第二章•東デアン国㊀
雲一つない秋天のもと、揺れる馬上の高い視線の先、見慣れたすがたとほとんど同じ、青色の円蓋が目を引く建物が、見えてきた。
「屋上の植物が、また増えていますね」
みぎさの横に馬を進める、しなやが、興味深げに言う。
「葉っぱなんかも、天の観察に使うのか?」
遠く見える青い頭を眺めながら、みぎさが口にする。
「もちろん使います。そのためにあるんです」
相棒が、無愛想に答える。
みぎさは横をちらりと睨むと、再び顔を遠くへ向けた。
東デアン国の〈王国警使署〉へ来るのは、今回で二度目であった。
「わかっていると思うが、慎重に動かねばならないこと、忘れるな」
「承知しています」
しなやは静かに返し、硬くなった背筋を、ぐっと伸ばすのだった。
東デアン国ーー門警長のご•だいから、〈早鷹〉が届いたのは、三日前の十月七日ーーー
その達筆な書状には、
ーーー『南ギレン国•門警長•さ•みぎさ殿と相棒方、至急本国へお越し願う。 なお、無礼を承知に、本件が極めて重大に、また厳秘を要する為、当人方以外は、同じ部署内の者にも、細心の注意を払い、不審を抱かせぬ旨を伝え、こちらへ向かい願う。 つきましては取り急ぎ、返事の意を、〈早鷹〉に送られたし』ーーー
みぎさはその日のうち、ギレン国から〈早鷹〉を飛ばし、書状にあった通りに、〈門警〉の他の部下たちには、三月に一度開かれる、四国の門警長とその相棒が出席する、情報交換の会合ーー三月にはじめて、北ドヌン国、六月に東デアン国、先月の九月に西ガサン国で行われたばかりーーそして、来る十二月には、南ギレン国の〈王国警使署〉で開かれる予定であるーーが、この度の危局に、臨時で開かれることになったと伝え、同日の夕刻には、相棒しなやと共に、馬上の人となり、東デアン国へ向け、出発した。
幸い天候にも恵まれ、二人は予定通りに、こうして九日の早朝ーー無事にまもなく、目的地へ着こうとしていた。
「明日、なにか大切な用でもあったのか」
馬の立てる、規則的な蹄の音が響いていた沈黙に、みぎさが口を開く。
横にいる相棒の目が、はっと向けられたのがわかったが、門警長の顔は真っすぐに、前を向いていた。
「……いえ、なにもありません」
「そうか。 デアン国へ行くと伝えたとき、一瞬、心懸かりな目をしてたから、聞いてみただけだ。 なにもないならよかった」
「……すみません。 お気遣い、ありがとうございます」
しなやの馬が、少し後ろに下がり、再び包んだ沈黙にーー二人はそれぞれ、目に映る景色を見るともなく見ながら、その内に、思い巡らすのだった。
真顔に前を見据える、みぎさの脳裏にはーー出発前の出来事が、ありありとよみがえっていた……。
三日前、東デアン国から〈早鷹〉が届いてほどなく、みぎさは拵えた訳柄を携えて、城へ向かい、左上官のてんじんに目通りした。
そして、無事滞りなく、その日のうちに出発することを受諾されると、速やかに、絢爛たる部屋を辞した。
天井の高い、広いホールに出て、心の内息をつき、足早に〈警使署〉へ戻ろうとしたとき、向こうから、よく知っている人物が、大きく手をあげ、向かってくるのだった。
左上官のてんじんの部屋と、右上官のけいはんの部屋は、豪華なホールのなかに、向かい合って存在していた。
みぎさが今出てきた、その反対側の部屋の主、けいはん右上官が、〈城警〉時代のかつての相棒ーーみぎさにとっては、此の上もない名誉なことに、〈警使〉となってはじめて相棒を組んだ、今も尊敬をしてやまない上司と、思いがけず、謁するのだった。
みぎさは敬礼し、ここへきた理由をかいつまんで報告すれば、けいはん右上官は、浅黒く、がっしりとした顔に浮かぶ笑い皺を沈めて、ちょうど話があったと、自室へ通すのだった。
緊張するみぎさであったが、そこで伝えられたことは、一層思いがけぬことであった。
ーーー『君の今の相棒は、〈天警〉出身の、特徴的な長い白髪をした、若者であったな』
