3.
なんとか追っ手を撒くことができた俺だったが、すぐにローマを出ることは避けた。
追っ手を仕掛けてくるようなヤツがいるってことは、俺がアマルフィへ向かうことは既にバレてるかもしれねえからだ。少し時間差をつけたほうがいい。
それに、とりあえず少女の話を聞いてやろうとは考えていた。
家に送り届けるにしたって、どこに行けばいいのやら…だからな。
まずは話を聞くべく、SS7沿いにあるクインティルスのヴィッラという場所へ向かった。
そこは古代ローマの巨大なヴィッラの遺跡で、小さな考古資料館も併設されているという。
俺は考古学にそれほど興味はないが、少女が案内してくれると言ったからだ。何より普段から人の出入りが少ないというメリットを聞き、好都合だと考えた。
料金を払って中に入ると、ひんやりとして静謐な雰囲気が漂っている。確かに人の気配はない。
「へえ…こんな所が市内にあったのか」
感心したような俺の言葉に、先を歩く少女が振り返って笑った。
「私、歴史とか考古学に興味があるんです。だから時々ローマに来て、ここで勉強しているんですよ」
「なるほどね」
短く返し、俺は展示物を見て回った。
古代ローマの発掘物が中心で、像や金貨などその道のマニアには垂涎物と思われるようなものばかりが並んでいた。
「名前は?」
少女に訊く。
「リザです、リザ・サンティと言います。あなたは?」
「ハリーだ」
「ハリー…、ファミリーネームは?」
「有って無いようなもんだ。ハリー、それでいいだろ」
ぶっきらぼうに言う俺に、リザは少しキョトンとなっていたが、
「…ハリーさん、ですね。わかりました」
と言ってニッコリ笑いかけてきた。
その時初めて、リザにそばかすが有ることに気づいた。
眼鏡にそばかす。故郷のオレゴンにもそんな同級生がいたっけな…なんて、どうでもいいことを思い出しちまう。
「リザ…ね。『モナ・リザ』と同じ名前だな」
ふいに呟いた俺に、リザはまた笑った。
「よく言われます。世界的に有名な女性と同じ名前だって。悪い気はしません」
「だろうな。レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた絵画『モナ・リザ』のモデル、リザ・デル・ジョコンド。単なる商人の妻が世に知られることになったワケだ」
そう言うと、リザは驚いたような顔になる。
「お詳しいんですね、ハリーさん」
「まあな、絵は好きでね。美術史はちょいとかじってる」
ニヤリと笑って言うと、リザはふふっと楽しそうに笑う。なんていうか、よく笑う子だ。
「少し座るか」
俺たちは外の遺跡を軽く周り、庭園のベンチに腰を下ろした。
「そいつのことも聞きてえしな」
小箱を大事そうに胸に抱えたまま、リザは話し出す。
「これは母の実家に代々伝わってきた家宝です。母方の祖母から母へ、そして母が亡くなる前に私に託してくれました」
「……家宝、さっきもそう言ってたな。ローマに住んでるのか?」
「いいえ、私は生まれも育ちもラティーナです」
ラティーナ──ローマから鉄道で1時間弱ほどで行ける町の名だという。この資料館に時々来ていると言っていたし、この辺りの地理に明るいのも解る気がした。
「んで、ローマには1人で来たのか?当然、狙いは“それ”なんだろ?」
核心部を聞き出そうとした俺だったが、リザは急に黙り込んでしまった。小箱をさらに大事そうに抱え込み、目を瞑る。しばらく唇を噛みしめていたが、ようやく口を開く。
経緯を要約すると、こうだ。
2週間前、“これ”がリザの家から忽然と消えた。その直前に家に来たのが、ヴィットリオ・ブオナーロという古物鑑定商だった。
ブオナーロはリザの母親の知人だったそうで、母親が亡くなる前はたびたび鑑定士として家に足を運んでいた。
母親が半年前に病気で亡くなってからは、まったく訪れなくなったという。
だが2週間前の昼間、ブオナーロが突然連絡も無しに再訪し、
『“あれ”はどうなっている?』
としつこく訊ねてきた。
リザと共に住む父方の祖父はそんな彼を不審に思ったが、以前の保管場所から動かしていないことを伝えた。
するとその夜、“これ”を保管していた場所に泥棒が押し入ったという。
「なるほどね……そりゃあヤツが怪しいと考えるのは妥当だ」
俺の呟きにリザは大きく頷いた。
「でも…もしブオナーロさんが盗んだとしても、事前に保管場所を知っていたということぐらいしか証明できません。警察にも届けましたが、この箱の行方はわからずじまいでした。それが…」
リザは目を細め、続けた。
「数日前に、別の古物商……昔から家と関わりのあるローティさんという方から、“これ”がローマでオークションにかけられたという情報が入ってきたんです」
「オークション?」
俺が聞き返すと、リザは頷いてみせた。
「…ってことは、やっぱりブオナーロが“正当に”落札したのは事実なんだな?」
確認するように訊くと、リザは話を続ける。
「はい。ローティさんはもう引退されて、お店を息子さんに任せているんですけど、ローマで行われるオークション関係者として勤めていらっしゃるんです。そこで得た情報だと聞きました」
「それだ」
俺はパチンと指を鳴らした。
「つまりお前さんは、知り合いのローティって人間からオークションの話を聞いた。当然、そこで競り落としたのがブオナーロなのも知った。で、ローマから“それ”が動く日はどうやって知り得た?」
「ローティさんからです。その方もブオナーロさんとも知り合いでした。なので運び出される日の情報も教えてくれました」
「──ってことは、“それ”が盗品なのも知っていたし、競り落とした人間も知っていた。すべての情報を掴んでいたはずだ。いくら知人とは言え、お前さんの家に流すもんかね?」
「…えっ…?」
「ブオナーロとも知り合いだったってことはだ、お前さんに情報を流すことでブオナーロを裏切ることになるだろうよ。仲間を売るようなそんな真似はするか?」
古物商みたいな商売は、裏でいくつもの情報網を持っていると聞く。
なんにせよ信用と信頼が物を言う世界だ。仲間を裏切ればすぐに足がつく。そして誰が情報を売ったかなんて簡単に想像もつく。
それは、以降の関係を断ち切ることにも繋がり、不穏な噂が飛び交うに違いない。下手をすりゃ息子が受け継いだ店にも影響が出るかも知れない。
……ちょいと考えれば解ることなのに、危険すぎねえか?
