その22
アリアがそっと身をかがめながら店の奥の方を窺うと、案の定ティファはずんずんとゼビアの方へ向かっていき、何やら彼に向かって声を掛けた。ゼビアは驚いたようにそれに応じているが、当然ながら雰囲気は良くはない。二人ともケンカ腰の様子が、少し離れたアリアにも分かりやすく伝わってくる。
(やばいなぁ……ティファも、わざわざケンカしに店に押しかけてくるなよ……)
だが、それにしてはティファはとても可愛らしい恰好をしていた。きれいな水色のコートは、今年の冬の流行色だ。少なくともこの間は着ていなかったと思う。ゼビアに見せたくて、新しいコートを着てきたのだろうか。それでもこんな風にケンカになってしまうのだとしたら、なんだかやるせない。
「あー、苦しかった。ごめん、変なところで席外しちゃって」
アリアがそちらに気を取られていると、いつの間にか背後からセイアが戻ってきた。慌てて笑顔を見せて取り繕おうとしたが、その瞬間、突然店の奥からの怒号が大きく響き渡った。
「うるっせえなぁ!おまえとはもう付き合わねぇって言ってんだろ!わがままで金遣い荒くて、もううんざりなんだよ、このブス!」
確認する間でもなく、ゼビアの声だ。彼の声に、店内全体がしんと静まり返る。アリアは恐る恐るそちらの方を覗き見た。泣きそうになりながらも必死に顔を上げて何か言い返すティファと、腰に手を当てて偉そうにそり返るゼビアが対峙している。
「ケンカかぁ……止めた方がいいのかな、こういうのって」
戸惑ったようにセイアが呟いているが、アリアは正直、それどころではなかった。
「いや、当人同士で勝手にやらせればいいだろ、こんなの。それより、店変えないか?何だか雰囲気悪いしさ」
「えー……店変えるのは別にいいけど、ラトス様寝ちゃってるし、運ぶの大変じゃん。起きるの待ってからの方が良くない?」
えっ、と思って慌ててラトスの方を見ると、顔を横向きにしてカウンターに突っ伏して、本格的に睡眠モードに入る彼の姿が目に入った。
(うそだろ。爆弾発言して、勝手に寝やがって、このオヤジ)
頭をフル回転させて店を出る口実を考えたが、何も浮かんでこない。そうこうしているうちに、今度はティファの声が店内に響いた。甲高いあざけるような声は、ゼビアほど大きくはなかったが、アリアとセイアがはっきりと聞き取るには十分過ぎるボリュームだった。
「何か勘違いしてるみたいだから教えてあげるけど、アリアはあんたとは付き合わないってよ?でもま、そりゃそうよね、かわいそうだけどあんたとじゃ釣り合わないもんねー」
「……別に、アリアのことは関係ねぇよ。それとは別で、おまえとは付き合わねぇって言ってんだよ!とっとと消えろ、この性悪が」
「よく言うわー、期待してたくせに。でも残念ね、アリアみたいなきれいな子があんたなんか本気で相手にするはずないじゃない。たかだか一回キスしたくらいで舞い上がっちゃって、彼氏面しちゃってさぁ。ほーんとバッカみたい!」
アリアは固まったまま、セイアの顔を見た。セイアは良く分かっていないような顔のまま、だが明らかにショックを受けたような表情で、何か言いたそうに口を開いた。
(あー……終わったな、これ)
諦めたような気持ちでそう思ったとたん、ふいに周囲に緑の光が満ちた。
後からいくら弁解したところで意味がないのだが、本当に逃げるつもりはなかった。だが、気づいた時には、ほとんど無意識でワープを使って、『アルテミス』の店の前の通りまで移動してしまっていた。
はたと我に返り、自分の置かれている状況に気付いた時にはもう遅い。
(うわー、逃げちゃったよ……最悪だ……)
アリアは思わず手で顔を覆った。言い訳するにしてもしらばっくれるにしても、その場にいればもう少しマシだったと思う。何も言わずにワープで逃げるのは、どう考えても悪手だ。そして一度逃げてしまった以上、またのこのこと店に戻ることもできない。
(あいつら、人のことまで巻き込んでケンカしやがって。どうすんだよ、こんなことで嫌われたら……)
そこまで思って、ぱたりと、顔を覆っていた手を下ろした。
ふと、苦しいような何とも言えない気持ちがこみ上げてくる。そのまま、とぼとぼと『アルテミス』を後にした。ここにいると、いずれセイアが戻ってきてしまう。
まだ、付き合っている訳じゃない。こんなくだらないことで……とは思うが、これで嫌ってもらえるなら、お互いその方が傷が浅くて済むのかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えながら、夜道を歩いた。セイアと二人でくだらない映画を見て笑い合った昼間が、ひどく遠い昔のように感じられた。
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