ある罪人の生前
これにて書き溜めは尽きました。
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ラムドレー、本名ラムドレー・レクサーはアメリカで生まれた。父は会社員、母は専業主婦。生活は特筆するほど豊かでも、貧しくもなかった。
映画の様なイベントやアクシデントとは、無縁の生活を送っていた。普通に学校に行き、普通に卒業。並の偏差値の大学へ行き、平々凡々な成績でそこを卒業した。
就職したのは、23歳の時。大企業では無かったが、地元ではそこそこ有名な企業に入社した。そして、そこでリジッドという同じ時期に入社した女性と出会った。
美しい金髪と麗しい青眼を持った、優しい女性だった。その上仕事も良く出来ていた為、社内での評判も良かった。そんな彼女に対し、ラムドレーは憧れを抱いていた。そして、その憧れはどんどん彼の心の中で増大していき、遂に恋心へと変わった。
「リ、リジッドさん!こ、今晩一緒にご飯でも行きませんか!?」
その恋心を自覚してすぐに、ラムドレーはリジッドを晩御飯に誘った。幸い、彼女との関係は比較的良好だった為、リジッドは快く承諾してくれた。
レストランに着き、そこで二人分の席を確保してから、リジッドはラムドレーに言った。
「でも驚いたわ。貴方が私をご飯に誘うなんてこと、今まで無かったから。・・・もしかして、何か相談でも有るの?」
「え!?い、いやまあ、相談と言えば相談何ですけど・・・ね?あ、あはは!」
頭を掻きながらそう言った後、ラムドレーはテーブルに置いてあるコップを取り、その中にある水を一息で飲んだ。そして、一回深呼吸した後、意を決して言った。
「す、好きです!付き合って下さゲホゴホゲホ!!」
台詞を言い切る前に、先程燕下した筈の水がまだ喉奥に残っていたのか、思い切りむせるラムドレー。刹那、ラムドレーは思った。
(終わった・・・。これじゃあプロポーズが失敗する以外に道が無い・・・。グッバイ、マイラブ・・・)
「・・・良いわよ」
しかし、次の瞬間リジッドの口から出たのは、まさかのプロポーズ成功の合図であった。
「へあっ!?そ、それは本当かい!?」
驚きのあまり敬語が消えるラムドレー。
しかし、そんなおっかなびっくり状態のラムドレーに対し、リジッドは微笑んだ。
「ええ。・・・じ、実は私も・・・貴方のことが・・・」
そう言いながら頬を赤く染めるリジッドの姿が、ラムドレーの瞳には天使に映った。後でラムドレーが聞いた話だが、リジッドはこの時点でラムドレーに密かに惚れていたらしい。何でも、誠実なところに惹かれたとか。
とにかく、その日から二人の交際は始まり、それから二年後にラムドレーとリジッドは周囲から祝福され、晴れて夫婦となった。
結婚してからは、二人はラムドレーの実家に一緒に住むことになった。ラムドレーの父は既に一年前に病で他界しており、家にはラムドレーの母しか居なかったが、嫁姑間の仲が良好だった為、実家での生活は明るく楽しいものだった。
そして、それから程なくして、二人の間に娘が生まれた。
娘、リムードは元気に成長した。大病にかかることも、大怪我をすることも無かった。リムードが生まれてから仕事を辞めたリジッドと、ラムドレーの母に一日中愛されていた為に、一人で居る時間があまりなかったのも、これらの健やかな成長に貢献していたのかもしれない。
ラムドレーは一人娘ということもあり、リムードを目一杯可愛がった。その可愛がりが過ぎて、リムードの寝顔を見ているだけでラムドレーの休日が終わったこともあった。それ程までに可愛がったからなのか、リムードは典型的なお父さんっ子になった。
こんな風に幸せな生活を謳歌するラムドレーであったが、彼には一つ困った癖があった。それは、『爪を噛み切り、その破片を吹き出す』というものであった。この悪癖にはリジッドも少し呆れており、その行為をラムドレーがする度に、
「貴方もう良い歳なんだから、そろそろその爪噛みの癖を矯正したら?」
と苦言を呈していた。
そんな彼女の苦言を聞く度に、ラムドレーはリジッドに平謝りして、自分の癖を治そうと決意するのだが、如何せん無意識なものである為に、再びその悪癖を実行してしまうのであった。
だが、子どもは親の行動を見て育つもので、ある日ラムドレーはリムードが自分の爪を噛み、その破片を吹き出している現場を目撃してしまった。
「ちょっ、リムード!駄目だよそんなことしたら!」
「え?でも、パパもやってるよ?」
首をちょこんと傾げてそう問うリムードに、ラムドレーは狂おしいまでの愛しさを必死で押さえつけて言った。
「で、でも駄目なの!そんなことしてたらママに怒られるよ!」(そして裏で私がその倍ぐらいの剣幕で怒られるよ!加えてお小遣いも減らされるよ!)
