1.
来たときから嫌な予感はしてたんだ。
いつものように、ロッセーリがロッキングチェアに揺られながら書類を眺めていた。
…そこまでは変わらねえ。
だが、ドアから顔を覗かせた俺を見た瞬間、片眉をピクリと上げたかと思うと──ニヤリと笑いやがった。
「……ほう、良いところに来たのうハリー」
獲物を待ち構えていたかのような言葉に、俺は一瞬踵を返そうかと迷ったぐらいだ。
「…なんだよ、気持ち悪ぃなジジイ」
「まあ入れ、お前向けの良い仕事が来とるぞ」
「俺向けって…何だ?スカッとするヤツか?」
「簡単で、かつ単純明快な仕事だ」
嫌な言い方をしやがるぜ、ったく。
簡単なのはいいが、単純って言い方はどうも気に入らねえ。
それというのも、俺は10年来の親友から散々言われているからだ。
『君って、どうしてそうも単純なんだか。もっと理論的、客観的に物事を見る目を養ったほうが身のためだよ』
……深緑のサングラスの奥で、オッドアイを光らせるヤツの声が聞こえてきそうだ。
俺は苦い顔のまま、ジジイの横の木製チェアにドッカリ腰を下ろす。
「…んで?先を聞かせろよ」
促すと、ロッセーリは見ていた書類を俺に渡してきた。
軽く目を通す俺に、続きを話し出すロッセーリ。
「そいつは先日、ローマのオークションで落札された骨董品だ。落札者からの依頼でな、ローマからアマルフィの別荘まで荷物を運ぶだけ…どうじゃ、簡単じゃろう?」
「こんなちっせえ木箱が?高額なシロモノにはまったく見えねえよ」
書類に添付されている写真には、古そうな小型の木箱が写っている。縦7-8センチ、横15センチ、高さ7-8センチの長方形、オルゴールぐらいの大きさと書かれていた。
お世辞にもオークションに出される品物とはとても思えねえ。まあ、骨董品と言うからにはそれなりの価値があるのかも知れねえが…
ロッセーリは顎髭を擦りながら笑う。
「ガワは普通の木箱に決まっとる。中身はシークレットじゃ」
「はあ?競り落とした時の写真ぐらいねえのか?」
「情報は厳重に秘匿されとるそうでな。オークション関係者と落札者以外には非公開──」
そこまで言って、ロッセーリがまた口元を歪ませてニヤリと笑う。
「面白そうだとは思わんか?」
「…さあな」
内容を把握した俺は、書類を突っ返しながら聞き返す。
「どうもうさんくせえ…本当に簡単で、単純明快な仕事なんだろうな?」
念を押すように訊くと、ロッセーリはいつものようにホッホッと妙ちきりんな笑い声を上げた。
「単なる運び屋じゃよ」
……信用できねえ。
依頼料は相場より少々値が張っているようだが、そもそも何で“俺向け”と断言できる?
「……ま、いいか。輸送の仕方は俺が決めていいんだな?」
肩を竦めながら言った。
仕事は仕事だ。俺にとって物事の善悪なんて問題じゃねえ。ましてや落札者がどんな人物かも関係ねえ。
重要なのは、“金になるか、ならねえか”──だ。
“単なる運び屋”。今回はそれ以外の何者でもねえよ。
「えーっと…ローマからアマルフィ、か…」
俺はスマホを取り出し、アマルフィまでの道のりを地図で確認する。
初めて行く場所じゃない。以前は確かフェリーで行ったはずだ。というのも、観光地な上に海岸沿いの狭い道が街に入れる唯一の経路だから、しょっちゅう渋滞するんだよな。
しかし…ここらの美しい海岸線を愛車でフルにかっ飛ばすってえのも悪くねえ考えだ。
俺の可愛い愛車はフェラーリF8、トリブートだ。
またの名を“スカーレット・アロー”。“緋色の矢”なんて、なかなか粋だろ?
