その27
せめて肩の雪を払おうと手を伸ばすと、彼女は「触らないで」と身を引いた。そして、上目遣いになってアリアを見上げた。
「あんた、昨夜『カマキリ』にいたでしょ。黒い髪の、優しそうな男の子と一緒に」
「え……まぁ、いたけど。気付いてたんだ?」
「もちろん。だからあたし、わざと大きな声で、あんたがゼビアとキスしたことバラしたんだもん。ちゃんと聞こえた?アレで少しは、彼氏とギクシャクした?」
さすがにカチンときて、軽くティファを睨んだ。彼女は、暗がりの中で視線を落とすと、
「……いい気味」
そう呟いて、ひっそりと暗い笑いを漏らした。
「そんな話をするために待ってたなら、俺はもう行くけど」
そう言い捨てて立ち去ろうとすると、すぐに「待って」と声が掛かった。
「一緒に来て欲しいの。話があるから」
「話って……ここですればいいじゃん」
「いいでしょ、来てよ。来てくれたら、あんたのことも許してあげる」
アリアは思わずきつく手を握り締めた。頭の中で、危険信号が鳴っている。そうでなくとも、正体不明の――――『狐』と呼ばれる何者かに狙われていると聞いたばかりだ。
ティファは、外套の裾を翻してこちらへ背を向けると、すたすたと歩き始めた。少し歩いた後で振り返り、立ち止まったまま動かないアリアを見て、自嘲するように笑った。
「来ないの?そうよね、別にあたしに許してもらうとか、どうでもいいもんね、あんたは」
その笑顔がなぜかひどく寂しそうに見え、ぐっと息を呑んだ。
「―――――行くよ」
足に力を込め、ティファの後を追った。いろいろ考えたところで、ここでティファを見放せば、いずれ後悔するのは自分だろう。ティファは、追いついたアリアを複雑な表情で一瞥すると、また前に立って歩き始めた。
少し勢いの強くなってきた雪が降りしきる中を、二人で黙って歩いた。前を歩くティファの長い髪が風に揺られ、舞い落ちる雪に後ろ姿が霞む。髪をきれいに巻いていないティファの姿を見るのは、初めてだった。ティファはもともと小柄で、体つきも華奢だ。その彼女の後ろ姿は、あまりに儚く心細そうで、見ているこちらまで辛い気持ちになった。
大通りからはどんどん離れていく。さすがに住み慣れた町の中で迷うことはないが、この辺りにはアリアもほとんど来ることはない。この道はリスト大学に通じていて、大学生以外の一般人にはあまり馴染のない場所だ。昼間こそ学生でそこそこ賑わっているが、夜も更けた今では寂しいことこの上ない。
(リスト大か……)
中央国のスライディル大学と並ぶ、オズ屈指の名門大学だ。セイアは去年の秋にここを受験して、更に言うと失敗している。アリアと出会ったのも、ちょうどその頃だった。アリアがやや感傷に浸りながら歩みを進めていると、ふいにティファがその足を止めた。
「着いたわ」
リスト大学の正門の真正面だった。当然だが真っ暗で、辺りは人っ子一人いない。わざわざここまで来て、何を話すというのだろう。
戸惑っていると、校門の門柱当たりの空間が急に変化した。赤い光がふわりと揺れ、中に人影が現れる。音もなく姿を見せた人物は、奇妙な服装をしていた。緩やかに身体を包む白い上衣と下衣は、紐を結ぶことで前で留められている。そして、顔には狐のような動物をかたどった、白い面を付けていた。
「お久しぶりです、セナ様」
ワープで現れた狐面の男―――声と体格から判断して、比較的若い男の魔術師で間違いないだろう―――が、アリアに向けて声を発した。思わず振り返って背後を確認したが、誰もいない。
「……なんだよその名前。誰か、人違いしてんじゃねぇの」
戸惑いながら小さな声でそう言うと、男は狐面の下で、少し笑ったようだった。




