21.喧嘩
21
頭に血が上り、相手がナドヴァだということに気付くのが遅かった。赤の魔弾を打ち込んでからというもの、体勢を整えられていないまま戦闘が続いている。ほんの数時間前までただの呪われた子供だったはずの幸広だが、リーマに教えてもらったのか闇魔法の使い方をほぼ理解しているように感じる。
殺してはいけないのは一番厄介だった。プロロクツヴィはまだミシュレンカの魔力を幸広に移すことを諦めていない。そのためにはナドヴァが生きた状態でないと魔力の移行は出来ない。個人的には殺してしまいたいが、そうすることでオルヴァーハを救われるのならばそれを成し遂げる必要がる。
幸広に負けるなどありえない。いくら強力な闇魔法を幸広が打ち込んでこようと魔法の経験は遥かにこちらの方が上であり、何より自分は「シュプリーク」だ。この戦闘でさえ学ぶ場として考えることが出来る。にも関わらず覚醒してすぐの赤ん坊と同じようなレベルの奴に押されているこの状況がプロロクツヴィには堪え難かった。いちいち魔具を通さないと魔法が使えないのにも嫌気が指す。幸広はそんなものは使わずに魔法を発動出来ている。これが「ナドヴァ」と「シュプリーク」の違いか……こんなことなら前にリーマに提案された時に体内に魔具を埋め込んでおけばよかった。
正直ここまで心を乱されるとは思っていなかった。いつかは自分の正体をがバレることは想定していたが、実際目の前で兄の面をされると全身の毛穴が開き「こいつを殺せ」と魔力が煮えたぎる。この世界に来て魔力を得てから数百年という月日を生き、極力感情的にならないようにと努めてきた。それがこうも一瞬で崩されるとは。
自分の方が強いと言うその驕りが今の状況を作り出したのか。いや、そんなものだけではない。もっと根底に屈辱的な何かが渦巻いている。
「軍師さーん、どないしたんやー?疲れてるんちゃうか?こんな昨日今日に力をもらって面白半分で使ってるような奴にやられっぱなしやで」
「大きなお世話だ」
闇属性の魔法しか通用しない幸広に何度も紫炎を打ち込む。こうしている間にも魔力は着実に減少している。
シュプリークがナドヴァと比べた時の欠点は使用できる魔力に限度があることだ。ナドヴァは外部から魔力を吸収出来、それを自分の力として利用することが可能だ。それは受けた魔法からのみに限らず、鍛錬次第では外気に漂う魔力でさえも吸収できるようになるらしい。対してシュプリークは魔力の器はその人間が生まれ持つ大きさが基準となる。器自体が小さければその程度しか魔法には活かせない。不幸中の幸いかプロロクツヴィの器は人並み以上の大きさがあり、且つこれまでの経験と知識で魔力のコントロールがには自信がある。魔力が減っているとしてもまだ限界は先だ。
だが今こうやって幸広と対峙することによって改めて感じたが、やはり彼の魔力の器は半端なくでかい。思っていた以上のものだ。
(何故、あいつがナドヴァ……)
先程からの何とも表現しづらい感情は嫉妬だった。そう考えると逆に頭が冴えてきた。ただの無い物ねだりだ。自分には「シュプリーク」という他に変え難いものがある。それに魔法の使い方を覚えたとしても流石に外気の魔力吸収までは出来ないはず。ならば……
「……これならどうだ」
落ち着きを取り戻したプロロクツヴィは魔具を振り下ろした。幸広の足元にいつの間にか大きな光の円が描かれており、そこから濃い紫色の光の柱が飛び出した。その攻撃に反応することができなかった幸広は直撃を受けて地面に落ちた。
プロロクツヴィはこれまで幸広が放った魔法を避けつつひっそりと地面に紫光の大きな円を描いていたのだ。彼から言わせてみれば幸広の攻撃などバカの一つ覚えのようにただひたすら魔弾を打ち込むだけのものだった。こういう奴ほどある程度の法則性を見抜いてしまえば後はひっくり返すだけだ。多量の魔力を持つ相手と戦闘をする際は一気に体力を奪うことが有効である。いくら魔力の量が多くてもそれを扱う者の体力が尽きればそこで終わりだ。
