出逢う時
他の数人の社員と共にエレベーターに乗り込み、目的の『10』階のボタンを押す。人が乗っているとは思えないほど静かな鉄の箱。
なぜエレベーターに乗ると自然と誰もが口をつぐむのだろう。
目的の階へ着き、他の社員に会釈をしながら廊下へ降りた。
やはり、あまり立ち入らない場所はやや緊張する。封筒を握り締め、企画部のフロアに足を踏み入れる。
受付の白を基調とした明るいロビーとは違い、フロア内はパーテーションで区切られ、幾重にも重なる書類や、何台ものパソコンの液晶が青白く光っている。
どこも休憩時間のため、残っている社員はまばらのようだ。どこからともなく、コーヒーの穏やかな香りが流れてきた。
『企画開発部』の表示を再度確かめ、近くを通り過ぎる社員にそれを託した。
毎日、受付に立っていて顔を知られているため、いちいち何処の誰かなどと名乗る必要もないし、聞かれることもない。
皆に共通しているのだろう、名もなき『受付の人』と。
難なく宿題を済ませることができ、少し肩の荷が下りたのを感じつつ、廊下を戻っていく。
背筋をピンと張り、大きめの歩幅を意識する。こうすることで、幾分歩き姿が美しくなるのだ。カツカツと足音を綺麗に立てるのも忘れずに。
前方から、一人の男性社員が書類に目を通しながら歩いて来ていた。誰かが来ているのは気付いたようで、目線を書類に落としたまま、軽く端に避ける様子を見せた。私もそれに合わせ、逆の方に身体を寄せる。
数歩で通り過ぎるところで、その男性が首から下げ、胸元で揺られている名札に目がいった。
――一ノ瀬 海斗――
……あ!! 海斗君だ……!!
ドクン! と鼓動が跳ね上がり、そのまま速くなる。一瞬で、身体中からぶわっと嫌な汗が噴き出した。
通り過ぎる時に少しでも顔を見るため、会釈をしながらバレないよう目だけそちらに向けた途端、逆にガバっと顔を覗き込まれた。突如として、視界全体に海斗君の顔が現れ、更にドンッ! と胸が激しく打たれる。
「今井……花音さん、だよね?」
私の胸元の名札を確かめながら、爽やかで屈託のない笑顔と優しい視線を向けられる。
「あ……はい……」
あまりにも突然のことに驚いて、目を見開いたままその視線を返した。彼は、自分の胸で揺れている名札を私の目の前に掲げながら続けた。
「同級生だった、一ノ瀬です。覚えてる? 先週、会議室で見かけて、もしかしたらそうかなって思ったんだけど、話しかけるタイミングなくて」
喉が渇きカラカラになっていくのを感じながら、必死に言葉を発する。
「……うん、覚えてる。中学、高校一緒だったから、6年間一緒だったん……だよね……?」
私は、お得意の貼り付けたような笑顔すら作り出すこともできず、ただ会話が終わらないように次の言葉を探していた。
だが、私の言葉を聞いて彼が軽く声を上げて笑った。
「ハハッ……違うよ」
「え? 違う……の?」
海斗君は目を細め、穏やかな表情で見下ろしてくる。
「小学校も。だから12年間だよ」
「え!? 12年も!?」
あまりにも驚いてしまい、思わず大きな声を発し、慌てて口元に手を当てた。
「そうだよ。ひどいな、忘れるなんて」
からかうように笑みを向けられ、思わず恥ずかしくなり視線を逸らしてしまう。
でも、こんなの全然自分らしくない。職場では冷静沈着、取り乱すことなんてなかったのに。そのことに薄っすら気付き始めると、身体の深い部分から焦りを感じてくる。
だが、12年はかなりの年月だ。20歳の成人を迎えた時点でも、人生の半分以上は共に過ごしていたことになる。
「そんなに一緒にいたんだ……」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、もう一つの疑問を投げかける。
もうこの時は、いつも気になる周りの視線すら感じなくなっていたし、むしろ世界に二人きり、のように周りが見えなくなっていた。
「海斗君はいつからここで働いていたの?
今まで会社内で会ったことなかったよね?」
「あー……うん。3カ月くらい前かな。他の会社からこっちに移ってきたんだよ」
その言葉で、朝に聞いた楓の言葉が自然と思い出された。
『優秀な人材をヘッドハンティングしている』
きっと海斗君は優秀なんだろう。仕事で頼りにされ、必要とされていることに羨ましさを感じた。
長い年数、同じ教育を受けていても、私たちは雲泥の差があるように思えた。同じ12年を過ごしたはずなのに、私はただ人形のように笑うだけの受付で、彼は求められてここにいる。
「花音さんは? 今から休憩?」
海斗君は、私の持っている、財布やスマホくらいしか入らない小さなバッグに目をやった。
「うん。そうなの」
「そっか、俺は今休憩から戻って来たとこ。
呼び止めてごめんな、休憩短くなっちゃったね。
……じゃあまた」
そう言って軽く手を振りながら、彼は企画部のフロアへ去って行った。その時にさりげなく左手を見るが、指輪は嵌められていなかった。
それだけのことで、仲間を見つけたような気持ちになり、心が軽くなる。
昔とは違う、広く、逞しくなった背をほんの少し見送り、私もエレベーターの方へ歩き出した。
私が笑顔を見せることができたのは、最後に「うん、また……」と返した時だけじゃないかな。
仕事が出来ると出来ないでは、笑顔の出し方の余裕も違うのかもしれない。
海斗君と別れた後も、しばらく胸の鼓動が鳴り止むことはなかった。




