その36
入ってきたものの、どう話を切り出せばいいのか分からないらしい。少し迷ったが、アリアの方から声を掛けてみた。
「ティファ、まだ残っててくれたんだ。ありがと」
「……別に。あんたが落ち着いたら帰るつもりだったけど、結構大ごとになっちゃって……あたしもちょっと、責任感じるし」
ティファはもごもごとそんなことを言いながら、ベッドの隣に立って、そっとアリアの額に触れた。載せてあった濡れタオルを、新しいものに替えてくれる。
「熱、こんなに高いの……」
「でも、ケガも治してもらったし、解熱剤も飲んだから。多分もう大丈夫」
できるだけ明るい声音でそう返したが、ふいにティファがおおきくすすり上げ、アリアは驚いてその顔を見つめた。何度もこすったように赤くなった両目には、一杯に涙が溜まっている。どうやらウソ泣きでもなさそうだ。
「ごめんね、アリア。あたし、こんなことになるとは思わなくて」
そこまで言った後、少し黙りこんで下を向き、首を振った。
「……ううん、嘘。ホントはちょっと思ってた。あんたが、危ない目に合うかもって。それでも別にいいって、ざまあみろって、思ってたんだけど」
まぁ、普通に考えてそれが本音なのだろう。ティファの話だと、昨夜『カマキリ』を出た後、狐面の男に声を掛けられたそうだ。明日の夕方から夜くらいの時間帯で、人気のない場所にアリアを連れてくることができるか、できるのであれば報酬も払う。そんな風に持ち掛けられたらしい。
「怪しいなって思ったのに、つい話に乗っちゃって。……あたし、全然分かってなかった。心配になってちょっと戻ったら、あんたがケガしてて……それ見てやっと分かったの、取り返しのつかないことしたって。……なのにあんたは、自分がケガしてるのに、あたしのこと庇ってくれて」
ありがと、ほんとにごめん。そう言ってティファは、子どものように手の平で涙を拭った。
アリアは言葉もなく、そんなティファを見つめていた。
確かに、今回の騒動の一因はティファにある。それでも、心配になって戻ってきてくれたのも、また彼女だ。そしてアリアが彼女を逃がした後、必死に、それこそ全速力で『アルテミス』に駆け込んで、助けを求めてくれたのだろう。そうでなければ、あれだけの短時間でセイアがあの場に来られたはずがない。土地勘のないラトスの案内までしてくれた。
憎いはずの自分のために、ここまで一生懸命に走ってくれた彼女のことを、責める気にはどうしてもなれなかった。
「ティファが助けを呼んでくれたから、『取り返しのつかないこと』には、なんなかったよ。もう謝んないで」
そう伝えるアリアの声は、熱で弱っていることもあって、いつもよりも数段優しく聞こえた。
ティファはひとしきり激しく泣いた後、勝手にその辺のタオルを使って顔を拭い、五分後くらいには妙にすっきりした顔でアリアに向き直った。
「じゃあ、許してもらえたってことで、いい?」
その変わり身の早さとたくましさに、思わず少し笑ってしまった。さっきまでのしおらしさは、どこへ行ったのやら。
「いいよ。……俺のことも、許してもらえたってことで、いい?」
アリアが小さな声で確認すると、ティファは軽く口を引き結び、微妙な顔で首を傾げた。
「えー……どうしよっかなぁ」
「……この流れで、そこ迷う?」
呆れたように尋ねると、ティファはぷうっと頬を膨らませた。
「だって、あんたがあんまり分かってなさそうだから、悔しくて。……あ、じゃあこうしよっか?」
そう言って、彼女は何やら急に生き生きとした様子でベッドに身を乗り出した。何を言い出すつもりだろう。嫌な予感しかしない。
「あんたの彼氏、一日あたしに貸して。優しそうな人だし、見た目もまぁ、悪くないし」
「え、………」
「いいでしょ別に、一日デートするくらい。腕くんだりー、キスとかもしちゃおっかなー」
「そ、それは」
思わず体を起こそうとしたとたん、ぐらりと大きく眩暈がした。ティファが慌てて身体を支え、再びベッドに横たえてくれる。
「バッカねぇ、慌てちゃって。冗談に決まってるでしょ」
「冗談……」
ぼんやりしていると、ティファは苦笑いをして、軽くアリアの額を小突いた。
「分かった?あんたがしたのは、そういうことなんだぞ?」
「わ、分かった。ほんとにごめん」
アリアの言葉に、ふうっと力が抜けたように笑った。
「いいよ、許してあげる。あたしだって、あんたの方から誘ったわけじゃないことくらい、知ってるし。ゼビアのバカはぜっったい!許さないけど」
もう寝た方がいいと思うよ、と言って、ティファはアリアの身体に布団を掛け直した。
「眠れそう?あたし、子守歌とか歌ってあげようか?」
「……それは、眠れなくなるヤツ?」
「失礼ね、あたしは勉強はからっきしだけど、音楽だけは学内トップクラスよ」
ティファはそう言うと、ベッドの隣の丸椅子に腰かけ、小さな声で本当に子守歌を歌い始めた。知らない曲だが、言うだけのことはあって、なかなかきれいな歌声だ。
……遠い昔、思い出せないけれど、こんな風に子守歌を聞きながら眠ったことがあった気がする。もっと低い声、男の人の声だったかもしれない。それとも、そんな甘い記憶を捏造しているだけだろうか。
目を閉じると、高熱のせいでいろいろなイメージが頭の中で渦を巻き、押し寄せた疲れと共に混ざり合った。
次々と舞い落ちる白い雪片、怪しげな狐の面、白い雪に落ちた赤い血の色。ラトスの剣の青い光、身体にまとわりつく捕縛の金の糸、アリアの隣で真剣にシールドを張り続けるセイアの横顔。
重くなった体が沼に沈んでいくように、緩やかに眠りへと落ちていった。
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