5.
ランチを済ませ、ナポリを出発したのは14時近かった。
このまま行くとアマルフィに着くのは確実に夕方になる。少々のんびりしすぎたか。
高速道を南下していく車中には、変わらずのどかな空気が流れていた。
だがどこか退屈だ。暇つぶしにナポリ民謡を歌い出すと、リザも遅れて口ずさみ始めた。
『サンタ・ルチア』や『オ・ソーレ・ミーオ』、『帰れソレントへ』と来て、最後に『フニクリ・フニクラ』を歌い出したら、さすがにリザは驚いた様子で、
「ハリーさん、よく知ってますね!イタリア語も完璧だし、そんな古いCMの歌まで…!」
なんて絶賛してくれたぜ。
「それに、お声がステキですね!歌もとってもお上手です!」
「まあな。ギターがあれば弾き語りをしてやれるんだが、今日はアカペラで勘弁な」
そんな他愛もない話を呑気にしながら、車を飛ばしていく。
ポンペイまでは、左側にヴェスヴィオ火山を見ながらのドライブだ。約2000年前の大噴火で火砕流や降灰によって、一夜にして古代ポンペイの町を消滅させた火山はあまりにも有名だ。
そしてここにも遺跡があり、考古学的にも重要な場所でもある。
「お前さんは、ポンペイにも興味あんのか?」
リザにそう尋ねてみる。彼女は頷きながら、
「はい。古代の生活を伝える貴重な遺跡ですから。まだ発掘調査は続いていますし、将来は私も関わってみたいんです」
「へえ…」
「歴史と考古学が好きな私には夢のような所です。遺骨や遺留品の他にも、新しい壁画やモザイク画が次々に見つかっているんですって」
微笑みながら楽しそうに話すリザを見ていると、なんだか嬉しくなってくる。いい夢を持ってるヤツの目はキラキラしてるからな。
「なら、早ければ10年後にはお前さんを“センセイ”って呼ぶことになりそうだな」
茶化して言う俺を見て、ニッコリと歯を見せて笑うリザ。
「ハリーさんと10年後も会えたなら、それはステキなことですね。そのためにも、頑張って夢を叶えたいです」
「ああ、お前さんならできそうだ」
また会えるかどうかなんてわからねえが、そんなふうに考えるのも悪くねえな。
「あの、ハリーさんの夢は何ですか?」
ふいにそんなことを訊かれた。
一瞬真顔になって、俺は言葉に詰まる。
「夢、か。そうだな…」
あまり考えたこともねえ。今を生きるのに忙しくて、この先どうするかなんて想像したことはない。
「長生きすること、かね」
そう答えた俺の顔を、リザは目を丸くして覗き込む。
「それも夢のひとつだと思いますけど…本当に?」
「ああ。俺は稼いだ金で美味い酒や食いもんをたらふく食って、ゴージャスな美女たちをめいっぱい侍らせるような楽しい生き方がしたいぜ」
「…はあ」
「それが男の浪漫ってヤツさ」
ニヤリと笑いかける。
きっと10年後も、俺はこんな生活を続けているだろう。あちこちの街をブラブラしながら依頼をこなして、金を稼いで酒を浴びるように飲んで……
そんな風来坊的な生き方も悪くねえよな。もちろん、生きていればの話だがよ。
リザは少し黙っていたが、ややあって口を切った。
「ハリーさんは壮大な夢を持っていそうにみえたんですけど…」
「壮大?例えばどんなだ?」
「えっ…と、そうですね…例えばアメリカの大統領になるとか、宇宙飛行士になって月へ行く、とか…?」
今度は俺が爆笑する番だった。
「ハハハッ!俺、そんなふうに見えるのかよ?初めて言われたぜ」
「えっ?あの、ごめんなさい!失礼でしたか…?」
「構わねえよ。まあ、そんな生き方も悪くはねえがな……窮屈が嫌いなんで、1箇所に縛られたくねえんだよ」
「窮屈…?」
「ああ。同じ所に長く住むと、色んなしがらみがあるだろ?そういうのが苦手なんだ」
「……」
「だから、何でも屋なのさ。言っちまえば、どこでだって生きていける自信はある。それが俺の強みでね」
髪をかき上げながら言うと、リザは納得したように頷いた。そしてまた笑顔を見せる。
「ハリーさんには自由気ままが似合うかもしれないですね。風のような……」
いったん言葉を止め、
「嵐のような、そんな生き方が合うような気がします」
「嵐──か。そのセンス、悪くねえな」
ニヤリと笑う俺。
俺の愛車、スカーレット・アローにもピッタリじゃねえか。
ポンペイを抜け、海岸沿いの道へ出て西へ走る。やがて道路が混雑してきた。アマルフィの目と鼻の先にあるマイオーリという町が近いようだ。
「……」
だがマイオーリを過ぎたあたりから、バックミラーに同じ車がピッタリくっついて来やがった。
チラチラと見遣っていた俺は、無意識に舌打ちを何度かしていたらしい。気づいたリザが心配そうに見てくる。
もしも新たな追っ手なら、こんな海沿いの一本道じゃ交わしきれねえ。そう思った俺は左側にフェリーターミナルを見つけて退避し、やり過ごすことにした。横目で注視し続ける。
(……行くか、止まるか?)
