2.
そんなわけで、2日後の午前11時。
俺はいつもと変わらず白いTシャツと革ジャン、革パンにエンジニアブーツ姿でローマへ行き、四つ星ホテル・ミルトン・ローマに滞在しているという依頼人と会うことになった。
相手の見かけはまあ、小洒落た服装のイタリアの伊達男だ。ヒョロリとした痩せ気味の体に質の良いブランド仕立てのスーツ姿。あんまり詳しくはねえけど、アルマーニとかそんなところだろうと察した。
40代後半ぐらいか。銀縁眼鏡をかけ、知性はそこそこ感じられる風貌。ローマで骨董商をしているという男は、“ヴィットリオ・ブオナーロ”と名乗った。一言でいうと、イタリアらしい名前だ……
格式張ったような重厚感ある名前は結構だが、どうも名前負けしてる気がするんだよな…とジロジロ見ていた俺に対し、ブオナーロは礼儀正しく握手を求めてきた。
「初めまして、シニョーレ・ハリー・ウエスター。お会いできて嬉しいですよ」
「ああ…まあ、よろしく頼むぜ」
滅多にフルネームでは呼ばれねえので、俺は一瞬握手をためらった。
ホテルのラウンジには他に人の気配は無い。9月とはいえ、観光客の多い中心部、ローマ・テルミニ駅近くのホテルだってのにこんなに人がいないもんか?
そんな俺の考えを読んだのか、ブオナーロは眼鏡の縁をクイッと指で押し上げながら笑う。
「人払いをしましてね。何せ、扱う品が価値のある物ですから」
そう言って、ブオナーロは早速依頼の話を切り出してきた。
丁寧に鞄から取り出した小型の木箱をテーブルに置く。ロッセーリの処で見た写真と同じ物だ。
正面には蝶番があり、鍵が掛けられるようになっている。当然ながら、鍵が無けりゃ開かないシロモノだろう。一緒に鍵を渡さないところを見ると、念のために鍵だけはこいつが持ち歩くってワケだ。
「これをアマルフィの私の別荘まで運んでほしいのですよ。お車で行かれると聞きましたが…十分に慎重な輸送をお願いします」
いかにも神経質そうなブオナーロの言葉に、俺は鼻先で笑ってみせる。
「安心しろ、俺はカーレースにもシークレット参戦するぐらいの腕前だ。事故るなんてこたあねえよ」
「それはそれは」
「…で、積み荷の中身は何だ?」
「17世紀の美術品ですよ」
「本物か?」
「もちろん鑑定済みです。私は代々鑑定を営む由緒ある家の生まれでしてね、古物商界隈でも信頼度の高さを誇っております」
まあ…そこそこの自信家でもあるようだな。俺は頷いてみせながら、さらに訊く。
「輸送許可証は?」
「こちらです」
ブオナーロが差し出した封筒を受け取り、一応書類を確認する。偽物には見えないが、仮にそうだとしてもこんな紙っきれなんて意味はほとんど無い。
俺は書類をひらひらと振って、一番気になっていたことを訊いた。
「万が一にも、狙われる可能性は?」
その問いに、それまで流暢に話していたブオナーロは黙ってしまった。
そうら、うさんくささが増してきやがった。
俺はニヤリと笑う。
「危険な任務には割り増しするんでな。ハッキリ言わねえならやらねえよ」
「……」
見つめる俺の目から視線を逸らすブオナーロ。
ビンゴだ。
ややあってブオナーロは諦めたように口を切った。
「…あるかもしれません。先日のオークションでも、私と最後まで張り合った粘り強い方がいましたのでね」
「へえ…そんなお宝かよ。なら、そいつに狙われる可能性もデカいな」
「そうです。とにかく価値のあることだけはご理解願いたい」
「了解したぜ。ま、割り増しってのは実際に狙われたらの話だ。着いた後で再交渉しようぜ、ブオナーロさんよ」
「わかりました。それでは、よろしくお願いします」
会釈するブオナーロを後にし、俺は小箱を手にしてラウンジを出た。
(しかし、妙だな)
ホテル前に停めておいたフェラーリまで戻り、俺はふと考える。
それだけ大事な、価値があると何度も繰り返すようなシロモノを、なんてことないガワとはいえ直に持たせるか?
