アイアム・セーフティ……
「耳音産業?」
「ええ、この会社に払う契約金が高すぎます。社員数も十名程度の、文字通りの中小企業と言うか町工場です。そんな会社になぜそこまでの大金を払う必要があるのですか」
耳音産業と言う、ムハーク産業が強く提携している会社。しかしその資本金はムハーク産業の数十分の一でありいわゆる下請け企業の一つでしかない。それなのに契約は明らかにムハーク産業が不利と言うか圧倒的に向こうに有利でありこっちは金を吸い取られているような状態である。
「しかしそこは」
「そこは何ですか?何かあるのですか」
「実は別の大企業の社長のご子息が修行と言う事で身を置いておりまして、そことの契約を切るとそちらとの関係の悪化を招く可能性が」
「でしたら私自ら見て来ます」
二十以上上の上司の言葉も聞かず、朝から車を飛ばす。
メキルマと言うのはそういう事が出来るほどには活動的であり、その上で決してサボタージュと言う言葉に接近する事がなかった。
目的地は分かっている。カーナビに任せて一直線。寄り道などしない。最短距離を通る事こそ自分の使命。あらかじめ駐車場や渋滞の予測も済ませる。それが当たり前のルールではないか。
「一体どんな会社だか…!」
見てから判断してやる。見もせずに数字ばかり追う輩だと言われるのは彼女自身不本意であり、どういう存在か確認した上で取捨選択の判断を下さねばならない。その目的のために動く彼女の瞳はヘッドライトよりも強く輝き、脳味噌は一年前のPCの数倍の処理速度で動いていた。
もし少しでも冷静であったら、その道の途中で引き返していたかもしれない。それが彼女にとってプラスであったかマイナスであったかはともかく、少なくとも彼女の望み通り時間を無駄にする事はなかった。文字通りの裏道、と言うか隘路の連続。中央部からはどんどん離れビルも低くなって行く。
そんな所にある会社がどんな物か、ストリートビューさえ見ずに住所番地名だけで突っ込むのがメキルマ・ターノッセイと言う人物である。
その豪腕ぶりは社内から恐れられると同時に頼りにする者もおり、黒井や上原こそまさにそれだった。
で、だ。
「………………………………」
メキルマは「社長」に声をかける事もなく、ただ踵を返した。
目の当たりにした社屋は文字通りの小屋であり、昭和時代の遺物としか思えない鉄臭い工場、工場ではなく工場。
なぜこんな所に、あそこまでの大金をつぎ込む必要があるのか。チラリとイケメンの青年を見かけた気がしないでもないが、そんな事でどうにかなると言うのか。もし彼がいわゆる大企業の社長息子だとか言うならばそれは明らかに程度が低いから左遷と言うか放逐されただけで大した影響力もないだろう。
(やはり、取引は切る。切らないとしてもこちらから取引額の減少を提案し、吞まなければ切る。ただでさえ契約が苦しいのだ、もし本当の本当に大企業の社長の息子がいるとか言うのならばそっちが拾い上げて抱え込むだろう、こんな工場いくらでも代わりはある!)
ムハーク産業の最大のヒット商品の利益の一割近くを吸い上げていると言う話を真に受ければ、それこそ最大の搾取対象ではないか。それならばそれらしくすればいいのに一体何なのか。
駐車場へと足を運ぶ。本来ならばこの場で先の条件を叩き付けてやるべきだったかもしれない。だけどあまりワーワー泣き付かれてもこっちの心象が悪いし何より独断専行のそしりを受ける上にあのやる気がない癖に仲良しこよしでいる事だけは長けた連中に足を引っ張られるかもしれない。
それまではそれを許してくれる後ろ盾がいたと言うのに、なぜこんな時に限って。
なぜ二人して、ハッピー・テロリストとやらの犠牲にならねばならないのか。
絶対的な勤怠管理システムを導入し、社員たちを目一杯、自分と同じように上限まで働かせてこそムハーク産業は発展する。無駄を切り、スリムな会社になる事こそ正義。
その事に賛同してくれていたはずの上原司と、黒井業太。
まるで、お前のやってる事は間違いなのだと言わんばかりに、次々と凶弾に倒れてしまっている。
何とか、自分だけでも—————
「Wha…!」
そんな欲望が叶う事は、なかった。
『本日9時12分、我々はメキルマ・ターノッセイを殺害しました。
全てはメキルマ・ターノッセイの幸福のためであり、ひいてはこの国、否この世界に住まう全ての人類のためにです。
我々はこれよりもまた、皆様の幸福と正義のために動き続けます。
ハッピー・テロリスト』
その犯行声明と共に、ムハーク産業はまた社員を失った。
わずか二日で、三人目の。
しかも平ではない、全て肩書付きの社員を。
そしてその事を誰よりも歯噛みして聞いていたのは、ムハーク産業の上層部ではなかったのである。




