4.
だが、ラティーナに着いてすぐに状況が一変した。
「……クソッ」
俺は舌打ちし、リザから教えられたローティの家ってのを遠目に眺めていた。
ごく普通の一軒家。だがさっきから警官が何人も出入りして物々しいことになっている。厄介なことに鑑識班まで来やがった。
(間に合わなかったか、畜生)
家の周辺道路は黄色いポリステープで封鎖され、何台もの警察車両で囲み、さらに玄関前はプライバシースクリーンで覆っている。こんな厳重な状態じゃあ、訪ねるどころか迂闊に近づけねえ。
(ったく、俺の勘ってやつぁ…)
外れてほしい時に限って当たりやがる。どうしてこうドラマチックかね。
──ローティは“口封じされた”んだ。
俺たちが来る前に、“誰か”の指示で。
(……それは“誰”だ?)
足早にフェラーリの所に戻り、車内から見ていたリザに声をかける。
「ここにはもう用はねえ。さっさとお前さんの家へ行こうぜ」
エンジンをかける俺に、リザは少し驚いたような顔になった。
「用は無いって…ローティさんとお話しできたんですか?」
「いいや。門前払いを食らっちまってな」
肩を竦めてそう言うと、リザが不思議そうに見つめてくる。
このガキにローティがどうなったかなんて話したって混乱させるだけだ。下手すると怯えだして、また泣き出すかも知れねえ。そいつはごめんだ。
だいたいよ、俺はこんなこと慣れているが、あくまでリザは一般市民だ。銃を見たことすらないかも知れねえ。
まあ…それが“普通”の反応だろう。
「……」
しかし……どうも様子がおかしい。
この依頼、単なる荷物運びとは思えねえ。ブオナーロは確かに“運んでいる途中で『俺』が狙われる可能性はある”と言ったが……
まさか“『他の誰か』が殺される可能性”なんてのがあるとはな。
あいつが俺に全部を話していないのはすぐに解ったが……こんな血生臭い仕事になるなんてよ。
ロッセーリのジジイだって“簡単で単純明快な仕事だ”なんて笑ってやがったじゃねえか。
この仕事に“裏”があるとすれば、“ブツ”自体が怪しいとしか──
「なあ、リザ」
ハンドルを握りながらチラリと見遣る。リザは膝の上に小箱を載せ、大事そうに両手で抱えている。
「お前さん、それを家宝と言っていたな。もう少し詳しく聞かせてくれねえか?」
俺の言葉に顔を上げるリザ。
「……」
しばらく唇を噛んで黙っていたが、少しずつ話し始めた。
「“これ”は母が私に残してくれた、唯一の形見です」
小箱を抱きしめる手に力がこもっている。
「母は体があまり丈夫ではなくて、資産の管理はずっと祖父がしていました。でも祖父も父と同じく、歴史的な物への興味は無かったみたいです」
「へえ…」
爺さんと外交官だっていう親父は、現実的でドライって感じかね。
「だから“これ”が盗まれたと知った時も、一応警察には届けましたが、真剣に探そうともしませんでした。何とか探そうとする私を引き留めて、危険だからもう諦めなさい、忘れなさいと言って──」
そう言ったリザの声が震え出す。俺は気がつかないふりをして、黙って聞いていた。
「……」
ふいに俺はブレーキをかける。もう少し先の高台にリザの家があるという場所まで来ていた。その方を睨みつけるように見遣ると、確かに邸宅といった感じのデカい建物があった。
「ハリーさん…?」
怪訝な顔つきになったリザが俺を覗き込んでくる。
(“諦めろ”に、“忘れろ”……?)
(…その言い草はどうなんだ?)
いくら興味が無くとも、孫の大切な物が盗まれたってのにおかしくねえか?
「……チッ」
俺は舌打ちし、考えあぐねる。
さっきから疑念がどんどん大きくなってきてやがる。
もともと興味もない物。執着の無い物。盗まれても追いかけることもせず、形だけの通報のみに留める……
もしこの話が本当なら、小箱を持ったリザが帰ってきた時、爺さんが何を言い出すか──だ。
(今は見せるべきじゃねえな…)
俺はそう判断し、リザに厳しい視線を向けた。
盗品かどうかは俺が判断することじゃない。依頼主が「正当な持ち主だ」と言い張るなら、俺はそれを運ぶだけ。今回はそういう依頼を受けたワケだからな。
「それを返せ。お前はここで降りろ」
低い声で言い放つ俺に、リザは一瞬虚を突かれたような顔になった。
「えっ!?」
「それはオークションで、ブオナーロに“正当に”落札されたんだ。だからもうお前の物じゃねえ。もしこのまま持っていたら、お前は反対に“盗んだ”と訴えられる可能性だってある」
「…そんな!これは私の母の──」
愕然としつつも反論するリザ。その手元から箱を奪い返して、俺は声を張り上げる。
「いいか、俺はこいつをアマルフィまで運ぶ仕事を依頼されたんだ。こいつの中身が何だろうと俺には関係ない。きっかり届けるだけが仕事だ!」
「降りません!」
突然、リザが俺を睨みつけて言い切った。
「ここで手放してしまったら、本当に、永遠に取り戻せなくなるかも知れないんです!そんなの、私は嫌です!」
「…テメエ、ガキのくせに口答えか!さっさと降りろってんだ!ローマで変なヤツらに追いかけられたのを忘れたのかよ!?あれより危険な目に遭いてえのか!?」
その言葉にリザは一瞬怯んだ様子を見せた。だが俺は続けた。
「俺はお前の護衛なんて引き受けてねえんだ。一瞬でもミスったら死ぬかも知れねえんだぞ?それでもいいのか!?」
こんなちっぽけな小箱の中身のために、危険に晒されることなんてねえだろう。だからここで降りろと言ったんだが……
「それを返して下さい!」
リザは俺の持つ小箱を再び取り上げようと手を伸ばしてきた。
チッ…なんて諦めの悪いガキだよ!?