流石に闇魔法が直撃した幸広は立ち上がれずにいた。プロロクツヴィは自分の顔についた土埃を丁寧に白いハンカチでぬぐうと、地面に転がる幸広を見て鼻で笑った。
「ふっ……口ほどにもないな」
茶色の光でくるくると宙に渦巻きを描き、幸広に向けて魔具を振り下ろす。渦巻きはまるでロープのように幸広の体に巻きつき、身動きを封じた。背中の翼を使われても困るのでそれも遠慮なく巻き込んでいる。このロープの内部には闇の力も織り交ぜてあるので彼がいくら大人しくしていようとじわじわとダメージを与え続ける。
「……くっ」
身動きが取れない上に体の力が抜け、幸広は無様にも地面に顔を擦り付ける様にして横たわる。いつの間にか足枷までつけられ、体力のほとんどを奪い取られた幸広はされるがままとなっている。
「さぁ、大人しく降伏するんだな。お前にはまだやる事が残っている。それが終わったら私がこの手で殺してやる」
冷たい目でかつての兄を見下ろす。遠い昔に住んでいた狭い部屋の端で小さく座り込んでいた姿を思い出した。
(哀れな……)
正直あまりにも年月が経ち過ぎていて、現時点で本当にまだ恨みを募らせているかと言われるとはっきり答えられるほどの気持ちは薄れてきている。ただこの男を目の前にすると当時の傷が疼く。反射的にそうなるように体が出来ていると思えるほどだ。この男がこのシヴェトに来てから毎日がこうだった。
南の独立国で全てが終わると思い込んでいたプロロクツヴィは、まさか幸広が闇を増長させて帰ってくるとは思ってもみなかった。向こうで死んでくれればと思い、無理矢理にでも連れて行かせたのだ。ティトリーをパーティに同行させたのも、彼なら最悪幸広を捨てて帰ると思ったからだ。しかし実際は違った。
幸広が来てからというもの読みが外れる。余所者だったプロロクツヴィがこの世界で確立していられるのはその「読み」が当たるからだ。ラヴラフから貰った鏡の事もあるが、それ以上に勘がよく当たる。それを知った世間がプロロクツヴィ先導者と呼ぶほどだ。幸広はそれを悉く覆してくれる。幸広がフォンターナの結界をノーモーションで通り抜け、王女と接触しているなんて誰が思う。幸広にはこの世界の、プロロクツヴィの常識が通用しない。
(こんな奴、早く葬り去らなければ……)
離れたところでおそらくオルヴァーハに全てを知られたのであろう王女が地面に蹲り動かない。こうなる事は初めから分かっていただろうに、この自体を招いたのは彼女自身の責任だ。だが友人として止めなかったプロロクツヴィにも責任はある。むしろオルヴァーハが魔力を失ったのはある意味ではプロロクツヴィのせいだ。リーマと彼女を引き合わせたのが間違いだった。
だが悠長に絶望している暇はない。早く魔力を移して器の補修をしなければ王女自身の命も危ない。彼女の魔力が暴発を起こすとこの辺り一面が吹き飛ぶであろうし、流れ出た魔力がシヴェトを飲み込み終焉へと導いてしまう。そんなことは絶対に避けなければならない。
プロロクツヴィが王女の元へ連れて行くため幸広の傍へしゃがみこむと、それを見計らったかのように脇腹に勢いよく太い鞭のようなものが打ち付けられた。
「……!?」
完全に油断をしていたプロロクツヴィは湖の畔りにまで弾き飛ばされた。
それを見届けた幸広はゆっくりと立ち上がり、自分に巻かれた魔力のロープを引きちぎるとまるで埃を払うように残りの纏わり付いた光を払った。足首についた足枷は根元からボロボロと朽ちている。幸広の腰あたりから太いトカゲのような尻尾がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「やっぱ防魔って大事やねんな。習っといてよかったー」
「ぐっ……!どうして……」
