3-10
クレアはナイーゼの家に戻った。しんとしたリビングに明かりはなく、あるのはぼんやりとカーテンから漏れる外灯の明かりと、月明かりだけだった。薄暗い部屋の中キッチンへ向かい水を一杯飲むと、二階に上がって借りている部屋へと向かった。扉を少し開けると部屋の奥だけがぼんやりと明るい。静かに扉を閉め部屋に入ると、ベッドが二つ並ぶ部屋の奥で濃紺の髪の男が、明かりが灯るデスクに向かい座っていた。卓上にはランプと無造作に広げられた地図がある。
「まだ、起きてたの?」
クレアはベッド脇まで行くと肩当てや手袋を外しながら尋ねた。
「いや。休憩は終わった」
「そう」
クレアもレイルも視線を合わせず手を止めないままでいる。
「様子は?」
「そんなの、聞かなくても分かってるんでしょう?」
「念のためだ」
「……今のところ異常ないわ。追っ手らしい気配もないし」
「そうか」
「そっちは?」
「特に問題はないが……」
レイルが突然黙り込んだので、クレアはベッドの上にある着替えを手に取り彼の方を見た。
「リオシカまで、5日は荒野を歩く事になりそうだ」
その言葉に考えるようにしてクレアはベッドに座った。
「次のリオシカは村ではなく町。襲撃するにはまわりに人も多いし、追っ手は町に入る前にけりをつけたいはず。敵の襲撃ポイントはその荒野になりそうね」
戦闘スペースは十分。人通りも少ない。戦う場としては打ってつけだ。
「それだけか?」
それを聞いたクレアが声の主を見ると、地図を眺めていたレイルもクレアに視線を向けた。卓上の淡いランプの明かりが彼の紺色の髪をオレンジ色に照らしている。
「分からないか……意外に抜けてるな、お前も」
レイルは皮肉気に言うと再び地図に視線を向けた。
「確かに荒野でけりをつけるのもいいだろう。だがもしここなら……例え体制が整っていないにしても人質になる村人はいくらでもいる。お前に世話になった村人達を見捨て逃げるという選択ができるか?」
そう言うとレイルは顔を上げて沈黙して俯くクレアを見た。
「……そうかもしれない。相手にとっては好都合かもしれない。彼らは私達にとって恩人でもあり、弱みでもあるから。でも……」
クレアは顔を上げてレイルを見た。
「相手にもリスクはある。私達を始末したとしても、その住民が憲兵に証言すれば賞金首にされかねないわ。騒ぎが大きくなり国まで動く事になればそれこそ……」
「別に生かしておく必要はないだろう?」
「!」
レイルの冷ややかな声にクレアははっと顔を上げた。
「人質を生かしておくと、後々面倒な事になる。恨みつらみで賞金を賭けたり国に訴えたり、もしそれで捕まるような事があれば彼らに命令を下した人物、組織にも危険が及ぶ。ならばどうするか……」
クレアは沈黙した。そう、もう答えは分かっている。
「そこまで非道ではないとでも思っていたのか?」
そう言ってレイルは立ち上がると、窓に背を預けて腕を組んだ。
「セシリア・ニーム。彼女の存在はこの世界にとって大きい。なにせ世界の運命を変えるかもしれない人物だと考えられているからな。だがたとえ彼女が何も知らなかったとしても、利用価値はある。政治、金……何でもだ。その彼女を手に入れられるのなら、あらゆる手を使ってくるだろう」
クレアはただじっとレイルを見て話を聞いていた。
「そう。もはや敵はサージェスタだけではない。セシリアの存在を知り利用しようとしている全ての者から、彼女を守らなければならない」
そんな重要な任務をたった四人で実行しなければならないのだ。
「なんて任務なの……」
改めてそう思った。ため息混じりの声がふいに零れ落ちたがそれは紛れもなく自分の心の中の声だった。
「今さらだな」
「……そうね」
「とにかく、有力な可能性はここかリオシカまでの道での戦闘だ。だが例え今夜何も起こらなかったとしてもその甘い考えを捨てろ。取り返しのつかない事になる前にな」
俯くクレアの手のひらは、強く握り締められていた。
もはや守るべきは彼女だけではない。今回のこの任務で自分達に関わる全ての人を守らなければならない。自分達のせいで何の関係もない人々が巻き込まれる可能性もあるのだから……
(敵も、そして守るべき者も多い。そんな事分かっていたはずなのに)
クレアは手のひらの力を緩めた。レイルはそんな彼女を見て諭すように言う。
「あらゆる可能性を考えろ。非道だと、あるはずがないと思っても、可能性があるのなら気を緩めたりするな。それが相手に見せる隙になる」
クレアは自分達が背負っているものの大きさを改めて感じた。
「……私達はいつ、気を休めればいいのかしらね」
「それは難しい質問だな。それに……」