「むー。分かったー」
頬を膨らましてそう言うリムードに対し、ラムドレーは煙が出るのではないかというぐらいの勢いで、高速なでなでを実行した。それから3日後、ラムドレーはリムードが爪噛みしているところを目撃したリジッドに叱られ、お小遣いを引かれた。
そんなハプニングもあったが、それでもレクサー家は平穏な生活を続けていた。しかし、リムードが六歳になった後、ラムドレーの母が病で倒れた。そのまま緊急入院するが、すぐ後に容態が悪化し、帰らぬ人となった。
ラムドレーの母の葬式の最中、リムードはラムドレーに聞いた。
「パパ・・・。おばあちゃんは・・・どこにいっちゃったの・・・?」
リムードには、まだ"死"というものが理解できていなかった。
そんなリムードに、ラムドレーは優しく言った。
「・・・お婆ちゃんは、・・・遠い所に行っちゃった。・・・でも、大丈夫。リムードがお婆ちゃんを覚えている限り、いつだって心の中で会えるよ。・・・だから、お婆ちゃんの声や顔を、いつまでも覚えておいてあげてね・・・」
「・・・うん、・・・わたし、わすれないよ、・・・おばあ・・・ちゃんのこと・・・」
涙を流すリムードを、ラムドレーはリジッドと共に、暫く抱き締めていた。
しかし、更なる悲劇が、それから六年後に起こった。
ラムドレーの働いていた会社が、倒産したのである。
自分の勤めていた会社の倒産。この出来事によりラムドレーの受けたショックはかなりのものであった。しかし、かといって放心状態のまま何もしないでも良いほど、現実は甘くない。ラムドレーは、会社の倒産した翌日には、ハローワークに行って職を探していた。
だが、既に40近いラムドレーを雇ってくれる会社は、中々見つからなかった。故にラムドレーは、日雇いの仕事を日々こなすことで、家族の食い扶持を稼いでいた。しかし、それによる収入では食費以外のお金、電気代や水道代、それにリムードの学費を賄うことは、到底無理だった。
しかし、人生塞翁が馬。不幸なことの次は幸せが訪れるものである。
「え?私を雇ってくれるところが有るって?」
「ええ!私の働いてるレストランのオーナーが、そう言ってくれたの!」
ラムドレーが日雇いの仕事を始めてから一月が経った頃、リジッドが近くのレストランでウエイトレスとして働き始めた。何でも、そこの女性オーナーとは昔からの付き合いらしく、事情を話したら快く雇ってくれたらしい。
そのオーナーが、仕事を失っているラムドレーのことも雇ってくれるとも言ってくれたのだ。なので、ラムドレーはそのレストランでウェイターとして働けることとなったのである。このことによって、レクサー家には再び安寧が戻ってきた。
二人が働き始めて、4年が経った。リムードは16歳になり、高校生となっていた。
しかし、その時に、彼の人生を変えてしまう、最悪の不幸が訪れたのである。
その日は、ラムドレーのレストランのシフトの日では無かったので、彼は家でゆっくりしていた。リムードは学校で、リジッドはシフトでその時家に居なかった。
「いやぁ、しかし一人は暇だなぁ。まあ、職を失った時のことを考えると、暇さえも幸せだと思えるけど」
リビングで寛ぎながらそう呟くラムドレー。ふと窓越しの外を見れば、日光が燦々と降り注ぐ見慣れた街が広がっている。絵に描いたような平穏が、ゆっくりとした時間と共に、ラムドレーの横を通り過ぎていた。
