キッズ・スマイル
「イッキー先生は特別なんだからさ」
伊藤貴子が通っていた児童養護施設のみならず、あちこちからそんな言葉が飛ぶ。
成功者中の成功者の存在を知り憧れるのは自由だが、現実は厳しいのも事実だった。
そしてこの養護施設の住人たちは、幼くしてその事を知っていた。
言うまでもないが児童養護施設と言うのは諸事情あって親と共に暮らせなくなった子供たちのいる場所であり、幼くして既に心に傷を負っていたし経済面においても恵まれているとは言えない。
その養護施設にも、「ミルフィーユ娘」の単行本はあった。
持ち込まれた時にはやけに奇麗に包装されていたその本は今では幼稚園児たちが遠慮なくめくりまくったせいでよだれや食べこぼしが付いているがそれでも絵と話は色あせる事なくそこにあり、今でも新たに入って来た子どもたちを楽しませている。暗殺と言うカテゴリー上教育によろしくないと言う案もあったが、圧倒的な人気の前に磨り潰されている。
実際「ミルフィーユ娘」を教育に良くないと言って遠ざけていた親を持つ優等生が校内で孤立して不登校に陥り塾通いの代わりに「ミルフィーユ娘」の漫画を読ませて不登校を解消したとか言う話まであり、その存在を無視して生活する事は困難だった。
そして単純に、ミルフィーユ娘は彼らのヒーローだった。
ミルフィーユ娘が命を奪うのはそれこそ法で裁けぬ悪党であり、あるいは時に卑近すぎるいじめっ子であり、その上でとんでもない権力者とも戦って勝つ事もある。中には依頼人の逆恨みで善人を殺してしまう場合もあるが、それでも後味を悪くしないような筆致から読みやすくなっている。
もちろんそれをフィクションに過ぎないと片付ける人間もいるしそれは正しいのだが、それでもそのフィクションゆえに楽しめている層もいる以上大した問題ではなかった。
ただ何がどうであったとしても、人殺しを肯定的に描くだけで批判する人間はいる。もちろんそれこそが教育に悪いと言う話であるが、そんな存在に対しミルフィーユ娘に勝てねえから悔しがってるんだろと揚げ足取りをする人間も多い。実際ミルフィーユ娘に負けて表舞台から消えたり本来割かれるべきそれが時間を持って行かれた話は山とある。嫉妬してるんだろと言う心無いフレーズが溢れ返り、真っ当な批判者の心をさいなむ。それが資本主義だろとか言うには何とも下賤な話だがそれもまた現実だった。
そしてまた別の現実的な話として、伊藤貴子はこの児童養護施設の住民たちに好かれていない。
「ちゃんと食べようね」
彼女なりに腕を振るい笑顔を見せ、子どもたちに優しくして来たつもりだった。
だが彼らが主に慕っているのは職員たちであって、伊藤貴子とか言う夕飯を作りに来るだけの女性ではない。幼い子の中には彼女の声に浮かれる者もいたが年長者たちはすぐ彼女の視線の正体を見抜いてしまう。
—————あのオバサンさ、なんか自分こそが守ってあげられるのって目線で迫って来るんだよ。
そう高校三年生でこの施設のリーダー的存在の男子はこぼしていた。
彼は今度の春建築会社で事務員として雇われる事が決まっていたが延々数年間に渡り自分たちに粘着している伊藤貴子の事が、彼は苦手と言うか嫌いだった。
彼女は、やたらと自分の手で稼ぐ事が重要だと言う。確かにそれは重要だが、地に足のついた仕事をし社会の役に立てと必要以上に圧をかけている。そうでないと見なした仕事を目指そうとする子どもたちには笑顔を消し、怒りとも悲しみとも付かない無表情になって行く。
「本音なんだろうけど、だからこそ気に入らないんだよ」
彼女に数年間「世話になっていた」養護施設出身で今は工事現場で汗水を流している人間は言う。
人様の役に立て、他人を困らせるな。自分一人で生きて行く事こそ最大の社会への奉公。食事が終わってお話を求めた子どもたちに向かってそんな事を言う彼女は真剣ではあるがどこか重苦しく、後味を悪くする駄目なスパイスだと揶揄された。
そんな彼女がここ数年ほど、なぜかやけに奇麗に包装された本を持って来る事が増えた。
「ミルフィーユ娘」だ。
それこそ新刊発売と同時に書店に行列ができるほどのそれを彼女は発売日に施設に持ち込み、さほどの事も言わずに渡す。
大ベストセラーであり子どもたちもテレビアニメとして見ているから当然子どもたちからは喜ばれたが、職員や年長者たちはむしろ彼女への不信を深めていた。どうやってと聞いてもまともな返答もなく、ただ物のついでのように持って来る。
一緒に読もうとか言っても、何も反応しなかった。
どうでもいいけどドラゴンクエスト40周年おめでとうございます。