ーーー『はい。 しなやと言います。 〈天警〉時代も、かなりの秀才であったと、そう聞いています』
ーーー『なるほど。 つまり中も外も、あの人好みというわけだ』
ーーー『……それは……どういう……』
ーーー『〈門警〉を立ち上げたのは、てんじん左上官であり、その人選は王より一任された』
ーーー『もちろん、存じております』
ーーー『てんじん左上官は私より前に、上官の地位に就き、おそらく君の相棒とは、〈天警〉の部署で直接顔を合わせたことはないはずだ。 だとすれば、偉才との評に、天警長が推薦し、そこで彼のすがたを認めたか……』
ーーー『すみません、話の内容が……』
ーーー『〈門警〉の宿舎では、君と相棒は同室ではないのか?』
ーーー『……はい。 離れには六部屋あり、私としなやだけは一人部屋に、あとの部下たちはそれぞれ、二人一部屋を使っています』
ーーー『なるほどな。 そこも好都合だったわけだ』
ーーー『あの……』
ーーー『君の相棒だが、毎月輪のつく日ーー十日、二十日、三十日と、てんじん左上官の部屋へ通っていることは、知っているか』
ーーー『……いえ……知りませんでした。……ですが、たしか、輪のつく日は、天の世界で、特別な意味をもつ日でしたよね。 それの手伝いか、なにかでしょうか……』
ーーー『確かに、三つの日はそれぞれ、〈火〉•〈風〉•〈水〉が、天から地へ生み落とされた日だとされている。 その日は現に、てんじん左上官は夜の九時には自室へ籠り、何人たりとも邪魔を許さず、それは王であっても、面会を断るのだ。 なかでそれぞれの儀式とやらをやっているのだろう』
ーーー『やはりそうでしたか。 先月の三十日は、本人から特に事前の申し出もなく、私としなやは夜半から明け方までの巡回でしたので、ここへは来れなかったはずです』
ーーー『知っている。 この三月、注意して見ていたからな。 だが、私の見解は、君とは少し違う。 君の相棒がここへ来る日、常は二人である部屋の見張りの者が、半分の一人に、いつも決まって同じ者だ。 そして、それは、てんじん左上官直々の命であるという。 君の相棒は、夜の九時過ぎに唯一部屋へ入り、日を跨いで、夜半の一時頃、音なく部屋を出ていく』
ーーー『……やはりなかで、儀式を手伝って……』
ーーー『事実から目を逸らすな。 べつに男色は、罪に問われることではない』
ーーー『……ですが……まさか……』
ーーー『ありえぬことだと? 私も彼の風貌を見たが、なかなか人を惹きつけるところがあると思った』
ーーー『……確かに……それは認めます』
ーーー『だとしても、相手は元〈天警〉の左上官だ。 その一見透明だが、鉄の如く重みを含んだ力関係が、どうもきな臭くてな。 それに、ここへ来て帰っていくときの、君の相棒の表情は、まるで亡霊のようだ。ーー私の言いたい意味が、わかるか』
ーーー『……はい……』
ーーー『相手も相手に、とても難しい問題だろう。 だが、君が長を務める、奇怪な《魂の門》とやらが深刻な状況である今、このまま放っておけば、取り返しのつかぬことになる日も、くるのではないかとーー私はそれを、懸念している。 昔のよしみに、今も大切な部下である君に、優秀だがその人柄ゆえ、深い傷となって残り、君の輝かしい将来に影をつくり阻むような事は、起きてほしくない。 私の後釜は、君であろうと、確信をもっているからな』ーーー
〈王国警使署〉の前に着くと、デアン国門警長のご•だいと、相棒からすまが、出迎えた。
だい門警長は、みぎさと同じ三十五歳。 すらりと背が高く、印象的な形のよい頭を際立たせた、坊主すがたをしていた。 一見〈警使〉というより、その短く髪を刈った風貌さながら、本物の僧侶のような、秋の湖面を思わせる、独特な沈然さがあった。 だが、一度見れば、静かに光る切れ長の眼差しには、課せられた任務に対して、真っすぐに突き詰める、強い探究心、熱い情熱、責任感が、色濃く宿っていることがわかる。 また部下に対する姿勢も、どこまでも真摯にーーみなで反省を直視し、次に活かそうとする絶え間ない努力が、みぎさにとっては、まこと良き刺激となっていた。
