14話【"ふたり"の夢見る世界】
二人は朝の住宅街を歩いていた。
昨日より空は明るいのに、胸の奥の重さは消えなかった。
「まずは普通に話そう」
桜子が言う。
「未充ちゃんに会わせてもらって……それから考える」
「……うん」
紅葉は頷く。
やがて、目的の家が見えてきた。
二階建ての、ごく普通の家だった。
庭先に干してある洗濯物が風に揺れている。
どこにでもある、普通の家だ。
紅葉はインターホンを押した。
ほどなくして、家の中からぱたぱたと足音が近づいてきた。
ガチャっと音をたて玄関の扉が開く。
「あら?」
出てきたのは、柔らかそうな雰囲気の女性だった。
未充と惑華の母親だろう。
二人の面影がよく似ている。
紅葉と桜子を見ると、少し驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかに笑った。
「もしかして未充か惑華のお友達?」
「……はい」
紅葉は軽く頭を下げる。
「忘れ物、届けに来ました」
そう言って、未充のスクールバッグを持ち上げる。
「あらまあ……」
母親は困ったように笑った。
「ごめんなさいねぇ、わざわざ」
「いえ」
桜子が静かに答える。
母親はバッグを見て、それから少しだけ申し訳なさそうに目を伏せた。
「あの子たち、昔から抜けてるところあるのよ」
苦笑する声は、どこにでもいる母親そのものだった。
「あの子達も小さい頃から、私たちのことで気を遣わせちゃってるから、気が抜けてしまうのかしら」
「……気を遣う?」
母親は、小さく頷いた。
「ええ。私、再婚してるんです。そのことで、やっぱり色々無理させちゃったから」
「――――!」
その言葉に紅葉と桜子は一瞬だけ視線を交わした。
(……あれ? 忘れてる……わけじゃ、ない?)
未充の記憶では、母親は“最初から今の父親が本当の父親だった”みたいに振る舞っていたはずだ。
でも今、目の前の母親は普通に“再婚”と言った。
まるで、未充が見た“おかしな朝”なんて最初から無かったみたいに。
紅葉は慎重に口を開く。
「……その」
声が少しだけ掠れる。
「未充ちゃん、いますか?」
「いるわよ?」
母親は何の違和感もなく答えた。
「昨日は珍しく、ひとりで帰ってきたのよ」
そこで少しだけ首を傾げる。
「でも、今は部屋で惑華と一緒にいるわ」
そして、少しだけ困ったように笑う。
「ほんと、あの子たち仲良しすぎるくらい仲良しだから」
彼女はそれすら微笑ましそうに笑っていた。
桜子が静かに尋ねる。
「……未充ちゃん、昨日なにか変じゃありませんでした?」
「変?」
母親はきょとんとした。
「うーん……昨日は、そうねぇ」
少し考え込む。
「ああ。そういえば夜、二人が泣いていたかしら」
紅葉の喉が、ひくりと鳴る。
「泣いて……」
「ええ。たまにあるのよ。
私、前の夫とは死別してるんです。それであの子達、お父さんのこと思い出しちゃう時があるみたいで。昨日が月命日だったのもあるのでしょうけど」
(――前の夫。)
その言葉で、二人は理解した。
少なくとも、“母親の記憶”は消えていない。
じゃあ、未充が見たものは何だったのか。
夢?
改変?
それとも――。
母親は、二人の様子に気づかないまま続ける。
「私ね、あの子たちには本当に苦労かけたと思ってるの」
玄関先で、少しだけ遠い目をした。
「再婚した時も、弟が生まれた時も、“お姉ちゃんだから”って我慢ばっかりさせちゃって」
声は穏やかだった。
けれど、その奥に小さな悔恨が滲んでいる。
「本当は、もっとちゃんと向き合わなきゃいけなかったのかもしれないわね」
風が、洗濯物を揺らした。
紅葉は言葉を返せない。
桜子も黙ったまま母親を見つめている。
「ああ、ごめんなさいね。湿っぽくなってしまって」
苦笑しながらも、彼女は二階へ向かって呼びかけた。
「未充ー? お友達、来てるわよー」
二階へ向けた声が、家の中へ響く。
少し遅れて。
「……はーい」
くぐもった返事が返ってきた。
ぎし、ぎし、と古い木の段が鳴り、
階段の途中に、制服姿の未充の姿が現れる。
「――!」
未充は紅葉達の姿に気づくと、表情が凍った。
「未充ちゃん……!」
紅葉が思わず声を上げる。
すぐに未充は踵を返した。
ぱたぱた、と駆ける音を響かせて二階へ戻っていく。
「あっ……!」
紅葉が一歩踏み出しかける。
けれど、その前に母親が呆れたように息をついた。
「もう、なにしてるのあの子は」
そう言って階段へ向かう。
「未充! 友達が来てるのに失礼でしょ!」
ぱたぱたと、今度は母親が二階へ上がっていく。
紅葉と桜子は、玄関先で顔を見合わせた。
胸の奥がざわざわする。
嫌な感じだった。
さっきの未充の顔。
あれはまるで――。
「……逃げた?」
桜子が小さく呟く。
紅葉は答えられない。
二階からは、扉を開ける音が聞こえる。
「未充? ちょっと――」
そこで母親の声は止まった。
数秒の沈黙の後。
母親の階段を降りる足音が戻ってくる。
「あら……?」
紅葉達の姿を見ると、彼女は、まるで今はじめて二人に気づいたみたいに、不思議そうに瞬きをした。
「もしかして未充か惑華のお友達?」
「……え?」
紅葉の声が掠れる。
そして申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさいね、せっかく来てくれたのに。
もう家の娘達は部屋にいなかったから学校にいったみたいなの」
紅葉と桜子は何も言えなかった。
今、確かに見た。
未充は二階へ戻った。
なのに。
母親は『部屋にいないから学校に行ったみたい』だと言う。
桜子の指先が、制服の裾をぎゅっと掴む。
(……やっぱり、おかしい)
「まったく、『いってきます』も言わないで」
母親はそんな二人の様子にも気づかないまま、困ったように笑っている。
「あの子たち、学校では最近どう?」
「……最近?」
桜子が慎重に聞き返す。
「ええ。やっぱり昔再婚してから、色々我慢させちゃって……。
私にも言えない事があるみたいで……母親失格ね」
そこで母親は少しだけ目を伏せた。
紅葉と桜子は、また視線を交わす。
忘れていない。
母親は、“前の夫”をちゃんと覚えている。
再婚のことも。
双子の苦しみも。
なのに、未充の見た世界では、それが塗り潰されていた。
まるで、家の中だけ現実が揺れているみたいに。
桜子が、小さく頭を下げた。
「……すみません。朝早くに」
「ううん、こちらこそごめんなさいね」
母親は柔らかく笑う。
「学校では未充と惑華とは仲良くしてね」
「……はい」
ふたりは弔鐘家の玄関を離れ、門を出る。
少し歩いたところで紅葉はようやく息を吐いた。
「……なに、今の」
桜子もすぐには答えられない。
朝の風が妙に冷たい。
「未充ちゃん達、家にいるよね」
紅葉は唇を噛む。
――玄関には靴が置きっぱなしだった。
「……でも、そろそろ行かないと遅刻するよ。学校で待ってみよう。来なかったら、その時に考えよう」
二人は、そのまま学校へ向かった。