先週、ハンブルクにいるアレクにエンジンを見てもらったばかりだ。
先月末のノワールの屋敷での捕り物騒動を無事に解決させたお手柄として、無償での整備を引き受けさせたわけさ。
なのでエンジンの調子を見るのにも、長距離ドライブは良いチャンスだろう。
颯爽と走るイメージを頭に浮かべながら俺がニヤついてると、ロッセーリは満足したように立ち上がった。
「“依頼交渉成立”じゃな。飲もうか」
壁際の棚にずらりと並んだバーボンの瓶を吟味するようにしばらく眺めていたが、ふいにブラントンのシングルバレルを取り出した。
「…それ、見ねえうちにずいぶん集まってるじゃねえの、ジーサン」
俺が言うと、ロッセーリは琥珀色の目を細めた。
「この棚も賑やかになってきとる。1つずつ集めるのが楽しくてな」
見た目は同じボトルなんだが、付いている馬形のキャップはひとつひとつが違うポーズだ。遠目には微妙な違いも、集めている者にとっちゃあ楽しいコレクションなのだろう。
「老いぼれの楽しみはこんなもんしかないからのう」
バーボンをグラスに注ぎながらボソッと零すロッセーリ。
「なーに言ってやがる」
ハッと笑いかけ、俺は続けた。
「らしくねえよ。まだ半分しか生きてねえとか言ったらどうだ?」
「ほう。ワシに200まで生きろと?」
「大酒飲みに付き合ってやってるんだからな、そんぐらい長生きしろよジーサン」
グラスを受け取る。芳醇なバニラの香りを嗅ぎながら笑う俺に、ロッセーリもシワだらけの顔で笑った。
「そうじゃの。孫もやっと仕事に就いたことだし…あとはアレの花嫁姿を拝まんとな」
その言葉に、俺はその子の顔を思い浮かべた。
ジーサンの孫娘、フランチェスカ。
愛称はフラン。現在は21歳、今年看護師学校を出たばかりだ。
俺とは11歳離れている。16歳の時にヴェネツィアにやってきた俺は、あの子が5歳の時からの顔見知りさ。
フランはかなりの爺ちゃんっ子で、この家にもちょくちょく顔を出している。俺ともしょっちゅう会ってたから、もう幼馴染みみてえなもんだ。
長い銀髪をハイポニーテールにし、ジーサンと同じ琥珀色の瞳。昔から可愛い顔をしてて、明るい子だった。
はねっかえりな性格と変に真面目なところがあって、俺は会う度にからかって遊んでいたっけな。
野菜嫌いのフランに、何も言わずに出したお手製の野菜ジュースを飲ませた時は猛烈に怒ってしまい、しばらく口をきいてもらえなかったぜ…
大人になって少しは落ち着いたかと思ってここに来ると、やっぱり昔のままでよ。そんなフランが今じゃ立派な看護師か。
「花嫁姿、ねえ。マジでそんなことになったら、おそらくあんたはボロボロ泣くんだろうな。どんな男にかっ攫われちまうのか…早く見てえな」
ニヤニヤ笑って言うと、ロッセーリは一瞬本気にしたのか、真顔になった。
そしてすぐに肩を竦めてみせる。
「わしの命よりも大事な孫じゃからの。そんじょそこらの男にはやらんぞ」
琥珀色の瞳がキラリと光る。
おーお、これはマジで言ってるぜ…
普段は情報収集と称してモニターと睨めっこや、世界各地の諜報機関と連絡を取り合ってるようなジーサンにも、命がけで守りたいものがあるってことだ。
もし冗談でも「引き取り手が無けりゃ俺が貰ってやるか」なんて言った日にゃ、仕事の依頼をしばらく絶たれる可能性だってあるんだぜ……
(ま、あんな怒りんぼ娘はこっちからごめんだがな)
そう思いながら、俺はブラントンをしっかり味わって飲み干した。