はじめて会ったときから、同じ齢、同じ門警長という立場である、ご•だいに対して、みぎさは同志のような、清々しい思いを抱きーー己の無力さに身を潰されそうになったとき、それは心強い存在として、再び鼓舞するように、そのすがたが浮かび上がるのだった。
二人が馬から降りると、デアン国の門警長とその相棒は、揃えた右手に、額ーー左肩ーー右肩ーーそして、また額へと手を当てる、自国の敬礼を見せるのだった。
みぎさとしなやも、ギレン国の敬礼を返す。
「長旅、ご苦労でありました。 着いて早々、お疲れのことだと思いますが、このまま私たちの部署までお越し願います」
「問題ありません」
みぎさが答える。
背の高い、だい門警長と対照的に、背の低い相棒が、顔の半分を覆った、大きな白い口布の上に見えた目元をにこやかに一礼し、二人から手綱を受け取る。
みぎさの相棒も、異彩を放つ髪型をしていたが、だい門警長の相棒も、それに負けず劣らずーー雀色の太い髪を、おかっぱにした、なんとも珍しく、特徴的なすがたをしていた。
「風邪ですか?」
しなやが聞けば、からすまは相変わらず、目をやわらかに細めたまま、首を振るのだった。
からすまが厩舎へ馬たちを引いていき、「こちらへどうぞ」ーーと、だい門警長の後に続く。
建物の外階段を上り、足を進めるなかーーみぎさはふと、初めてデアン国の〈王国警使署〉を訪れたときのことを、思い出すのだった……。
みぎさが驚いたのは、〈門警〉の部署が、二階に単独で、入っていたことだった。 話を聞けば、一階はギレン国と同じ〈事警〉が入り、二階を〈門警〉、三階を〈城警〉、四階が〈察警〉にーー部屋の三分の一ほどを〈天警〉が使い、五階にあたる屋上は再び同じに、〈伝書鷹〉の小屋をのぞいて、〈天警〉が部署として使っていた。 どこよりも神経過敏であるはずの〈察警〉がなぜ、〈天警〉に同じ部屋の使用を許したのかーーもとは二階に入っていたという、〈天警〉がなぜ、新設された〈門警〉に、部屋を譲り渡したのかーーみぎさはどうしても気になり、だい門警長に聞いてみれば、おそらくであるが、東デアン国の〈天警〉は最少人数に、よほど天色が悪くないかぎり、ほとんどの時を五階にいて、屋上に行くにしても、もとの二階よりは四階のほうが、単純に利便性が上がり、また屋上には別に、専用の小屋もあるからではないかと、密やかな声に、教えてくれたのだった。
外階段から、建物の中へ入り、部屋の扉の前に、だい門警長の足が止まる。
押し包んだ沈黙にーーそのしなやかな背から、微かな緊張が伝わる。
「私を信じてください」
両開きの扉を見据えたまま、だい門警長が、深くつぶやくのだった。
そして、小さく扉をたたき、ゆっくりと開くーーー
記憶にある、広々とした部屋ーー開かれた扉の正面奥に、一際大きな四角い窓があり、その窓を背に、長の立派な執務卓が据えられていた。 部屋の両側には、壁の高くに横長い窓がつけられ、相棒からすまの卓も含め、部下九人分の執務卓が、規則正しく並んでいた。 そして、広い部屋の中央ーー六月の会合の時にも使われた、艶のある見事な木の長机が、あるのだった。
差し込む柔らかな光と、静寂が満たした部屋ーーただひとりすがたのある人物は、上座の向かい、部屋の扉に背を向ける席に、座していた。
警戒を纏い、足を進め止めた、みぎさとしなやの背後に、だい門警長が、静かに扉を閉める。
二人が凝視する先ーーいとも神妙な間をもって、ゆっくりと相手が立ち上がり、振り返るーーー
南ギレン国の門警長と相棒は、同時に息をのむのだった……。
みぎさの開かれた、強い眼差しが、横へ来た、だい門警長を捉える。
「……これは、一体……」
真っすぐに頷かれた、同志の瞳にーー苦悩と決意とが、底光り、深々と伝わるのだった。