普通はアタッシュケースか、せめて袋にしまうとかすると思うんだが……
これではまるで──
(…ま、いいか。さあ、アマルフィまでロングドライブと行くか)
頼むぜ、スカーレット・アローよ。
颯爽と愛車に乗り込もうとした、その時。
「待って!その箱……!」
いきなり大声を出して、こちらに駆け寄ってきた者がいた。
って…オイオイ、マジかよ?
既に狙われてたってことか?
俺は小箱を革ジャンの内側へ隠し持つようにし、そいつの顔を見た。
「…はあ?」
声から女だとは解ったが、近付いてきたのはほんの14、5歳の子供だった。
拍子抜けした俺は頭を搔きながら、
「悪いな、お嬢ちゃん。俺は急いでるんだ」
まさか追っ手だとは思えないが、と少女をよくよく見る。
白いワンピース姿。小柄な細身。カールがかったブルネットのショートヘアに青いヘアバンド。丸い眼鏡の奥には綺麗なシトリンの瞳。
おとなしそうに見えた少女だが、突然声を上げた。
「それは私の家の物なんです!」
「…あんたの家の物?」
そのまま返す俺に少女は大きく頷いた。
「証拠は?」
当然のようにそう訊くが、少女は困ったように首を横に振る。
「…ありません」
「じゃあ信用できねえな」
すぐには信じない。まずは疑う。
これが俺の仕事のポリシーだ。相手がどんなヤツでも、こんなガキでもだ。
「そんな…」
俺の毅然とした態度を見て、少女は呆然となった。
次第に目に涙を溜めたかと思ったら、はらはらと泣き出しやがった。
「家宝なんです。返して下さい、お願いします」
泣きながら必死に懇願してくる少女。
そう言われてもなあ、証明もできず証拠もねえんじゃ……
気がつくと、周囲を歩く人間が俺たちを怪訝そうに見ていた。そりゃそうだろ、街ん中で女の子を泣かせてる男に見えたんだろうから。
「チッ…冗談じゃねえ」
俺は舌打ちし、面倒そうに言う。
「とにかく俺は仕事なんだ。邪魔しねえでくれ」
ふたたび車に乗り込もうとした瞬間。
ダダダッ…!
慌ただしくこちらへ向かってくる複数の足音を俺の耳が捉えた。
「……!」
見遣ると俺たちを目がけて “いかにも”なイタリア人らしい男たちが走ってきた。
(畜生っ…!こっちが本命か?)
ガキと揉めてる場合じゃねえ!
俺は素早く少女を抱え込むと、愛車のドアを開けて押し込んだ。短い悲鳴を上げながら助手席に転がる少女に向かって叫ぶ。
「泣くな!話は後で聞いてやる!」
箱を求めてきたってことは、この子も関係者だろう。つまり、ここに置いていくワケにもいかねえ。ヤツらに捕まる危険性が高すぎる。
そう考え、俺はエンジンをかけるやいなやすぐに発進させた。
もちろん、ヤツらも車で追っかけてくるのがバックミラーで確認できた。
(…クソッタレ、何が“いるかもしれない”だ、ブオナーロめ。出発前からさっそく追っ手がお出ましかよ!?)
きっちり割増しなきゃな!
ローマのメインストリートを走り抜ける俺のフェラーリと、追ってくる黒塗りのアルファロメオのジュリエッタ。
思ってもみなかったカーチェイスの始まりに、俺は意外と昂ぶっていた。
(よう、俺の車に追いつけるか?)
