12話【迷いの終わり】
「――っ……!」
紅葉は、弾かれるように息を吸った。
視界が戻る。
そこは社務所だった。
薄暗い畳。積まれた古い冊子。夕闇の沈む障子。
桜子も、隣で肩を震わせている。
「……未充ちゃん?」
物音がした。
二人が振り向くと、未充が俯いたまま座っていた。
片手で顔を覆い、肩だけが小さく震えている。
「……私だ」
掠れた声だった。
「私が……惑華の背中を押したんだ……」
紅葉は息を呑む。
「未充ちゃん、それは――」
未充は答えなかった。
ゆっくりと顔を上げる。
涙で濡れた目は、けれどもう迷っていなかった。
そのことが、何より怖かった。
「2人とも、ごめん」
未充は虚空へ手を伸ばした。
何もないはずの空間から、トランプほどの大きさの絵札が現れる。
描かれているのは――【蝋燭とちぎれかけの縄】。
未充が絵札を手に取ると次の瞬間、未充の影が畳の上で揺らいだ。
――彼女の手が、影へと触れる
――彼女の手が、影の向こうの何かを掴む。
それは燭台。
それは逡巡の具現。
縁故と理性の形。
貴婦人が、なぜ我が子を蔑ろにしてしまったのか。
子は真実を前に、なぜ行動できなかったのか。
すがり付いていれば。兄だと明かせていれば、未来は変わったのか。
観念の果て、その情念の一欠片。
理性を焼き、迷いと躊躇を許さぬ狂乱。
黒い影を裡から引き裂くようにして、顕れるのは……。
――理性の炎灯す燭台。
“逡巡を抱く影”の御霊の依代。
彼女の唇は紡ぐ。
蝋燭と朽ちかけの縄の姿で描かれるその名は――
「朽縄。――お願い。行こう」
一瞬、何かが切れる音とともに、蝋燭の火が揺れる幻が見えた気がした。
「未充ちゃん!」
紅葉が手を伸ばすより早く、未充は立ち上がる。
「星ノ宮さん、ごめんなさい」
それだけ言って、彼女は駆け出す。
引き戸が乱暴に開き、夜の空気が社務所へ流れ込んだ。
「待って!」
紅葉と桜子は慌てて、未充を追いかけて境内へ飛び出す。
石段の方へ向かう未充の背中が見えた。
けれど――速い。
その走り方には迷いがない。
ためらいがない。
振り返ることもない。
まるで、行く先だけが最初から決まっているみたいに。
「未充ちゃん!」
紅葉の叫びが、夜の森に吸い込まれる。
未充の背中は、石段の下へ消えた。
追いつこうと足を動かす。
けれど、境内を抜ける頃にはもう――
その姿は、夜の闇に溶けて見えなくなっていた。
桜子が息を切らしながら立ち止まる。
「……朽縄」
紅葉は、暗い石段の先を睨むように見つめた。
長い夜が、これから始まる。




