トゥルー・エリート
「冗談でしょ!?」
「体に障りますよ!」
「そんな事言ったって!」
新婚と言うにはまだ十分な期間しか経っていない存在からいきなり未亡人に叩き落とされた女性こと不動拓海の悲鳴は、タワマンの中にはばかることなく響き渡った。
母親の悲鳴に呼応するように不動正の忘れ形見である生後三か月の乳飲み子も泣き出す。不動進と名付けられた子の前で必死に顔面を崩す社員もまた、悲しみと憤りをどう吐き出したらいいかわからなかった。
何がハッピー・テロリストだ、アンハッピーテロリストだろとか言う益体もないフレーズばかりを思い付きながら床を踏み鳴らし、大企業の権力で雇い入れたベビーシッターたちに親子を任せる。
それが、普通の会社員に出来る精一杯の行いだった。
「心当たりは」
「全くないですね、いやマジで、マジで!あのそれより、これから仕事なんで…」
柏崎竜也に迫られた耳音産業の工員・鉄野孝太は震えながら答えた。飛び散る火花にも全くひるまない被害者と同い年の彼をひるませるほどの眼光は、小さくとも力強いはずのこの場所全体を金縛りにしていた。
「刑事さん、鉄野が言ってる通り仕事なんで取り調べなら後にしてくれないですかね」
「取引先の方には私が邪魔をしたと言って下さって結構ですから、ああ柏崎竜也と言う名前を振りかざして構いませんので」
「んな事言われても鉄野が言う通り真面目で寡黙で何の問題もなかったですから、ってかハッピー・テロリストなんてそれこそ無差別殺人集団なんでしょ」
「それはそうですが、被害者の傾向を知らなければ捕まえる事も出来ないのです」
「ですからさっきも言った通り、不動正と言う存在には何の問題もありませんでした!」
社長が声を荒げても柏崎竜也は目を血走らせるのをやめる事はなく、他の暇そうなやつに聞けばいいやとばかりに首を振る。
実際柏崎の目線に当てられた工員たちは手を止めてはいるが、みな早く作業したいんで終わらせてくださいと言う本音がにじみ出ている。
「不動正さんはそんなに軽視されてたんですか!」
「いやそんな事はありませんけど、わかっていたとは言え今日から手が一人分足りなくなるんで急がなきゃいけないと思ってたんです。もちろん新人を雇わなかった訳じゃないんですけど」
職人魂と言えば体裁はいいが、相手が警察官なのにもかかわらずいい製品を作るためには一刻一秒すら惜しいのだからどこか行ってくれと言う厄介払いの念が籠ったその物言いに竜也の目はさらに赤みを増す。
「私だけでは暇ですから話聞きますけど」
「何か!」
そんな所に出て来た社長の妻と言う存在に向かって竜也は三日何も食べていない犬の様に縋り付き、奥へと向かう。実際その飢えた犬は彼女が出してくれた熱いはずの茶をためらいもせずに飲み干し、少しばかり顔を紫にした。
「正くんねえ…夫や他の子たちが言ってた通り真面目で無口でいい子なんですけど」
「しかし…」
「私たちだってショックなんですよ、なぜそんな子がってね」
「…何もなし、ですか…」
「いえ変だなって思うとこはあったんですよ。ご存知かと思いますがあの子結婚式も上げなかったし、ちょっと前に子どもが生まれたんですけどそれを私らが知ったの一ヶ月も後だったんですよね、ハネムーンもなかったらしくて」
そしてようやく有用かもしれない情報を得た竜也の顔が、急速にほぐれた。
表向きには工員であるが実際は大企業の御曹司である存在が結婚式もせずハネムーンを上げないのは不自然であり、節約志向とか言うにしても過剰だった。
「不仲だったとか」
「そんな話は聞かなかったですけどね、まあ単身赴任のような状態だったから」
「単身赴任…」
「ええ。一度正くんの家に行った事あるんですけどね、文字通りのタワーマンションって言うか、やっぱ大企業の御曹司様はあんな所住めるんだなって」
「それを残して家賃月五万のアパートに住んでたって」
「そうです。親会社さんだっていつ何が起きるか分からないって事で、それこそ親会社がなくなっても自分一人だけでもご飯に困らないようにって訳でね…不動継太社長さんは本当にありがたい人ですよ」
少し瞳を濡らしながら思いを語る彼女に対し、竜也は少し覚めた顔をしていた。確かにそれは美談ではあるが、不動正がハッピー・テロリストに狙われるような存在であったと言う証左には遠い。いや遠ければ遠いほどハッピー・テロリストと言うのがただの無差別殺人組織であると言う証明だからある意味都合がいいのだが、その都合の良さが一人の人間としては面白くない。
「不動正さんの関係者とかいないんですか、この会社と不動興産以外に」
「ああ一人いましたよ、何でも大学時代のお友達とかって。継太社長さんも高卒だからそんな物はいないって言ってましたけど私も実はそうでね、今はかなり大変な目に遭ってるらしくてそれで助けてるとかって、そういうお友達がいるってのは実にありがたい事ですよね。それで…」
竜也の気持ちも構わず、彼女は話し続ける。その間に工場から火花の音が鳴り響き、日常が戻って来ていた。
竜也は、自分が異物なのを否応なく実感させられていた。




