その15
「いい匂いだな、パンケーキ」
あたふたしながらひっくり返していると、セイアがキッチンに入ってきた。そう言われて、ふとどうでもいいことを思い出した。セイアと出会ったばかりの頃のことだ。
「……そういえば俺、一緒にパンケーキ食べない?ってナンパされたことあるんだよね」
そう言ってチラリとセイアの方を窺うと、彼は一瞬戸惑った様子だったが、すぐにわざと真面目な顔を作って頷いた。
「多分そいつはいいヤツだよ。パンケーキ好きに悪いヤツはいないからな。仲良くしておいた方がいい」
「んー、まぁ、仲良くはしてるかな?」
空とぼけて答えると、なんだこの会話、と笑いながら、セイアはアリアの隣に立った。
「大丈夫?俺、何か手伝おうか?」「いや……」
別にいい、と言いかけて、ふと思い直した。大人たちは、それぞれ話すこともありそうだ。だったら、セイアにはこっちにいてもらった方がいい。
「じゃあ、コーヒー淹れてもらおうかな。豆から挽くんだけど、できる?」
「了解。いつも家では俺が淹れてるから、任せて」
『アルテミス』は居酒屋だが、酒を飲まない客用に、常に何種類かコーヒー豆を用意している。豆とコーヒーミルの場所を教えると、慣れたように豆を適量取り分け、ガリガリとミルで挽き始めた。
「セイ、思ったより早かったな。昼過ぎって言うから、てっきりもう少し遅いかと」
話しかけると、セイアは微妙に不安そうな表情で振り返った。
「ごめん、うっかりして時差のことあまり考えてなかった。長距離ワープ、慣れてなくてさ。こっちの方が時間が早いんだよな……迷惑だった?」
「いや、全然!そんなことないけど、ちょっとびっくりして」
嬉しい方のびっくり、だ。気を取り直して、再びパンケーキに取り掛かった。何枚も重なって層になったパンケーキは、ふんわりと甘くていい香りがする。そして、子どもの頃に作った記憶を頼りに調理していたせいか、いろいろと当時の思い出がよみがえってくる。
セイアが隣でぽつりと呟いた。
「なんだかこれって、子どもの頃に読んだ絵本とか思い出す」
「あ、やっぱり?セイも読んだことある?」
「うん、なんか……トラがバターになるやつ。最後にみんなで、めっちゃパンケーキ食べて」
「そうそう!俺も同じやつ思い出してた!」
記憶を共有できたようで、なぜかとても嬉しい気持ちになった。
そんな話をしているうちに、山盛りのパンケーキが、それこそ絵本の中から抜け出したように完成した。コーヒーもちょうど淹れ終わって、甘い香りと苦い香りが心地よく入り混じる。
「お待たせしましたー」
テーブルに運んでいくと、シンシアが嬉しそうに歓声を上げた。さっそく取り皿に分けて、コーヒーも各々カップに注ぐ。シルヴィアが作り置きのマリネと生ハムを出してきて、不思議な顔ぶれで食事ともおやつともつかないパンケーキパーティーが始まった。
みんなが口を揃えて褒めてくれるのを確認してから、アリアも自分の分を口に運んだ。甘さも焼け具合もちょうどよく、微妙に端の部分が焦げているのが香ばしい。我ながらいい出来だ。
「ラトス様、それ何ですか?」
食べながら、セイアがラトスの席の近くに置かれた薄い紙袋を指して尋ねた。形状からして大きめの本のように見える。ラトスは「ああ」と言うと、袋を手に取って、シルヴィアの方へ渡した。
「これな、欲しいって言ってたろ。出版元の会社に知ってるやつがいて、譲ってもらった。もうほとんど残ってないらしいから、扱いは丁寧にな」
「え、何、私に?もらっていいの?」
シルヴィアは意外そうに首を傾げながら、パンケーキを切り分けていた手を止めて、紙袋を受け取った。
そしてゆっくりと中身を取り出して確認したとたん、奇声を上げて目を丸くした。
「ファイア・ローランの写真集⁉えー嬉しい、まさか手に入る時がくるなんて!」
ラトスはコーヒーを飲みながら、そんなシルヴィアを複雑な顔で見ていた。まぁ気持ちは分かる。何しろファイアは、世間では『世紀の美青年』と謳われたほどの美貌の持ち主である。しかもラトスの親友だ。いくらすでに他界しているとは言え、あまり自分の恋人に渡したい代物ではないだろう。それでも無理をしてまで手に入れてくるのだから、本当に甘い。