(・・・何だか喉が渇いたな。牛乳でも飲むかな)
そう考え、ラムドレーが冷蔵庫に向かおうと、腰を上げた時だった。
家の電話が、けたたましく鳴った。
(・・・?誰だろう)
首を傾げながら、ラムドレーは受話器を取り、応対した。
「はいレクサーです」
「ラムドレーさん!?ラムドレーさんですね!?」
「あれ?オーナーさん?どうしたんですかそんなに慌てて」
受話器の向こう側に居たのは、例のリジッドの昔馴染みの女性オーナーだった。何時もはどちらかというとのんびりしている彼女が、しかしこの日は酷く取り乱していた。
「ら、ラムドレーさん!落ち着いて、聞いて下さい!!リジッドが・・・リジッドがっ・・・!!」
瞬間、ラムドレーは胸騒ぎがした。生まれてこのかた、虫の知らせなんてものを感じたことが無いラムドレーであったが、この瞬間だけは心臓に蝉を百匹放たれたんじゃないかというくらい、心がけたたましくざわついた。
「・・・な、亡くなり・・・ましたっ・・・」
ラムドレーの世界から、音が消えた。
気が付けば、いつかの母の葬式と同じ様に、黒服に身を包み、リジッドの眠る墓の前に立っていた。
周囲には女性オーナーやレストランの仲間、倒産した前の自分と妻の会社同僚や上司や部下達が、目元を泣き腫らしたり、鼻を啜ったりしながら、リジッドを見送っていた。
隣を見れば、いつの間にか背が妻と同じくらいになっていた娘が、自分と同じ様に黒服に身を包んで、涙を流していた。
しかし、ラムドレーの眼からは、涙は流れなかった。ただただ墓に刻まれたリジッド・レクサーという名前を、じいっと凝視するだけであった。
妻の死因はよく覚えていない。
レストランに突然入ってきた強盗に人質に取られた。
妻を助けるために駆けつけてきた警察に驚いた強盗が、指を滑らせ引き金を引いた。
それによって発射された鉛弾が妻の頭蓋骨を貫き、その金髪を朱に染めた。
その直後に強盗が警察に射殺された。
その様な一連の出来事を後になって教えられたが、その言葉全てが左耳から入り、右耳から抜け、脳味噌には何も残らなかった。
「パパ、爪が伸びてるよ」
葬式が終わり、その後の全てのゴタゴタが終わり、一週間が経った時、リムードはラムドレーにそう言った。
「・・・ああ、本当だ」
ラムドレーはぼんやりした口調でそう言って、自分の爪を見た。確かに爪は伸びている。
「・・・そういえば、最近爪を切っていないな」
独り言の様にそう呟いた後、ラムドレーはふと思った。
(・・・あれ?そういえば、私今まで爪を切ったことあったっけ)
その時、ラムドレーは気付いた。自分は今まで爪を切ったことがあまり無いということに。ならば、何故ラムドレーは今まで爪が伸びていると指摘されることが無かったのか。答えは簡単だった。
(・・・ああ、爪を無意識のうちに噛み切っていたからだ)
妻に何度も注意されていた、あの悪癖のせいであった。
逆に言えば、妻が死んでから、ラムドレーは爪を噛むことが無かったということである。それはつまり、無意識の行動さえ消失してしまう程に、妻の、リジッドの死のショックは大きかったということでもあった。
「・・・」
そこまで考えて、ラムドレーは初めて意識しながら爪を噛んだ。そうすることで、再び妻の小言が聞けるような気がしたから。
しかし、耳障りな小言は、聞こえてこなかった。
「・・・っぁ・・・ぇっ・・・ぐずっ・・・」
