答え合わせ
会計を済ませ、二人並んで夜道を歩く。飲み屋街は夜になっても人が多く、人混みに入るとはぐれそうになってしまう。
優真と距離が離れそうになり、思わず彼の左手にすがるようにつかまった。優真は軽く振り返り、微笑んだ後、離れないように手をしっかりと握り返してくれる。繋がった手のひらから、優真の温かい体温が伝わってくる。私の薬指に嵌まった指輪が、彼の皮膚に微かに触れた。
居酒屋の後は、優真のマンションに行くというお決まりコース。鍵穴に鍵を差し込み、カチャリと乾いた音を立てながら、優真がボソッと呟く。
「二週間、会いたかったよ。寂しかったんだよ」
そう言い、ドアを開けこちらを振り返る。愛おしそうな視線を送られる。
そうだ、この視線。ちゃんと私に向けてくれる人がいるんだ。
私は優真の胸に顔を埋めた。廊下を通り抜ける夜風が、ほんの少し冷たく感じられた。
シーツが擦れる、乾いた音が静かな寝室に響いている。
優真のベッドの上でいつも通りに抱きしめられ、いつも通りに身体を重ねる。それは、付き合って3年間、ずっと繰り返してきた、私たちの「当たり前」の夜のはずだった。
……なのに、どうしてだろう。
優真に触れられている肌が、まるで冬の夜のガラスのように冷たく強張っていくのがわかる。
かあっと身体の芯が熱くなるような快感の代わりに、胸の奥をじりじりと焼き焦がすような、酷い罪悪感が私を支配していた。
どうして――。
私は優真の婚約者なのに。誰にも後ろ指を指される筋合いなんてないのに。
優真の耳元に腕を回す。その私の左手薬指には、今日のためにわざわざ引き出しの奥から引っ張り出してきた、指輪が嵌まっている。
けれど、優真はその輝きに気づく素振りすら見せない。それどころか、行為の最中だというのに、彼の瞳には私の姿が映っていないような、そんな酷い空虚ささえ感じてしまう。
「婚約指輪」という最大の盾で自分を武装して、優真の愛に縋り付こうとしたのに、結婚の話は今夜も一歩も出なかった。
服をすべて剥ぎ取られても、この指輪は外されないというのに、存在していないのと同じように扱われるなんて……。
優真がフッと笑みを見せる。
「……会えなくて寂しかった? なんか今日は積極的じゃない?」
優真の吐息が首筋にかかるたび、息が詰まる。
ただ義務のように私の身体を求める優真の重みを感じながら、私の脳裏に、あの暗いロビーで一瞬だけすれ違った海斗君の、あの冷ややかで狂おしい瞳の光がフラッシュバックする。
男のパートナーを愛している、海斗君。
左手の薬指に何も嵌めず、私と同じように孤独な目をしていた、彼。
優真に抱かれれば、魔法が解けるようにすべて元に戻ると思った。海斗君のことも忘れ、今までのように目の前の婚約者だけ真っ直ぐに愛することが出来ると。
なのにこの気持ちは何? なぜ海斗君が頭の中を埋めていくの?
婚約者に抱かれながら、別の男の視線に魂を狂わされている。その歪んだ事実が、私の理性をじわじわと破滅の方角へと引きずり込んでいく。
遠くで鳴る深夜の救急車のサイレンの音が、私の壊れかけた日常の終わりを告げるように、暗闇のなかでいつまでも響いていた。
すべてが終わると、先にスースーと寝息を立てて眠ってしまう優真。私はベッドサイドの明かりを消し、暗闇の中でそっと左手の婚約指輪を外して、サイドテーブルにゴトッと置いた。
暗闇のなか、指輪を外した薬指の皮膚が、じんわりと冷えていくのがわかる。
私が羨望の眼差しで見ていた、喉から手が出るほど欲しかった指輪は、これじゃなかったのかもしれない。
海斗君。彼だけが、私と同じ。左手の薬指に何もない、寂しい仲間なんだ、と。暗い寝室で優真の寝息を聞きながら、私は救いを求めるように、ただそれだけを深く強く、心に刻み込んでいた。
翌朝、もう指輪は着けなかった。着ける必要がなかったのだ、あってもないのと同じ。見てくれないのだから。
元々、指輪は嫌いだった。それを見ていると、なぜか首を絞められているような気分になる。外した方が身軽になる。
勿論、優真は私が指輪を着けていないことに気付く素振りも、指摘することもなかった。
いいのだ、これで。私が多くを望み過ぎただけ。
ただ、隣で『好き』だと言ってくれる人がいることの幸せを、ちゃんと噛み締めないと駄目なんだ。
出張から帰ってまだ落ち着かない様子の優真を休ませるため、昼過ぎには帰路についた。
優真はまだ一緒にいたい素振りを見せたが、私は一晩一緒にいただけで酷く疲れてしまった。だから、優真のためという建前を作り上げ、離れることにした。
マンションを出ると、昼下がりの容赦ない太陽が私の肌をじりじりと焼きつけてくる。この存在感のない指輪が太陽の激しい光で溶けてしまわないように、ショルダーバッグの奥底へ押し込んだ。




