仕掛けられた罠
『あいかわらずお美しいお姿を拝見できて、役得でした。
宮殿でお会いできるのが、楽しみでなりません。』
そんな戯言を言って、宰相殿は帰って行った。
流石は《大陸で彼に敵う舌は無く、彼の瞳に堕ちない女はいない》と、言われる男だ。あの微笑みに流された訳ではないが、結局彼の持ってきた厄介な話を断る事は出来なかった。
まあ、最初から私に断るという選択肢は与えられていないのだろうが。
それにしても
「…エリノア、顔が怖すぎるわ。貴女本当に、マリウス殿が嫌いなのね。」
マリウス殿の訪問をルチアナが報告した瞬間、エリノアのご機嫌は急降下。部屋の温度すら下げる勢いで、背中から黒い呪いの冷気を吹き出しはじめ…今に至る。
彼が部屋出た途端、窓と扉を開け放ち、空気の入れ替えまで始める念の入れようである。
「テオ様だって、気に入っておられたクッションの下に、レアンドロ様がトカゲの死骸を仕込まれた時、綺麗に洗っても触るのも見るのもイヤ!と、おっしゃってお捨てになられたではありませんか。」
瞳孔の開いた瞳でこちらを見据え、抑揚のない声でそう言うエリノアは、冗談じゃなく恐い。
それにしても、トカゲの死骸と一緒くたにされるとは。
流石に、マリウス殿が不憫に思えてくる。
顔も姿も、立ち居振舞いも何もかも。その全てが《美しい》と評される【ランバルディアのティミドゥス】を、トカゲ扱いするのは、エリノアくらいのものだろう。
大陸は昔、一つの国だったと言われる。とうの昔に滅びた、その古い国の神話に出てくる美しい双子の神、フォルティスとティミドゥス。
【ランバルディアのフォルティスとティミドゥス】と、たとえられた二人 ー全てに優れ、しかも美しい王太子とその従兄弟ー の噂は、大陸中に聞こえていた。
初めて陛下を見たのは、今から15年ほど前。
大陸最大の国の後継者として、ランバルディアの王太子に義務付けられている、同盟国を巡る旅の最後に、陛下がアリオストを訪問した時だった。
『なるほど。
さすがは【ランバルディアのフォルティス】と讃えられるだけのことはある。
そなたの父上の若い頃にそっくり、いやそれ以上か。その美しさ、大陸中の女達が、放ってはおかんだろう。』
そう我が父、アリオスト国王に言われて、苦い笑いを浮かべていた陛下の姿を今でも鮮明に覚えている。
年も近いせいか、あちこちを案内したり視察に付き合ううち、私と陛下は少しずつ、仲良くなっていった。
ランバルディアへ帰国する前日。陛下のために開かれた宴を二人で脱け出して、《薔薇の庭》で星を見ながら、とりとめのない話をしていた時。
『マリウスは、幼い時から《美しさも武器》と開き直って、利用しているが…。
俺は、自分が平凡と言われる顔だったら良かったのに、とずっと思っていた。
この顔が役に立つ、とだんだんわかってきた今でも、時々そう思うことがある。』
ーお前なら、厭味と取らずわかってくれると思うから、話すが。
そう、前置きした上で深いため息をつきながら話す陛下の横顔に滲む、深い孤独。その苦しみと悩みと諦めとが、痛いほどに伝わってきた。
『大丈夫。
貴方なら、間違えたりしない。』
気付いた時には、彼の腕を強く掴んで、そう言っていた。
私の剣幕に驚いた翡翠の瞳が、こちらを見る。伝えたい事が、巧くまとまらない。それでも、彼の心をこのままにしておきたくなかった。
『貴方なら、きっと間違えない。
その顔も頭脳も全て、民のために一番良い方法で使う王になる。
貴方の治世は、民は幸せだったと歴史書には書かれる。美しい王だったという記述は、その後にくる。』
我ながら、話が飛躍してわかりにくい。もっと別の言い方があるのに…いっぱいいっぱいになって、下を向いた私の頭を大きな手がぐりぐりと撫でた。
驚いて顔をあげると、陛下はわかった、という風に頷いて微笑んでいた。少し潤んだように見える翡翠の瞳につられて、潤みそうになるのを誤魔化すように
『それに。
年をとって、美しさのさかりを過ぎれば、騒がれることも無くなるでしょう。
それまで、《ほんの少し》の間の辛抱です。』
にやりと笑ってそう言うと、陛下は吹き出して
『お前もな!』
というなり、こちらの頭を先ほどより強い力でぐりぐり撫でた。
ーあの日の手の暖かさを忘れたことは、一度も、ない。
机上の書状を、手に取る。
久しぶりに見る、陛下の美しい字。
来月行なわれる、同盟国会議。今年は我がランバルディアで行なわれる、その会議のもてなしを取り仕切るため、宮殿に戻るようにと書かれている。
大陸の半数以上が加盟する同盟の結束を強めるため、各国の王達は毎年一つの国に集う。
この会議を迎える側になるというのは非常に、そう恐ろしいほど《非常に大変》なのだ。その裏の仕事を取り仕切るのは、ランバルディアでは王妃の仕事とされている。
経済的な負担の大きさから、小国は開催国の順番が来ても、無理な時は、次の年の国もしくは大国に替わってくれるよう、頼む事が出来るようになっている。
今年は、ピアラーチェンからの要請で代替開催国になったらしいが。
実は、私が嫁いできた最初の年がランバルディアが開催国だったのだ。慣例に倣い、前王妃に協力して頂きながら私が、取り仕切っていたのだが。
開催半月前になって突然、病弱な王妃には負担が重いため、前王妃と王妹が取り仕切る、と発表され、私は丁重に自分の部屋から出ないようにと《お願い》された。 本当の理由は、ついに教えてもらえなかった。
それ以来ずっと、私は重要な公務をこなすことは許されず、まさに《お飾りの王妃》だったのだ。
ーいまさら、何故。
…もしかして。
あまりに残酷で哀しい可能性に行きつき、息が止まりそうになった。
秋に8才になるフェリクスは、ようやく王太子に即位出来るようになる。
今回、何かしくじったらそれを理由に。または、今回の激務で身体を壊したということを理由に、遠くの地に《静養》行かせて、即位式に出席させないためか。
ー《罠》が仕掛けられているとわかっていても。
逃げることは許されない。
微笑んで、前に進むしか、ないのだ。
私は、王家の娘なのだから。