「だから!今はお前の物じゃねえって言ってんだろ!きちんと証明されるまではな!」
「…最後に本当のことが解ったって、あなたが返してくれる保証もないんです!だから降りません!私も一緒にアマルフィに行きます!!」
「──っ!」
な、なんだよ…このガキは!
どうしてこんなにも必死になる?
たかが母親の形見のために、命まで投げ出さなくたっていいだろうが。
「……」
呆れる俺をしばらく睨みつけていたが、ふっとリザの表情が緩んだ。
「私はあなたがミスるなんて思いませんから」
「……何?」
「ローマであんなカーチェイスを軽々やってのけたハリーさんが、そんな簡単にミスるはずがないと思います。それに……」
「…それに?」
「私の言うことを信じて走ってくれたあなたを、私が疑うわけにはいきません。あなたを信じて、最後まで付き合います」
…………おいおい…。
なんだってんだよ?
さっきまでの怖い顔はどこへやら、またニッコリと笑ってやがる。
「………マジで死んだって知らねえぞ」
大きくため息をつく。ボソッと言った俺に対し、リザは頷いた。
「死にません。ハリーさん、運転お上手ですから」
「……」
頭を搔きつつ、俺は小箱を座席の下に放り込んだ。
……ったくよう。とんでもねえガキを拾っちまったもんだ。
俺が小箱を持ってる限り、リザは諦めないつもりだろう。アマルフィまで連れていったところで、真相がハッキリするかなんて解らねえってのによ。
『あなたを信じて、最後まで付き合います』
さっき言われた言葉が妙に耳に残ってやがる。
俺はため息をつき、再び車を動かし始める。
「──昔はもっと下手くそだったぜ」
苦々しい思いで口を開いた。リザが目をパチクリさせて俺を見る。
「え?」
「運転。大昔に、今日みてえなカーチェイスをやってな…」
リザは興味津々と言う様子で耳を傾けてくる。
「路地角を曲がり損ねて、積み荷のワインを全部割ってな…車の中が赤ワインの海になっちまった。乗ってるだけで酔っ払いそうなぐらいにな」
苦笑してそう言うと、リザはそのシーンを頭の中で描いたらしく、クスクス笑い出した。
「それ、本当ですか?」
「ああ。後でワイン代はもちろん、壊した街灯や壁の修理請求書が届いて驚いたぜ」
あん時はロッセーリから派手に大目玉を食らったっけなあ……
懐かしい話をしたせいか、さっきまでの怒りもどっかに消えちまった。
インターから高速に入り、アマルフィ目指して南下していく。道はまあまあ空いていて走りやすい。
そのせいで、ふっと俺の心にも余裕ができちまったのかも知れねえ。
「お前、俺がもし悪いヤツだったらどうするよ?」
気づくと、リザにそんなことを訊いていた。
「…悪い人?」
「ああ。今の俺は単なる運び屋だが、違う仕事をしてる時はどんな顔をしてるかわかんねえだろ?」
「……」
「だから、よく知らねえヤツを簡単に信じるとか…言わねえほうが身のためだ。わかったな?」
言い聞かせるような俺の言葉に、リザは少し考えている素振りを見せた。
ややあって、またニッコリと笑う。
「わかりました。でも、ハリーさんのことは信じます。私を助けてくれた人が、私を酷い目に遭わせることはないと思います」
素朴なリザの笑顔。反論する気が失せちまう。
フッと鼻先で笑った後、リザを見遣る。そばかす顔に丸眼鏡。ちょいと鈍くさいところがあっておとなしめだが、主張する時は大人相手でもハッキリ言う。歴史が好きで考古学の博物館に一人で出かけるような、真面目そうな少女。
荒っぽいカーチェイス中でも的確なナビが出来たのには正直驚いたが……
(ま、面白そうなヤツではあるか)
(普通のガキだ。なのに──何故こんなことに巻きこまれるんだか)
俺は座席の下に放り込んだ小箱を思い出した。
(母親の形見、ね…)
ブオナーロは“17世紀の美術品”と言っていた。とにかく価値のある物だから損傷には気をつけろ…と。
だがリザにとっちゃ、美術的に価値の有る無しなんて関係ないんだ。代々受け継がれてきて、祖母や母からリザに渡った大切な形見。それだけのことだ。
(……)
アマルフィまではあと3時間はゆうにかかる。このままA1を進むのが一番手っ取り早い。
(ナポリ経由でポンペイを抜けて、サレルノ方面へ行くか)
…だが、ナポリか──
「……腹減らね?」
さっきから感じていた空腹を抑えきれず、俺はボソッと訊いた。リザは急に振られてポカンとした顔で、
「空いてますけど…」
「だよな?じゃあナポリだ。そこでメシ食おうぜ!」
「……ハリーさんって、不思議な人ですねえ」
クスクス笑い出すリザに、俺も笑う。
「メシ食わねえと頭も働かねえよ。ピッツァ・マルゲリータ、ナポリ風ジェノベーゼ、ムール貝の胡椒蒸し……クソッ、考えるとよけいに腹減っちまう。急ぐぞ!」
俺はナポリへ向けてフェラーリでかっ飛ばすことにした。
メシのためなら、たとえ人目の多い街でも避けねえ。これも俺のポリシーのひとつさ。




