。
――キーンコーン、カーンコーン。
そこで、昼休み終了のチャイムが鳴った。