レイルは作業に戻ろうと椅子に座り、明かりに照らされる地図を眺めた。
今回のこの無謀とも言える特務の人員、人選等から見ても作意的なものを感じる。もし推測通りならば……
「レイル?」
はっと地図に引かれていた線をたどって出発地点まで戻っていた視線を戻すと、クレアが怪訝そうにこちらを見ていた。
「話は終わりだ。そろそろ体を休めろ」
クレアは特に追求もせず着替えを持って部屋から出て行った。
レイルは遠くなる彼女の足音を聞きながら肩を落とした。何の線も引かれていない自分の国を見つめながら。
翌朝、何事もなく平和な朝を迎えた。見回りをしていたレイルとクレアがナイーゼの家に戻り、寝ている二人を起こすと荷物をまとめた。そして二つ並ぶベッドにクレアとエナ、レイルとヴィロに分かれて向かい合って座ると、レイルが地図を膝の上に乗せて説明を始めた。
「次の目的地はリオシカだ。村人からの話だと西へ歩いて5日はかかるらしい」
「5日……結構かかりますね」
エナがそう呟くとレイルが頷く。
「ああ。さらにサージェスタの荒野は、岩が多く土地はひび割れ乾燥している。故に風も強く砂が舞いやすいから、砂嵐には気をつけておけ。他にもいくつか、注意しておいて欲しい事がいくつかある」
ヴィロがレイルを横目で見た。
「敵か?」
「それもある」
「だと思った。広い荒野となれば、人目を気にする事もないからな」
ヴィロは両手を背後に付くと、ベッドがギシッっと音を立てた。
「この村で俺達を襲えなかったし、次を狙うとしたらここだろ。広い荒野……チャンスだよなぁ、敵さんも」
「だが、広いからこそ罠はしかけにくい。予測が難しくなるからな。相手にとって、好条件というわけでもない」
「じゃあ、直接対決になる……という事ですか?」
エナの指摘に隣に座るクレアが頷く。
「その可能性は、森や建物にある場所に比べると高くなるでしょうね」
「そうなると、戦闘も激しくなるな。こっちも罠をしかけにくいって事だろ。気も抜けねぇな……」
「それに、先回りされている可能性もあるわ。こっちの様子を見ながら何か仕掛けてくる事もあるかもしれないわね」
エナが複雑そうな顔をして俯く。
「……そうなればこっちが圧倒的に不利ですね」
「とにかく相手の尻尾を掴んだらこっちからガンガン攻めるってことか?」
三人が頭を悩ませていると、レイルが話題を変えてもう一つの注意事項を述べ始めた。
「その話は後にする。次の問題は、水だ」
「水って……そうか。前みたいに川がないのか」
ヴィロがそう言うとエナも困ったように小さな声で呟く。
「食料にも問題が出てくるんですね……」
「ああ。大量に持ち歩くには重過ぎる。これからは使用量を調節しないと命取りになる」
「だったら……エナ」
「ん?」
エナはクレアの顔を見た。
「食事の方もなるべく水を使わなくてもいいように考えましょう」
「うん。そだね」
エナが頷くのを見るとレイルが立ち上がった。
「なるべく早く村を出た方がいい。話しはここまでだ。水をナイーゼさんに頼んでいる。世話になった人間に挨拶をしたら、出発だ」
三人は頷くと荷物を持って部屋を出た。
階段を下りて一階のリビングに行くとナイーゼとネルター、ロンガ、それからベンまでもが待っていた。四人は顔を見合わせると荷物を地面に置いた。
「もう、行くのかい?」
ナイーゼの問いにレイルが頷いて答える。
「お世話になりました。みなさんのお心遣い、本当に感謝しています」
「いや、それはこちらこそだよ」
ナイーゼはそう言って隣にいる男達をちらっと見た。
「特に……この頭の固い馬鹿共達が迷惑をかけたね。本当にクレアさんも……」
クレアは突然名前を呼ばれたので、少し驚いた表情でナイーゼを見た。
「人質なんて嫌な思いをさせてしまって、本当にすまなかったね。そしてありがとう」
クレアは頭を横に振って微笑んだ。
「いいえ。おかげでいい旅支度も出来ましたから。信用して下さって感謝しています」
ネルターも苦笑いをしながら答える。
「まさか、感謝されるとはね。怒ってくれてよかったのに。なぁ?」
ネルターはどこか意味深にベンとロンガを見た。ロンガは巻き髪を掻きながら苦笑したが、ベンは仏頂面をして黙り込んだままだ。そんなベンにネルターは肩を落とすと、ナイーゼがベンに近づいて正面に立った。ベンは正面に立つ腰に手を当てたナイーゼを見た。
「え……ナイーゼさん?」
「あんた、本当に何も言う事はないんだね?」
「………………」
ナイーゼのどこか冷たい低い声にベンはしぶしぶ視線をクレアの方へ向けた。するとようやくナイーゼは肩の荷が下りたかのように肩を落とした。