だが、くっついてきていた車はそのまま西へ直進していった。追っ手じゃなかったのかと安堵している俺に、リザが訊いてきた。
「あの、ブオナーロさんの別荘ってどのあたりなんですか?」
「もうちょい先だ。少し外れた高台にあるらしいが…」
スマホで地図を見直しながら俺が言う。リザはターミナルから町へと続く人の波を眺めながら、
「こんなに人が多い場所で、さっきみたいな怖い人たちが出てきたら危ないですよね…」
「常識が通用する相手なら、そう考えてくれるだろうよ」
ハッと鼻先で笑い、俺は周囲を確認して慎重に発進させた。
「そもそも、ローマのヤツらが何者だったかわからねえしな。しかしブオナーロが俺を危険に晒すメリットは今のところ無い」
座席の下の小箱を指で示す。
「“こいつ”を持ったまま俺が事故ったら、大変な損害になっちまう。ヤツは俺に“慎重な輸送を頼む”と言った。──ってことは、あれはまた別の…第三者的な存在だ」
「第三者……そんなに狙ってくる人がいるんですか?」
「ブオナーロが言ってたが、オークションで最後まで張り合ったヤツがいたって話だ」
風光明媚な海岸沿いの道を気持ちよく走り抜けたいところだが──
すぐにミノーリの町が見えてきたところで、俺はさっき追いかけてきたのと同じ車が路肩に停まってるのを見つけた。
(チッ…やっぱり待ち伏せてやがった)
黒塗りのアルファロメオ。ローマで追いかけてきたヤツらと同じだ。
ミノーリのビーチやフェリーターミナルを左手に見ながら先へ急ぐ俺の車を、ヤツらの車が追いかけてくる。バックミラーでじっくりご尊顔を拝見したいところだが、狭いカーブの連続でそんな余裕はない。
そして相手も単に追いかけてくるだけで、ローマでの時のように“仕掛けて”は来ない。それがかえって不気味だ。
「リザ、しっかり掴まってろ」
俺はそう言って、少しスピードを上げた。日が西に傾き始めている。早いところブオナーロの別荘に着かねえと……
(待てよ?)
別荘に着いた瞬間、停まった車を囲まれでもしたらどうする?
仮にブオナーロが“善人”だとしても、何の防備も無い可能性が高い。悪党を追い払う力があるかどうか。
(……!)
ヴィラ・サンミケーレ付近まで走り、ふと分岐に気づいた。
「…あった。こっちだ!」
俺は急な山道へハンドルを切った。曲がりくねった道だが、車通りはそこそこある。ここなら敵さんも無茶は出来ねえはずだ。
リザはずっと無言だった。無理もねえよな、変な車にまたもや追いかけられて、しかも行き先も解っちゃいねえんだ。不安でたまらないって顔をしている。
「安心しとけ。この先でケリをつけてやる」
淡々とした俺の言葉に、リザは少し笑った。
「ハリーさんって、苦手なものや怖いものは無いんですか?」
「…怖い?そうだな。これといってねえかも…」
そう言いながら俺はハンドルを握る手に力を込めた。
「強いて言えば、“何もしないでじっとしている時間”かな」
「え?どういう意味ですか?」
「俺は退屈ってのが大の苦手でね、じっとしてろと言われるのが苦痛なのさ」
リザがクスクス笑い出す。
「ハリーさんらしいですね」
「だろ?」
俺もニヤリと笑う。
さらに進むとトンネルを抜けた先にロータリーが見えてきた。
(ここしかねえな)
俺は道路脇に車を停めた。
(さあて、どう出る…?)
追っ手もトンネルを抜けてきた。リザに身を低くして待つように伝え、俺は車を降りた。後続車を待ち構えるようにじっと見据える。相手の車も近くで停まり、いかにもな2人の男が歩み寄ってきた。
「よう、こんな所までご苦労さん」
腕組みして訊く俺に、男が低い声で言う。
「“あれ”はどうした?車の中か?」
「何のこった?」
「とぼけるな!ブオナーロから預かったブツに決まってるだろう!」
「さあな」
肩を竦める俺。イラついているらしく、男2人のうちの小柄な方の1人が持っているジャケットに隠して何かを俺に向けてきた。
一見して拳銃だとわかる動き。だが本物かどうかは撃つまでハッキリしねえ。俺はホルスターに収まったままのスミス &ウエッソンM66をいつでも抜けるよう気を置きながら、ニヤリと笑う。
しかしその直後──
「──!?」
ふいに現れた1台の黒塗りマセラティが俺らのすぐ近くに停まったかと思うと、男が2人飛びだしてきた。
「キャアーッ!」
突如として悲鳴が上がる。
フェラーリに隠れていたはずのリザを、そいつらは助手席側のドアを開けて無理矢理引きずり出し始めやがった!
「リザ!」
ハッとなり、俺は身をひるがえす。アルファロメオのヤツらも驚いてフェラーリに立ちはだかろうとし──
刹那。
バシュッ!バシュッ…!
鈍い音が聞こえたかと思うと、二発の銃弾がアルファロメオの2人を撃ち抜いていた。
「……っ!?」
突如起こったことに俺は目を疑う。なんだこれは…?
(…仲間割れ、か!?)
そんな考えが浮かんだ俺の耳に、抱えられて連れ去られていくリザの必死な叫び声が届いた。
「ハリーさぁんっ!助けてぇー!」
マセラティに乗せられ、暴れながらリザが叫んでいる。俺はすかさず銃を構え、車のタイヤを狙って撃ったが──遅かった。車はあっさりとリザを連れ去り、トンネル内へと滑り込んでいった。
「クソッ!」
追うべく俺も車に乗り込む。
後に残ったのは倒れているアルファロメオの男2人だった。無残にも頭を撃たれて、ピクリとも動かねえ。
(腕の良いヤツだ)
ゴクリと息を呑む。アクセルを踏み込み、スピードを上げていく。
(どこのどいつだか知らねえが、堅気のお嬢さんを巻きこむやり方は気に入らねえな!)
俺は目を細め、ギラッと前方を睨みつけた。