ハンドルを握る手に力がこもる。
そうだ…この感じなんだよ。
俺は危険なことが嫌なんじゃねえ。危険をどうくぐり抜けるかを期待してるんだ。
「おい、生きてるか?」
ちらっと隣を見遣ると、少女はようやく体勢を整えて助手席のベルトをしめることに成功したようだ。だがその手が震えているのが見てとれた。
まあ無理もねえよな。いきなりこんな状況になったんだから。
「は、はいっ」
それでも必死に声を振り絞り、少女は俺の顔を見た。
「安心しろ、ちゃんと後で帰してやるよ。危険じゃなくなったら…なっ!」
話しながらの運転で少し注意が逸れちまった。徐々に距離を詰めてくるアルファロメオを確認し、俺は苦々しく言った。
「おい、これ持ってろ!」
ジャケットの中から小箱を出し、少女に渡した。ビックリしたように俺を見つめてくる。
「お前さんを信用したワケじゃねえが、そいつを持ってると運転に集中できねえんだ。少しの間、しっかり持ってろよ!」
「わ、わかりました!」
胸元に大事そうに抱え込み、少女はハッキリした声を返した。
おどおどした様子に見えたが、なかなかどうしてしっかりしているじゃねえか。こんな状況に震えながらも気丈なところを見せられて、俺はニッと笑いかける。
街中を郊外に向けて走ろうとしていた時、ふいに少女が声を上げた。
「次の通りを右へ曲がって下さい!抜け道があるんです!」
「ハッ?」
「私、この辺には何度も来ているから詳しいんです!信じて!」
信じて、なんて言う人間を簡単には信用しねえ俺だが、その時は焦っていたのかも知れねえ。気づくと言われたとおりに右にハンドルを切っていた。
次第に細くなっていく通りを走り抜けていく。追っ手も徐々に距離を詰めてくる。デカいフェラーリに比べて幾分小ぶりのアルファロメオのほうが、こんな道では小回りが効くからな。
(チッ…道を知ってるのはいいが、車体のことも考えてくれねえとなっ)
劣勢状態の中、俺は一昨日から頭にたたき込んでいた地図をふっと思い出した。
(…確か、この先に──)
少女に顔を向け、俺は叫んだ。
「ちょいと荒っぽいぜ、しっかり掴まってろよ!」
「はいっ!」
「よーし、いい返事だ!」
追いつかれそうになりつつも、いくつかの道を選んで走り抜ける。
「この先に広場があるだろ?噴水のある所だ」
「そうです、広場の三叉路を左へ曲がって下さい。そのまま走るとまた大きな通りに出ます」
少女の落ち着いた、実に的確なナビを聞きながら俺は夢中で車を走らせた。
「信用してやるよ、今はな!」
舗装路から狭い石畳の道に変わってきた。さすがに今までよりスピードを落とす。
とその刹那──
サイドミラーを見ていた俺は、追跡車の窓からニュッと伸びた手に鈍い金属の塊を見つけた。
(撃ってくるのかよ、こんな処で!?)
バシュッ!
サイレンサー付きの銃から放たれた一撃目。間髪入れずに次の弾が飛んで来やがった。
(俺の愛車に弾なんて絶対当てさせねえぞ!)
もうフェラーリがギリギリの道幅だ。イラつきながらハンドルさばきに必死だった俺は、目の前が急に開けてハッとした。
「ここだぁっ!」
広場に出た瞬間、俺は大声を上げて左へハンドルを切った。急な揺れに少女が短く声を上げた気もしたが、構っちゃいられねえ。
そして次の瞬間には──
ドゴッ!ガシャーン!!
ものすごい衝突音があたりに響き渡った。
うまく避けきれなかった追っ手の車はそのままの勢いで噴水に突っ込んだ。衝撃で噴水の水が派手に飛び散った。
「あばよ、誰かさん」
バックミラーの中で徐々に小さくなっていく広場を見遣りながら、俺はそのまま郊外へ抜ける道へと車を走らせていった。