その時、ラムドレーの眼から涙が、口から嗚咽が、静かに溢れた。
「・・・」
そんな父に気を遣って、リムードはラムドレーの眼の届かないキッチンへと行った。そして、冷蔵庫にもたれ掛かりながら、爪を噛んだ。
リムードの爪も、伸びていた。
「・・・ねえ、パパ。昔パパが言ってたこと、覚えてる?」
そんなことをリムードが聞いてきたのは、それから更に3日後であった。ラムドレーが仕事を休職し始めて、リムードが学校を休み始めてから、既に10日が経っており、この日も二人は家に居た。
「・・・私が昔言ってたこと?」
そう聞き返すラムドレーの目元には、濃い隈が出来ていた。髭も伸び、眼も心なしかくすんでいた。
そんなラムドレーに対し、リムードは頷いて言った。
「お婆ちゃんの葬式の時に、パパが言ってたこと」
「・・・うん。覚えてるよ」
ラムドレーがそう言うと、リムードは続けて問うた。
「・・・パパは、心の中でママに会えた?」
その問いに、ラムドレーは黙りこむ。確かに、彼の心の中には今でもリジッドの姿があった。しかし、リジッドは生前の姿のまま笑っているだけで、話しかけても何の反応も示さない。そりゃそうだ。心の中に居るリジッドには、生前のリジッドの持っていた何もかもが無いのだから。昔の何も知らない幼い少女をあやす為の方便では、今のラムドレーの心の穴を癒すことは、全く出来なかった。
ラムドレーが首をゆっくりと横に振ると、リムードは微笑んで言った。
「・・・私も」
その言葉が部屋に転がってから、数分沈黙が包んだ。
その沈黙を破るように、リムードが口を開いた。
「ねえパパ。ママに会いたくない?」
その時、ラムドレーは首を横に振るべきだった。父親として、娘に「それは間違っている」というべきだった。妻の形見を護るために、そうするべきだった。
しかし、ラムドレーは濁った眼で、頷いてしまった。
リムードが、自分の部屋から睡眠薬を持って来た。妻が死んだ日から、それが無くては眠れなくなってしまったらしかった。
リムードはその睡眠薬の残りを全て皿に出すと、それを均等に半分に分けてから、言った。
「・・・じゃあさ、最後だし、昔家族皆で寝ていた部屋で飲もうよ」
その部屋というのは、ラムドレーとリジッドの寝室であった。少し前までは夫婦の相部屋であったがこの部屋は、リムードが幼い頃は、ラムドレーの母を含め、家族皆で寝る部屋だったのだ。
水に満たされたコップ二つと、睡眠薬の山。それから、ラムドレーの母とラムドレーとリジッドとリムードの写った写真と、幼き日のラムドレーと若いラムドレーの父と母の写った写真を持って、二人は寝室に入った。
ベッドに入り、二人は少しだけ会話した。
「そう言えば、何でこの部屋で皆で寝てたんだっけ?」
「それはね、リムード。そうしないと君がぐずったからだよ」
「えぇ?私そんなに泣き虫だった?」
「あはは、まあ結構泣き虫だったかな。でも、その分とても優しかったよ。君は、私達の自慢の娘だ」
その後、暫く会話を続けてから、二人は一緒に睡眠薬を飲んだ。
薄れていく意識の中で、リムードは言った。
「パパ・・・死後の世界でも・・・一緒に・・・暮らそう・・・ね・・・」
重たくなっていく瞼を感じながら、ラムドレーは答えた。
「・・・あぁ・・・ママや・・・お婆ちゃんや・・・お爺ちゃんも・・・一緒に・・・な・・・」
そこで、二人の意識は途切れた。
それでは皆様、またいつか。