だがリザはその古物商を信用しているらしく、首を横に振るだけだった。
「ローティさんは母とも長い付き合いでした。だから私たちに情報を流してくれたんだと思います。ブオナーロさんとどういういきさつがあったのかは…私にはわかりません」
リザは大きく息をついた。
話を聞き終えた俺はまず、そのローティって古物商に会う必要があると考えた。そいつが鍵を握っている気がしてならねえ。
亡き母と親しかったための“善意”でリザに情報を流したのだとすれば、ちょっと気になることがある……
「ローティって古物商は、ローマにいるのか?」
リザにそう訊くと、首を振った。
「いえ、私と同じラティーナに住んでます」
「そうか、ちょいと気になることがあるんでな。お前さんを送りがてら、ラティーナまで行こう」
俺は立ち上がったが、リザは俺を見上げるだけですぐには動かなかった。
そのシトリンの瞳が心配そうに揺れているのが見てとれる。
「私の話を信用してくれたんですか?」
「いいや、まだだ。だからその箱も、まだお前さんの物じゃねえよ」
フッと笑ってみせる俺に対し、リザは、
「そうですよね…」
と呟いてうなだれた。
簡単には信じてもらえない──俺と会った瞬間からそう思ったのかも知れない。深い事情を聞く前から「証拠は?」なんて疑われたんだ。こっちからすれば当然なんだが、リザはまだ中等部ぐらいの学生で、子供だからな。
それでも、リザは箱を手にして突然逃げるようなヤツじゃないことは俺にも察しがつく。
だから箱を“預けている”。それだけだ。
「とっとと行こうぜ、まだ聞き足りねえこともあるんでな」
リザを促して立たせ、愛車に戻った。
俺はさっさと運転席に乗り込んだが、リザは何をしてるんだか助手席側のドアをなかなか開けようとしない。
「何してんだ?早く乗れ」
「で、でも…あの、ドア…」
「は?」
「どうやって乗ればいいんでしょうか?」
「……」
って、さっきまで乗ってたじゃねえか!
そう言いかけたが、思い出した。
ローマでは俺が咄嗟に運転席を開け、リザをむりやり助手席側へ押し込んだんだ。
自分で開けてないのにわかるわけがないか。そう思った俺は指で示す。
「…レバーあんだろ」
「えっ?レバー……えっと…」
「それじゃねえ。そっちのヤツ」
「…あっ。はい!」
スポーツカーのドアレバーは確かに普通車と違っていて、一見してもわかりにくいことはあるんだが……
恐る恐るドアを開けてからも、身を捩りながら窮屈そうに乗り込むリザ。
「あのっ、この車…狭すぎませんか?」
困ったような顔で言ってきやがった。
ガキのくせにフェラーリにケチつけるってか。俺は少しムッとして、
「スポーツカーに快適性を求めんな。黙って乗ってろ。言っとくが──傷なんて付けんじゃねえぞ?修理代もバカになんねえんだ」
「は、はい…」
縮こまった格好で言うリザを見て、俺は思った。
(なんだか鈍くさそうなガキだな…)
溜め息をつく。さっきもバタバタしながらシートベルトを付けていたが、締めてる途中で長さが足りなくてもう一度外したりしている。
「……お前ってよ、もしかしてお嬢さまか?」
苦笑いを浮かべて訊くと、リザは首を振る。
「そういうわけではないんですけど……あの、いつもは運転手がやってくれて」
──って、おい。
やっぱりお嬢さまじゃねえか。
古物商が家に来たり、家宝がある家だなんて聞いたが、これは立派な資産家の娘っ子だろ。
「親父さんは何の仕事してんだ?」
そう訊くと、外交官だと答えた。
普段から海外をあちこちまわっていて、ろくすっぽ帰ってこないらしい。だからいつもは祖父との2人暮らしだという。
「ふーん…まあいいか、ラティーナへ向かうぞ。道案内しろ」
「はいっ」
鈍くさいが返事だけはハッキリしやがる。それだけは褒めどころだな。
俺はフェラーリのエンジンをかけると、一路ラティーナ市街に向けて走らせた。