本当に予想外のことをしてくれる。これまでこの男はこの尻尾を隠していたのだ。魔法での攻撃ならば魔力の気配で防ぐことは可能だったが、流石に物理攻撃までを予測することは出来なかった。
「リーマが魔法を覚えるんやったら先に防魔しろってむにゃむにゃ言うてくるから先に覚えたってん。けど教えてくれたんは初心者用みたいやねんけど、そんなん使ってたら『防御しまっせ!』って言うてるようなもんやろ?アレンジしてみてん」
幸広は手をぐるりと回すと防魔を発動させてドーム状の透明な壁を作ると、横切るように手で一線を切る。すると防魔の壁は幸広の体に沿ってぴったりと張り付いた。
幸広の言う初心者用とは普段皆が使う透明のドーム型の防魔のことだ。過去に防魔変形の研究もされてきたがこれまで成功したという話は聞かなかった。そもそも戦争の多いこの世界では一度に多くの人間を守ることを重要視されてきたため、大きさを変えることは必要とされきたが、硬い素材の防魔を変形させること自体は重要視されてこなかった。
「でもほんまかけといてよかった。さっきのドーンはさすがに死ぬかと思ったな」
生える尻尾を大きく振ると、空を切る音が響く。
「あいつ教えるの上手いから悪い奴やってへんと学校の先生とかやったらいいのに」
幸広は離れたところでオルヴァーハと剣を交えるリーマを見つめている。その隙を見てプロロクツヴィは魔具を取り出そうとするがどこにも見当たらない。
「探してんのってこれ?」
幸広の手の中にはプロロクツヴィの魔具が。先ほど攻撃を受けた際に反動で落としたのだ。
「……」
「これないと魔法使えへんのはなかなかしんどいな。俺は何もなくても使えるけど……兄妹やのにちゃうもんやなー」
くるくるとペン回しをしつつ近づいてくる。プロロクツヴィは後ずさるがすぐ後ろには湖が控えている。瘴気が満ちているようで、指が水に触れると焼けるような音と痛みが走った。
「お前……呪いを解きたいんじゃなかったのか……!」
「うーん……そうやねんけど、もうこっちにずっとおるんやったら別にこれでもいいかなって。このままリーマにくっついていくのも手ェやな」
その言葉にプロロクツヴィは一瞬目を見開いた。
(……ついて行った後自分がどうなるのか知ってて言ってるのか……?)
恐らくこの男はリーマが最終的に何をしようとしているのかを知らない。もし自分がこのままこの男に殺されたとしても最終的には……いや、しかしそれは避けなければならない。今はこの男に王女の魔力を移し目的を果たすまでは、何としてでも生き延びる道を選択しなければシヴェトを終焉に導いてしまう。プロロクツヴィは痛む身体をゆっくりと起こし、立ち上がる。
「……やはりお前は私が止めを刺さないといけないらしいな」
「えらい威勢えぇな。魔具もないのに勝算あんの?」
完全に舐められている。この男は目の前にいるのが誰なのかを完全に忘れているようだ。
(これは……極力使いたくはなかったが……)
プロロクツヴィは懐に忍ばせていた護身用の小さなナイフをかつて目の前の男に付けられた傷跡に突き刺した。
刺した部分から勢い良く黒い瘴気が吹き出し、プロロクツヴィはその一端を掴んだ。すると瘴気は一本の刀のような形に変化し、凝固された。
「……なにそれ」
「お前がくれた贈り物だよ……!」
間合いにまで足を踏み入れていた幸広に向けてプロロクツヴィは居合の様に素早く切り掛かった。
「っ……!」
幸広は既の所で避けるが、刃先は胸元を掠って傷を作る。その傷からはどろりとした黒い液体が流れ出た。
「これはお前に刺された傷からできた特別製の刀だ。斬った者に直接闇属性のダメージを与えることができる。まぁ……特に実用性はないがな」
「……ふん、俺には効果的ってことか」
胸元に出来た傷からは止めどなく液体が流れている。それがまた体力を奪っていく。しかし傷はそこまで深くはないはずだが、液体は止まる気配がない。これは、血か……?