「………………あんたが……岩をどけた事はその、ありがたいと思ってる」
「……で?」
ナイーゼはたどたどしく話すベンに先を促した。
「確かに……俺の態度は悪かったと思う。でも自分は、間違った事はしていないと思ってる」
「ベンお前……!」
「ナ、ナイーゼさん!」
ロンガは慌てて今にも身を乗り出すような勢いのナイーゼと、ベンの間に入った。その状況にクレア達も困惑し、目の前の三人を見守るしかなかった。
「怒るのは分かりますけど抑えて下さい」
「でもっ……」
「こいつにだって考えがあったんだと思います。だからこいつの話、最後まで聞いてやって下さい」
するとナイーゼが一瞬黙った隙にロンガはベンを見て頷いた。
「俺は……村のためだと、そう思ったんだ。あんな思いをするのは……もうたくさんだから」
ベンの言葉にナイーゼもネルターも、ロンガも俯いた。そしてヴィロも。
「確かに、あんた達はいい奴なのかもしれない。でも、それが一日二日で分かる事なのか?俺はそう簡単に人を信じれない。だから今も、あんた達が早くに出て行くって聞いて……正直ホッとしてる」
その言葉にその場にいた全員は沈黙した。それぞれ、いろいろな思いを抱えて。
そんな重苦しい雰囲気の中、最初に口を開いたのは意外にもクレアだった。
「私には事情は分かりませんが、あなたは間違っていないと思います」
その言葉にその場にいる全ての人間がクレアを見た。
「本当に村にとっていいのか悪いのか、ベンさんが村の為を思ってとった態度です。その態度がいいにしろ悪いにしろ、その気持ちを私は否定するつもりはありません」
するとずっと沈黙して状況を見守っていたネルターが眼鏡を掛け直しながら顔を上げた。
「なぁ、ベン。もういいんじゃないか」
「……え?」
ベンは顔を上げてネルターを見た。
「確かに警戒する事に越した事はない。それでいいと思う。だがお前の気持ちを分かってくれる人が、外の人間にもいるじゃないか。だからもう村を閉鎖的にするのはやめにしないか?」
「………………」
「もちろん、いきなり村を開放しろとは言わない。そうするには私自身も、まだ勇気がない。だが誰かを信じてみるのも悪くないと思わないか?」
ネルターはそう言ってクレア達を見た。ナイーゼもロンガも、そしてベンも同じように見た。
「なんか私達、見られてますよね」
「どーいう事だ、レイル」
「………………」
「……って無視かよ」
「うー、クレアぁ」
「……また後でね」
「俺は?」
すると突然、大きな笑い声が響いた。自分達が笑われている事に気づいて、クレアはエナと気まずそうに顔を見合わせた。レイルは額に手を当ててため息をつき、ヴィロは外はねの茶色の髪をがしがしと掻いた。
「いや、悪い悪い。でもあんた達、ほんとにいいねぇ」
ナイーゼが笑いながらそう言うと、ネルターが一度小さく息を吐いて言う。
「ナイーゼさん、もうこれ以上引き止めるのは……急ぎの旅のようですし」
「そうか、そうだね」
ナイーゼがどこか残念そうに頷くと、レイルに近づいて四枚の小さな紙を手渡した。
「これは?」
「ユールの一区間パスだよ。」
「え?」
四人はナイーゼの顔を見た。ユールとはヨグで見たあの動く道の事だ。するとロンガが思い出したように言う。
「そうか、あんた達この国の人間じゃなかったな。だったらもしかして、ユールの上を歩くものとか思ってるんじゃないか?」
「えっ……違うんですか?」
エナが意外そうに声を上げたが、ロンガが横に大きく首を振った。
「やっぱりな。上は荷物や、時折子供や老人の歩行用にしか使わない。一般人なら歩く速度と大差ないんだよ」
「そうなんですか?」
クレアもユールの仕掛けについては知らなかったらしく、エナと再び顔を見合わせる事になった。
「ユールは地下にあるんだ。そこの移動入り口で手続きさえすれば、あとはまぁ……着くのを待つだけだ」
四人はいまいちその説明に納得がいかず、それぞれ首を傾げた。
「いや、疑問に思うのはごもっとも。でも行って見れば分かる。これは説明するより体験した方がいい」
ネルターもその話に加わった。
「まぁ、サージェスタにいる間ならユールは役に立つ。だからこれを使って、旅に役立ててくれ」
「でも、いいんですか?」
「ああ。私達にしてやれる事はこのくらいしかないからね。これはここに住む村人からの感謝の気持ちだよ」
その厚意に四人は頭を下げて心から感謝した。
その後水が入った数本の竹筒を荷物に詰め直すと、四人は村の入り口の門まで移動した。そしてもう一度振り返ると多くの村人達が手を振って見送ってくれた。四人は手を振りながらその場を去ると、再び歩み始めた。