(なんやこれ……)
血でも瘴気でもない。これは一体……
「ふ、ふふ……不思議な感覚だろう。流れ出ていくそれはお前の生命だよ。これは傷から斬られた者の生命を排出させることの出来る死刀だ。その傷が塞がらない限りお前の生命は延々と流れ続け、る……」
言い切る前にプロロクツヴィはフラつき、刀を支えにして膝を付く。そして大きく咳き込むと足元に大量の血を吐き出した。
「お前も大概重症やな。いろんな意味で……」
「……お互い様だ」
幸広の体も僅かだが揺れているのに気付く。やはり効果はあるようだ。しかしこの刀はそう何度も使えるものではない。この刀の欠点は使う者の生命力を糧にし、一振りで数年分の生命力を取られる。一撃が掠っただけでも良しとしなければ。
この死刀はいずれこのような状況になった時の為に遥か昔に闇の呪術師にこの刀を授けてもらった。いつかリーマも仕留めてやろうと思っていたので、奴もプロロクツヴィがこの刀を持っていることは知らないはずだ。
魔具がない今これを使うしかプロロクツヴィには戦う術がない。欠点を知られないように振る舞うことが今最大の課題だが、どうにも足に力が入らない。
(このまま保てるか……)
幸広はフラつく体を尻尾でバランスを取りながら近付いてくる。
(馬鹿か……わざわざ自ら私の間合いに入り込んでくるなど……)
刀を構えると幸広の異変に気付く。先ほどまでゆらゆらと揺れていた尻尾が見当たらない。また尻尾での攻撃か、そう考えた瞬間足元が微かに揺れ、咄嗟に大きくその場を飛び退く。するとそれまでプロロクツヴィがいた場所から幸広の尻尾が大きな音を立てながら地面を割って現れた。
「あぁ、バレてもーた」
尻尾を戻すと間髪いれずに自らの黒く伸びた爪でプロロクツヴィに切り掛かる。刀の力の影響で力が入らず、すぐに体勢を整えられなかったプロロクツヴィは転がるようにそれを避けた。その拍子に幸広の爪がプロロクツヴィの髪を切り落とす。
(髪が……!)
かつて長く美しかった黒髪が無残にも散っている。苦し紛れに持っていた死刀を振ると、刃こそ当たらなかったが瘴気の残刃が幸広の腕を切りつけた。
刀に使った力と半分以上の髪を切り落とされたプロロクツヴィは自力で立つことが出来なくなり、地面へと崩れ落ちた。
「はぁっ……はぁ……」
幸広の呼吸もかなり荒くなってきている。斬られた腕の傷は思ったより大きく、流れ出る黒い液体の量も格段に増えた。
「もう……終わらそう。限界や……」
幸広は斬られた方とは逆の腕をプロロクツヴィに向け、紫炎を作り始めた。プロロクツヴィはそれに備えようとするが上手く体を動かせない。髪を失ったことで魔力も半減してしまった。
(まずい……)
作り出される紫炎はみるみる大きくなっていく。
「結、さよならやで……」
かつて、自分の妹だった人……
その一瞬、あの頃のことを思い出し幸広は『冥』の顔に戻った。
だが、紫炎を放とうとした時、幸広の体に強い衝撃が走った。
じわじわと背中から腹にかけて痛みが広がる。見ると一本の槍が自分の体を貫いていた。
耐えられず血を吐き出すと、作り出した紫炎は行き場を失くし宙に消えた。
なんとか倒れずにその場に踏ん張り背後を振り向くと、そこには見知った顔が……
「……プロフ様から離れろ!この……化け物が……!」
怒りと焦りの表情を浮かべ、おそらく自身の槍を投じたのであろう体勢でストラッシュが幸広に向けて怒号を発する。
変わり果てた幸広の姿を見て彼はその化け物が自分の専属護衛対象であることに気付くことが出来なかったのだ。
何故か幸広の中でこんな姿でも「彼らなら受け入れてくれる」という確信があった。
(……ストラッシュ)
ストラッシュの言葉で幸広は全てを否定されたように感じ、頭の中は完全に真っ黒に染まった……




